第3話《Y子》

――――10月も下旬。

すっかり秋だ。

風の臭いが変わって、草木の色も移り変わる。

こんな季節にはついつい物思いにふけってしまうものである。


自然のまにまに、ただそうあるだけで、なんだか物悲しい気持ちに

なってしまうこんな秋空の下では、悲しい話は極力聞きたくはないし、

逆に、やけに明るい話も御免被りたい。

生命が寝静まる、前準備のような印象のこの季節は、心の年間

サイクルの中でも、割とデリケートな期間なのではなかろうか。


まぁそれはそうと。

おれは例の教会でY子と名乗る女に助けられ、無事(ちょっと語弊)

に脱出することに成功した。ただひとつ、大きな傷を胸に残して・・・


ともあれ、あの時の時刻は大体、早朝4時頃だったらしく、あの後

Y子が話す組織の根回しがきいたタクシーで4時間も移動させられた。


どうやら神奈川県に入ったみたいだが、

タクシーは先程から、信号でも目的地でも何でもない場所で止まったり

発車したりと、謎の挙動を繰り返していた。


そしてその都度Y子は降りて1~2分ほどいなくなり、戻ってきてはタクシーと共にその不思議な行動を繰り返すのであった。何をしているのかと聞いてみたら、

ロードワークですよ、と嘘の体裁を無視した嘘を付くのである。


タクシーの運転手は声をかけてもマネキンの様に答えず、

神奈川に至るまでの、果てしない4時間をおれは、自分のあられもない

脱糞シーンを真顔で凝視した女と一緒にこの狭い車内で過ごすハメになった挙げ句、ほんの少しの情報を聞く事も出来ずにただ座り姿勢で疲労だけを蓄積していた。



4時間もあったのなら、車内で事の詳細を詳しく聞けるじゃない?

と、普通はそう思うだろう。おれも思った。


がしかし、その4時間もの間この女、事もあろうに車内で爆睡し始め、

声をかけても揺すっても大口を空けて起きやしない。

果てしなく謎の時間に辟易へきえきしながらも、時刻は既に8時40分を回っていた。


『なぁ、一体何処へ向かっているんだ?

 少しくらい何か教えてくれたっていいんじゃないのか?』


「今から向かうのは、私達の本拠地です。詳しい場所は答えられませんが・・・

 そこでわたしの上官に会って下さい。貴方の物語りは、そこから始まるんです。」


『まるでまだ何も始まってなんかいない、とでも言っている様に聞こえるな。』


「はい。その通りです。」


こっちは銃で発砲までされてるんだぞ?撃ち抜かれなかったのは運にすぎない。

もしこいつの言う事を真に受けるなら、おれは自宅と職を同時に失った事になる。

・・・ついでにさっき携帯も。


これ以上の事が、そう簡単に起こったんじゃ堪らない。

何が始まるっていうんだ一体。


すると、タクシーは並木通りに停車した。

「さぁ、ここからは歩きましょう。」

タクシーは去り、おれはY子と共に歩き出した。


今日は平日だが、人通りがとても多い様だった。

賑やかな喧騒の中、聞こえる人の足音、車のエンジン音、風の音。



・・・・そして。



・・・―――Jポップが聞こえてきた。


これはいわゆるオリコンチャートというやつか。


それに食器の揺れる音、フォークやナイフが皿を突く音や人々の雑多な話し声。

そして目の前でナポリタンを口一杯に頬張る、せわしない女はこう叫んだ。


「すみませーーーんっ!!おかわりくださーーーーいっ!!!」


『いや、食い過ぎだろ・・・・』


はて?何故おれはいつの間にファミレスで飯なんて食ってるんだ?


