第四十一話 橋の門
ふと目が覚めた。フロアには噴水の水の落ちる音だけが響いており、他の音が聞こえない。昼間は賑やかなのに今は静寂が流れている。時が止まったのかと錯覚してしまう。
ポケットの懐中時計を確認する。
……まだ夜中の3時過ぎ。中途半端な時間に目が覚めてしまった。
僕は寝袋から体を出し、伸びをしたあと、マグカップに噴水の水を入れ、一口飲んだ。
喉を通った水の冷たい感覚が体の中から伝わってくる。
(ちょっと風にあたりたいな)
覚めてしまった頭を癒したくて、僕はフロアにある小さな円形の窓を探した。
(あった)
一階から上がって来た階段の右側に円形の小窓を見つけた。
僕は、小窓から外を見た。
深夜の空は、群青を地に金や銀の星たちが点々となってまばゆく輝いている。その中に半分顔を出した月がいる。今日の夜空は明るい。
僕は、窓から入ってくる新鮮な空気をすーっと吸い込む。夜で冷えた空気がとてもおいしい。
(父さんはどうしているだろう。ミエさんやミナさんは……)
僕は色々な人を思い出した。
みんな元気にしているだろうか。どこかで怪我をしたり、病気になったりしていないだろうか……。
心配はあまりよくないか、と気を取り直し、そのまま外を眺める。
15分ほどすると、頭がスッキリした。
僕は噴水の近くへ戻り、寝袋に入ったあと、眠気を誘うためガイドブックに目を通す。
――橋の門。大きな石橋がある。少し危険だ。――
ガイドブックにはそう書かれていた。
橋の門だから橋があるのは当然だろう。
大きな石橋……。どこかへ渡るための石橋なのだろうか。人が渡る橋なのだから頑丈だろうが……。
あれやこれやと考えていると、眠気で目が勝手に閉じていく。僕はそのまま就寝した。
「石橋?」
「うん。ガイドブックによるとそうだって」
僕は、昨夜ガイドブックで見た内容をミキに伝える。
「……ふーん。出口のことは?」
ミキは朝食のベーコンレタスサンドイッチを頬張りながら聞いてくる。
「特に書かれてなかったよ」
「そっか。石橋だけなのかな? だったらすぐにクリアできそう」
「そうだね。……でも、油断は禁物だよ、ミキ」
「わかってるって!」
そう言って、ミキはベーコンサンドイッチを豪快に平らげた。
ここは門の塔二階、七つ目の門、”橋の門”の前。
人はおらず、この門に入るのは僕たちだけのようだ。
橋の門の門は、巷でもよく見る扉だ。
深いブラウンの框戸に、黒い金属製のドアハンドルが両扉の中央あたりに取り付けられている。その他に特徴的な箇所がない。
まずは、橋の門の左横に立っている門番の話を聞く。
門番は、ボロボロのローブに深くフードを被っており、手に持った長い柄のついたランタンは薄い青色に光っている。
「いっ……石橋は……強く……が、が、頑丈……だ……」
若い男性の声だが、おどおどとしたような話し方で門番はそう言った。
劣化しているとかではない限り、石橋は頑丈だろうと僕は思った。
次に、門の右側にある石板に書かれている文字を読んだ。
たたけ たたけ
たたくな たたくな
石橋は落ちず
目が落ちる
”目が落ちる”とはどういう意味だろうか。
目線が落ちるから足元ばかりに気を取られるな、ということだろうか。
「コウはどう思う?」
ミキは首をかしげながらそう聞いてきた。
「石橋は頑丈で安全な作りになってるから安心して渡れってことじゃないかな」
「そうだよね! それじゃ、入ろっか!」
僕はうんとミキに返事したあと、橋の門の扉を開けた。
そして僕たちは中へ入った。
あの長く暗い通路を通り、一瞬明るくなったかと思うと目の前は白くモヤがかかったようになっていた。濃い霧の中に出てきてしまったらしい。
