第三十九話 ガラスの門・前編
目を開けると、石造りの天井が見える。
ああ朝だ……と思い、寝袋から体を出してうーんと伸びをした。
ミキはまだ横で眠っている。
昨夜、「明日の朝食は私が作るから!」とミキが言ってきた。僕は、「先に起きたほうが作ればいいよ」と言ったが、ミキは全く譲らず、今朝はミキが朝食を作ることになっていた。だが、ミキはぐっすり眠っている。起こすのも悪いし、ミキにはもう少し眠ってほしいので、物音を立てないよう注意して僕は身支度をした。
「もう! 私が朝食作るって言ったのに!」
ミキは、僕が作った朝食をモグモグしながら文句を言ってくる。
僕が朝食を作ったことを怒っているらしい。
「ぐっすり眠ってたし、僕のほうが先に起きたから……」
「私が起きないのが悪いって言うの?」
「そうじゃないよ。でも、僕が先に起きたから、時間もあるし先に作ろうって……」
ミキは明らかに不機嫌だ。ここは空気を変えたほうがいいと思い、僕は話題を変えることにした。
「――あ! きょ、今日は”ガラスの門”だよね?」
僕は挙動不審になりながら門の話を切り出した。
「……うん。そうだけど」
機嫌はあまりよくないが、ミキは返事をしてくれた。
「ちょ、ちょっとガイドブック見てみるよ」
僕は焦ってサコッシュを弄るが、こういうときに限って、すぐにガイドブックを出すことができない。
ゴチャゴチャとサコッシュを弄り、なんとかガイドブックを取り出し、急いでガラスの門について書かれたページを見る。
「やっと見つけた……。えっと、――「ガラスでできた美しい世界」だってさ」
「そのまんまだね」
ミキは少しツンをしながら僕にそう返事する。
「も、もしかしたらとっても綺麗なのかもよ? ガラスってキラキラしてて綺麗だし……」
なんとかミキの機嫌を取ろうとしているのがバレバレだ。
「あれ?」
僕はガイドブックを見てあることに気が付いた。
「ガラスの門のページに絵がある……」
すると、ミキは僕が手に持っているガイドブックを覗き込んできた。
「……わっ! ほんとだ! しかも凄く綺麗!」
その絵は、黒の鉛筆で白い紙に大きなお城が描かれている。他の色はなく、白黒だ。ただ適当に描いたわけではないく、お城の壁や窓や城門など細部まで繊細に描かれている。何時間見ても飽きがこない絵だ。
ミキは、さっきまでの機嫌の悪さから手のひらを返したかのように、いつもの元気そうな表情へと変わっていた。
僕は少しだけホッとしたような心地になったあと、話を続ける。
「この絵、撮影機で撮影されたものじゃなさそうだね」
「手書きじゃないかな? 確か鉛筆画っていうやつ」
「鉛筆画?」
「うん。鉛筆だけで絵を描くんだって」
「ミキ、詳しいね。絵とか習ってたの?」
「ううん。授業で書いてるの見せてもらったの」
「学校の授業?」
「うん。美術学校の子たちとの合同授業があって、そのとき同じ班になった子が鉛筆画をやってたの」
ミキは、絵なんて魔法でも描けるのにと思っていたのだそうだ。
だがその子が描く絵を見て考えを改めたという。
「その子が風景画を描いてるところを見せてもらったんだけどね、本当にすごくって。魔法を使ってるみたいででも魔法なんかよりもとっても綺麗で……。本当にビックリしたの」
ミキはそう言いながら、最後の一口をパクリを食べた。
「魔法以上のことってあるんだなってそのとき思ったの」
「そうだったんだ」
「でも、魔法だってすごいからね!」
ミキは、エッヘンといったポーズを取りながら言った。
僕は確かにねと返したあと、
「その子の絵、見てみたいな」
「うーん。どこかで会えたらいいんだけどね、連絡先もわからないし、今は門の塔の中だし」
「絵がとっても上手だったなら、将来有名な画家さんになってるかもね。そのときに見られればいいな」
「そうね。私もあの子に会いたいな……。そのためにはガロとコウのママ、見つけないとね!」
僕は、ミキにそうだねと返事をし、カップの紅茶を飲み干した。
ここは門の塔二階、六つ目の門、”ガラスの門”の前だ。
門の前には、少しだけ人がおり、列ができている。だが、30分も待てばすぐに入ることができそうだった。
僕は、遠目からだが、ガラスの門を見た。
