[透明なレポート・2]



古めかしい時計の音。

チクタクと時間を刻む拍子が眠気を誘う夕暮れ時。


コーヒーの香りに微睡みながら、揺れる夕日のシルエットを窓越しに眺めては

椅子に身を預けて本を読んだ。


もうすぐ夕飯の時間だ。

しかし優しい祖父母は何時いつになっても帰ってはこなかった。



岡の向こうのブドウ畑が燃えている。

茜色の空からは爆弾が降り注ぎ、ふもとの小さな村が焼けていく。


焼け焦げた草を踏みしめて、黒い兵隊達が列を作って女子供をトラックに

詰め込み、何処かへ連れ去ってしまった。



うなだれる僕も兵隊に見つかり、すぐさまトラックに乗せられる。



行き先は何処かの研究所だった。


数週間に及ぶ何かの手術を施され僕は施設に入れられた。

他にも子供が沢山いるが、誰も彼も顔には生気がない。


眩しい照明が照りつける大きな円筒形の部屋で、が始まるまでは

ここで待機しなければならない。


が、この日は静寂を破った子供がいた。



「・・・オレの名前はギュゲス。」

「―――お前は?」



「・・・・・」


差し伸べられた手を無視して彼の顔を見る。


ぼくよりも年上だ。15歳ほどだろうか。

骨ばった顔は無骨に笑い、ウイスタリアの紫の花と同じ髪色を揺らして

ニヤニヤとこちらを見下ろしている。


「ははっ、話す筋合いは無いってか?」

「ここに居ながら、何処にも居ないんだもんなオレ達は」


「でもお前は幽霊みたいなカオしていないじゃねえか」


彼は隣にどかっと座り、天井の巨大な照明を見上げた。



「・・・こっから出てぇな。」



「ここから・・・出る?」


「そうさ!」

「お前、ココにぶち込まれたのは一週間くらい前だったよな」

を耐え抜けば外に出られるって言われたろ?」


「でもオレ達に組み込まれた能力は“ファントム”だ。」

「能力の性質上、この能力に自由を与えるのは管理者からしたら自殺行為。

 どうせここから出されても拘束され続けるのさ。」



「・・・・・」



「自由になりてぇ。」


「管理者達はオレ達から自由を奪おうとしてるんだ。」

「生きていると思わせない、見えていると思わせない、望ませない。」

「オレ達からオレ達を奪って、操ろうとしてんのさ。」



「・・・・自由になって、どうするつもりだい?」



「・・・どうする?」


「ははっ、何故自由を求めるのに動機が必要なんだ?」

「オレは背負う不自由を自分で決めて生きていたい。それだけだ。」

「・・・オレ自身は誰にも奪わせやしない。」


「お前は違うのか?」



「・・・僕は・・・」



訓練によってふるいに掛られ僕らが死ねば、また子供達は補充される。


故郷を奪われ、身体を作り替えられ、命の価値すら僕達が

自分自身であろうとする意味はどこにあるのだろう。


自分を維持しようとすれば、真っ先に傷付き、苦しめられるのは

自分自身だと言うのに・・・・



「・・・まあ、いいや。」

「何にせよ今日生き延びられなけりゃ自由もへったくれもねぇ」


「お前、けっこう力の適正高いみたいだけど、まあ死なない様に気を付けろや」

「生き延びられたら、また話しようぜ。」



ギュゲスと名乗る彼は歯並びの悪い歯をニッと見せて笑った。


ちょうどその時、部屋にサイレンが鳴り渡り扉が開いた。

今日のが始まる合図だ。



部屋を出て通路を移動し、巨大なシェルターに移ると内部は廃墟になっている。


“ファントム”という能力を使いこなし、諜報や暗殺、アニマとの戦闘の為の

訓練を行い兵器としての完成を目指す。


一人につき一人のオペレーターが付き、この廃墟空間での生き残りを目指すのだ。

当然この力、ファントムシステムを上手く使いこなせる者ほど生き残る確率が

上がるから、力をある程度発現できない者から死んでいく。


―「やあ、505号。」―


―「また宜しくね。今日で一週間だね、よく生き残った。」―

―「その調子で今日も任務を遂行するんだ。」―


「・・・・・」


廃墟に入り、それぞれの子供が所定の位置に移動すると通信が入る。

彼は僕のオペレーターで、“チャペック”と名乗った。

一度も会った事は無いが、僕を専属でサポートするそうだ。


―「以前も説明したけれど、実践経験の多い相手を始末すれば

  必然的に生き残る事は容易になっていくよ。強い者を優先して

  狙いながら、適度に弱者も間引いていくんだ。」―


―「補充される者は確実に未熟だからね。」―

―「素質の有る者も積極的に始末するんだ、分かったね?」―


「・・・・わかったよ。」



物陰に身を隠しながらターゲットを探した。

力を使って身を隠し進むと、他の被験者は簡単に見つかった。

ファントムシステムを使いこなせない被験者が殆んどだから、遭遇すれば

大体は簡単に仕留める事ができる。


同じく身を隠す、能力を使いこなせる者が弱い者を狙った時が狙い目だ。

自信がある者は積極的に攻撃を仕掛ける。


そして戦闘が繰り広げられる場所の近くには、それを観察する手練れが

潜んでいる。より巧妙に姿を隠し、厄介な相手を隙あらば始末する。