そう、Y子こいつがお腹が空いたと、店の前で立ち止まって勝手に入店して

しまったからだ


このなんの変哲もない飲食チェーン店にこんなタイミングで入るものだから一体

何事かと思えば、ただ朝食をとりたかっただけなのだと分かった時には目を疑った。


おれは即座にポケットから財布を取り出し中身を確認する。

中にはなけなしの5636円が寒そうにして震えていた。

直ちに絶滅しそうな我が所持金達は、これから来る大寒波には

耐えられそうにない。太古のマンモス達の苦労を想った。


まあファミレスでの食事程度なら何とかなるだろうと、たかを

くくったのだが・・・・・


『なあ、こんな所でメシなんて食ってていいのか?』

「ふぉふぁふぁふぉん・・・・モグモグ」

『いや、飲み込んでから喋れよ』

ゴクン、と派手に飲み込むとY子は言った。


「・・・・不安ですか?」


『そりゃあ・・・・・いくら荒唐無稽な話でも、この目で現実離れしたものを

 見てしまったんだ。少なくとも命の危険があるって事だけは理解したつもりだ。』


「今はそれで構いません。貴方の命はわたしが・・・わたし達が護ります。」


『・・・・なあ、どうしておれにこだわる?

 確かにおれは“森川まさゆき”だ。だがほぼ断言してもいい。

 おれは、あんた達の探している“森川まさゆき”とは別人だ。』


Y子は静かにこちらを見つめて、おれの言葉を聞いていた。


『だってそうだろ?あんた達の組織がどんなものなのかは知らないが、

 世の中には手違いってものがある。きっと、さっきの危ない奴の組織内で

 お目当ての“森川まさゆき”を見つけ出す為の何らかのプロセスに手違いが起きて、

 それで同姓同名のおれが誘拐されたんだ。きっと。』


『で、あんたらがその誘拐集団の機関とやらの動きに反応して、“森川まさゆき”が

 誘拐されたと思い込んだ。きっと、あんたの上官だって勘違いに気付いたら

 慌てるんじゃないのかな。』


きっと、というか確実にそうに決まっている。


『なあ、早いこと本物探しに切り替えた方がいいんじゃないのか?』


「わたしの名前はY子。“あんた”じゃありません。」


彼女は常に無表情だが、おれの瞳を一瞬も逸らさずに見据えるその眼差しは

真剣だった。

そんな言い回しひとつに拘るタイプには見えなかったから、おれはほんの少し

不意を突かれた気持ちで間を挟んだ。


『あ、あぁ、すまない。』


「仮に、機関が貴方を見間違ったり、勘違いする様なことが万一にあったとしても、

 わたし達が貴方を間違える事はありません。」


『何故だ?』


「それはまだ言えません。」


『なら、何故すぐに殺されずに教会に閉じ込められたんだ?』


「それは不明です。しかし機関には貴方を葬り去る意思は確実にあります。

 貴方を即座に殺害しなかった事はただただ幸運でした。」


『大体、機関ってのは一体何なんだ。』


「正体不明、出自不明の武装集団です。

 ある時突如世界に出現し、圧倒的な軍勢と技術力を用いて全ての国家と戦争し、

 全てを蹂躙じゅうりんしました。」


『いや、なんかもう、そこからして解らん。

 おかしいだろ? そんな、ぽっと出の武装集団が現代国家の軍事力を

 そんなにあっけなく打ち負かすなんて・・・・活動拠点は何処だ?

 物資はどうやって集めた?戦争するって言ったって、経済活動しなけりゃ

 戦争する金すら稼げないし、そもそも大前提として、人類滅ぼして

 どうするんだよ。自分達も立ち行かなくなっておしまいじゃないか。

 自分達だって人類だろうに・・・・』


「そうです。機関は矛盾に満ちています。」


「機関の兵や物資は何処から補給されるのか、そして戦闘目的の不明瞭さ・・・

 明らかに時代を跳躍ちょうやくした科学技術、対話不能の性質を含め、わたし達の世界では

 機関を非人類と認定しました。

 機関の推定兵力は戦争末期の時点で、地球上の人類総人口の約5倍に上ります。

 もちろん、この推定は当てにならず、総量はその倍とも、有力説では無限とも

 言われています。」


「わたし達はそんな存在と戦争をしているのです。」


『・・・なんだそれ』


ちょっと待て、いくらなんでもそれは待て。

今の下りは少し横に置かせてくれ・・・・・マンガ的な話だそれは


『・・・・それじゃあ、仮におまえの言う事を全面的に信じたとしてだ、おまえ達は

 未来からやって来たんだよな?つまり、“森川まさゆき”を救っておまえ達の未来

 を変えたい・・・・って訳か?』


「いいえ、わたし達がこの世界で何をしようと、私達の時代が変化する事は

 ありません。時間軸が分岐し、この世界独自の未来へ進展して行くのです。」


『なっ・・・・そ、それじゃあ意味が無いじゃないか』


「意味が無い・・・・ですか?

