[透明なレポート・1]


名前はわすれた。



どうせ、私を売った人達がつけた名前だし

既にもうどうでもよかった。



あばら辺りが痛い・・・

足首に鉄線が巻き付いている。

ソレにくくりつけてあるプレートには名前が書いてあるけれど

それはに入れられた日につけられた名前。



ここはとても狭くて臭い。

ボロボロの硬いベッドと金網の床。便器。

茶色く錆びついた壁には金属パイプが天井から下へ伸びていて

その下の先端に深皿が置いてある。


時間がくれば、そこから臭いスープが深皿に注がれる。

食べ物はそれが1日1回だけだった。

初めは口にしなかったけれど、3日目からはそれを飲んだ。

空腹には耐えられなかった。



扉は固く閉ざされており、1日に2回開く。

出る時と、入る時。


ぼんやりしたオレンジの照明で照らされたこの部屋には時計は無い。

窓も無かった。だから時間も天気もわからなかった。


壁の天井下についている小さな通気用のプロペラが

カタカタと音を立てて回る他に、この部屋に音はない。

けどたまに、何処かの部屋から奇声が聞こえてきた。

ここには他にいくつも部屋がある。

誰かがおかしくなった音は、耳をそばだてなくてもよく聞こえた。


足が痛い。足の裏から血が出ている。

汚いベッドで横になって、血が固まって直ぐベッドから起き出すから

足を踏みしめると傷口が開いてまた血が出た。



扉が開く音がした。


起きたくなくても起きなくてはいけない。

でなければ、この強固な扉がそのうち勝手に閉まって毒ガスが充満してしまう。


・・・・体調が悪い。


少し吐き気がする。



金網の床を歩いて、部屋を出る。

部屋を出るとそこは幅の広い通路になっている。

通路は円状に伸び、右に行っても左に行っても戻ってくる。

そんな通路が内側に何層も繋がっていて、一番真ん中には広いホールがある。

ホールにはバラバラに壊れて散乱した、テーブルや椅子の残骸、硝子がらすの破片

が散らかっていた。


ホールの真ん中の床は透明な板になっていて、中にモニターが埋め込まれている。

そこにはココに放り込まれる直前に聞かされたの“ルール”が

映し出されていた。


1.扉が開いたら部屋から必ず出ましょう。

  部屋から出られない場合、殺処分となります。


2.扉から出たら殺し合ってください。


3.3時間で終了の鐘が鳴ります。部屋のロックが解除されますから、

  開いている部屋に必ず戻りましょう。

  部屋に戻らない場合は、殺処分となります。


4.最後に残った一人がここから出所できます。


5.長期間最後の生き残りが決まらない場合、残り人数問わず全員

  殺処分となります。




部屋から外へ出ると、通路の何処かから、誰かの奇声が響いてきた。

追いかける者の甲高い叫び声、恐怖で飛び上がる悲鳴、断末魔のわめき。


私には向かう宛も生き残る術もある筈はなく、ただ何も考えないで歩き出した。

近くには子供の死体が幾つか転がっていた。

ここには子供しかいない。子供が殺し合っている。

だから私もココへ放り込まれた。


一日に一回の殺し合い。だからこの日は4日目。3回とも何とか逃げて

生き延びる事ができた。


でももう疲れていた。

床の硝子で足を切っても逃げ続けて、今、ただ運で生きている。

そのうち死ぬんだと思う・・・そう考えると少しずつ力が抜けてきた。

ホールへ歩いてたどり着くと、幾つかの新しい死体が増えていた。


硝子片で首を切られて失血死した死体。部屋へ戻れず毒で息絶えた血まみれの死体。

私はホールの中央へ、ぼーっと近づいた。

理不尽なルールが映る画面を眺めて、しゃがみ込もうとしたその瞬間。


ゴッ、と私の後頭部を何かが強打した。


つい前へ大きくって後ろを振り返ると、そこには男の子が立っていた。

目を大きく見開いて荒い息遣いで肩を揺らしている。

私は驚愕した。後頭部を打たれてゆらぐ視界に入ったその男の子の手は

透明なガラスの棍棒こんぼうの様になっていた。


私を打ったのはそれだ。

男の子は何かブツブツ文句を言いながら、もう片方の手でそのガラスの腕を

握りしめると、そのガラスはたちまち棍棒から刃物に形を変えて

しまった。


その鋭利で透明な形状を眺めて、彼は満足そうに広角をあげた。

腕を振り上げ、左上から振り下ろされた刃をかわそうと体をひねって

慌てて後ろへ下がろうとしたが、背中から腰にかけて切られてしまった。


「・・・・あっ・・!」


私は転んでしまった。

床に散らばっている割れた薄いガラスの破片に勢いよく倒れて、腕と足に沢山の

それらが刺さって皮膚を裂いた。


出血。背中から流れ出る生ぬるい血液と、熱を伴う痛み。

身に付けていた病衣びょういは赤く染まっていった。

痛い痛い、痛い・・・・


男の子はこちらへ近づいてくる。


恐ろしかった・・・でも、声も出ない。


男の子の中に詰まっているのは黒い死の塊だと思った。

死が目の前にあるんだ。



爪の剥がれたその赤い足が私のすぐ目の前でゆっくり止まって、

血がついた腕の刃物をまた振り上げた。


あぁ・・・

もう死ぬんだ・・・・・



その時。




パァンッ!パパッ!パンッ!!