「キャーーー!!」



早速誰かが襲われている。


13歳程の少女を長身の男が斬り付けていた。

男はその身を透明に変えて少女を翻弄していたが、その身の透化は不完全で白く

ボヤけており、目を凝らせばその位置を確認できる。


「誰か助けてェーーーっ!!」


誰も助けやしなかった。

この廃墟のショッピングモールの中にどれだけの被験者が潜んでいるかは

分からない。いても助ける者などいないだろう。


目の前の狩る側も狩られる側も、ファントムシステムの習熟度は低い。

どちらが生き残ったとしても、正直どちらも驚異にはならない。

この場には干渉する必要は無い・・・・


「・・・・・」



「死にたくないよぉーーーっ!!」


涙を流しながら少女は尻餅を付き、逃げる足が完全に止まってしまった。


振り下ろされる男のククリ刀。



僕は反射的にそのやいばをフルタングナイフで受け止めていた。


「・・・・・ッ!!」



「ヒッ!!な、何だオマエ!?」


男は戸惑い、たじろいだが直ぐに立て直しククリを振り回した。

その身体は焦りで透化と解除を繰り返し、まるで点滅しているものだから

刃の軌道が読みにくく、その一心不乱な猛攻に僕は尻餅をついてしまった。


「・・・・ぐっ」


「死ねーーっ!!」


しかし男の体は何かに引っ掛かった様に止まった。

そして、もがく男の首が裂けて血が噴射した・・・・


床に沈んだ男の背後に何者かが出現する・・・



「・・・・ギュゲス」



「よぉ、オレの名前覚えてくれたんだな」

「へへ、危なかったじゃねえか。」


「・・・・ありがとう。」


ギュゲスはその手に持つサバイバルナイフを器用に回しながら

ポケットに手を入れてこちらにウィンクした。


「そこのお前、さっさと逃げた方がいいぜ」


「・・・はぁ、はぁ、た、助けてくれてありがと・・・」


少女は立ち上がってこちらを見た。


「ね、ねぇ!アンタ達、組んでるの?」

「だったら私も入れてよ!」

「協力した方がアンタ達も生き残りやすいでしょ。」



「別にオレ達は組んじゃいねえよ?」

「それに、徒党を組むのは禁止ってルール知らねぇの?」

「体に仕込まれたパペッターボックスで行動不能にさせられちまうぜ?」



「知ってるけど、そんなのバレなきゃいいじゃない。」

「然り気無く協力してれば気付かれないわよ」


「私は“カタリナ”」

「力だってすぐに使いこなせるようになる。」

「ね、キミは何て名前なの?」



僕の名前・・・・

今は505号という識別番号を与えられている。

過去も、本来の自由を生きる事も奪われた僕には名前なんて無意味だ。


「・・・505号。」


「オイオイ、それならオレは480号だぜ?」


「番号で十分さ」


「言いずれーよ。」

「何も足枷の名前で呼ぶ事ねーだろ?」

「・・・・せめてそうだな、しばらくはパーマとでも呼ばせてくれや」



「好きに呼んだらいい。」


「宜しくね、パーマくん、それとギュゲス?」



ギュゲスは手をヒラヒラ振って消えてしまった。


「ねぇパーマくん、あのギュゲスって人とどれくらい仲が良いの?」

「私、彼と仲良くなりたいなぁ!」


「・・・別に」

「話したのも今日が初めてだよ。」



「ふぅん・・・キミも力を使いこなしてるよね」

「助けてくれてありがと!仲良くしよう!」


立ち去る僕の後ろをカタリナが付いて来た。

当然付いて来られては困る。体を透化して離れると簡単に撒く事が出来た。


・・・僕は何故彼女を助けたのだろう

誰が死んだとしても、全てを失った僕にとっては何の意味も無いのに。



―「今日も生き延びたね、505号。」―


―「キミは優秀だ。」―

―「ファントムの力を最も使いこなしているのは480号かキミだろう。」―

―「この調子ならキミは次の訓練にすぐ移れる筈だ。」―


「諜報関連の訓練?」


―「そうだね、いわゆる座学なんかも始まるよ。」―


―「キミ達二人はファントムプロジェクトの最高傑作だ。」―

―「期待しているよ、505号。」―


施設に戻るとホールに食事が用意され、夕食をこなした。

就寝するまではホールで過ごす事が出来る。ここでは本を読む事も

情報端末を使って学習する事もできる。


つい直前まで殺し合っていた者同士が、時間が訪れればこうして

同じ空間で共同生活を送るのだ。この空間での殺し合いは厳禁で、

禁を破ればパペッターボックスで最悪処刑されるらしい。



「よっ!」


ギュゲスだ。

彼はニカッと笑ってこちらへ近付いてきた。


「どうだよ、能力は体に馴染んでるか?」


「オレの見立てだと、この施設で能力を完全に発揮できるのは

 オレとお前だけだ。極めたら多分、パペッターボックスも遮断できちまうぜ」



彼の冗談に少し笑って答えた。

ギュゲスは気さくで、他の者と比べると人間味が強かった。


「今日は助けてくれてありがとう。」


「あぁ~・・・お前、女を救ってたろ。」

「人間らしくてなかなか良かったぜ。一種の成り行きだろ?

