第四十話 ガラスの門・後編
ガラスの生垣の迷路を抜けた先に居た、二人の男女の喧嘩はヒートアップしている。
二人の仲裁に入ろうか悩んだその時だった。
「あなたなんかと……、あなたなんかと一緒になるんじゃなかった!」
「俺もだ! この野郎!」
男女がそう言ったとたん、さっきまで響き渡っていた怒声が、シーンと静かになった。
そして、男女はピタリと動かなくなってしまったのだ。まるで二人の時間が止まってしまったかのように。
(一体なにが……)
僕は何がなんだかわからず、様子を確かめるためピタリと止まってしまった二人へ近づいた。
(嘘だろ……?)
二人を見た途端、僕の心臓は異様に早く、嫌な動きをし始める。
なんと二人は、ガラスの像になっていたのだ。
(何がどうして? 魔物か? でも魔物の姿なんて……)
ありとあらゆる知識や思考を巡らせていると、ある結論にたどり着いた。
”魔法”だ。
門の中には、人を”門の肥やし”として吸収するため、魔法がかかっていることがある。
ガラスの門は、人をガラス化する魔法がかかっているのかもしれない。
(……ミキ!)
まっ先にミキのことが頭に浮かぶ。
ミキは今どこに? 早くこのことを知らせないと。もしミキもすでにガラス化していたら……。
嫌な事ばかりが頭を過る。
ここで考えていても埒が明かない。
僕は先へ進むことにした。
ガラスでできた草木が植えられた庭を進む。
今度は何が待ち構えているのか。また迷路だと面倒だなとか考えていたが、その期待はたやすく裏切られた。目の前には、ガラスでできた大きな城が聳え立っていた。ガイドブックに載っていた絵と同じ城だ。
「うわぁ……」
あまりの大きさ、あまりの美しさに、僕の口からは感嘆の声が漏れていた。
ガラスでできた大きな城は、全てがガラスで出来ているため、僕の位置からは白いような淡い水色のような色に見える。時折光が反射し、七色の輝きを放ち、または白い輝きを放ち、城が発光しているようにも見える。装飾が精巧な作りで、その細かさに感動すらしてしまうほどだ。これが、模型ならまだ納得できる。僕の体の何百倍もの大きさで、城として聳え立っているのだ。門の中とはいえ、こんな物が本当に存在しているのか、夢なのではないかと錯覚するほどだ。
僕は、襲る襲るガラスの城の大きなドアへ近づいた。城への入り口と思われる、観音開きのドアだ。
ガラス製のドアハンドルを握ろうとしたとき、僕は躊躇した。ドアを開いてもいいものかと迷った。僕が触ったことで、全てが割れて、砕け散ってしまうのではないかと思ったからだ。
右手の人差し指を伸ばし、ゆっくりとドアハンドルに触れる。ツンツンと何度か触り、割れないことを確認したあと、ドアハンドルを握りって、ドアを押した。
ゴゴゴ……という音を立て、ガラスの扉は開いた。
僕はそっと中を覗いた。
「お……おじゃまします……」
この城に主がいるのかはわからないが、一応挨拶をしてから中へ入る。
城の中は、外側同様すべてガラスで、柱や壁に薔薇や百合など様々な花の彫刻が施されており、とても豪華絢爛で美しい。全てを見るのに一日を費やしてしまいそうなほどだ。
(誰もいないみたいだな……)
中は、僕以外には誰もおらず、シーンと静まり返っていた。
空気はとても澄んでおり、嫌な感じはしないが、埃一つないのが少し不気味さを感じさせる。
(ミキはどこにいるんだろう。どこかで追い抜いちゃったかな)
途中の迷路で追い抜いてしまったのか、それともこことは別の場所へ行ってしまったのか。
ミキが来たらしい痕跡もないので、居場所を知ることもできない。
僕は、城のエントランス奥に見える、大きな扉が目についた。
(どこへ繋がってるんだろう……)
奥の扉へ近づき、ドアハンドルを握ってゆっくり押し開けた。
そこには、庭園が広がっており、城の壁が庭園を囲うようにして立っていた。
ここはどうやら中庭らしい。
中庭も、城の外と同じようにガラスでできた草木が沢山植えられている。もちろん手入れはとても行き届いており綺麗だ。
そして、中庭の中心部には噴水のような物が見える。
僕は、ゆっくりとその噴水に近づいていくと、一人の人影があった。
あのトンガリ帽子に……あのローブは……。
「あっ」
トンガリ帽子にローブを羽織った人影は、ミキだった。
「ミキ……あのっ――」
「コウ! ほんとにごめん!」
ミキは深々と頭を下げ、僕に謝ってきた。
「ミキ、そんな急に!」
「本当にごめんなさい」
「それなら……僕こそ、ごめん」
僕はミキと同じくらい深く頭を下げて謝罪した。
「えっ」
「ミキの気持ち、考えずに行動してたから……」
僕たちは、お互いに顔を見つめ合う。
「……ふふっ」
「……ぶふふっ」
