第16話 《軋む助骨の音》


外に出ると、雨が降っていた。


天候という概念から隔離された空間での生活は、雨空すらをも清々しく

感じさせるものだ。


田舎道に面した駐車場では、車止めのブロックの上にアマガエルが

くっついていて、水に濡れて活き活きと鳴いている。


・・・・いや、本当か?あれは本当に活き活きと鳴いてるのかな。


なまじ人間の色眼鏡ではカエルの体調なんて歩きながら解りっこないし、

腹減ってるのか、とか寿命はあとどれだけか、的な事なんて解らなくても、

結局我々人間にとってカエルは平常的にカエルである。


でもよくよく考えれば同じカエルなんて存在しないし、それに

今見かけたカエルを他のカエルと区別している原因はこの時間、この場所、

そしてこのタイミングである。


あぁ、そうか、つまり普通を規定しているのは単に自分自身であって、

特別を規定しているのも自分なのだから、当然、平凡と特別は常に

両立されるものなのだな。


きっとあのコンビニへ入れば店員に平凡という勲章を頂戴してレジを済ませ、

帰る頃にはこのカエルは何処かへ消えてしまっているのかもしれない。

それでもこの一時いっときはおれにとって些細な《特別》なのだ。

何故だろうね。


それにしたって、おれの最近のコンビニ食品の利用率は異常だな。

なんでだ?・・・簡単さ。料理を出来る人間が周りに居ないからだ。

そのわりには消費に供給が間に合わないインフレ状態の食料事情が今おれを

こうしてコンビニへと向かわせているという訳だ。


そしてこんなまとまりもへったくれもない散文的思考は、しかし、普通を規定しにくい

今の生活環境下においては癒しの効果を発揮していた。

雨の音、カエルの音、広い大気の音。どれだって特別だ。

愛しさを感じるにはまず、失う必要があるのかもしれないな。



コンビニで頼まれた品々を大量に買い込み、外へ出るとパーマが傘をさして

胡散臭い笑みをニタ~っと浮かべていた。

元々こいつと二人で出たのだが、視界に女性が入るとその相手に物理的に

吸引されてしまう特別体質らしいので、ものの見事数秒でおれの周囲から

消え失せてしまったのである。目潰しだコンチキショウ


『今日もフラれたか?』


「それも一つの縁。人は別れるために出会うのです。」


便利な言い訳だな。

おれは4袋もある大きなパンパンのコンビニ袋のうち2つをパーマに持たせ、

傘をさして近くの異空間へと帰還した。


お帰りなさ~い、と言っておれの圧倒的女神であるPちゃんさんが

エントランスで出迎えてくれた。

将来このお人と結ばれる花婿殿は、きっとこの世の幸せをその手に閉じ込めて

世界の中心で毎日愛を叫ばざるを得ないんだろうな。目潰ししてやりたい。


この買い物には、実は他にも意味がある。

アルがおれと離れても力を安定させる事が出来るのか、という事を確認する

ための買い出しでもあったのだ。アルはPちゃんさんに預けて、空間接続口から

外へ出ようとした時、少し動揺こそしたものの、Pちゃんさんに優しく

抱き上げられ、『すぐに戻るよ』というおれの言葉を理解してくれたらしい。


でもその点はあまり心配していなかった。

アルの中には心を制御する力がアルなりに備わっている。

これは、驚くべき事だ。まだあんなに小さいのに、午前中さっき、涙をこぼす

シアンにアルは慰めの行動を取ったのだ。

何より心の不感症を懸念していたおれにとって、それは驚くべき事であり、

そして嬉しい事でもあるが。同時に不思議な事でもあった。

その行動は、心の運動をもっと積み重ねてこその行動だと思ったからだ。


ともあれ、アルはPちゃんさんの元で何事もなく過ごせたようで、

帰って来たら直ぐにPちゃんさんの手から離れてこちらの足にしがみついてきた。


「あらあら、まあまあ、やっぱり、そっちがいいのか」

Pちゃんさんはそう笑ってアルのあたまを撫でてくれた。


エントランスの階段から、ヘリコが降りてきた。

白衣のポケットに手を突っ込んで、その鋭い目で辺りを見る。


「ボス、司令、どうやらアルちゃんは大分様子が落ち着いているみたいね。

 貴方あなたが外へ出ている間も観測していたけれど、近くで待機している

 Y子が十分対処できるレベルでその力は平穏を保っていたわ。

 とはいえやはり、少し不安定になる瞬間もある。」


「常にべったりは避けて、それでいてなるべく側にいてあげる。いいかしら?」


『あ、ああわかった。』


『アル。Pちゃんさんとはどうだった?』


「・・・・・・」


「えへへ・・・一緒に内緒のケーキ食べたもんねぇ」


その様子を少し見てみたかった気もするなぁ。

Pちゃんさんはきっと子供が好きなんだ。

アルもきっと一緒に居やすいんだと思う。Pちゃんさんを見る目に緊張は

もう感じない。



「ところで、ウェルシュは何処かしら?