何かの破裂する音がした。



何が破裂したのか・・・・・・

おびただしい返り血と、目の前の光景が私に真実を告げた。


男の子の首だった。


やいばが振り下ろされる前にその首がはじけ、千切れて床に転がった。


驚愕の光景だった。

首を失った体は、私に大量の血液を吹きかけ前のめりに倒れた。

私は目の前で起こった出来事に到底理解が及ばず、髪も服も血にまみれて

ガタガタ震えていた。


屍の向こうに誰かが立っていた。



「あなた、だいじょおぶ?」



この腐敗と鉄の匂いが支配する狂気の世界には決して響く事など

許されないような、そんな軽やかな、柔らかい声が私に届いた。


「・・・ぁ・・・・ぁ」


「・・・ぅふふ」

「血まみれじゃない」


「こっちへ来て」


少女は、床の透明を侵食する真っ赤な血だまりを、その真っ白い華奢な素足で

ぴちゃぴちゃと踏んでこちらへやって来て、私に手を差しのべた。



「ついてきて。ここにいたら、あなた死んじゃうよ?」



ふわふわの、天使様の羽の様に軽そうな真っ白い巻きの入ったショートカット。

“白”と言う以外に、微細に表現できない様な肌の純粋な白。

リボンのついた白いワンピース。


そして瞳の色・・・・ルビーの様に鮮やかな赤



震えて動かせない私の手を取って、彼女は柔らかく微笑みかけた。


「・・・こっちよ」


私は何とか震える足で立ち上がり、彼女に導かれて歩き出した。

足の裏の血が床に残らなくなった頃、彼女は私を振り返らずに言った。



「隠れる場所があるの。」

「いっしょに隠れましょ?」



そんな場所は検討がつかなかったけれど、案外近くにそこはあった。

中央のホールから外側へ2つ進んだ通路に小さな部屋がある。

そこに小さなクローゼットの様な二段の収納スペースがあった。


「ぅふふ、ここよ」


「・・・ぇ?」


そこは、到底身を隠すには無理がある普通の折れ扉で、

生きるために殺傷する相手を求めてさ迷う子供達に、簡単に見つかって

しまいそうな、簡単な場所だった。


「さぁ、一緒に入りましょ?」



部屋の外から言葉にならないダミ声が、こちらへ走ってくるのが聞こえた。

私はその“クローゼット”の二段目に言われるがままよじ登り、少女も続いた。

折れ扉を閉めると、中での視界は隙間から差し込む光以外は薄闇に隠れた。


「ここはねぇ、医療施設を改装して作られた場所なんですって。」


「・・・・ぇ?」


「だから、デスクや観葉植物や本棚や、いろいろ置いてあるでしょ?」

「突貫工事って、わかるかしら?」


「・・・・・ぅん」


「ぅふふ、かわいい・・・」



小部屋の前を走り去っていった足音は、間もなく他の誰かと遭遇したらしい。

喉を振り絞った様な、ねじれた叫び声を上げてその音はピタリと止んでしまった。


静寂が訪れた。


薄闇に目が慣れると、隣で私をじっと見つめる赤い瞳に気付く。


ゾッと、一瞬体を恐怖が駆け巡ったが、私は不思議とその瞳に視線を

引き寄せられ、目を逸らす事が出来なくなっていた。


「・・・・わたしが怖い・・・?」


質量の感じられない透き通った声。

声を潜めて囁くその言葉から読み取れる感情は希薄で、彼女の言動の

意図をみ取る事は出来なかった。


「・・・・・ぁ・・ぁなたが・・・たすけてくれたの?」

私は震える声で言葉を返した。



「そぅよ・・・・死ななくって、よかったね」


「・・・・・っ!」

彼女の白くて冷たい手が。そっと私の頬に触れた。


「・・・・ねえ、ここって、退屈だと思わない?」

「ぅふふ・・・お友だちになりましょうよ・・」



「・・・お・・とも、だち・・・?」



「うん、そぉ!・・・おともだち」



「・・・・・・」


「いや?」


「・・・私を、ころ・・さないの?」



「ぅふふっ、どうしてぇ?殺すならもう殺してるわ」

「わたしの自由でしょ?あなただって、自由よ?」


「・・・わたし、他の人みたいに戦う力がないから・・・」



「能力に目覚めていないのね?大丈夫、そのうち目覚めるから」

「そうだぁ!あなた、お名前何て言うの?」


「・・・・このプレートに・・・ウィルマU-53って書いてある」


「それ・・・この研究所でつけられた記号みたいなものでしょ?」