やはりガラスの門だけあって、門の扉もガラスでできている。そのガラスは、光の加減でキラキラと輝き、七色の反射光を放っており、とても美しい。この門を見ただけでも満足してしまいそうだ。
列に並んでいる人のほとんどが血証石を身に付けていない。僕たち以外は観光者らしかった。
「ガラスの門、とっても綺麗……」
ミキは、うっとりとした表情でそう言う。
「僕も思った。あんなに綺麗なガラスを見たのは初めてだよ」
「私も。中のガラスもとっても綺麗なんだろうなぁ」
僕たちは列へ並び、話を続ける。
「でも、ガラスって言っても色々あるよね」
僕は、様々なガラスを想像しながら言った。
「えっ、そうなの?」
「うん。窓のガラスとか、ステンドグラスとか、装飾品とか、飲み物のグラスとか」
「……結構あるね」
「でも、ガイドブックには綺麗なお城の絵があったし、ガラスのお城があるってことなのかな」
「そうかも」
列はゆっくりと進み、ガラスの門の近くまできたとき、その脇に立っている門番が目に入った。
門番は、ボロボロのローブにフードを深くかぶっており、左手には長い柄のついたランタンを持っている。そのランタンからは白い光がユラユラと燃えているのが見える。
「ガラスは、こわれやすい」
門番は、中年くらいの男性の声でそう言った。
”ガラスはこわれやすい”。……当たり前のことではないだろうか。
また列が進み、僕たちの前に三組の観光者だけになったときだった。
ミキが「あっ」というので、ガラスの門の真上へ目をやると、そこにはガラスの門の詩が書かれた板があった。
ただ、この板はただの板ではなく、透明なガラスの板だった。
人はみな 瑠璃の心をもち
傷つきやすく 脆い
ハリほどの傷も 元には戻らない
人も心も ガラスのよう
ガラスの板に書かれた詩の内容だ。
人はガラスのように弱いのだと言いたいのだろう。
前の三組がぞくぞくと中へ入っていき、次は僕たちの番となった。
改めてガラスの門の扉を見ると、本当にガラス製でとても美しい。遠目からではわからなかったが、少しだけ透けており、中へ入って行った人の影が薄っすらと見える。だが、すぐに影は消えてなくなった。通路は、いくら松明が灯されているからとはいえ、暗い。人影をもすぐに見えなくしてしまうほど。ガラスの門から透けている暗闇が、この先の未来を現しているようで、少しだけ怖くなった。
そして、僕たちが入る番になった。
僕は、右側の扉の取っ手を持ち、ゆっくり奥へ押す。
軽い力でガラスの門は開いた。
僕たちは中へ入った。
またあの長い通路だ。石畳の床に、石が積み上げられた壁。壁には松明が灯されており、その明かりが奥へ点々となって続いている。
「この通路が長いんだよね~」
ミキは、ふぁ~と欠伸をしながらそう言った。
「……ミキ、眠たいの?」
「う~ん、ちょっとだけ」
「だったら、もう少し遅くに入ったらよかったね」
「大丈夫。通路抜けたら目覚めると思うし!」
「今朝だってぐっすり眠ってたよね?」
「そうだけど……。大丈夫だから」
「だったらいいけど。無理はしないでね」
「――コウさ」
「うん?」
「ちょっと真面目すぎない?」
ミキはツンとした顔でそう言った。
「そうかな?」
「そうだよ」
ミキは続ける。
「もう少しさ、不真面目でもいいと思うんだよね」
「でも、僕にはこれくらいが普通というか……」
「疲れないの?」
「えっ?」
「真面目すぎるとさ、窮屈な感じがして疲れないのかなって」
「僕は大丈夫かな」
「そう。――なんだか私が惨めになっちゃうな」
「……ごめん」
「コウが謝るとこじゃないじゃん」
「でも、ミキは嫌な気分になったんでしょ?」
「そうじゃないの! そういうことじゃないの!」
「じゃ、どういうことなの?」
「うーーーん! もういい! 私先行く!」
ミキはそう言って通路を走り出してしまった。
僕は追いかけようとしたが、足が動かず、その場で立ち尽くしてしまった。
コツコツコツと、早いリズムの足音が遠くへ離れて行くのが聞こえる。その足音は、次第に小さくなり、聞こえなくなった。
ミキを怒らせてしまった。僕たちはパーティなのに、仲良くしなきゃいけないのに、僕が不甲斐ないせいだ。
