Ⅲ. 兆し

 あの非現実的で濃厚な記憶が脳内をもう何周しただろう。頭から先輩のことを消し去るために会いに行ったというのに、結果的に前より頭から離れなくなってしまうことになるなんて。でも後悔はしていない。だって学校中の憧れの存在とお近づきになれたのだから。

 なんだか少し背が高くなったような気分だ。目に見える世界がどこか明るくなったようで、前みたいな息苦しさもあまり感じなくなった気がする。

 全ては偶然。偶然訪れた出会いが、つまらない日常に変化を生む。物語の主人公にでもなったみたいで、ちょっとワクワクしたりもする。


 そして今、私は生徒会室の前に立っている。以前の私では近づくこともできなかった場所。これも全部、先輩との偶然の巡り合わせのおかげかもしれない。


 最初にホテルで会ってからすぐ、私はまた彼女に呼び出された。その日も秘密の交換をした。彼女の秘密は「今は訳あってこのホテルで暮らしている」というものだった。事情が気になったけれど、それはまた今度教えてくれるらしい。

一方の私は、秘密を明かせなかった。必死に考えても、彼女に話せる秘密は何一つ浮かばなかった。

 すると彼女は代わりにこう提案した。

 フルールの面接を受けて、と。


「失礼します」

 大きく深呼吸をして、ドアをノックする。まさか本当に受けることになるなんて、言霊の力というのは侮れない。

 室内には柳垣先輩の他にもう一人いた。

「あなたとははじめましてかしら。前プルミエの鶴牧です」

 背の高い彼女が優しそうに微笑む。品のある人だと思った。先輩には及ばないけれど。

「私はもう卒業して大学生なのだけれど、フルール選びに参加するのは清蘭の伝統みたいなものだから。今日はよろしくね」

「はじめまして、諏訪凪沙です。よろしくお願いいたします」

「では始めましょうか、諏訪さん」

 予想通りの厳格な雰囲気に当然緊張しているが、話せないほどではない。なぜなら結果は予め決まっているから。そう、これは形だけのいわゆる不正面接だ。

 こんな伝統のある組織のリーダーが不正だなんて心配になってしまうけど、それだけ私のことを想ってくれている、というのがわかって嬉しかった。


「では最後に、諏訪さんはどんなフルールになりたいですか」

「柳垣先輩のそばに立っても恥ずかしくないような、自信を持ったフルールになりたいです」



 鞄を取りに教室に戻ると橘さんが残っていた。

「あ、お疲れ様」

「もしかして私のこと待っててくれたの?」

 彼女は屈託なく頷く。

「だって応援するって言ったでしょ。それでどうだった、面接」

「あーうん……うまくできたと思う」

「良かったあ。その様子なら絶対大丈夫だよ!」

「そうだよね。私もそんな気がする」

 いつもなら胸焼けするような彼女の甘言も、なぜか今日は素直に受け入れられた。


 そのまま橘さんと一緒に帰った。彼女は私がいかにフルールに相応しいかを語ってくれたが、やはり退屈だった。家に着くとガレージに車があった。

「もう帰ってるのかな」

 弁護士の両親はいつも帰りが遅く、この時間に家にいるのは珍しい。

「ただいま」

 普段通り鍵を開けて中に入る。リビングに母の姿があった。

「あ、お母さん、私今日フルールの」

 母は電話中だった。こちらを一瞥すると、私に背を向けた。

 黙って二階へ上がる。別にいつものことだ。母も父も仕事仕事仕事で私のことは二の次、最近は忙しいのか会話もろくにしていない。昔はもっと構ってくれたのに。

 鞄を放ってベッドに倒れ込む。制服のポケットからスマホを取り出し、昨日投稿したイラストを確認する。

「やっぱり伸びてない」

 久々に描いた二次創作じゃないオリジナルの女の子。なんとなくピアスを付け足して。

 ああ、早く寧に会いたいな。



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