 貴方が無意味と言ってしまえばそれまでです。」


「でも、わたし達の世界の人々は願いました。

 機関に蹂躙され、滅び行く世界の中で夢見た、あの遠い懐かしい世界を。

 あの世界を守れたなら・・・・・あの世界を残せたなら・・・・と。」


「機関による滅びから逃れた世界を実現し守りたい。

 たとえその結果、自分達の世界が救われなかったとしても、人の息づく

 人の世界にって欲しいと望んだのです。」


「わたしもそんな未来があってもいいと思います。

 それが無意味な事なのか、わたしには分かりません。

 わたしの任務は、貴方を護り、この世界の破局を回避する事です。」


そう言うY子の表情は、どことなく切なげに見えた。


話のスケールがでかすぎて、現実の話として聞くのには無理がある。

だが、Y子に救われたその時から、100%でその話を否定する術をおれは完全に

失っているのだ。


『・・・・なあ、おまえ達の世界では、その・・・・・“英雄森川まさゆき”ってのは

 最終的に、どうなったんだ?』


「・・・・・機関に殺されました。」


たとえ人違いであったとしても、流石にいい気分ではない・・・・


『それなら・・・・おまえ達は、この時代で“森川まさゆき”に何をさせようって

 いうんだ?“森川まさゆき”たった一人の運命ひとつで、その機関ってのは

 何とかできる相手なのかよ・・・・』


不可能だろ。その話の前提条件があまりに強すぎて、手の施し様がない。

英雄“森川まさゆき”とやらがどうのこうの以前にだな・・・・・

そんな簡単な事は何の専門家でなくとも、いや、むしろ中学生でもすぐにわかる。


「わたし達はある方法を使い、機関の戦力がこの世界じだいに際限無くあふれ出るのを

 阻止する事に成功しました。

 壊滅的状況からの転回です。そして組織の規模は小さいものの、わたし達には

 わたし達の世界の最高の技術力と、そしてがあります。」


『勝算・・・・・って何だ?』


「貴方です。」

「今はまだ、詳しい事を伝える事は出来ません。」


『おまえ達がおれの事を、探し求めた“森川まさゆき”だと断定するのなら、

 何故おれに情報を隠す必要がある?』


「その疑問も、目的地にたどり着いた時、わたしの上官の口から直接伝えられる

 筈です。」


話すだけなら、何処で話そうと同じじゃないか。

とは思うものの相手はかたくなだ。立場がある、という事だろう。

そりゃあ社会に生きる大人であれば、誰だって個人の立場の不自由さくらい身に

染みている筈だがな。


・・・・・・だが、こっちはさっき死にかけたんだぞ?