 おれがお前を助けたのもそうさ。礼を言う必要はねえよ。」


「当たり前の事なんだからよ、人助けなんて。」



「こんな環境でも?」


「あぁ、そうさ!」

「オレ達が兵器と呼ばれようと、何も変わらねえよ。」

「・・・おれに助けられた時、安心したろ」

「人間はそう簡単に人間辞められねえって事さ。」



「・・・キミ以外の者全てが、それを間違いだと言ったら?」



「お前は青空見上げて、全ての人間にそれが黒だと言われたら黒だと答えるのか?」

「オレなら世界を疑うね。」


「目の前に在る物も、感じた事も、オレが居るから全てが真実になるのさ」



彼の言葉には濁りが無い。


その瞳に僕は釘付けになった。


「そうそう、今日お前が助けた・・・なんだっけ?」

「“カタリナ”・・・か?アイツは信用しない方がいいぜ。」


「・・・・何故?」


「あれは多分、既に奴だからな。」


って・・・・?」


「空の色、さ。」


「・・・・・・・」


「ふぁ~~っ!」

「さて、オレはもう部屋に戻って寝ちまうとするか。」

「明日はさ、メシ一緒に食おうぜ。じゃーな」



ギュゲスは就寝用の個室がある別棟へ去って行った。



「ヒッドーイ!」

「聞いてたよ!私の事、信じるなって」

「弱いと疑われちゃうわけ?ね、パーマくん!」


カタリナが後ろから現れて頬を膨らませていた。

腰まで伸びた艶のある黒髪のツインテール。ツンとした目が僕を見上げる。



「ねえ、ちょっと歩こうよ。」

「知り合いも何も居ないから息が詰まっちゃうよ、もう!」


手を引かれて施設の中を歩いた。

移動可能なエリアには、強化ガラスで外景の望める通路がある。

外の暗闇の中にはウイスタリアが咲いていた。


「あの花、綺麗だね。」


「私さ、ココに閉じ込められるまで花が綺麗だなんて思った事無かった。」

「不思議だよね、壁越しに見せ付けられると、それまで見えなかった

 本質みたいな物が見えてくるなんて。」


「・・・今は外の世界の事も、自分の事も、よく解る気がする。」



「自分の事?」


「そう。自分に何が出来て、今すべき事が何なのか。」

「それが手に取る様にわかるの。」


「キミだってそうでしょ?訓練で生き残って、自分にしか出来ない事をしたい。」

「今までは自分が何者なのか解らずに生きてきた。」

「けど今は違う!なんの為に生きているのか、それが見えている。」


「確かに、ファントムの力を限界まで使いこなせれば特別な存在と

 言えるんだろうね。」



「うんうん!そうそう!」

「だからさ、生き残るために一緒に頑張ろうよ!」

「きっとそうすれば、外で見える景色だって違って見えるはず!」


「・・・きみとギュゲスは前向きだね。」


「でしょ?」

「きっと彼との相性だっていい筈なのにね!」

「私達、せっかく同じ境遇なんだから、分かり合える者同士で

 仲良くしたほうが絶対にいいよ。外に出た時にさ、一人よりも

 友達が一緒にいた方が絶対感動も大きいと思うよ!」



「そうなのかな?」


「そうだよ!」

「だからもし、パーマくんがやられそうだったら私が助けてあげる!」


彼女はニコッとこちらに笑顔を向けて、僕の手を握った。


「エヘヘ、でも私じゃ頼りないか」

「でも友達のためなら頑張るからね、私!」


「と、友達・・・・」


カタリナも人間味が強いと思った。

ギュゲスは彼女の何を警戒したのだろう。

他の被験者とは違って、彼女も人の臭いがする。


通路を一周し、彼女と離れて僕も就寝する事にした。



翌日も同じ1日が始まる。

朝食後に待機室で暫く過ごし訓練開始を待つ。


この円筒形の待機室は複数存在し、どの部屋で待とうと良いのだが

この時はギュゲスともカタリナとも会わなかった。



―「やあ、505号」―

―「今日も宜しくね。」―


オペレーターのチャペックだ。


―「今日は被験者を間引こうか」―

―「君の透化は日増しに制度が上がってきている。」―

―「より確実に、より安全に標的を殺傷出来るだろう」―


―「ノルマは10人といこうじゃないか。」―



「10人・・・・」



―「ファントムの力は、同じ力に干渉すれば相殺される可能性がある。」―


―「その上で、同じファントムの力をもすり抜けられるなら、君の能力は

  究極の領域に達していると言えるだろう。」―


―「そこを目指していこうか。」―


「・・・訓練で究極の領域?」

「飛躍しすぎだね。」


―「いいかい?」―

―「真のファントムとは、究極の幻影だ。」―


―「そこを目指し、到達出来ずに中途半端な諜報員として任務を与えられ、

  使い捨てられるのが一般的なんだ。残酷だが、千人の被験者がいれば、

  真のファントムに成れる者は一人もいないのが現実だ。」―


―「君と480号はそんな奇跡的な可能性を秘めている。」―

―「君が真のファントムへの覚醒を目指さない選択肢はあり得ない。」―


―「君はその場に居ながらにして何処にもおらず、全てを見通し

  全ての生命線を掌握する。つまり奇跡の絶対者。」―


―「解るかい?君は、真のファントムに成るべくこの世に生を受けた。」―