「・・・元々の名前は・・・わすれた」



「・・・・ふぅん。」

「わたしねぇ、に興味はないの」



「てつ・・くず・・・」



「あなたの名前はぁ・・・・“ウェルシュ”!」


「どぉ?気に入ったぁ?」



「・・・・ウェルシュ・・・」



「ぅふふ。よりマシでしょ?」


「どういうこと・・・?」


「ここにいる女の子は全員“ウィルマ”なの。兵器の識別記号。」

「男の子は“ギルバート”なんだってぇ」


「あ、あなたも・・・“ウィルマ”・・・なの?」


「あんなプレート、もう外しちゃった・・・ぅふふっ」




「わたしの名前は“ロムザ”」



「・・・・ロムザ・・・」


「ぅふふ、そうよぉ、良くできましたぁ」



“ロムザ”は、もう片方の手をのばして両手で私の頬を包み

薄闇の中で淡く光るルビーの瞳をこちらへ近付けた。


「・・・きっと同い年ね。仲良くなれるわ」



「・・・・さ、さっきは・・・あ、りがとぅ」


「んーん、いいの、転んで硝子が沢山刺さってるわ」

「ぅふふ・・・取ってあげる、みせて」


ロムザは、この暗い視界の中でも私に刺さった硝子を器用に抜いて、

その華奢な手のひらに一欠片一欠片重ねていった。


「・・・どうして・・・助けてくれるの?」


「・・・だってぇ、お友達が欲しかったんだもの」


「お友達・・・」


「そぉ!わたしねぇ、お友達、一度も作った事ないの」

「憧れるじゃない?一緒に楽しくお喋りするお友達っ」


「・・・・・・ぅん」

「・・・私も、あんまり作ったことない。」


「ぅふふ、いい機会ねっ」

「ここで隠れながらウェルシュの事、教えてほしいなっ」


「・・ぅ・・ぅん・・・」



彼女の口調は、こんな狂った空間にいる人間のものとは思えなかった。

とても落ち着いていて、軽やかで、生きた人間の抑揚があった。

私は、この空間で互いの生存を認め合える相手ができたのかもしれないと、

安堵とまでは言えないながらのを得た気がした。


・・・けれどやはり、彼女の言葉からは彼女自身の何ものも感じる

事はできなかった。


この日、終了の鐘が鳴り響くまで私たちが見つかることは無く

私は小部屋の前でロムザと別れて、急いで元の部屋へ戻った。




生き残る事が出来た。

新しい傷が傷む。けれど、痛み以外に何かを得た気がした。



私の頭の中に、彼女の、ロムザのあの不思議な瞳が浮かんだ。

あの瞳はその中に捉えられると、まるで心の中を覗かれたような気になる。

何故だか解らないけれど、彼女はなにか特別な気がした。


・・・心がざわついた。


私はココでどれだけ生きられるのだろうか。

最後の一人以外は全員が殺される。奇跡が起きたって、他の子供達には

ましてあの“ロムザ”と争っても生き残れる可能性はない。

ロムザは友達・・・と言った。

最後には必ず一人が、もしくは二人とも死んでしまうというのに。


彼女だって解っている筈だから、なおさら彼女が解らなかった。

・・・けど、気が付けばこの狭くて臭い牢獄でうずくまっている間中、

私はロムザの事をずっと考えていた。

友達ってなんだろう。

次に会ったら、私を殺さないでいてくれるのだろうか。


それとも、明日はこの扉から外へ出て、すぐに誰かに殺されて

しまうのだろうか。


・・・・あばらの辺りが痛い。

私は背中の傷が痛むので硬いベッドにうつ伏せに寝る事にした。

便器の水が勝手に流れ、天井から伸びるパイプからゴポッ、とスープが排出

されて深皿に注がれた。

相変わらず嘔吐物のようなひどい匂いがする、ドロッとしたスープ。

・・・背中の傷が痛くって、無理してそれを口にする気にはなれなかった。

そのかわり喉が渇いたので便器まで歩いて、中の水を両手ですくって喉を潤した。


私はベッドでまたうつ伏せになり、カタカタと鳴るプロペラの乾いた音の中で

眠りについた。





目が覚めないでほしい

・・・でも目は覚めた。

身体中が痛いのは、ここが寝るには最悪な環境だからだ。

仰向けから起き上がろうと、手足を踏ん張って背中を丸めた瞬間

苦痛が走った。固まった傷口が開いた事を体が告げたのだ。


寝起きの最悪な、硬直した思考のまま皿に口をつけた。

鼻の息を止めても吐き気を催すそれを飲み込める分だけ飲み、

