第10話 《逡巡するジェノサイド》
昔、天体観測を少しだけかじった事があった。
当時、高校生だったおれは夏休み期間を利用し、短期間のアルバイトで得た金を
ゲームだとか本だとか映画だとか、まあそういったクローズドな趣味にどう分配を
しようかと悩み、最終的に1ヶ月以上経ってから天体望遠鏡を購入する事にした。
・・・・なんでそんな物をいきなり買ったかって?
よくあるだろう?幾つかの選択肢に悩みまくっていたら、そのうち考えが
あらぬ方向に転換し、訳が解らなくなり、気が付いたら全く関係のない物を買って
後から後悔する・・・なんて事が。つまりそれである。
中古品ではあったものの、有り金全部をはたいて買った小さなそれに、
宇宙観測の夢や希望を乗せて、早見表を片手に現地に行けば、後悔なんて
いつの間にか消えていたものである。
初めて観測したケフェウス座に興奮し、北極星やカシオペアを眺めては
遥か宇宙の先の深淵に想いを馳せ、
あの頃も確か、今と同じ季節であった。
大人になるにつれて神秘から離れ、凝り固まった社会規範や、同調圧力の中で
星空はずいぶん遠くなった気がするな。
大人こそ、星を見上げるべきなのではなかろうか。
しかし、今のおれはどうやら、そんな社会規範から遮断され
大衆的同調圧力とは無縁の《異空間》にこの身を置いていた。
ここには星空すら無いのだから、方向も検討がつかず、たちまち途方に暮れて
昨日のおれは、KINGSのメンバーであるウェルシュという
おっかないお姉さんに殺されかける不幸な珍事件に見舞われた。
そのあと無事KINGSに戻り着き、用意された軽食を食べると、そのまま
借りた部屋で眠りに落ちてしまった。
最高司令官こと、Pちゃんさんは帰還したおれの汚れた服を見て、
慌てて着替えや入浴セットを用意してくれたが、それらを使う気力もなかったのだ。
寝ぼけた
16時間も寝ていた様だ。
しばらくフロにも入っておらず、身体中が気持ち悪かったので部屋に付いている
バスルームでシャワーを浴びて、
Pちゃんさんに貰った着替えを
ベッドの上に列べてみた。
昨日のおれの服装とさして変わらない、Yシャツ、ネクタイ、スラックスだ。
庶民的な大きな紙袋の中に沢山の種類とカラーバリエーションで揃えてあった。
その中から適当に選んで最後にネクタイを締めた時、部屋にインターホンが
鳴り響いた。
ピンポーン。
ごく普通のインターホーン。
しかし、それを鳴らしてる奴はちょっと普通とは違っていた。
ピンポーン、ピンポーン。
『あぁ、はい、今でますよー』
ピンポンピンポピンポーーン
ピンポーン、ピンポーンピンポーン。
だから、でるって言ってるのに・・・
おれはドアまで歩いて近付いた。
ピンポーン。
ピンポーン。ピンポーン。
ピンポピンポピンポーーン。
ピンポピポピポピンポピンポピンポーーーン。
ピンポンピンポンピンポピンポピンポーーーン。
ピピピピピピピピピピピンポピンポピンポーーーーン。
ピンポッピンポピン・・・
『うるせーーーーーーーーーーっ!!!』
ガチャッと開けると・・・・Y子が立っていた。
『・・・・やっぱりお前か。』
「気配でわかるなんて、うふふ、私の事好きすぎでしょ。」
『いや、こんな事するのおまえ以外にいねーだろ。』
Y子は後ろに持っていた救急箱を目の前に抱え、入っても?と聞くので
中へ入ってもらった。
ベッドに座って救急箱を開き、包帯や湿布を取り出した。
「見せてください。」
『あ、ああ。』
おれは折角着替えたところだったが、お言葉に甘えて、腕や足、背中や肩、
身体中の患部に手当てを受けた。昨日まで着けていた包帯等は、シャワーの時に
ゴミ箱へ捨ててしまっていたから、有難かった。
「痛みますか?」
Y子は、おれの腕に最後の包帯を巻きながら問いかけた。
『あぁ、圧が掛かるとな。』
『・・・・なんか、悪いな。』
「いいえ。」
「言ったでしょう、貴方は私が護ると。」
こいつも、こうしてると普通の女の子なんだけどな。
言われなければ、アンドロイドだなんて絶対に解らない。
・・・・・普通にいい子じゃないか。
「これからは、ずっと貴方の側にいて、護りつづけます。」
『あ、あぁ・・・・あまり無理せず、な。』
「・・・ずっとずっと・・・・」
『・・・え?』
「雨の中でも、火の中でも、雷の中でも、一緒です!」
『あ、あまり無理するなよ・・・・』
「たとえご飯を食べている最中でも、夜寝ていても、着替えていても散歩中でも
お風呂に入っていようがトイレの個室にいようが、ずーーっと!!!