「・・・すっかり冷めてしまいました。わたしのナポリタン。」

そう言って彼女は、もぐもぐと食べ始めた。



二つだ。これが嘘か、または真実か。

二択だ。信じるのか、信じないのか。

しかし、それを判断するだけの多くの情報は、まるでノイズ画面の

一つ一つの砂粒みたいに、冷静に統一される気配も無く無配慮に散逸さんいつしては

視界を閉ざしてしまった。


話そのものはシンプルで簡単に聞こえるが、しかし、それを現実の事として

受け止めるとなると簡単にはいかない。当然だ。それを認めるという事は、

その諸々の話の現実的な対処法を必然的に求められるからだ。


おれは、視線を手元のコーヒーカップからY子に移した。

ああ・・・なんてシンプルな絵なんだろう。


口の周りを真っ赤にしながらナポリタンを夢中になって頬張るその姿は、

まるで世界を救いに来た人間(アンドロイド)には決して見えない・・・・・


『いちおう、聞いておこうかな。』

『それ・・・・・・自腹だよね?』


「・・・・・・・・」


Y子の忙しい手が、ピタッと止まる。

彼女の目の前には、空いた皿が5枚重なっていた。


「ふぉふぇふぁ、ふぉへぇ・・・もぐもぐ・・・」

『いや、飲み込んでから喋れよ。』


「わたしは、外食を奢ってくれる男性は素敵だと思いますよ。」

『そうだな。それで?』

「は?」

『お勘定、まさかおまえ・・・・』


Y子は背中をもたれて、ふぅ、とため息交じりに言った。


『やれやれ、冷静に考えてもみなさい、このわたしは未来から

 遥々やって来たんですよ?この時代の貨幣なんて、このわたしが

 持っていると思いますか?・・・クスッ』


間違いない。こいつは「クスッ」の使い方を間違えてやがる。


『そのナポリタン6皿、おれが奢るのか!?』


「わたしは生きるために食べた。だから代金を支払わなければならない。

 けれど、わたしは金を所有していない」


「・・・・・ただそれだけの事!!」


『犯罪だわ!!少年マンガの主人公みたいな言い方すな!』


「ふぅ、まったく、ナポリタンの一つや二つ、男なら無言で

 財布を放り投げて、"とっとと払ってきな仔猫ちゃん"と葉巻を

 ちょんぎりながら低い声で囁くものですよ。」


『あのな、今はバブルでもなけりゃ、おれはハードボイルドでも

 ないんだよ。あと致命的な部分を間違えてるみたいだけど、

 一つや二つ、じゃなくて、6皿なんだよっ!!』


人類を救いたい奴が、財布も無いのにファミレスに入るなんて事あるのか?

人類救う前にそのドジを治さにゃあ・・・・ってか、最初からおれに

奢らせるつもりだったなんて事ないよな?



・・・・ともおれまぁ、仮にも命を救ってくれた恩人だ。

目の前で食い逃げ犯にしてしまうのもばつが悪い。


ここは10歩下がる理由を考えよう・・・・いくつかの話は聞けたし。


もうそれでいいやと、ナポリタン代4620円(6皿分税込)と

コーヒー代308円(一杯分税込)、しめて4928円を支払い店を出た。

財布は瀕死状態でピクピクしていた。死ぬなコレ。



『それで、あとどれくらい歩くんだ?』

賑わいのある通りをとぼとぼと歩きながら、おれは尋ねた。

斜め前方をとことこ歩くY子は微妙に歩幅を縮め、おれとの距離を詰めながら

声を密めて言った。


「振り向かずに聞いてください。・・・つけられています。」


『なに・・・・・!?』

『つけられてるって、さっき発砲してきた奴等か!?』


つまりその機関の連中が、おれの命を奪いに来たのか!


「その通りです。数は8体程度。」


な、なんてこった!!


「でも安心して下さい。戦闘能力はわたしの方が遥かに上です。」


――あの破壊光線か!


『いや待て!やめろ!撃つな!!』


ここは人通りが非常に多い市街地だ。こんな所であの未来ビームを撃ってみろ、

関係の無い通行人から犠牲者が確実に出るぞ・・・・・!


しかし相手の連中が発砲して来ても同じ事だ。戦闘自体を避けなければ!


『ここは逃げるしか・・・・・』

「大丈夫。」


Y子は立ち止まってしまった!


「わたしは、機関と戦い貴方を護る為に存在します・・・・

 貴方が、道行く人々を傷付けたくないと願うのなら」

 

「わたしが、貴方をそのように護ります・・・!」



―――もわっ、と。


その瞬間、えも言われぬ違和感に身体中が包まれた気がした。

なんだ?と、まばたきをした瞬間、おれは唖然とした。

瞼のシャッターがたった一度閉じたその合間に、周囲の様子が突然

様変わりしていたのだ!