便器の水を飲んで最悪な気分を紛らわした。



あばらが痛い・・・背中も。



涙がこぼれそうになった。

辛かった。何をしたらいいのかも解らなかった。

先の見えないこの時間の回路の先で、私は死んでしまうんだ。

そう考えたら、一人ぼっちが大きくなって、やっぱり涙がこぼれた


それでも扉は開いた。

・・・・私は泣きながら外へ出た。

血を流しすぎたのかもしれない。足がふらついた。

私は2~3歩足を動かして、歩くのを止めて座り込んだ。

理由は簡単だ・・・くたびれたから。それだけだった。


また叫び声が聞こえる・・・・・

私達子供が、全部で何人いるのかも解らないけれど、

通路に横たわる死体の数は日に日に増えている。


絶叫が響く。

せいとは逆向きの悲鳴が反響して空間の意味を常に伝えてくる。

それを、反復する日々。時間。


―――やがて私の左手側から、脇腹を押さえて出血をくい止めながら

血まみれの片手でガラスの破片を握りしめた少女がこちらへ歩いてきた。

直ぐに解る。その少女は私を殺すつもりだ。


逃げなければ。

しかし、起き上がるのがやっとだった。

ひたっひたっ、と近づく少女の顔はこちらを向いていた。


・・・・しかし彼女は私に到達する前に突然痙攣を初め、

突然その口から大量の血を吐き出して膝を折った。

ガラスの破片を落として手を口に当てるが、大量の血が泡になって口と

鼻から溢れてくる・・・・やがて少女は前屈みに姿勢を崩し、床へ倒れた。


「・・・・・っ!?」


何が起きたのか理解できず立ち尽くしていると、

一層向こう側の通路からひたひたと誰かが現れた。



「・・・・・あ、ウェルシュ~」



それはロムザだった。



「よかったねぇ、また死なずに済んだねぇ」


今の少女はロムザが殺したのだろうか・・・?

どうやって・・・・?

私の目は、ロムザの幻想的な容姿に釘付けになっていた。

汚れのない、淡く白い妖精の様な彼女は、鮮やかな深い赤の瞳で私を見ていた。


「・・・・ロム・・ザ」


「ケガはなぁい?」


「・・・あなたが・・・助けてくれたの?」


「ぅふふ、だって、友達じゃない」

彼女はワンピースの裾をふわっとたなびかせて軽やかに微笑んだ。


「と、とも・・だち」


「さぁ、いきましょ」


彼女はいつの間にか私の手を取っていた。


体重なんか宿っていない様な足取りで、まるで空気が移動する様な自然さで

私の進路をいざなってくれた。


「・・う・・・うん・・・!」


二人で歩いた。

周りに響く狂った音の数々は、私の疲れた精神的な感覚神経を

傷付ける事も、刺激する事も出来ずに滑り抜けていった。


私は彼女と一つの空間にいた。

彼女の手に引かれて歩きながら、私は彼女の存在しか認識する事ができなかった。

彼女に見惚みとれていた。こんなにキレイな生き物がいるのかと、夢を見ている

気持ちだった。



また昨日の小部屋。クローゼット。

二人で入って、折れ扉を閉めた。


「知ってる?」


「え?」


「ココのルール、あれはね、嘘なの」


「うそ・・・?」


「そう、ココはねぇ、最後の一人になるまで出られないんじゃないわ」


「・・・え!?」


「死体の数が毎日増えてるのに、その増えるペースが減らないでしょ?」

「・・・死んだ分だけ、後から補充しているの」


「ほ・・・補充・・!?ど・・・どうして・・・」


「生き残った人だけここから出られるっていうことは、偶然弱い人が

 生き残る可能性があるでしょう?それじゃあ沢山殺し合って死んでいく

 割には成果が薄いの」



「だから途中で優良だと判断されれば研究所側から引き抜かれる

 ということなの・・・」


「そ・・・それじゃぁ、弱い人は絶対に・・・」


「そぅ、100%死ぬ事が確定しているの」

「わたし達の中に一体化している空間兵器は、心の動きと連動しているわ」

「だから、ただの相手を殺すだけのゲームじゃダメ」

「恐怖や怒りや悲しみ、絶望が兵器を覚醒させるの」

「ぅふふ、これはねぇ、ただそれだけのゲームなの」



・・・そうだったんだ

私は、最初から殺される事が決まってたんだ。

じゃあどうしてロムザは助けてくれたの?

・・・友達・・・だから?