そばにいて離れませんから!!」
『こえーーよっっ!!!!』
はい、前言撤回でーす。
だれかこいつを修理してやってくださーい。
おれは服を着直し、Y子に朝食を提案されたので
正直食欲は無いがリビングルームへ向かう事にした。
相変わらず静かな館内だな。
異空間なので外というものが無く、窓からは僅かな音が入ってくる事もない。
おれはリビングルームのソファに腰を下ろし、Y子が持ってきてくれたコンビニの
サンドイッチを口に入れた。
Y子は冷蔵庫からプリンを取り出して来て、おれの横で夢中で食べ始めた。
そうしていると扉からPちゃんさんが現れ、挨拶をしながらこちらにぱたぱたと
駆けてくる・・・・かわいい。
「おはようございます!」
「昨日はよく眠れましたか?お体の包帯、昨日交換しに上がったんですけど、
既にお休みだったみたいで・・・」
『いえ!』
『一晩くらい何ともありませんし、それによく眠れました。
あと、着替えまで・・・・』
「よかった!サイズ、ぴったりですね!」
「素敵ですよ。」
そう、ぴったりであった・・・・
おれに最適化されていたのだ。
服のサイズ・・・・森川まさゆきサイズってわけか・・・?
「朝ごはん、間に合わせでごめんなさい。
もっと力のつくもの、食べたいですよね・・・?」
『あ、いえ。これで十分ですが、食堂は何時から空いてるんです?
ああ、でも持ち合わせも無いのか。』
「・・・・・あの食堂は、その、今は使われていないんです。
スタッフが不足しておりまして・・・・
買い出しなどはキングカードをお使い下さい!クレジットカードの
役割も果たしてくれます。残高はご心配為さらずに。」
『え、い、いや、それはちょっと・・・・』
「あなたが使用するお金は《森川まさゆき》が残した財産から支払われる様に、
KINGSの方針で
もし、わたし達に協力して頂けるなら
事になりますので、安心してください。」
『でも、《森川まさゆき》のお金を使うのもちょっと・・・・』
「ふふ。いいですよ。
それでしたら必要なお金があった時、私に言ってください。
私が購入してさしあげます!」
『いや、それは流石に・・・・!』
「どうするのかは全てお任せします。」
彼女はにっこり笑った。
この人は、どうしてこんなに親切にしてくれるんだろう。
それが仕事上のマニュアルなのだろうか。
それとも、これが平常運転なのだろうか。
そうしていると、ウェルシュが入ってきた。
思わず背筋に緊張が走る・・・・!!
「おはよう、ウェルシュ!」
「・・・・ん。」
素っ気ない返事で彼女はおれとPちゃんさんを素通りし、
カチャカチャと中を探り始めた。
「・・・・?」
「しれーい?」
「何?」
「私のプリン知らない?
3つ、買い置きしてたんだけど。」
「プリン?いいえ。私が知る訳ないでしょ?」
プリン?
プリンならさっき見たな。
そこでY子が・・・・・・・
って!もはや全部食べ尽くしたみたいだ・・・・
当然、ウェルシュはすぐに気付いたらしい。
「・・・・・Y子」
「ギクッ・・・・・はい?どうしました?
あぁウェルシュ!いたんですかおはようございます。
おお!貴女の今日の運勢は一日中最高にいいみたいですよ。」
「Y子。私に言うことあるんじゃない?」
「はぇ!?あー、ウェルシュは今日もキレイですね何よりです!」
声、
「他には?」
「・・・えーと、そうそう、明日もキレイだと思いますよウェルシュは。
多分、
来年はどうだろうな・・・・うん、解りませんが、安心してください、
きっとなんとかなります。その後のことはちょっとわたしにはぁ・・・・」
「プリン、おいしかった?」
『はい!おいしかったです!!』
・・・・・雷が落ちた。
「だったらさっさと買ってこんかーーーーーい!!!」
Y子の犯した
猛る烈火の如く彼女自身を断罪した。
コンビニ行ってこいやっっ!!って事らしい。
そんなこんなで、おれはコンビニの前に立っていた。
『―――いや何でおれまでここにいるんだよっっ!!』
「うふふぅ~。運命共同体だからですよ~!」
『ドラ●もんみたいな笑い方すなっ』
ここは山梨県のとある町。
おれは、Pちゃんさんについでで頼まれたメラミンスポンジを、
Y子が持つコンビニの有料レジ袋に入れて、やれやれとため息をついた。
こいつの持ち物はそれだけではなく、小さいリュックを背中に下げて、
大量に買ったおやつを詰め込んでいる様だ。
Y子はレジ前のホットスナックコーナーで買ったタンドリーチキンを、
わざと美味しそうに「サクッ」という音をたてて頬張っていた。
「くーりすまっすっがーこっとっしぃも~ふんにゃーにゃーんっん~・・・」
いや、そこまで言ったらちゃんと歌えよ・・・それに、まだちょっと早いだろ?
