第5話 《絶対零度の女の子》


薄い水の幕と、空気中できらめく水滴がおれの目の前で

滑らかに降り落ち、綺麗に循環していた。平和的で心が和む。


噴水を眺めてぼーっといこっていれば

なんだかその様相ようそうは、リストラされた事を妻に打ち明けられずに

行く当てなく放心しているまよびとのようである。


おれは公園のベンチに座っていた。

パーマは近くに停めてあるらしい車を取りに歩いて向かった。


人の頭は、自分で処理しきれない情報で一杯になると

思考を停止させてしまうものらしく、今のおれはまさに

そんな感じだった。


何だが腹も空かないし、今日はまだコーヒー1杯とちょっと

しか口に入れていない。なんだか無性に喉が乾いて、直ぐ近く

の自動販売機に歩いて行き、そのラインナップを眺めた。

突然つめたい空気が肌を撫で、あったか~い以外の選択肢は

自然と消えていった。


『おっ、もう "おしるこ"なんて置いてるのか 。はやいねぇ』

などと呟いて、甘いものを口に入れたかったおれは、おしるこか、

コーンポタージュか、それとも、お子ちゃまミルクコーヒーかで

3秒ほど悩んで、結局お子ちゃまミルクコーヒーを選択した。


『きみに決めたっ・・・・』っと、別に周りには誰も居ないが、

誰にも聞こえない小さな声で囁きながらボタンを押すと、

ガシャン、と商品を排出する音に何故だか恥ずかしくなった。

別に何を買っても音など変わらないのに不思議なものである。


ベンチに戻ろうと思って、今来た左の方向へ向き直ろうとした瞬間、

逆の右の方向に、人の気配がした。


『・・・・?』

・・・10mほどの場所に、小さい女の子が立っていた。



迷子か?周りには大人は居ない。

いや、それより、立ち去ろうとするおれの足を

釘付けにして離さなかったのは、その容貌だ。


多分4~5歳くらいだと思う。

白いワンピースの様なボロボロの汚れた布を身に付け、

黒く伸びきった髪の毛はボサボサで荒れている。

何も持っておらず・・・・・裸足だ。


明らかに普通の状態ではない。

おれはその子へ近寄り声をかけてみた。

『どうしたの?迷子かな?』


・・・・しかし、返事はない。

『パパとママはいないの?』


しゃがみ込んで聞いてみたが、やっぱり返事はない。

それどころか、体をピクリとも動かさずに立ち尽くしている。


・・・・おれは驚いた。

少女の体はかなり痩せ細っていて、明らかに栄養が足りておらず、

身体中傷だらけだった。

なんだこれは・・・・


もしかすると、虐待から逃げて来たのだろうか。

この子をなんとかしなければ、と思考が焦る。

そういえば、ハンバーガー店までの道の途中に交番が

あった事を思い出した。すぐ近くだ。


『つらかったね、さみしかったね。もう大丈夫だよ。

 おにいちゃんと一緒にお巡りさんのとこへ行って、たすけてもらおうね』


詳しい事情は解らないが、どんな言葉を掛けても、どうやっても

言葉足らずになってしまう様に思えて、涙が出そうになった。

少女の頭を少し撫でて、顔をほとんど覆っている前髪を軽く

分けてあげる。

手を引いて歩こうと思ったが、そうだ。この子は素足なのだ。


『ほらおいで。』

おんぶをしてあげようとしゃがんだまま背中を向けた。


「・・・・・・」


『ほら、おいで。足、いたいだろ?』

「・・・・・?」


まいったな。

まさか、おんぶを知らないのだろうか・・・・

それとも、怖かったり、緊張したりしてるのかな。


はっきり言って、おれは子供と接するのは苦手なんだが・・・・


10月の下旬ともなると、そんな布きれの様な物を身に付けた

だけでは流石に寒いに決まっている。早く移動してやらねば。

それにタイミング悪く、辺りが少し冷えてきた様に思える・・・・

あ、そうだ。


『ほら、これ、飲んでみ。あったまるぞ~』

おれは、女の子の手をそっと取って、その両手に先程自販機で買った

280mlのあったか~いコーヒー牛乳を手渡してみた。

「・・・・・」


女の子は、不思議な物を見る目で、両手の中にあるペットボトルを見つめていた。

・・・・まるで初めて見るかのようだな。


『こうやって、あけてみ。』

キャップを開けるジェスチャーをする。


「・・・・・・」

女の子は不思議そうに見ながら、同じようにキャップに手を

掛けてくれた。しかし、開ける事はできなかった。

力が足りなかったのだ。


『そのままにしてごらん。』

そのままキャップを開けてあげる。

『で、ここに口をつけてのむんだよ。』


「・・・・・」

両手でゆっくりボトルを上げて、少し口に入れる。

すると、女の子の顔は、ほんのわずかだが、驚いた様な

感動したような、ややきょとんとした表情を見せた。