「でも安心して」

「ウェルシュはわたしが守ってあげる・・・・」


「・・・ロムザも・・・居なくなってしまうの・・・?」


「ぅふふ・・・わたしはあなたと一緒にいてあげる」

「・・・わたしたち、友達じゃないの?」


「・・・・ぅん・・・・ぅん」

「と・・友達・・・!」


「ぅふふ、うれしぃ、ウェルシュが友達って言ってくれたぁ」


ロムザは私の手を握ってくれた。

一緒に居てくれる、というその言葉がどれだけ確かなのかは解らない。

けれど、それは私にとって唯一の灯火ともしびの様な言葉だった。

私はロムザに出会えた事が奇跡の様に思えてきて、心の余白には

すこしづつ安心が刻まれていった。


その日私はロムザと少しずつ、それでいて色んな話をした。

ロムザはココの事よりも、研究所の外の話をしてくれた。

海の深さとか、太陽の沈みかたとか、色々な国の花の香りとか。


ロムザは色んな事を知っていた。


「でもわたしね、本当は外の世界に殆んど出たことがないの」

「大抵は本で読んだだけ」

「だから外の世界にすこしだけ触れてみたいの」


「・・・すこし?すこしでいいの?」


「そぉ、すこしだけ」


「どうして?」


「ぅふふ、どうしてかはナイショ」


「・・・・と・・ともだち・・・なのに?」


「ぅふふっ!」


ロムザは私を優しく抱き締めた。

身体中の傷が痛まないように、優しく包み込んでくれた。


そう見えなくても、苦しみだってすり抜けていきそうなあなたでも、

寄りかかる何かがほしいのかな。



――そんな時間はつかの間。気が付けば鐘が鳴り響き、

今日の殺し合いは終わりを告げた。


私はまた生き残った。

今日も誰にも見つからなかった・・・・理由はわからない。

私はすっかり、ロムザと出会えた事に喜んでいた。


友達になれてよかった。

こんな状況なのに、友達が出来るなんて思いもしなかった。

私は・・・本当は友達の作り方なんて知らないのに。


小さな独房へ戻ると、ロムザの事をずっと考えた。

考えてもしょうがないことを沢山考えた。


注がれるヒドいスープをどうにか飲み干した。

・・・・ロムザに会える期待があったからだ。


また便器の水を飲んで、排泄をし、

硬いベッドにうつ伏せで寝ることにした。






また扉が開く。

“一日”という時間は“一日”という実感を与えてはくれず、

目が覚めては代謝の無い無色な新しい一日が始まる。


しかしこの日は驚いてしまった。

扉が開いて虚ろにゆっくり外へ出ると、なんとすぐ目の前で

ロムザが後ろで手を組んで立っていたのだ。


「・・・ロムザ!」


「ぅふふ、ウェルシュ、お部屋が近いから迎えに来ちゃったっ」


「・・・・そう・・なの?」


「そぉなの、ぅふふ、さぁ行きましょ?」



昨日のあの小部屋の前で別れて、ロムザが入った牢獄が何処かは

解らない・・・・一番近い隣の部屋で数十メートル程だ。

そんなに近い場所なら一緒に戻ればよかったと、寝ぼけた頭で

そう思った。


「・・・ほら、ウェルシュ、気が付いた?」

「・・・死体が古いものから無くなっているでしょ?」


「・・・・うん。」


本当だった。新しい子供達が増員されるたびに古い死体から

回収されているみたいだ。

私にはロムザがいるから冷静にそれが解るけれど、こんな場所に

放り込まれて、追い詰められた精神状態ではさほど重要視も出来ない。

みんな焦りと恐怖の絶望に駆られて視界が制限されている。


「ウェルシュ、不安じゃない?怖くない?」


「・・・ぅ、うん。ロムザと一緒だから平気」


「ぅふふ、わたしもよぉ、ウェルシュ」



そしてまたあの薄暗いクローゼットで過ごした。

ロムザは、他の殺された子供の病衣を二人分剥ぎ取り、一着を破いて包帯の様に

身体中の傷がある箇所に巻いてくれた。比較的綺麗なもう一着は今着ているものと

取り替えて着る事にした。


また色んなお話をした。


「ウェルシュはお嬢様なのねっ」

「美味しいものも、たくさん知ってるのね」


「う、うん・・・でも、私はあんまり食べる事には関心が薄くって・・・」


「じゃあここのスープでも不満はない?」


「あっ、あれは・・あれはスープへの冒涜だよっ」


「ぅふふっ!」



ロムザとの時間はあっという間だった。

二人でいる時は誰にも見付かる事が無かったからとても不思議だったけれど