『しかし、空間兵器ってのは本当に便利だな。』
『人通りの無い場所を探して、そこにピンポイントで出入り口を
繋げるんだもんな。』
「そうです。もぐもぐ
しかし万能ではありません・・・もぐもぐ。」
『飲み込んでから喋れよ・・・・』
「ごくん。」
「空間兵器は、空間兵器によって妨害、破壊されるリスクが常にあるのです。」
簡単に言えば、私達が作り出す空間には様々な性質があり、その一つ一つは
固有の波長の様なものを持っています。
その波長に逆の性質の波長をぶつけると、その空間は中和・・・つまり
破壊されてしまう。
・・・そんなイメージを持ってください。」
『あぁ、なるほど。なんか少し分かりやすいな。』
『KINGSの本部も、空間兵器で作った異空間の中にあるんだよな』
「そうです。」
「KINGSの空間維持システムは非常に高度に出来ています。
しかし、この世に完璧など存在しないように、あの異空間も
常に中和されるリスクがあります。
KINGSのシステムは、その波長を秒間六万回変更し、更に
波長の侵食に反応して反撃する自動防衛システムなどを何層も展開し
自己防衛しているのです。」
『へえ~~、やっぱ本部ともなると厳重ってわけだ』
「その通りです。他にも空間破壊は様々なバリエーションがあり、
内側から別空間を膨張させて既存空間をパンクさせたり、逆に
空間で包んで圧縮し、潰してしまう方法もあります。」
『・・・・ゾッとしないな・・・・』
「貴方は初めてKINGSに来た時、山中にある
内部へ入りましたね?あれも一つのリスクヘッジです。
あの廃寺は、空間を隠蔽する空間兵器でカムフラージュされています。
敵に発見されにくい様に作られているあの空間に接続することで
安全性の高い空間接続が可能になるのです。」
『ああ、なるほどな。あれはそういう・・・・』
『流石だな、勉強になるよ。Y子先生。』
「ふっ・・・ふふふ!」
「そうですか、そうでしょうワトソンくん!」
「優れたキミの事だから、この最小限の話の中から多くの事実を理解する事が
出来た筈だ。一見何て事もないかの様に見える私の言葉や容姿から推理して、
私が言われたい言葉を言い当ててみたまえ・・・!」
はい調子に乗りました。
褒めるとこれだ。
『シャーロックY子。お前ほど優れた頭脳をおれは持ち合わせちゃいないが、
いま分かっている事は、お前が手に持っているチキンの包装紙、それは真ん中の
点線で切って食べるものだが、勢いよく切ろうとして破り目が点線を完全に
無視している。この事から解るのはきみが食べる事に夢中になり、脇目も振らずに
いやらしく食欲を発散させたという事実だ。
どうやらよほど食い意地の張ったお人の様だ。』
「違うそうじゃないワトソンくん!私の事をもっと褒めたまえ!」
「足がキレイでステキだとか、トリートメントは何を使っているんだとか、
理知的で高貴な顔立ちをしているとか、抱き締めたくなるとか!
キミにだってそれくらいの事は解るだろう!?」
『もはや推理してねーじゃねーか!
そんなアホなホームズがいたら探偵廃業してハローワーク通っとるわ!』
「絶対褒めないク●上司がツンデレで求婚してくるんだが・・・・」
『
と、Y子が順調におれの心労ゲージに重荷を乗せ続けていたその時。
「・・・・・・・!」
『どうした?Y子。』
『お腹でも減ったのか?今食べたばっかりだろうが。』
「お腹は減りましたが、それじゃあありません。」
「・・・・今、張り詰めた
『いくうかん、ちょうりょく?・・・なんだそれは?』
「異空間張力は、一定の空間を包み込みその空間内部を徹底的に破壊する
広範囲の殲滅用空間領域です。」
『殲滅・・・・って』
「文字通り、殲滅するための空間です。
シャボン玉に閉じ込められたとイメージしてください。
例えば、キレイにそのシャボン玉の内部空間だけが核爆発を起こしたら、
中にいる者は助かりません。そのシャボン玉が発生したんです。」
唐突に、目玉が飛び出るような爆弾発言をしやがった・・・!!