空も地面も建物も、見るに同じ場所なのだが、な、なんと、

全ての色が反転したかの様に色彩を変貌させており、慌ただしく

行き交う人々はすっかり消え去っていた!


『な、なんだ・・・・これ!?』


おれ達の背後には、人混みに紛れていた刺客しかくが確かにたたずんでいた。


数は本当に8体。教会で最初に現れたあの黒装束とまったく同じ見た目で、

足元から伸びる影がうごめいている・・・・!!


おれは若干腰を抜かし、中腰の姿勢でY子と奴等を交互に視界に入れるが、

残念ながらどうするべきなのかサッパリ浮かんで来ない・・・!


Y子はゆっくりと奴等の方向へ振り返る。

驚くほど冷静で、静かだった。

おいおい、相手は8体居るんだぞ・・・・!!

瞬間、銃声が鳴り響いた!!けたたましい発砲音はまるで、おれとY子を無条件に

撃ち抜き、逃れ得ない死を告げる死神の発狂にすら聞こえた。


―――数秒間、鳴り続けた銃声が止み、残響が通りすぎた。




・・・・・しかし、おれは生きていた!



目の前にはY子が立っている。

『だ、大丈夫かおいっ!!!』


Y子の握り絞められた拳から、小さく白い煙が立っている。

その右の拳を目の高さへ持ち上げ、小指から順に指を開くと、手の内からパラパラと

何かがこぼれ落ち、地面の上に無造作に小さく跳ね返った。


『・・・・銃・・弾??』

『おまえ、まさか・・・・・・』


すると、残る左手にも握られていた敵の弾丸を二発分、親指と人差し指で

器用に挟んで親指を弾き、二度弾丸を飛ばし奴等の内の二体、それも頭部の

ど真ん中に命中させた!


奴等は遠距離での攻撃を捨てたらしく、腰に装備してある刀身50cmほどの

両刃の剣を抜き身にして構えた。


しかしその頃既に、Y子はとてつもないスピードで先頭の敵に距離を詰めており、

奴が反応する頃にはY子の上段蹴りで頭部の3分の2が潰れていた!


――――残り五体!


内、一体がおれの方を目掛けて向かってきた!

そして他の二体が同時にY子に切り掛かるが、彼女は

その身を最低限ひねり、その刃を同時にかわし、一方の刀身が

下がりきる前に奴の握り手ごとつかかかとで鋭く蹴りあげ、千切れた手首ごと高速で

回転しながら舞い上がる刃の軌道に、もう一方の敵は首を切り落とされてしまった。


Y子は続け様に、手首ごと失った奴の片膝を即座に蹴り折り、

回転しながら宙を舞った剣をその場でキャッチし、片足に悶えるそいつの首を

スパッと切り離す。そして片手でその首をこちらへ目掛けて豪速で投げつけ、

おれに剣を振り上げた敵の後頭部に直撃させ、パァンッッ!

・・・・という、信じられない音を放ち敵は地面に沈んだ。


残った二体の内の一体がY子に突進し両腕で、Y子の腕ごと体を捉えた!

締め上げホールドすると、後ろから残りの一体が仲間ごと貫こうと、剣を構えて

突っ込んでくる!!


