Ⅶ. パールスクリーンに映る楼閣

 秘密を失った日の翌日、寧からのお誘いを受けいつものようにホテルへ向かう。

 タクシーを降りたとき、ちょうどスマホに通知が入った。見ると一言、『今日は会えない』というメッセージが届いていた。

 一体どうしたんだろう。こんなこと今まで無かったのに。

 寧の部屋の方を見上げる。無性に胸騒ぎがした。


 今乗ってきたタクシーはまだ前方に停まっている。仕方がないのでこのまま家まで帰ろうと車に近づくと、すんでのところでホテルから出てきた女性に乗り込まれてしまった。私は立ち尽くし、小さくなるタクシーの後ろ姿を茫然と眺めた。

 寧に会えないというだけで私の現実は途端につまらないものになる。つくづく寧の存在の大きさを感じさせられる。彼女に対する私のこの想い、今まであまり考えないようにしていたけど、そろそろ整理しておかないといけないのかもしれない。

 最寄り駅までの緩い下り坂を一人歩く。最初は間違いなく憧憬だった。それは一度は確かに崩れ去ったけれど、今はその瓦礫の上に新たな感情が築かれている。初めて他人に抱く感情だけど、その正体になんとなく気づいている。

 そして見返りの無い一方的な想いがひどく哀れなものだということも。寧は私のことをどんな風に想ってるんだろう……。


 気が沈んだまま誰もいない家に帰る。斜陽の差す二階の自室は変に明るかった。制服を着替えパソコンに向かう。絵を描くのは久々だ。題材はすぐ決まった。前に描いて反響が良かったキャラ。季節的にまだ少し早いけど水着のイラストにした。

 描き上がったときにはすっかり日が沈んで部屋は真っ黒になっていた。早速投稿サイトにアップする。タトゥーを入れた差分も作ってみたけれど、完成版には入れなかった。これは明日、寧に見せてあげよう。


 翌日の昼休み、寧は生徒会室に来ていなかった。

 休み時間が半分過ぎたところで、校内では使用禁止のスマホを取り出す。寧に『どうしたの』と連絡したが既読には一向にならない。昨日会うのを断られたばかりなので、不安を募らせずにはいられない。……まさかピアスのことで?

「あれは嘘だったの……?」

 無意識のうちに指が動いてイラストの投稿サイトを開いていた。昨夜上げたイラストはそれなりに反応が付いていたが、期待していたほどではなかった。よくコメントをくれていた人もまだ見ていないようだ。いつの間にかフォロワーも減っている。「おすすめ」に表示された中に自分より下手なくせに自分のより伸びている絵を見つけて無性にイライラした。

 昼休み終了十分前のカリヨンが鳴った。そういえば次の英語って中テストだっけ。はあ、めんどくさいな。

 自分がこうしている間にいろんなものが私をすり抜けていくような喪失感と焦燥感に襲われて、しばらく立ち上がることができなかった。


 下校時間になっても寧からの返信は来なかった。帰ったら今日も絵を描こう、そんなことを考えてながら駅のホームで電車を待つ。伸びそうな絵の題材を探してSNSを眺めていると、知らない番号から着信が入った。出るか迷ったけれど、なんとなくそうした方がいい気がして電話に出た。

「もしもし……渚沙?」

 寧の声だ。電話越しに聞くのは初めてだけど間違いない、寧の声だ。

「あれ、もしもし」

「あっごめん。私、渚沙です」

「よかった~。いま衣笠さんの携帯から掛けてるんだけど、ちょっといろいろあって。渚沙、今どこ?」

「え、これから電車に乗るところだけど、何かあったの?」

「それは後で話すね。それで、渚沙にお願いしたいことがあって」

 駅に電車が入ってくる。ホームに轟くジョイント音の中で、確かに聞こえた。

「今日、泊めてくれないかな」

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