―「ウエストバージニアの地で、君が両親に捨てられたのも、君を育てた

  老夫婦がアニマとの戦争で焼かれ、あのかぐわしい葡萄ぶどう農園ごと蹂躙されたのも、

  全ては君が人類の為の真なる幻影として戦う為だ。」―



―「つまり君は何も失ってなどいない。それどころか君は誰も手にする事の

  出来ない全てを手にしている。君は君を成就させればいい。」―



「・・・一つ聞いてもいいかな?」


―「言ってごらん。」―


「真の幻影になった時、僕は誰になるんだろう。」



―「誰にもならないよ。」―


―「此処に居ながら何処にも居ない存在。君は誰でもない。」―

―「吹き抜ける風が何者でもない様に、君は人類の為のになるんだ。」―


「・・・・現象」


―「そう。」―

―「それは幸運な事だ。君は人としての痛みを背負う事はない。」―

―「何かを感じる必要もない。人として生きる故に抱えるあらゆる苦しみは

  全てその身からすり抜けて、君は個人という入れ物から自由になれる。」―


―「君は真の“ファントム”というを手にし、同時に全てから解放されるんだ」―


「・・・・」


―「さて、所定の位置に着いたね?」―

―「なぁに、難しく考える必要なんて無いよ。」―


―「その力を思いっきり使って、生き延びればいい。」―


「わかったよ」



そして今日も訓練が開始された。

姿を透化して廃墟を進む。他の被験者はできないみたいだけれど、

僕は物音を消して移動する事ができた。足音も石を蹴る音も遮断する

事ができる。


一方的に斬り付けられて絶命する者、奇襲に失敗し半透明の状態でもみ合いに

なりながら地面に転がる者、ただ隠れているだけの者・・・・

与えられたをクリアするには、戦い自体よりもむしろ他の被験者を

見つけられるかどうかの方が問題だとすら思える。


チャペックの言う通り、僕の能力は他の被験者よりも強いようだ。



誰かが死ぬのを見る度に、この身を完全に隠してやり過ごす度に、僕の存在は

質量を持たないのだという空虚な感覚に襲われた。


ノルマの達成は、所詮は現状報告に過ぎない。

感情も目的も無い空虚な行為に、気が遠くなっていった。


「よっ!」


「!!!」


瓦礫がれきに腰掛ける僕の後ろから声を掛けたのはギュゲスだった。

誰にも見つからない確信があった僕は、驚きのあまり飛び上がる様に立ち上がって

振り向いた。


「はははっ!」

「驚いてやんの!」


「ギュゲス!」

「どうして僕の場所が分かったんだい?」


「何でって・・・」

「お前ほど上手く姿を消せる奴はオレぐらいじゃないと見つけられないだろ?」

「安全圏にいるだけじゃつまんねーじゃん。」

「見つけてやろうと思ったのさ」


「・・・きみ、凄いんだね。」

「僕なら絶対にきみを見つけられないと思う。」


「絶対なんてあり得るかよ。」

「オレとお前はちゃんと存在してるんだ。探してみなけりゃ分からないさ。」

「へへっ、ちゃんと説得力あるだろ?」


「確かにね・・・はは」



「今日もだりーよなぁ」

「お前、オペレーターに何て言われた?」

「オレなんて、20人も間引けってよ。ふざけてる」


「こっちは10人だよ。」


「無意味な殺戮だよな」

「出来ねえなんて事はねえけど、やっても意味はねえ。」


ギュゲスは顎に手を当てて呟いた。


「・・・・問題は、施設を脱出した所で行き先がねぇって事だな・・・」



「え?・・・脱出?」


「あぁ!」

「当然だろ?こんな所でまんまと世界政府の駒に成り下がってたまるかよ。」


「でも、パペッターボックスで僕らは管理されている。」

「どうやって管理者から逃れる気だい?」



「言ったろ?」

「ファントムの力を極めたら、パペッターボックスだって遮断できるって」


「あれ、冗談じゃなかったの?」


「冗談だと思ったのか!?」

「ははははっ、本気だよ本気!」

「ナノサイズのパペッターボックスだけを残して実体を消せば、パペッターボックス

 だけすり抜けて体外へ排出できる筈だ。相当なテクニックが必要だがな。」



体の一部だけを残して実体を消す・・・それは自殺行為に等しい。

内蔵の感覚を持たない人体。一歩間違えれば内蔵が外へ排出されて死ぬ可能性

だってある。それなのに極小のパペッターボックスだけを外へ排出するなんて、

通常では到底考えられない神業だ。



「オレは出来る事を全部やる」

「そしてオレの自由を取り戻すんだ。」


「・・・キミは何故そんなに強いんだい?」


「強い?何がだ?」



「目の前に与えられた目標の為に生きるのではなくて、自分の意思で

 生きようとしているだろう?」


「・・・僕にはそんな力は湧いてこない。」

「どうしてそんな風に、自分の意思で前に進めるのか・・・」



「オレには信じたい物があるからさ。」


「信じたい・・・もの?」



「お前にだって絶対にある」

「お前は他の奴等とは違うからな。」


「探してみろよ」



「僕は・・・・」



「あーーっ!見つけた!」

「二人ともー!」