 あの子、医務室に来いって言っても来ないのよね。いつも気分で

 ふらーっとやってくるの。猫みたいなんだから・・・まったく。」


猫・・・・・!なるほど言い得て妙だな・・・

でも本人に言ったら引っ掻き傷じゃあ済まされない。

って、そんな事より。


『ウェルシュ、何処か悪いのか?』


「あの子の能力は特別だから、一番体に負担が掛かるのよ。」

「普通の人間なら、その能力を発現させる事すら無く、助走の段階で死んでしまう。

 そんな能力をウェルシュは難なく発動し使いこなすわ。

 当然体への反動は強い。あの子は顔色一つ変えないから解りにくいけどね。」


『そのウェルシュのってのは、一体・・・・』




「あんたには関係ないでしょ」


『あ、ウェルシュ・・・!』

リビングルームから怠そうにのっそりとウェルシュが現れた。


「ヘリコ、ネコ。」

Pちゃんさんはにこっとヘリコを見ながらウェルシュを指さした。


「はぁ・・・?」


「皆さんで、ウェルシュがネコみたいだと噂をしていたんですよ?」

おいパーマぁぁ!!お前なに死に急いでんだよ!!


「・・・・わけわかんない。」


「ウェルシュ、医務室に来るよう言っておいたでしょう。

 薬の状況を教えて頂戴。あなた、また違う薬を勝手に使ってるんじゃ

 ないでしょうね?すぐ検査に来なさい。でないと処方しないわよ。」


「・・・・だから、今行こうとしてたんじゃない。っさいわね」


「ハイハイ。その気があるならヨロシイ。行くわよ。」



ウェルシュは鬱陶しそうなかんじでヘリコの後に続き、おれとPちゃんさん

の前を横切り様に、散れ、とでも言うように手をヒラヒラ振った。


エレベーターに乗り込んだヘリコとウェルシュが下階へ向かうと、Pちゃんさんが

おれに語り掛けた。



「まさゆきさん。ウェルシュを見てあげてください。」


『え?』


「彼女は、このバルバトスの中で、最も破壊衝動を宿しています。

 それは他のKINGSの“兵器”と呼ばれる者達と同様、アニマを殲滅させるために

 戦場でその矛先を解放させるのです」


「・・・でも彼女は、その衝動を自らに向けているおもむきがあります」


『なっ!・・・それは、いわゆる・・・“自己破壊衝動”ってやつですか?』


「そうかもしれません・・・・彼女は自分の命すら意に介さずに、ただ作戦に没頭し

 致命傷すれすれの戦いに身を投げ捨て、その才能一つで生き抜いてきました。」


「私の目には、彼女はどこか不自由で、何かの焦りを宿している様に感じます。」



『・・・・焦り?なんですか?それは・・・』


「・・・解りません。あの子は過去を何も話さないから、本当はどこを見て

 戦っているのか、誰にも判らないんです。

 しかも近頃は力がとても不安定です。彼女がやたらとだるそうにしているのを

 見たことはありませんか?」


『は、はい。怠そうにはよくしていますね。』


「あれは、KINGSの中で彼女の特種な力を恐れた一部の研究者達によって

 無理矢理打たれた毒物の中毒症状です。ウェルシュは一度死にかけ、

 その体は薬物治療で維持しているんです」


『な、なんだって!?』


「身体と一体化している空間兵器そのものを無力化するその毒は、彼女の中の一部に

 宿り、急速にウェルシュから力を奪いました。ですからウェルシュは力を

 100%で使う事が出来ません。ただただ投薬で体への負担を抑え、同時に

 力を無理矢理引き出して戦っているんです。」


「今服用している薬は、組み合わせ次第ではウェルシュの力を大幅に引き出し

 ますが、でも同時にウェルシュの命を大きく削ります。

 最近のウェルシュは薬の過剰摂取気味で、恐らく体が限界に近いのでしょう。」


『だったら、戦いから遠ざけるべきじゃ・・・!』


「彼女は戦いから離れる事はありません。」

「多分、彼女はKINGSから与えられた使命の外側に戦う理由を置いているんです。」


『KINGSとしての役割の外側・・・?』


「はい。KINGSのために、人類のために戦っているんじゃない。

 切符がなければ列車に乗れないだけ・・・・一度だけ、ウェルシュにそう言わ

 れた事がありました。」


『・・・“KINGSの使命”という切符を使って・・・一体何を・・・?』


「わかりません。でも、恐らくそれが上手くいっていないのでしょう。

 苛立ちと疲労が見てとれますから・・・」


「それに、彼女の目には・・・時折死神が宿っています」