私達は二人で手を繋ぎ合って、寄り添い合って、生きている小さな時間を過ごした。



そんな日々は1ヶ月ほど続いた。



その頃には私の感覚は完全に麻痺していて、人の断末魔も、死も、

もはやほぼ何も感じなくなっていた。

何度か襲われて、死にかけたけれど必ずロムザが見つけてくれて、

私を救ってくれた。ロムザは既に私の全てだった。


そんなある時、いつものクローゼットの中で、ロムザはこう言った。



「ねぇウェルシュ?」


「なあに?ロムザ」


「・・・わたしの事、愛してる?」


「・・・え?」


聞きなれない不思議な言葉に、私はすこしポカンとしてしまった。


でも私にとってロムザは、“好き”という言葉では言い表せない存在だったし

『愛』という言葉の意味もわからなかった。

だから際限無い友愛の気持ちをその言葉で表せるのなら、と私は喜んでその

言葉を使う事にした。


「うん・・・!愛してるよ・・・!」


「ぅふふ、うれしいっ」


ロムザは私を優しく抱き締め、その美しい顔を私にそっと近付けた。


「・・・じゃあ、わたしとウェルシュで誓いましょう」


ちかい・・・?」


「・・・・うんっ、あなたとわたしの命をお互いに捧げ合うの」


「・・・・いのち」


「わたしは、あなたのもの、あなたは、わたしのもの」

「わたしに続いて・・・こういうの」





―――――永遠に変わらぬ血の約束に従い、愛を誓います―――――





「・・・永遠に変わらぬ、血の約束に従い・・・愛を誓います」


「・・・っ!」



ロムザは、言い終えた私の手の平を小さなガラスの破片でスッと切って、

彼女自身も同じ様にした。


血が流れて、二人の足にしたたり落ちた。

ロムザに血がつくのを、私は初めて見た。


彼女は私の“赤”が滴る手を取って、その傷口に同じく彼女の手の平の“赤”を

優しく重ねた。


血が、一緒の玉になって足に落ちた。



ロムザの微笑みはいつもより薄かった。

重なり合った手の赤い傷が、傷の赤い鼓動が、痛みと一緒に・・・まるで

一つになった様な気がした。


「ねえ、ウェルシュ、あなたは何の為に生きたい?」


「・・・え?」

「・・・・わ、私は・・・ロムザ・・・?」


今日の彼女はいつもと違っていた。

ロムザの瞳は私の口から回答を待っていた。



・・・あなたはいつも私を見つめてくれる。

その瞳は美しくって、不思議だった。


その目に見つめられると、私の中を全部覗かれているようで

私はいつもいつわりなんて考える事も出来なかった。


天使の様に優しく、悪魔の様に無慈悲なルビーの目。

私は少しでもその中にある本当のロムザに触れてみたかった。



「・・・私、ロムザと一緒に生きていたいな」

「誓うよ。私、死ぬ時はきっとロムザの為に命を捧げてみせる」



「ぅふふ・・・・それじゃだめよ」



「・・・え?」


「それはあなたじゃないもの」

「あなたの為に生きられないあなたの生では、わたしのために愛を誓えないわ」



「・・・・どうしたら、いいの・・・?」



「簡単よぉ?・・・あなたを生きるの。」

「あなたを生きて・・・あなた自身の息遣いの中で、あなたの生き方を生きて、

 輝く瞳になったら、その先でわたし達の誓いをもう一度、必ず思い出して・・・」



「・・・・・ロムザ?」


私には、彼女の言葉の意味が解らなかった。

彼女が何を言っているのか、何を伝えようとしているのか、何も解らなかった。

それがとても歯痒くって、辛かった。


「・・・・でも・・・私には、ロムザしかいないんだもん・・・」

「・・・私の生き方なんて・・・わからない・・・」


「ぅふふ、そんな事無いわ。外の世界は広いのよぉ?」



「必ず、あなたの心の中に手を差し伸ばしてくれる人と出会うわ」

「その時、あなたは一人じゃない」

「あなたは本当のあなたになっていく・・・」


「・・・ロムザ?・・・どうしてそんな事言うの?」

「私の前から・・・・居なくなっちゃうの・・・・?」


「ぅうん、わたしとあなたはずっと一緒よ」

「それでも寂しくなったら、誓いを思い出して?」


「・・・うん」



ロムザは、息が触れるほど近い私の顔に優しく微笑んで、繋がった手を離した。



ロムザ・・・何を言いたかったの?

私は何を受け取れなかったの?