カタリナが両手を上げて、割れた道路の上を走って向かって来た。


「パーマ、あの女をノルマの為に殺してみるか?」


「・・・・いや」


「へへ、そうだよな?」

「オレも同じだ、結局お前にはお前の意志があるのさ。」

「それ、絶対に捨てるなよ。」



「・・・僕の意志・・・」



「はぁ、はぁ、二人とも!何話してたの?」

「作戦会議?私も混ぜてよ!」



「作戦なんて立てちゃいねぇよ。」

「お前、逃げに徹した方がいいぜ?」


「お前にもオペレーターいんだろ。オレは今日20人消さなきゃなんねえんだ。

 オレなら真っ先にお前みたいに非力な奴を狙うよ。もう守ってやらねえから

 全力で逃げとけ。」


「ふぅん」

「でもさ、そのノルマってやつ、私が居た方が達成しやすくない?」

「弱そうな私を狙って襲ってくる人達が多いなら、その人達をギュゲスが

 仕留めたらいいじゃない。」


「それは露骨な協力だろ」

「お前の為にしょっぴかれるのはゴメンだね。」


「そんな事言わないでよぉ!自然にやってれば証拠なんて残らないでしょ?」

「効率も生存率も上がるし・・・・私もお友達、欲しいんだよね・・・」



「友達は選ぶ方なんでね。」

「遊び相手が欲しいなら他を探しな」



「ギュゲス・・・」


彼は一瞬で姿を消し、この場から居なくなった。

彼の能力は僕以上だ。その存在を掴もうと周囲に意識を巡らせるが

彼を察知する事は出来ない。


「もしかして私、避けられてる?」


「さあね」


「パーマくんもドライだよねー」

「こんな所で生きてて寂しくならない?」


「・・・・私は寂しいよ」

「誰かと一緒に居られるなら、一緒に過ごした方がいいと思う。」

「私、キミが寂しかったり怖かったりしたら側にいてあげるよ」


「キミはそうされたいの?」


「・・・うん。」

「私はパーマくんに側に居て欲しいな・・・」


カタリナの瞳は潤んでいた。

両腕を抱えて俯く彼女の姿は哀れみを誘った。



「友達・・・っていうのは僕にはよく分からないけれど、助け合う

 事はできると思う。キミは生き残る事に専念した方がいい。」


「・・・うん!」

「えへへ、よかった。拒否されなくて」


「・・・ねえ、ギュゲスは凄く強いんだよね?」



「そうだね、多分全ての被験者の中で一番だと思うよ」


「・・・それならさ、キミも私も常に間引かれる対象って事だよね・・・

 もし彼に狙われたらどうしよう・・・」



「・・・彼は見境なく誰かを狙ったりはしないと思うよ」


「どうして?確かに私は彼に助けてもらったけれど、私は彼の事を

 何も知らない。キミは彼の事をどれくらい知っているの?」


「僕もギュゲスの事はよく知らないよ」


「・・・・キミはあのギュゲスに目を向けられてるんだから、キミの能力も

 きっと相当優秀なんだよね?・・・・なら、彼からしてみればキミと懇意に

 していればここでは無敵なんじゃないかな。」


「そして・・・最後は自分の安全の為にキミを殺してしまう可能性もあるよね?」



「・・・・それはどうだろう」


「でもそれなら私なんて眼中に無いのも納得だよね」

「・・・ねえ彼の事、少し気を付けた方がいいかもしれないよ?」



ギュゲスにとって僕を殺す事に利益があるとは思わないけれど、彼の考えを

僕が知らないのも事実だ。


ギュゲスもカタリナもお互いを信じていない。



・・・僕も二人を信じてはいなかった。


人の心なんて分からない。

唯一疑う必要の無い楽な相手は管理者のチャペックだった。

彼の言葉は僕の胸を揺らす事は無い。


僕はただノルマをクリアする事に専念した。

しかしその度にギュゲスの言葉が蘇る・・・・

「――それ、絶対に捨てるなよ。」




―「お疲れ様、505号。」―

―「ノルマは達成したね、やっぱり君は特別だ。」―


―「しかし他の被験者との接触は頂けないね。」―

―「特に480号とは接触を避けた方がいい。」―


「何故?」


―「彼は自我が強すぎる。」―

―「他者に幻想を抱かせる道化の様な性質を持っている様だ。」―

―「いいかい?君達は自我に負けてはいけないよ。」―

―「どこまでも兵器に徹するんだ。」―


―「そうすれば楽になれる。」―



楽に・・・・僕は本当に楽になりたいのだろうか。



・・・次の日も、また次の日も訓練は続いた。

一週間経つ頃にはチャペックのノルマもカタリナのフォローも

何の負担にもならなくなっていた。


「ねぇ見て!」

「私も透化上手くなったでしょ?」

「もう守られるだけじゃないからね!」


カタリナは能力を使いこなしていた。

彼女は素質が無い訳ではない。他の者との違いは単なる経験の差だった。


そしてギュゲスも僕も、もはや訓練なんて無意味だ。

どんな相手だろうと、どんな状況だろうと、被験者の中には敵は無く

ただオペレーター管理者の言葉を機械的に聞いていた。


・・・そんな虚無な空間にあって、一つだけ分かった事がある。

どれだけ能力を洗練しても、僕はギュゲスに感じる強さを自分の

内側に見付ける事ができなかった。

それは彼には届かないという、一つの確信だ。