霧の中を良く見えると、地面が突然白い石造りの道に変わっている。これがどうやら橋の始まりらしい。
そこからよく先を見てみると、石橋のがどういって物なのか確認できるようになってきた。
石橋は、僕の身長ほどありそうな大きな長方形に削った白い石を丁寧に積み上げられたような形でできている。重機が3台ほど横並びで通ることができるくらい横幅があり、見るからに大きい。
「大きな石橋だね」
「うん。……でもこの霧……」
昼間で明るいのだが、濃い霧が発生しているため橋の向こう側は見えない。このまま進んでもいいものかと不安になる。
「とりあえずどうする?」
「行くしかなくない?」
「そうだね……」
僕たちは、石橋を渡り始めた。
僕はまず、石橋の右端へいき、欄干を確認する。
欄干は、石橋の素材と同じような白い石を削ってできており、僕の腰上あたりの高さまである。うねっとした形をしており洋風でオシャレだ。
そして、欄干から橋の下を覗き込む。もちろん落っこちない程度に覗く。
欄干の下は濃い霧のせいで見えないが、とても深い谷底のようだ。落ちたら一溜まりもないだろう。
僕は、魔法サコッシュから”折り畳みピッケル”を取り出した。
”折り畳みピッケル”は、門の塔へ入る前にダミアン道具店で購入した物だ。普通のピッケルと違う点は、魔法の力で折りたたんだり開いたりできることだ。使わないときは小さく折りたたんで収納できるため、とても便利である。
次に、折り畳みピッケルを強く握った。すると、折り畳みピッケルはカシャンという音をたて、開いた。
開いたピッケルを片手に、欄干をコツコツと叩く。欄干はとても頑丈らしく、傷一つつかない。
「コウ、何してるの?」
「ちょっと確認を……」
僕は、地面に這いつくばり、石橋を叩き始めた。
「……もしかして、叩きながらわたるつもり?」
「え? うん。そうだけど……」
「そんなのいちいちやってたら日が暮れちゃうよ?」
「でも、本当に石橋が頑丈なのか心配で……」
「コウったら……」
ミキは指先を眉間に当て、しかめっ面をする。
僕はそのまままた石橋を叩き、一ミリずつ進んでいく。
「コウ、詩も門番も、石橋は頑丈だって言ってたじゃない」
「そうだけど……。でも、罠かもしれないよ」
「コウは慎重すぎるよ」
「でも、何かあってからでは遅いよ」
「そうだけどさ……」
僕は、ピッケルでコツコツを音を立てる。
目の前が大丈夫でも、左右は? 真後ろは? 不安になればなるほど、何度も何度も自分の周囲の石橋を叩き、何度も何度も確認する。
これでは埒が明かないが、このときの僕は不安に駆られていた。
「コウ、本当にどうしたの? さっきからずっと変だよ?」
「不安なんだよ。本当に石橋が頑丈なのか、信じられないんだ」
僕はそう言いながら、ずっとピッケルで石橋を叩いている。
「わかった。私、先行くね」
ミキはそう言うと、霧の中へ消えてしまった。
僕はミキの心配を他所に、また石橋を叩き、一ミリ進むという行動を繰り返し始めた。
コツコツ、コツコツ……。
石橋を叩く音が響く。
「わかってるけど……わかってるけど……。不安なんだ……」
僕はそう呟きながら石橋を叩き続ける。
手や腕が疲れてきている。それでも石橋を叩き続ける。
コツコツ、コツコツ……。
そろそろ腰も疲れてきた。一度体を起こそう。
僕は、立膝の状態になり、腰を思いっきり逸らした。
丸くなっていた腰が伸び、痛みが和らぐ。
「ふぅー……」
僕はため息をつき、後ろを振り返った。
「あ、あれ?」
石橋を叩いてかなりの距離を進んで来たつもりだったが、10センチほどしか進んでいなかったのだ。
(おかしいな? かなり進んだつもりだったのにどうして?)