多分、コーヒー牛乳がおいしかったんだ。

それだけは、なんとなくわかった。


『はは、よかった。ぜんぶ飲んでいいからね』


しかし、半分ほど飲んで、めてしまった。

胃が驚いてしまったのだろうか。

『はい。』

キャップを渡すと受け取ってくれた。


さっきのおれのまねをするように、ぎこちない手でキャップ

を回すが、方向が逆で閉まらない。


『逆に・・・そう・・・そうそう。・・・やった。』

女の子は、キャップを閉め終えたコーヒー牛乳を両手に持って

にっと笑いかけるおれの顔を、不思議な動物でも見るかの様な目で

じっとみつめていた。


『そら、おんぶするからおいで。肩にしがみついて。』

もう一度背中を見せて、ジェスチャー交じりでお願いしてみた。


「・・・・」


すると、女の子はその通りにしがみついてくれた。

おれは、その傷だらけの細い両足を両腕でそっとすくい上げて、

少し前傾姿勢で立ち上がった。


・・・・よかった。

『コーヒー牛乳、落とさないようにな。』


「・・・・・」


それにしても、軽い。

体重があまりに軽すぎる。どうしてこんなになってしまったんだ。


・・・・人は生まれる場所も運命も選べない。


子供をこんなに追い込んだ、大人でも、運命でも、そんな諸々が何で平然とこの世に

存在するのだろうな


『お巡りさんのところに、すぐつくからな。』

そんな事を言いながら歩いていると、おれはある異変に気付いた。


『・・・?』

『少しきりが出てきたな・・・・』


こんな時間に、いきなり霧が出るなんて・・・しかも

どころか、たちまち霧の濃度が上がっていく。


背中の女の子は震えていた。

『さむいか?すぐに暖かいところに行くからな。』

なんだか嫌な予感がしたが、気にせず歩くペースを上げた。


霧の発生する速度が速すぎる。

やはりこれはおかしい・・・・!

周囲はすっかり濃霧に囲まれてしまった。


「・・・・・待て」


背後から突然聞こえた低い声に驚愕きょうがくし、おれは後ろを振り返った。


『・・・・・・しまった!!』


背後には数十体にのぼる数の機関の戦闘員、そしてその先頭に、他の奴等とは

明らかに違う大柄な奴が立っている・・・・!


これはやばすぎる・・・・!!

おれは、てっきりパーマの能力で敵に見つからないものと完全に油断していたのだ!

これが能力の欠点が招いた結果なのかは解らないが、なんにせよしっかりしてくれ

パーマさんよ・・・・!!


「“森川まさゆき”だな。」


大柄な奴が口を開いた。

あいつ等、喋れるのか。あまりに人間離れした印象から、

対話できるイメージが無かったものだから、面食らってしまった。


「私のαアルファを、返してもらおうか。」


低く、太く、がなるような、悪魔の様な声だ。

全身黒の紳士服に、黒のロングコート、黒いシルクハット。

黒い手袋。顔も真っ黒でツバの影にうまく隠れてよく見えない。

素肌の黒ではなく、なにやら物体としての質感を思わせる無機質な黒・・・・

ぱっと見れば、な19世紀のヨーロッパ紳士ってな雰囲気だ。

恐く、奴がこの集団のトップだろう。


『なんだお前は・・・・!』


「私かね、私はその背中にへばりついている化け物の所有者だよ。」


『化け物・・・?』

女の子の震えは大きくなっている。


「私達の大切な兵器でね………」

「これから重要な作戦を実行しようというのに、勝手に居なくなって

 しまったのだよ………」


この子が、あいつ等のだって?

また理解に苦しむ様な事を・・・・・!


詳しい事は解らないが、解っている事はとにかく今がかつてない程の

ピンチだという事だ・・・・!!


構わず逃げるべきなのだろうが・・・・・・・


しかし


しかし・・・・・・だ。


背中にしがみついている女の子の手が、きゅうっとおれのYシャツを

にぎってしまったのだから、仕方がない。


『・・・・・と、なると』


『お前か。この子の保護者は。』



「違うな………私はそれのだよ。」



『・・・・所有者?』


『・・・・・そうか』


『・・・それなら、お前にこの子は絶対に渡せないな。

 ・・・・・子供に所有者なんて必要ない!』


「クク……止めておくことだ」

「キミがいくら“森川まさゆき” だとしても、私のαアルファは手に余るよ」


『・・・子供は時に手に余るものさ』


「その兵器は特別でね………」


「今日は、キミを殺すためにここへ連れて来たのだが………」

「自分を殺すに存在する兵器を、キミはどうしようというのかな………?」


『・・・・おれを殺す為だけに、存在する・・・?』


「その通りだ。それがその兵器の《意味》だ………」



・・・・・・意味、だって?