僕は彼の有機質と現実の無機質との間で困憊こんぱいしていた。




―「明日は少し特別な訓練になるよ」―

―「今日は早めに眠るといい。明日も頑張るんだよ。」―


「・・・・分かったよ」




夕食を取って通路を移動していると、ギュゲスが窓の外を眺めていた。


「・・・よお」

「ここのメシは不味いよな。毎日殆んど同じ内容だし・・・」


「そうだね、キミは食べ物に好みとかあるの?」


「そりゃーあるさ!」


「兎に角オレはチーズとウィンナーが好きだ!」

「朝が白む前には近所の酪農の手伝いをして、帰りがけに

 大して繁盛していないカフェでラクレットを食べるんだ。」


「おれは貧乏だったからね、学校へは行かずにそのまま働いてたよ。」

「ともあれそれがオレのソウルフードだ。」

「お前は何が好きなの?」


「僕は葡萄農園を営む祖父母の厄介になっていたから、よく干しブドウを

 食べてたよ。ソウルフードなのかは分からないけれど、一番よく思い出せるのは

 あの味だと思う。」


「へぇー、葡萄屋の干しブドウってやっぱうまいのか?」

「お前って肉にがっつくタイプじゃなさそうだもんな、ははは」


「それはキミの方だろう?」

「祖父の作る干しブドウは美味しかったよ。チーズともよく合うから

 キミだって気に入るはずさ。」


「そいつはいいな!」

「そうだ!なぁパーマ!」

「いつかおれ達が自由になったらどこかでホットドッグのパーラーを

 開こうぜ!移動式の!」


「パーラー?」


「そうそう!レーズンチーズのホットドッグで儲けよう!」


「そして二人で借金地獄?」


「はははっ!」

「借金は返せばチャラだ、ダメなら他の作戦を考えるさ!」

「できればモテる事しよーぜ!オレの見立てでは料理が出来る男はモテる!」


「なあ、楽しそうじゃねーか?」


「ふっ、ふふ、どうだろうね」

「でもキミに料理の才能なんてあるのかい?」


「これから身に付けりゃいいんだよ、才能なんて!」


「無茶なやつ」



ギュゲスはよく夢を語った。

彼の中ではいつも未来と過去と現在が繋がっていた。

彼の語る理想が現在的かどうかは関係ない。話をする彼は笑っていた。

・・・彼は生きている世界を見ているのだ。



――翌日目を覚ますとチャペックから通信が入った。



―「やぁ、おはよう505号。」―


―「今日は特別訓練の日だよ。」―

―「平常空間における柔軟性の訓練。」―


―「今日の訓練所は廃墟ではなく、君が今居る居住施設全体だ。」―

―「この訓練を最後に、生き残れば君はこの施設を出て外に出られる。」―


―「今日与えるのはノルマじゃない。特別なミッションだ。」―


―「最後の生き残りになってくれ。」―



「最後の・・・生き残り?」



―「そう。」―

―「被験者全員でのバトルロイヤルだ。」―


―「最後の一人が決定した瞬間、プログラムは終了。」―

―「今回のプログラムでは奇跡的に真のファントムが誕生するだろう。」―


―「それが505号、君なのか、それとも480号なのかは分からない」―


―「ともあれ今日は君という存在が完全に定義付けられる日なんだ。」―

―「ファントムなのか、それとも失敗作なのか・・・・」―



―「・・・さあ、頑張って。今日生き残ればキミは完璧な幻影になれる。」―




チャペックの通信が切れた。


「・・・・・」


僕の頭は簡単に訓練のモードに切り替わった。

生き残れるのは一人だけ。簡単なルールだ。生きるか死ぬか、それだけ。

恐怖や不安は無かった。


あるのは僕を困憊させる胸のしんどさ、そしてそれからの解放の予感だ。


僕は透化をしながら部屋を出て通路を歩いた。

被験者は全部で大体200人は居る筈。


安全地帯であったはずのこの施設の中で、戦闘が既に始まっていた。


死体が転がり大量の血が流れる。血の臭いと悲鳴。

能力を上手く使える者が三度程襲って来たが、透化を強めるだけで彼等は

簡単に戸惑いを見せ、致命傷を受けてくれた。


誘き寄せるのも面倒だ。

本気で隠れて人数が減るまで待っていようと思ったその時、聞き慣れた声が

聞こえてきた・・・・カタリナだ



「キャーーーっ!!」


全身血まみれの彼女が絶叫しながら男に押し倒されていた。


「・・・・っ」


僕は咄嗟とっさに男の首をフルタングで切り裂いて彼女を助けていた。



「・・・誰!?」

「・・・あ、パーマくん・・・!」


「平気かい?」


「うん!ありがとうっ!」

「良かった、よかったよぅ・・・パーマくんが来てくれて・・・!」


震える声でカタリナは起き上がった。

顔から足まで赤黒い血に染まって、まるで悪魔の様相だ。

手を差し伸ばすと彼女は手を取り、フラっと立ち上がってこちらに

抱き付いてきた。


「・・・・ふざけてるよね」

「こんな訓練ってないよ・・・いきなりさ」


「バトルロイヤルなんて、ふざけてる」

「こんなの出来レースじゃん・・・・」


カタリナは血まみれの顔を上げて僕の顔をギョロっと除き混み呟いた。


「ねぇ」



電撃が走った。


腰から刃物が侵入してきて肉を切り裂いた・・・!