「うははははははは!」
「ハハハハハ!」
僕たちは、一斉に吹き出して大笑いをした。
口喧嘩のことを吹き飛ばすかのように。
「……ミキ、どうしてそんなに笑うのさ」
「だって、だってコウのそんな真剣な顔あんまり見たことなかったから」
「それで笑うのは酷いよ!」
「ごめんって!」
静かな中庭に僕たちの笑い声が響き渡る。
場所が場所だけに、静かにした方がいいと思えば思うほど笑いは止まらなくなる。
でも、ミキとこうやって笑いあえることに僕は少しだけホッとした。
ひとしきり笑い終え、改めてお互いの思っていることを伝え、謝罪しあった。
僕は、ミキがどうして朝食を作りたかったのかついさっきやっと気がついたこと。
ミキは、自分のやりたかったことができずイライラしてしまったこと。
僕たち人は、ある程度人の気持ちを感じ取ることはできても、全ての気持ちを把握することはできない。そして、自分の気持ちをわかってもらえていると勘違いして相手に押し付けてしまうことがある。所謂”すれ違い”という状況なのだが、やはり言葉でしっかり伝えないと、相手には伝わらない。僕たちは今回のことで痛感した。
そして、言いたい事があれば言葉で伝えるという約束を僕たちはかわした。
「そうだ、ミキ。さっきね、生垣の迷路を抜けたあたりでたまたま見ちゃったんだけど……」
僕はミキに、人がガラス化した話をした。
「えっ、じゃあこの門は……」
「たぶんだけど、ガラス化の魔法がかかってるんじゃないかな」
「そっか……。だとしたら早く抜けないと!」
「うん。でも、出口はどこだろう?」
僕たちの目の前にあるガラスの噴水は、透明な水を七色に輝かせながら上の皿から下の皿へ流れ落ちていく。
「一度城の中に戻ってみようか」
「うん!」
僕たちは中庭から城の中へ戻った。
「さて、ここからどうしようか」
「まずお城の中を探すとか?」
「そうだね。そうしよう」
僕たちはガラスの城の中を捜索していく。まずは一階からだ。
エントランスに奥へ向かう通路が左右にある。僕たちは右の通路から探していくことにした。
通路もエントランス同様、柱や壁にガラスの薔薇の彫刻が施されている。
時折、光の加減で白く光ったり、七色に光ったりするのがとても綺麗だ。
「ミキはこの城までどうやってきたの?」
「箒で飛んできたよ」
「じゃあ、迷路は通らなかったの?」
「うん。コウより先に抜けてやろうって思ってたから飛んできちゃった」
「……羨ましい」
僕があの生垣の迷路園を真剣に抜けてきたのは無駄な労力だったようだ。
ガラスの城の通路を歩いていると、一番奥に突き当たった。そして、左にまた通路が伸びている。
「ねぇ。ちょっと先に扉が見えない?」
ミキがそう言うのでよく見ると、左へ曲がった通路の右側の壁に観音開きの扉が見えた。
「ほんとだ。……入ってみる?」
「当然!」
僕たちは、その扉をゆっくりと開いた。
「失礼します……」
僕は、恐る恐る中を覗きながらそう言った。
「……誰もいない?」
「うん」
部屋はとても広く、真ん中あたりに5m近くはある長いガラスのテーブルと、テーブルに添わせる形でいくつかの椅子が並べられてあった。
「食堂……なのかな?」とミキ。
「そうみたいだね」
テーブルの上には、装飾がほどこされた蝋燭台や、沢山の花が生けられた大きな花瓶、これまた豪華な装飾が施された食器やカラトリーなどが並んでいる。どれもガラス製で美しい。
「やっぱり誰もいないね」
「誰もいないなら食堂とかいらないよね」
「確かに……」
このガラスの城には誰も住んでいない。そもそもこの世界に人や生き物が住んでいるのかもわからないが、誰もいないのなら食堂を用意しなくてもいいのだ。
「あっ、奥に小さな部屋があるね」
僕は食堂の奥にある扉に気が付いた。人が一人通れるほどの大きさだ。
「ここは……」
「厨房かな?」
奥の部屋はどうやら厨房のようだった。
僕たちの背丈より少し高い位置にたくさんの棚、腰ほどの高さの台、壁という壁にそれらがひしめき合って並んでいる。近くの台には大小様々な包丁が5本ほど並んでいる。また近くの台にはコンロが設置されており、壁にはお玉やフライ返しなどが吊るされていた。ちなみに、この部屋の物も全てガラスだ。
僕はサコッシュからロル草を取り出した。
台の上に並べられている包丁の一番小さい物を持ち、台の上に置いたロル草を軽い力で縦に線を入れるように手前に引いた。すると、ロル草は見事に半分になった。
「すごいや。ガラスなのに本物の包丁みたいに切れるよ」
「ほんとだ!」とミキ。
「もしかしたら、金属製の包丁より切れ味いいよこれ」
「でも、使う人がいないのにどうしてなんだろうね」
ミキの言う通りだ。