『・・・馬鹿を言うな!』


『人が存在する理由なんて、親だろうが兄弟だろうが、まして他人なんかが

 勝手に決め付けていいものじゃない!』


『そいつが勇気をふり絞って生きて、やがて自分で見つけるもんだ!』


おれは背中で震える女の子に言った。

『だいじょうぶ。あいつの所へ戻らなくたっていい。』



奴の少ない言葉は致命的におれの価値観や思考と真逆を示した。



この子が兵器?馬鹿な話だ。震えてるじゃないか・・・・!

子供だぞ・・・・!?


そんな痛々しい運命を受け入れる必要なんてない・・・!

小さな手が、おれの肩で頼りなく握られていた。


あいつにそんな風に言われ続けてきたのか?

でもそんなのは間違いなんだ。

聞かなくていいんだ。



たった数ミクロンの、ほんのこれっぽっちでも構わない。

たとえそれが、140円のコーヒー牛乳を飲んだときだっていい。


ほんの少しでも心が動いたとき、自分が積み重なって、

足跡ができる。もう一歩。また一歩。

歩くのには時間がいる。だから歩いたら何かに出会う。


また積み重なって、きみが、きみになっていく。


その時なんだ。

きみが目にする、お月さまや、雲や、木や、美味しいお菓子。

誰かの笑顔。あのコの泣き顔。嬉しいことと、悲しいこと。

その全部が意味を伝えてくれるのは。


迷ったとき、耳を澄ませて、

その色の違う一つ一つの意味を紡いで自分だけの服を作ってみる。

沢山の色で光り輝くその虹の組み合わせは、星の数よりも多いんだ!


それは、生きているの長い旅のお話だ・・・・



―――その序章にたどり着くまで、まだ意味なんて必要ないのさ。




「・・・・・・・」


女の子は、おれの背中に顔をうずめていた。


『子供には、無限の可能性がある。

 理不尽な意味付けで、その可能性に蓋をするな・・・!』



「クク、では証明しようか。簡単だ。」

は私の呼び掛けで兵器として起動し、即座にその存在を証明する事に

 なるだろう。」


「…… “森川まさゆき” キミは私達を脅かす唯一の存在だ。」


「だが、見た所キミにはまだが揃っていないようだ。

 その上この状況下で、私の兵器を前に少々見くびっているらしい。」


・・・・・・・?

何だそれは?

それは、“森川まさゆき” が機関を脅かす何かを持っていたって事か?

いや、それよりも今はこの場を切り抜ける方法を考えなくては。

・・・・・・いや、あるのかそんな方法!?


「私の名は“ベイジン”」

「地獄の果てまで持って行くがいい。“森川まさゆき” 」


「私のαアルファ。」

「迷子はお仕舞いだ…………」


「・・・・・!」



「さあ…………αアルファ……………」

「お前の力を見せておくれ…………」


「・・・・ぁ゛・・ァ゛・・!!」




「私の大切な…………………化け物よ」




「・・・・・・・ぁ」



ギィィィッと、金属が悲鳴を上げるような恐ろしい音が鳴り響き、

突如、青白い閃光が輪になって辺りに広がった。


地響きが鳴り足元が揺れ、姿勢が崩れるのと同時におれの体は、女の子の体から

吹き出る衝撃波で飛ばされ、10mほど地面を転がったがまだ意識は保って

いた・・・・!


宙に舞ったミルクコーヒーのボトルは凍てつき、地面で鈍い音を立てた。


周囲の温度が急激に下がる・・・・

街灯も、ベンチも、自販機も瞬く間にしもに覆われていく。

女の子は項垂うなだれて、つま先が地面から数センチ浮いていた。

青白い衝撃波は何度も放たれ、その光の輪に打たれるたび、草も木も、

噴水も凍りついていった・・・・・・!


そして、次の瞬間!!

爆発の様な、とてつもない大きさの衝撃波が辺りを包み、

おれはさらに吹き飛ばされてしまった・・・・・・!!




かろうじて意識が残っていたおれは、うつ伏せになって倒れていた。

身体中を打ったのだろう。全身が痛んで、うまく動けない。


『ぅ・・・・・・・ぐ・・・・・』


辺りの風景は一様に変化していた・・・・・

あらゆるものが凍り付き、霜に覆われた真っ白な世界だ。

雪が降り始め、おれの体温はどんどん下がっていく。


女の子は、体から吹き出る炎の様な青白い光に包まれ、

空気を切り裂く冷たい風が甲高い音をたてて、空から降り落ちる雪を

荒々しく掻き立てていた。


やばい、意識が、消えかけている・・・・・・・


その時、けたたましい車の音と共に男が降りてきて、おれに

話しかけていた。


しかし、その言葉は聞こえなかった。



おれは暗闇の中に落ちた。

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