あなたとの間の、よくわからない距離を計れないまま鐘が鳴り響いた。


・・・・あばらの痛みが過剰に際立って、おまけに頭痛にまでみまわれた。


私は独房でいつもの様にうつ伏せで眠った。

背中の傷は何とか塞がったけれど、傷跡を下にして眠る事が怖くて、

うつ伏せで眠る癖がついた。


体の中の痛みは眠りを妨げた。


けれどもこの独房は苦痛だったから、眠る事で意識をココから遮断しなければ

この永遠の様な静寂の中で思考に狂って発狂してしまいそうになる。


眠りは一種の自己防衛のようなものだ。

それがなかば薄まれば悪夢を見る事になる。


この永遠の殺し合いの中で恐怖に絞め殺される夢。

私が誰かを殺す夢。

私が誰かから殺される夢。





汗まみれで目を覚ました。

・・・・最悪の目覚めだった。



・・・・あらばが痛い・・・



・・・あばらが痛い・・・


・・・あばらが痛い・・・


・・・・頭痛は治らず吐き気がする。


しんどい身体で起き上がると少し視界がぼやけた。

両手にうまく力が入らない・・・・


何かの違和感がある・・・・あぁ、そうか

あのプロペラの乾いた音が聞こえないんだ・・・

見上げると、どうやら止まってしまっている様だった。


何故だろう・・・・・


この日はまだ扉が開かない。

長くココに居るものだから妙な肌感覚が備わり、扉の開閉時刻を予感できたが

この日はやけに扉が開くのが遅い気がした。


しかしやがて扉は開いた。

起き上がって外に出ようとしたが、足がフラついてうまく真っ直ぐ歩けない。

なんとか独房から出ると、そこは何かいつもと違っている気がした。



あの狂った声も、争う物音も何も聞こえないのだ。

静寂がただ広がっており、私の息遣いと足音だけが聞こえた。

辺りに転がる死体も、へこんだ床も、ひび割れた壁も変わらない。

でもここには今、何か異様な空気が漂っている・・・


他の独房の前を通りすぎると、その中で子供の死体が横たわっていた。

他の独房も、その前の通路も、やけに血を吐いてしている死体が多い。

開いた独房の扉はいつまで経っても閉まることはなく、ずっと開け放たれた

ままだった。



おかしい・・・・・

何かが起こっている・・・

わたしは覚束おぼつかない足取りで中央のホールへたどり着いた。



・・・・床には血で塗られた矢印が記してあった。



・・・矢印は通路へ続いていて、私はぼんやりとその方向へ向かった。


・・・・ロムザは何処だろう。


私の意識は彼女を探して、ろくに働かない思考を矢印へ向けて歩みを進めた。



あぁ・・・あばらが痛い・・・

痛い・・・・・



・・・すると通路の壁伝いに穴が空いているのを見つけた。

まるで爆発で空いた穴の様にそのふちは黒く焦げており、破片が

周囲に散乱していた。


血の矢印はその穴の方へ続いている。


その穴を潜ると見たことの無い綺麗な通路が左右に続いており、

床の矢印は右を示してそこで途切れていた。

矢印の先には階段があり、その手前で首が胴体から離れた死体が転がっていた。


子供の死体ではない・・・・大人だ。ここへ放り込まれる前に目にした

数多くの研究者。そしてあれ以来一度も目にしていなかったこの施設の大人達。


あの矢印はこの死体を使って描かれたものだろうか。

血痕や血で引きずられた跡が通路から死体へと続いていた。


・・・階段を一段、もう一段と上っていく。


上の階へ上りきると息が上がってしまい、頭痛と吐き気が強くなった。

・・・・あばらが痛い・・・・


・・・あばらの痛みがどんどん増してゆく。

目の前のぼやけが強くなり、倒れてしまいたかった。


照明は薄暗く、狭い通路が少し続いている様だ。

その先にまた上りの階段がある・・・・

私は左側の壁に手をつきながら少しずつ歩いた。


右手側の壁沿いに扉が見える。

扉は開いており、その奥から赤い光が通路に溢れていた。


ロムザ・・・ロムザは何処だろう。

酩酊した様に、ぼんやりとその赤の光に入って行った。


部屋から溢れる赤い光の正体は、その小さい部屋のすぐ奥に設置されている

二つの巨大な試験カプセルだった。


大の大人が二人は直立して入れそうな透明なカプセルの中には赤い液体が

満たされており、中でブクブクと気泡を循環させて低い機械の唸り声を発していた。


目の前がかすんでうまく見えないまま、ぼぅっとそれを見ていると

やがてその赤いカプセルの中に何かが入れられているのが分かった。

左と右のカプセルに一人ずつ・・・・人間だ。


・・・・・大人の人間。男と女。それぞれ裸で、形が欠損している。

男は下半身が千切れており、腰の骨あたりからだらんと内蔵が垂れている。

のどの一部から肩にかけて失っており、顔も四分の一ほどが損傷していて

脳が飛び出ている。


女は体の正中線から右半身が消失しており、残った顔や身体から中身が飛び

出ている。


・・・・私はその二つの赤をぼーっと眺めていた。


その人とは思えないシルエットから意識が何かを捉えようとしている。



その時、私の意識はハッとした。

そのカプセルの中で浮いている存在が何なのか解ったからだ。


目眩がした。

足が傾いて大きくよろけ、その床にたまらず嘔吐した。



その肉の塊は・・・私の両親だった




思考が完全に頭の中から消失し、膝をついてあばらを押さえながら胃液を

全て吐きつくした。頭痛が酷い。あばらが痛い。目の前がぐらぐらする。


「・・・ヒッ・・・!」


「ひっ!・・・・ぐ・・・・ひゅっ・・ひゅ・・!」


呼吸がつまり、息が出来ない・・・・・





「きたのね、ウェルシュ」




・・・・・・ロムザ?

透き通った声が空気を泳いで通り過ぎた。



ロムザは私の後ろにひたっと立って、呼吸に苦しむ私を見下ろしていた。


「ぅふふ」


「大丈夫よぉ、ただの過呼吸だわ」

「よしよし、わたしのウェルシュ・・・・」


ロムザは膝を床につき、私を抱き締めた。

私の頭を優しく撫でてなだめてくれた。


呼吸は徐々に落ち着き、私はロムザの背中に両腕を回ししがみついた。


「ひゅーっひゅーっ・・・・ろ・・・ムザ」


「よしよし、私のウェルシュ」

「見て、あのカプセルの中・・・・・」



「おばかな人達ね」

「この研究所のデータを盗もうとしたみたい」


「・・・へ?」


「あの液体、生き物を延命させる為の新しい商品なんだって」

「そのパフォーマンスに付き合ってもらったんだけれど・・・・」

「いいよねぇ?」


「・・・・ロムザ?・・・」



「ごめんねぇ、あなたのパパとママわたしが壊しちゃったっ」



「・・・!!」




「ウェルシュ?わたしを許してくれる?」




・・・心臓の音がはね上がったり静まったりを繰り返した。


目から涙があふれて頬からたくさん流れた

私はロムザの細い腕の中で天井を見上げて目を閉じた


涙があふれて止まらなかった



「・・・・・・ょ」



「・・・・もちろんだよ」


「・・・・・・ロムザ」



だって、今私を包んでくれているのはあなたでしょう・・・・?


地獄の中で私を抱き締めてくれたのはあなたでしょう・・・・・?