僕の後ろに手を伸ばした彼女の手が、僕の腰に深くやいばを刺し込み

ぐっと角度を付けて引き抜いた。


「ぐっ・・・・・!」


鈍い痛みと熱が渦巻き、生暖かい血液が大量に流れ出た。


床にひざまずいて傷口を押さえるが血が止まらない。



「サイッテー」

「ンだよクソ野郎が・・・・ギュゲスに取り入れねぇと生き残れねーじゃん」

「お前がギュゲスを片付ければ済むのによ、馴れ合ってんじゃねーぞ」



「・・・・カタリナ・・・・」


カタリナは怒りに任せて僕を蹴り飛ばし、見下ろした。


「・・・使えねー野郎だな」

「ギュゲスを手懐けてお前を殺したらギュゲスも殺そうと思ったんだけど

 あのゴミが。何で最初から警戒してんだよ」



「・・・・キミは嘘が上手だね」

「・・・一人が寂しいだなんて・・・」


「いや“キミ”じゃねーだろ。キモいんだよ」


カタリナは血の付いたダガーナイフを握って近付いてきた。


「ルールは簡単。」

「生き残ったら勝ちぃ~」


「・・・勝ちゃいいんだろ?簡単だと思ったンだケド・・・・」

「まさかのルール変更とか・・・クソかよ」


「まぁいいや、やっぱお前チョロかったし、どうせ感情チラつかせて涙でも

 流したらギュゲスも隙見せんだろ。」



「・・・・カタリナ」

「キミ・・・目標とか、生きたい世界はあるのかい?」


「・・・はぁ?いきなり何の話?」

「別に何にも興味なんてねーよ。ゲームは勝った方が面白いじゃん」

「私は気持ち良くなりたいだけ。」


「分かったら死ね」



・・・・ギュゲスは何故最初からカタリナを疑う事が出来たのだろう。


カタリナの考えは被験者として自然な事かもしれない。

極シンプルな思考。目の前に与えられたものを自分の為に利用するが

その肝心な自分に対する理解が無い。


僕もそうだ。

自分が無いから与えられたルールの文面に固執するんだ。

与えられた物のそのが見えない。

僕達にとって橋は渡る為に在るんじゃない。橋と認識するために在るんだ。


本質はどこにあるのだろう。

僕等は何処へ行かなきゃいけないのだろう。



カタリナは冷たい笑顔でナイフを振り上げた。



しかしその腕は振り下ろされる事はなかった。


カタリナの首から血が吹き出て僕は彼女のぬるい血液を浴びた。


「ゴプっ・・・・!!」


気管に血液が流れ込んで、ブクブクと音を立てながらカタリナは

床に倒れた。



「パーマ!大丈夫か!」


「・・・・ギュゲス」


ギュゲスは上着を破って僕の腰に巻き、止血を試みた。

しかし血は簡単には止まらない。


「ったくよ・・・アイツは信じるなって言ったろ。」

「能力は使えるか?」


「・・・あぁ・・・透化なら・・・」

「音や気配は難しいな・・・」


「出来る事はやっとけ。」

「一緒に脱出するぞ、オレとお前なら出来る。」


「どうやって・・・」


「パペッターボックスを排除すりゃいい」

「後はこっちのものさ。」


「お前なら絶対に出来るさ。その為にも個室にあるシーツでも使って

 止血しねーとな。」


「・・・なんで僕を助けようとするんだい?」


「変な質問だな」

「出血が多くて頭にまわってないか?」


「もう友達だろ、オレ等。」



「・・・・友・・達」


「よし立て!」

「こんなルールなら一刻も早くずらからねぇとな。」


ギュゲスの肩を借りて歩き始める。

既に肉の塊と化した血まみれのカタリナを避けて個室へ向かい、シーツを破って

強く巻き付けた。


「・・・ここから出て行く当てでも?」



「何処にでも行けるんだ。当てなんて行ける場所全てさ。」


「パーマ、お前ならもうファントムの力を使ってパペッターボックスを

 排除出来る筈だ。」


「・・・どうしてそう言い切れる?」


「オレが既に成功させたからさ。」


「・・・・なっ」


「パペッターボックスの排除は失敗のリスクが高い。」

「それごと他の健全な細胞まで体から切り離される可能性があるからな。」

「だがやらねぇとおれ達は自由にはなれねぇんだ。」


「・・・キミなら生き残って、次のプログラムに進む事も出来るだろう?」


「それじゃあ意味がねえだろ」

「兵器開発の世界は人間の世界じゃねえ。」

「こんな所にいたら心まで物になっちまう。そんなのオレは嫌だ」


「・・・・・」


「さぁ、ともかく行くぜ!」

「通路の強化ガラスをぶち破って外へ脱出だ」


僕達は被験者を避けて通路を歩いた。



―「505号、聞こえるね。」―


「・・・・チャペック」


―「君に緊急の任務を言い渡す。」―

―「今すぐ480号を殺すんだ。」―


「・・・え?」


―「480号はこちらの管理システムを遮断し、プログラムを逸脱した。」―


―「管理システムは当該披検体を危険な反乱因子と認定し、排除する事を

  決定した。任務を修正し、480号の抹殺を完了した段階で君をそこから

  解放しよう。」―


「・・・僕にギュゲスを殺せるとでも?」


―「勿論だ。幸い君は480号と懇意に繋がっているじゃないか。」―

―「それを利用するんだ。念のため、こちらから暗殺部隊を動員するから

  何ならそれまでの足止めでも構わないよ」―


ギュゲスの離反はそれほど大きな出来事らしい。

ファントムの性質を考えれば当然なのだろうけれど、ルール変更も甚だしい。

・・・・・僕はどうするべきだろうか


―「505号、これが終われば君は晴れて真のファントムだ。」―


―「期待しているよ、“ファントム”」―



チャペックの通信が切れた。


「・・・・ギュゲス。」


「まぁ、通産の内容は大体の想像はつくな。」

「仕方のない事さ。管理者からしたらファントムの成功例が二つも現れたんだ」

「片方が厄介なら、もう片方を残して消すのが得策だ。」


「・・・お前はどうしたい?パーマ。」


「僕は・・・・わからない」

「キミを殺したくはないし、生きる意思を自分の中から見つけ出す事も出来ない。」


「・・・・ギュゲス。」