普通に考えればわかることだが、このときの僕は全くわからなかった。
(ミキは先に行っちゃったしな。怒ってるだろうな)
ミキのことを一瞬考えたが、それでも僕はまた石橋を叩き始めた。
コツコツ、コツコツ……と、霧の中に空しく響く音。この音を鳴らし、一ミリ進み、また鳴らし、一ミリ進む。
今の僕は牛や蟻よりも遅い。遅いとわかっていても安心して渡りたい。
「コウ!」
ミキの声が聞こえてきた。先に行ったはずなのにどうして?
「コウってば、聞こえてる?」
無我夢中で石橋を叩き続ける僕にミキが声をかけていた。
どうやら戻って来たらしい。
「あれ? ミキ。どうしたの?」
「どうしたの? じゃないよ! 出口見つけたの!」
「え? 出口?」
「うん。――ってか、この石橋、10メートルもないくらい短いよ?」
「嘘でしょ?」
「ほんとだよ。私、渡って来たもん」
ミキは、髪をかきあげながらそう言う。
「だからほら、もう石橋叩いてないで、コウも早く渡ろう?」
「でも……」
「でもじゃない! そのピッケル渡して!」
「どうしても?」
「どうしても!」
ミキはそう言いながら、僕の手からピッケルを取り上げた。
「ミキ! 酷いよ!」
「酷くない! 酷いのはコウだよ! ずっと石橋叩いてるのおかしいよ!」
真剣な表情をしてミキは言う。
「ほら立って!」
ミキはそう言って、腰のホルダーから杖を取り出し、ヒョイと僕に向かって振った。
「わっ!」
僕の体が勝手に立ち上がったので驚いて声をあげてしまった。ミキが僕の体に魔法を使ったらしい。
「さっ! いくよ!」
ミキに手を引かれ、橋の向こうへ走り始めた。
「待って! ミキ! 危ないよ!」
「危なくない! 行くよ!」
僕の体は自分の意に反して動く。
ミキに手を引かれ石橋を走っていると、ものの20秒ほどで橋を渡り切ってしまった。
「えっ? 嘘……」
「だから言ったじゃん。この橋すごく短いよって」
濃い霧のせいで見えなかったが、橋は本当に短かかった。
なぜこんなにも短い橋に慎重になっていたのか、自分でも不思議で仕方がない。
「さっ! 出口に入ろっ!」
ミキが指さしたほうへ目をやると、そこには深い色をしたブラウンの框戸があった。
「これ本当に出口だよね?」
「たぶん出口だと思うよ?」
「本当に? 実は罠だったりしない? すぐに出口が見つかるなんて……」
「ねぇ、今日のコウ、やけに慎重というか、疑い深くない?」
「そうかなぁ……」
「そうだって! ――私が開けるから、コウはそこで見てて!」
ミキはそう言って、目の前の扉のドアハンドルを握り、ゆっくりと開いた。
ミキが開けた扉の中には暗い長い通路がずっと続いている。やはり出口のようだ。
「コウ、どう? 出口?」
「うん……。たぶん……」
「それじゃ入ろっ! 早くクリアしよ!」
「う、うん……」
僕は、ミキに言われるがまま出口へ入った。
僕たちが出口へ入ったあと、ミキが扉をしっかり閉めこう言った。
「コウ、本当に大丈夫?」
「ん? 何が?」
「何がじゃないよ! さっきからずっと変だったじゃん」
僕は、ミキにそう言われ、さっきまでの出来事を思い返す。
「……あれ? 僕ずっと石橋を叩いてたような……」
「ずーーーっと、叩いてたよ?」
「本当に?」
「うん! だから無理矢理立たせて橋を渡ったの」
「そうだったね……。僕なんでずっと橋を……」
「橋の門の魔法……とか?」
「そうかもしれない……。うわっ。僕まんまと……」
「仕方ないよ。門の塔だもん。コウの目が覚めてよかった」
「ごめん。それと、ありがとう」
「ううん。お互い様!」
松明の灯る薄暗い通路を、コツコツと足音を響かせ歩く。
僕たちは、これからもこうしてお互いを助け合って、この門の塔をクリアしていく。
次はどんな門が待っているのか。
僕たちの明日を知る者は誰もいない。
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