血まみれの私を見てくれたのはあなた。


本当に私の目を見てくれたのはあなた。


私の心に触れてくれたのも・・・あなた。


すきだよ。 ロムザ。


・・・その言葉が口から出せなかった。


「・・・・ロムザ」



「ぅふふ・・・ウェルシュ・・・仕上げなきゃ」



・・・ロムザはそっと立ち上がって、私の手を取って立たせてくれた。


おいで・・・と、ロムザは私の左手を優しく繋いで通路へいざなった。

もう視界に現実味を感じる事が出来ず、私の手を引くロムザはまるで白い光の

妖精の様に見えた。


階段を上った。

何段も何段も、永遠の様に長い階段を上った。

私の隣にはロムザがいた。だから上った。どこまでものぼって

一緒に天国へ行けたらいいのに



どこかの階についた。


とても綺麗な通路。部屋が幾つか繋がったオフィスみたいな場所。


・・・・でも人が死んで床に転がっていた。

その幾つかの死体はどれも血を吐いて死んでいた。

中には軍服を来た死体もあった。


床にこぼれたコーヒー、何かの端末、床に散らばった紙の資料。

活き活きとした観葉植物。加湿器の蒸気。丸みのあるお洒落な照明。

川のように流れる赤い血。


血の臭いになれた私の鼻をコーヒーの香りが撫でた。


「・・・・・あなたが・・・やったの?」


でもロムザは笑顔で答えなかった。


通路を真っ直ぐ進んで扉を出るとそこは研究施設のエントランスだった。

出口だ・・・・・・・!!



しかし・・・・そこには軍服に身を包んだ沢山の人間たちが銃口を向けて

こちらを取り囲んでいた。



「現れました。当該実験の被験者と思われます。」


「ブラヴォーチーム、完全に沈黙しています。」


「・・・了解、速やかに鎮圧後拿捕だほします。」




私には、目の前に映し出された光景が理解出来ずにいた。


ロムザは私の後ろに静かに下がり、こそっと耳打ちした。



「・・・・・・ウェルシュ」


「私のウェルシュ・・・・」

「必ず思い出して・・・・・私達の誓い・・・・・」





――――永遠に変わらぬ血の約束に従い、愛を誓います――――








そのとき、


「ガっ・・・!ギャアァアァーーーーッッ!!!」


ジュウゥ・・・ッ!!という音と共に、複数の兵士達の顔が溶けて煙を上げた。

「へ、兵器からの攻撃だ・・・・・!!!」



ドッ・・・・・ロムザは後ろから私の腰を蹴りつけた



「・・・ぁっ!!」

私は前に数歩のけぞった、そして



「来たぞ!撃てっ!!!!」



タッ!タッ!タッ!タッ!タッ!

と銃声が鳴った・・・・・・・・・




銃弾は私の腕や足、下腹部に数発命中した。


私は後ろへ、横になって倒れた。


いたい・・いたい・・いたい・・・・


血があふれる。真っ赤な血が私を生ぬるく包んだ


見上げるとそこにはロムザの赤い目だけが見えた。

その目はかつてないほど見開き、まるで瀕死の動物を観察するような目で

見下ろしていた


ロムザは後ろに数歩下がっていった。


そしてその分兵士達は距離を詰め、銃口を私の額に当てた。



どうしてだろう


どうして私はこんなに無力なんだろう

この痛みも、離れて行くロムザの瞳も、無力な私への罰だろうか


私は守られてばっかりだったもんね


あなたを守ってあげられた事なんて一度もなかったもんね

支えてあげられた事もなかったんだよね


あなたは天使様みたいなのに、どこか不自由そうで、外の世界に憧れていたよね


あなたの手を引いて、外へ一緒に飛び出したかった



私につばさがあればよかったのに


あなたの手を取って、遠くまで羽ばたいて、あなたが満たされる場所へ

一緒に飛んで行くの・・・・






あなたを解放する翼が欲しかった






そして、バスッと、音を立てて兵士の首が千切れて飛んでいった。



「・・・・これは・・・!!」

「う、撃てェーー!!!!」


鳴り響く銃声。その一斉射撃は私に到達する事はなかった。


あばらが痛い・・・あばらが全部千切れて体を突き破って飛んで

いってしまいそうだ・・・・・・いたい・・・いたい・・・・



私の背中から、が伸びている。

その何かが数本床に突いて、根本の私を宙に浮かせた。

血まみれの体に走った激痛に悶える力は無かったが、その代わり背中から伸びる

謎の感覚が痛みを表現しようと暴れ始めた。


兵士の体はこの背中から伸びるに打たれ、かんたんに千切れていった。

首、腕、胴、足、瞬く間に周囲の空間は血の雨で染まり、その絶叫と銃声が

死の空間で躍り狂った。


私の体は生ぬるい赤で真っ赤に染まり、同時にその赤は私の背中から伸びる

形を鮮明に表した。


・・・・・《腕》だった。

透明な長い腕が何本も背中から延びていて、その透明な腕が血に染まり

真っ赤になって私を蜘蛛の胴体の様に持ち上げていた。


その腕が暴れて兵士を殺傷したのだ。

とてつもないあばらの苦痛と背中の熱でじんわり意識が薄れていく。


パズルの様に、バラバラに千切れていく人体のピースたち。


続々と増員されていく兵士たち。混乱の音。


銃声。



そして一発の弾が私の肩を貫き、私の意識は完全に闇へと消えた。



そこは死が許されない浅はかな闇だった。





・・・・・・・・・・



・・・・研究所の記憶はここで終わっている。




・・・・後に研究所の真実を知った頃にはは何処にも居なくなっていた。





私の赤い記憶。


悪夢になって今も私を苦しめる。


赤い瞳のあなたに届けたい。



誓いの答えを届けたい。


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