「ずっと思ってきたのだけれど、僕は生きるに値しないのかもしれない」

「・・・・きっと僕はもう既に兵器なんだ。」



「そんな事はないさ。」

「お前にはちゃんと生きてる心があるよ。」

「カタリナとお前は違う。人の心も自分の心も道具みたいに扱う事なんて

 お前に出来やしない。お前はお前だ。お前を見ているオレが保証する。」


「ギュゲス・・・・」


「オペレーターの指示に対してお前がどう行動するのかはお前に任せる。」

「オレは別にお前を恨んだりもしないさ。」

「どうする?」


「オレと行くか?それとも止めるか?」


ギュゲスは手を差し伸ばした。



その手を取れば、世界政府に追われる事になる。

間違いなくそれは賢い選択肢とは思えないが、気付けば僕はその手を握っていた。

ギュゲスはニカッと笑った。



僕達は大きな窓のある通路へたどり着いた。

ギュゲスは手を窓につけて目を閉じ、集中していた。


すると、バキッッ!!と窓に円形の亀裂が走り、ギュゲスが蹴り破ると

強化ガラスに風穴が空いてしまった。


「・・・・な、何を」


「原子の結合を無理やり遮断したのさ。」

「さぁ、外へ出るぜ!」


外は雲っており、ウイスタリアの花が水滴を纏っていた。


「パペッターボックスの排除は、少し落ち着いた場所でしよう。」

「隠れる場所を探して少し休憩するんだ。その間にオレが施設に戻って

 治療用の道具をかっぱらってくる。」


「はは・・・・キミはやっぱり無茶な奴だね」


ここはどこの国なのだろう。

薬で眠らされている間に施設に運ばれたものだから、現在地の検討もつかない。

人気ひとけの無い平野を歩くとポツリ、ポツリと雨が降ってきた。



「・・・ちっ、やっぱ来たか・・・!」


空から黒い何かが降ってきた。


多数のそれらは濡れた草原に着地し、ゆったりと立ち上がった。

それは全身を特殊なスーツに身を包んだ軍人達だった。

そう、追っ手だ。


「・・・パーマ、透化してろよ」



ギュゲスの姿が消え、発砲音が響く。

戦闘が始まったのだ。


僕は透化しながら岩影に隠れた。

雨が激しくなっていく。


次々と空から落下してくる兵士達。

そして瞬く間に喉笛を切り裂いて、兵士達を切り裂くギュゲス。

ギュゲスは圧倒的だった。姿も物音も消して襲い来る刃を止める術はなかった。


しかし次の瞬間、辺りに閃光が走った。



空から落とされた一発の爆弾が、この場に居た全ての者を吹き飛ばしたのだ。


岩影に隠れていた僕も衝撃で吹っ飛び、転がりながら血と泥にまみれた。




朦朧とする視界を何とか保ち、傷の苦痛に耐えながら上体を僅かに起こし

周囲を見回した。



遠くにギュゲスが倒れている。


僕は這いずって彼に近付いた・・・・

雨は激しくなり、洗い流されても止まらない血を泥に滲ませながら

僕はギュゲスの顔を覗き込んだ。



「・・・・よぉ・・・パーマ」


「生き・・・てたか」


ギュゲスは右半身を失って、顔も半分が黒く焼け焦げていた。


「ギュゲス・・・!」


「・・・・わりぃな」

「上手く・・・いかなかったみたいだ・・・」


「・・・・・」


「へへ・・へ」

「お前もそんなカオ・・・するんだな」

「・・・パーマ・・・お前は・・・生きろよ」



「・・・ギュゲス・・・死なないでくれ」



「パー・・・マ」

「生きるために・・・生きてみろ」

「お前を・・・見てくれる奴は・・・必ず居る」


「お前は・・・お前なん・・だ」



「ギュゲス・・・もう・・いぃ」



「な・・・なぁ」


「お前の・・・本当の名前・・・」


「おしえて・・・くれよ」



「・・・・ルーカス。」

「僕の・・・名前はルーカス・シモンズ・・・」



「そ・・・か」

「良い・・・名・・前だな・・・ルーク・・・・・」



「ギュゲス・・・・?」

「ギュゲス・・・!ギュゲス!」


彼の呼吸が止まった


大粒の雫が降り注ぐ雨空を仰ぎながら彼は死んだ



彼の瞼を閉じて、僕は彼を見ていた


力尽きて、気を失うまで彼を見つめていた・・・・








―「やあ、505号。」―


―「ともあれ生き延びたね。」―

―「暗殺部隊は手荒だ。君まで爆撃でやられたのではと肝を冷やしたが、

  何とか生存できてよかった。」―


―「480号は処理した。」―

―「君も理解したね?自我に突き動かされた欠陥品の末路を。」―


―「駒は盤面から出たら無用の長物に変わる。」―

―「だから君達自身も、管理者にとっても、この盤面からはみ出る行為は

  不利益以外の何物でもないんだ。分かるね?」―


―「これにてプログラムは終了だ。」―


―「君は真のファントムとしてこれから特殊訓練プログラムに

  移行してもらう。おめでとう、君は君を手に入れた。」―


―「何か質問はあるかな?」―



「・・・・・」


「チャペック」

「・・・・キミは何の為に生きているんだい?」



―「これにて、有機人格モデル、ローカルサポート“チャペック”を終了します。」―


―「引き続き、次の訓練プログラムの為のジェネラルサポートを構築し、あなたを

  サポートします。管理プログラムの応答をお待ち下さい。」―


「・・・・・」




僕はどこかの病室で天井を見上げていた。



僕は知った。


目に見える道の呆気なさ、頼りなさ、空虚さを。


・・・・僕を生かしている物は何だろう。


世界政府の論理だろうか。

それとも定義不能な、ギュゲスが持っていたあの強さだろうか。

けれど、時間が経つにつれて彼が教えてくれた胸の揺らぎは

遠くなっていってしまった。


この後に続く、姿無き兵器としての時間の中で僕はカタリナと再会した。

彼女は姿形を変えて、大量に存在していた。


そんな人形の群の中にはギュゲスは居なかった。



何度も探したけれど、何処にも居なかった





・・・・やがて僕は探すのを止めた


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