『んなっ!!!』
『今ここにか!?』
「その通りです。」
「異空間張力・・・・そのシャボン玉の中で、対象を殲滅させるために
どんな現象が起こるかは不明ですが、それが発生した事は事実です。」
『おれ達はその空間に飲まれちまったのか!?』
「・・・・・・それが、妙です。」
『妙?』
『ある地点を起爆点とし、確かに異空間張力が発生しました。
・・・・・・しかし、そのシャボン玉が極小に縮んだり膨張したりと
安定しないのです・・・・・これは不可解です。』
『どういう事だ?』
『その異空間張力ってので、おれ達を包み込んで、一気に殲滅するんだろ?
・・・・その空間兵器の故障か?』
「解りません。異空間張力は、極めて高度で強力な兵器で発生させます。
こんな物を不完全な状態で運用する、という事自体、通常はありません。
それに、これ程の兵器が周囲に出現するなら、私も司令達も必ず気付く筈です。
何の反応も無い場所から突然現れたのも不気味です。」
『・・・これはとりあえず、KINGSへ戻ったほうが良さそうだな。』
「いえ・・・・・」
「それは不可能です。今の不安定な空間では位相を合わせる事は出来ません。
異空間張力が強力で、本部との通信も不安定です。」
『や、やばいんじゃないのか?』
「極めて危険な状況です。
人も、建物も、一つの町ごと全てが崩壊するでしょう。」
Y子は手に持っていたレジ袋をリュックの中に仕舞い込み、
おれの前に向かい合って立ち、こちらの瞳を見て言った。
「指示を。」
『・・・・・・え?』
「貴方の意志に、わたしは従います。」
「この場で、この現象に向かい合う唯一の存在である貴方とわたしが取れる
選択肢は二つ。」
『・・・・・・・・』
「1、―物理的に距離を取る―
これは単純です。異空間張力の膨張する範囲外まで移動する事です。
無傷で打開するなら、これは分かりやすいでしょう。
しかし、懸念があります。
異空間張力が膨張収縮を繰り返し、
次の瞬間に一気に膨張し、異空間張力が完成してしまうリスクがあります。
その場合、逃げきれずにこの街ごと全滅します。」
「2、―大元の兵器を破壊する―
これもまた単純です。
しかし、問題は当該兵器が不穏な反応を示している事です。
これは予想だにしない出来事に遭遇するリスクが極めて高いです。
そして、アニマの戦力が集中するため、当然危険は増えます。
そして、逃げる場合と同様、時間制限が不明な為、いつ強制的に兵器が
発動するか解りません。」
「どちらにも死のリスクがあります。」
『・・・・・・』
Y子はおれの返事を待つように、ただじっとおれの目を見つめている。
分かっている。
Y子ならどうするのか、そんな疑問をY子は求めちゃいない。
その目は、おれがどうしたいのかだけを聞いているのだ。
お前は、真っ直ぐに話す奴だもんな。
おれに聞いているのか、それとも英雄に聞いているのか、そんな事を考えるのが
面倒臭くなってくる。
なぁ、Y子・・・・お前と出会ってから、おれはずっと逃げ道の無い選択肢を
迫られ続けている気がするよ。
でもそれはいつも、選択肢と呼べるのかどうか微妙なんだ。
考えて、これ以上無理だって思った時には、こっちじゃないかと感じる方を
選らばざるを得なかったんだ。
今もそうさ。
だから、これが正しいと思う理由なんて、聞いてくれるなよ?
『・・・・・・・兵器を破壊しよう』
「・・・・!」
「・・・・・・はい!」
無表情のY子は、感情が極めて解りにくい。
これがベストか解らないが、おれは聞かないぞ?
少くともこの理不尽な状況の中で、おれは一人ではなく、隣にはY子がいる。
以前の様に、全てが謎の怪しい奴・・・ではなく、
一人取り残されるでもなく、
はたまた、襲い掛かって来るでもない。
おれは初めて、生きる為の選択肢に同伴者を得た気持ちであった。
おれは初めて、生きるために一歩、前に足を踏み出した。
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