ここに誰も住んでいないのなら、切れる包丁を置いていても意味が無いし、厨房すら無くていい。僕たちの頭の中には疑問符ばかりが埋め尽くされる。
僕たちは、食堂を出て、通路へ戻った。
まだ一階部分を見ていないので、扉を出て右側へ進む。
通路の奥に突き当たり、そのまま左へ曲がる。そして、エントランスへ戻ってきてしまった。
一階には食堂以外の部屋はないようだった。
「どうする?」
「二階に行くしかないね」
僕たちはエントランスの両端に大きく聳え立つガラスの大階段を上り、二階へ上がった。
階段を上った先には、また通路がある。通路をよく見ると、いくつか部屋があるようだった。
「一つずついくと時間がかかりそうだね……」
「手分けして探す?」
「そうだね。じゃあ、僕は左側の通路からいくよ」
「わかった! 私は右側を見て行くね!」
僕たちは、二手に別れ、出口を探していく。
左側の通路へ入った僕は、まず最初の部屋へ入った。
部屋の中は全てがガラスで出来ていること以外はいたって普通だ。左側奥には大きな窓、右側奥の壁には暖炉や家具。その手前には、ローテーブルとソファー、二つの椅子が並べられている。お客さんを迎えるための応接間のようだった。
僕は部屋へ入り、大きな窓から外を眺める。この城の外には何があるのか確認しておきたかったからだ。だが、城の外はガラスの木の森がずっと向こうまで続いているだけだった。
僕は部屋を出て、斜向かいの部屋へ入った。
この部屋も同じように全てガラスなのだが、たくさんの本棚がずらりと並んでいる。図書室なのだろうか。
近くの本棚をよく見ると、ガラスで出来た本が並んでいる。どれも分厚さや大きさが様々だが、本のタイトルが書かれていない。一冊抜き取って確認してみようとしたが、本棚から抜けなかった。
ここはそれっぽく見せているだけの部屋なのだろうか。
僕はその場を後にした。
次のまた斜向かいの部屋へ入ろうとしたときだった。
「コウ! こっち来て!」
ミキが通路の入り口からひょこっと顔を出し声をかけてきた。
僕は急いでミキに近寄り、
「どうしたの?」
「出口見つけたかも!」
「ほんとに?」
「うん! あっち! ついてきて!」
僕はミキについて行った。
ミキは、通路の途中のある一つの扉の前で止まった。
「ここ?」
「うん。この部屋の中」
僕は扉を開け、そっと中を覗く。
部屋の中には、ガラスの門が聳え立っていた。
出口の門だ。
「出口だ!」
「コウ! 行こう!」
「うん!」
僕たちは部屋へ入り、ガラスの門の扉を開いた。
中にはあの通路がずっと向こうまで続いている。本物の出口だということがわかり、少しホッとした。
ガラスの門の中へ入り、出口の扉を閉めた。
「これでクリアだね」
「うん。さっさと抜けよう」
僕たちはコツコツと足音を鳴らし、通路を進む。
松明の炎が先を照らすが、ずっと向こう側は暗くて見えない。
「結局、人がガラスになったのって、なんでだったんだろうね」
ミキは首をかしげながら口を開く。
「僕も思った」
僕の目の前でガラス化した男女は、あのとき口論をしていた。
だが、口論だけが原因とは思えない。
僕はあのときのことをよく思い出す。
ガラス化した男女は、口論の内容から迷路園で長時間迷っていたようだった。もしもガラス化の魔法が時間経過によるものだったら……? だが、どれくらいの時間なのだろうか? あの男女がガラスの門の中にいた時間がはっきりとわからないため、時間経過でガラス化する説の立証は難しい。
僕は、もう少し詳しく二人の事を思い出す。口論していた女性が「あなたなんかと一緒になるんじゃなかった」と男性に怒鳴り、そのあと男性が「俺もだ」と怒鳴った。その直後に二人とも動かなくなり、全身がガラスになっていた。
(もしかして、心が傷つくと……?)
確証はない。だが、僕はガラスの門の詩の内容をここで思い出した。
人はみな 瑠璃の心をもち
傷つきやすく 脆い
ハリほどの傷も 元には戻らない
人も心も ガラスのよう
もしも、詩の内容はガラス化ことを詠っているのであれば、ガラスの門へ入る人に注意喚起する意味で詠われたのだろうか。
そして、もしも僕たちも通路ではなくガラスの門の中で口論になっていたら……。
僕の背筋からとても嫌な電撃が走り、血の気が引く感覚がした。
「コウ、どうしたの?」
「なんでもないよ……。ちょっと急ごうか」
「う、うん」
僕は、通路を抜けて門の塔へ戻って来たあと、ガラス化のことをミキに話した。
ミキもまた顔が真っ青になり、今日はもう早く寝ようと言い出したのだった。
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