『Y子!!!』


しかし、Y子をがっちり固めた筈の腕はY子の異常な握力で二の腕から

引きちぎられ、敵が二体直線上に並び、刃によって接触しようとする

その瞬間、光の柱が奴等を貫いた。


光の発射口は上下に角度を付け、縦に光の軌跡を描いて爆音に包まれた。


二体の体は光に貫かれ、胴体がほとんど消滅していた・・・・



おれは、完全に腰を抜かして地面にへたり込んでいる。



明らかにそれは、人間の戦闘ではなかった。

Y子は、武装した八人の集団を一分も掛からず全滅させたのだ。


・・・強すぎる・・・・圧倒的だ。


両手をぱっぱとはたきながらY子はこちらに歩いてきた。

しゃがんでおれの顔を覗き込む。


「・・・・・・もしかして、漏れましたか?」

『いや、漏れてねぇよ!』


漏れるモノはとうに大バーゲンセールで出尽くしてしまっていた。

流石にいい歳して何度も漏らしてたまりますかい。


「怪我はありませんか?」

『順番おかしくない?それを先に尋ねるくない?』


『まあ、かすり傷一つ無いよ。あんた・・・いや、Y子のおかげだ』


するとY子は、極めて満足気に口角を上げて、にぃ~っとすると、

どうぞ、と手を差しのべてくれた。


その手を取って立ち上がる。しかし、その手は武装した戦闘員をねじ伏せた

あの悪魔的な手とは思えないほど女の子らしい手だった。


『そっちこそ・・・・怪我はないのか?』

「フフ。はい、ありません。もっと心配してください。」


『ここは、一体何なんだ?辺りの様子がおかしいぞ・・・・』

「ここは、わたしが空間兵器を使って作り出した擬似空間です。」

『空間、兵器・・・?』


「空間兵器は、機関との戦争で主に使われる兵器技術です。

 今の場合、市街地での戦闘のリスクを最小限に抑えるため、

 この様に擬似空間を作り出し、貴方と機関の刺客を引きずり込んで

 戦ったという訳です。この空間は、じきに消滅します。」


『じゃあ、さっきおれ等がいた場所は、今の戦闘の影響を受けていないのか?』


「そういう事です。」


『ここが消滅したら、おれ等はどうなるんだ・・・?』


「死にます。」


『死ぬのっ!?』

「ウソです。」

『ウソかよっっ!!!』

何なんだこいつは・・・


しかし、言いながらも瞬きをした瞬間、周囲の様子はすっかり

元に戻っていた・・・・・・・


「もちろん、わたし達だけここへ戻って来る様に設定して

 おきました。敵の残骸は、あの空間と共に消滅です。」


『凄い技術だな・・・・

 なあ、こんな事が出来るんなら、さっきの空間の中を通って

 目的地へ向かった方が安全なんじゃないか?』


「いいえ、この手の空間兵器の応用は、多くのエネルギーを消耗する為、

 長時間維持する事が出来ません。それに、この空間兵器という技術は元々機関の

 技術を盗み、独自に改良発展させたものです。つまり、機関はこの手の擬似空間を

 相殺するすべを持っているのです。

 勿論こちらも簡単に空間を犯されないように努めはするものの・・・・結局は

 時間の勝負です。」


『そ、そうなのか・・・・・』

空間兵器・・・などというブッ飛んだ存在が、またおれの

常識百科事典の1ページを知らん顔をして引きちぎってしまった。

多分そのページには物理法則か何かが書いてあったんだろうな。



「疑いは晴れましたか?」


『え?』


「わたしの言葉を疑っていたのでしょう。」


『・・・・・少なくとも今のおれには、そらちの手引きを断りきれない事は

 嫌でもわかった。』


警察に駆け込んで助けを求めれば何とかなる、という段階はとっくに越えていた

らしい。敵が今の様な魔法を使えるのなら、警察に保護されようが警護けいごされようが

多分無駄だろう。


さっきの奴等はおそらく本当に人間ではない。何故ならY子に切断されたその

首からは出血が無かったからだ。代わりに謎の透明な液体が流れ出ていた。


この得体の知れない奴等を警察に接触させたら、むしろ警察が奴等の犠牲になる

ような気がする・・・・・


「今はそれでいいのです。」

「さぁ、行きましょう。」


『・・・・・・・・・』


促されるまま、おれは歩き出した。


自分が何処どこへ向かっているのかもよく分からず、

自分の命を狙う奴等の事も、守ろうとする組織の事も何も知らず、

くどいようだが、話が本当なら帰る場所も無ければ職もない。


自分が何者か、なんて疑問は持った所で持て余す事は分かっていたが、

今ほどそれが問われた事は無かった筈だ。何も持ち合わせていない状況において、

よるべとなる指標は自分の中にあるのだ。



己の中の整理整頓すらままならぬまま、おれは人混みの中へ溶けていった。

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