『・・・死神・・・・?』



「はい。ですから、ウェルシュを見てあげてください。」


そりゃあ気になるが・・・おれに一体何ができるって言うんだろう・・・

『は、はい・・・・そりゃあ、おれは“ボス”・・・ですから』



「いいえ、あなたが森川まさゆきさんだからです!」



Pちゃんさんは、少し励ますように笑顔を見せると、

運びますよ、と言って、買い物袋を1つおれの手から引っかけ、

食堂の方へ入って行った。



「大変なものを背負わされましたねぇ。」


『・・・な、なあパーマ。・・・・ウェルシュは』


「・・・・おっと、私に聞かれても困りますよ?

 レディの秘密を簡単に漏らしては紳士とは言えません。」


『何が紳士だ。紳士に謝れ。』


すると食堂の方からY子とPちゃんさんの声が聞こえてきた。



「こら、Y子!それはシアンの大好きな肉まんでしょう!離しなさーいっ!」


「私だって大好きです!それに食べるなんて言っていません!レンジで温めようと

 しただけじゃないですか!」


風呂を覗こうとしたのではなく、扉を開いただけ。という犯罪者が使う理屈を掲げて

Y子はシアンのリクエストで買ってきた肉まんの為に罪を犯そうとしていた。



まったく、気が引き締まったりゆるんだり、忙しいものだ。







「―――それでウェルシュ。体の調子はどう?」



「別に、悪くないわ。」

「そういう事だから、薬、増やしてくれる?」


「だめよ。あなた、他の管轄の作戦エリアに介入して、アニマの調査を

 してるでしょう。その戦闘頻度が過剰に薬を求める原因になっているんだから

 少しは自重しなさい。」



「アニマの発生が弱まればね。KINGSの兵器なんて仕事やってるんだから、

 見合った報酬くらいは欲しいわね」



「報酬を受け取る理由を大切になさい。薬を飲む体が無くなるわよ。」



「うっさいわね・・・・」


「うっさくても身体は壊さない。はい、これは3日分の薬ね」


「3日分!?少ない!」


「じゃないとあなた使うでしょ。」


「どれほどの量が適量なのかは私が一番わかってる。」


「あなたが解っていようとそれを決めるのは戦闘頻度。

 過剰なアニマとの接触を絶ちなさい。これはその上での適量よ。」


「はあ・・・・めんどくさ・・・」


「面倒くさくても死にはしない。はい、これは鎮痛剤。」

「目の下にクマできてるわよ」



「・・・・・チッ」



「ウェルシュ。」

「このままいったら、死ぬわよ」



「・・・・・・なによ、いきなり。」

「別に、それはそれでしょうがないじゃない。

 ・・・・・だとしたら、それが私の運命だったんだ」



「ふぅー。そんな時だけ他の兵士達と一緒にするのは止めなさい。」


「・・・別に。一緒よ。」

「死んで、補充して、死んで、付け替えて。壊して、修理して」

「私は特別なんかじゃない」



「そうやって死神に呑まれるわ。」



「別にいいでしょ。あんたは楽出来るじゃない」


「・・・・差し詰めあなたが物量に相当するあれやこれなら或いはね。

 でもその時は私は首だわ。」


「なにそれ」


「この組織の“ボス”が、多分怒るんじゃない?

 敵の兵器を人間にしちゃった位だもの。あなたが死んだら

 兵器の欠損じゃすまないわ。したがって、私の責任は重い」


「――はい、これシアンから。」



「っ何これ。」

「・・・・・・銃?」


「あなたが能力の負荷に耐えられなくなった時の為の武器。

 “吸引レールガン”だって。キングカードと連携させれば、カードと一緒に

 あなたの位相に収納できるって。」


「・・・・ナメてんの?」


「それだけあなたの状態が悪いって事よ。

 その装備分を追加して、やっと戦場に出られると考えなさい。

 置いてくなら、薬を止めさせてもらうわ。」


「脅しババア・・・」


「何かいった・・・・??」



「・・・・・帰る」



「ウェルシュ。あなたの空間兵器は、主にあなたの脊椎せきつい胸郭きょうかくとして

 存在している。損傷次第では本当に行動不能になる。だからあなた自身

 だけじゃなくて、を頼りなさい。」



「・・・・・」

「・・・・・・破損したら来る」






「・・・・私には、時間がないのよ・・・・」

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