やっぱり走ってでもミキを追いかけるべきだったか? でも怒ってるミキを追いかけても、ついてくるなと一蹴されてしまうだけだ。
通路を抜けた先はガラスの門の中だ。すぐに出口が見つからない限り、ミキはその中で攻略をしているはず。ミキを見つけたらしっかり謝ろう。そう思いながら、僕は通路を進み始めた。
通路を抜けた先は、真っ白な森だった。……いや、これはガラスで出来た木の森だ。
僕は、一本の木に近寄って観察し始めた。
指で軽く叩くと、コンコンと硬い音が鳴る。ガラスの音だ。そして、ガラス製だからか無色透明で色はなく、木をよく見ると向こう側の景色が少し透けて見える。窓だと何とも思わないが、木だと不思議な感覚になる。
今度は地面の草や花も観察する。
草や花も全て無色透明のガラスでできている。地面や石ころの一つに至ってもそうだ。
「すごいや。ガラスでできてるんだ」
僕はぼそりと独り言を言っていた。
僕はガラスの草を毟ろうとした。外の世界の草なら、根っこと共に抜けるのだが、ガラス製だから、握ったとたん粉々になってしまった。
ガラス製とはいえ少し申し訳ない気持ちになったが、粉々になったガラスの草はその場に放置し、先へ進むことにした。
森を進むと、一本の道を見つけた。どこへ続いているのだろうか。罠かもしれないが、行く当てもないので、その道を進むことにした。
道を進みながら、ミキのことを考える。
ミキはどうしてあのとき怒ったのか。朝から機嫌が悪かったので、ちょっとしたことでも怒りに変わってしまうのかもと思ったが、やはり僕が原因のように思う。
いや、ちょっと待てよ? ミキはそもそもどうして朝から機嫌が悪かったのか。さらに昨夜のことを思い出す。ミキは、朝食を作りたいと言っていた。もしかしたら、朝食を作って何かをしようとしていたのだろうか。それを僕は台無しにしてしまった。ミキの気持ちも考えずに。
考えを巡らせながら一本道を歩いていると、ガラス製の屋敷門に突き当たった。
屋敷門は、扉ではなく柵の門だ。大きさは僕の背の二倍くらいある。中央が高くなり、端にいくにつれ徐々に低くなっていて、門全体を見ると、山型のようになっている。柵の一本一本の先端は鋭利な槍のように尖っており、侵入者を拒むような作りとなっている。
僕は恐る恐る屋敷門の取っ手を握り、軽い力で押すと、屋敷門はあっさりと開いた。
「お邪魔します……」
僕はか細い声でそう言いながら、屋敷門の中へはいった。
どこかのお屋敷の敷地なのだから他人の家ということになる。礼儀を忘れてはいけない。
ガラス製の草木や花が僕を出迎えてくれた。敷地内の庭はとても手入れが行き届いており、整っている。ガラス製の草木が成長して伸びてくることがあるのかはわからないが、人の手が加えられていることは確かだ。
庭を進むと、僕の背より少し高いガラスの生垣に囲まれたエリアに来た。
適当に右や左や前やと進んでいると、来た道が分からなくなってしまった。
どうやら僕は、”迷路園”に迷い込んでしまったらしい。
ガラス製の生垣なら先が見えるのではと思い、目をよくこらして生垣の向こう側を見ようとしたが、迷路だからかまるでスモークがかかったように白くなっており、全く先が見えない。
生垣の上に登ろうにも、僕より背が高く、足場がない。そして、ガラス製の生垣なので、僕が登ると割れてしまうかもしれない。ここまで手入れの行き届いた庭を壊す度胸もなく、僕は迷路園を彷徨うしかなかった。
右も左も、方角も、ほとんどわからない。
ミキがいれば……、と思ったが、ミキは今どこにいるのかもわからない。
僕は、自分が思っている以上にミキを頼っていることに気が付いた。魔法が得意ではなく、ミキほど上手に使えない。日常生活ではそれでもいいが、門の塔の攻略となれば話が違ってくる。イリニヤさんに教わった魔法を使った剣も、今はミキの力を借りなければならない。今だってそうだ。ミキがいなければ方角だってわからない。僕は、僕一人の力で攻略なんてできないんだ。
――やっぱりミキと仲直りしないと!
僕は、この迷路園の出口を探しながら、ミキを探すことした。
腰のホルダーにしまっている杖を取り出した。杖は、少し魔力を込めて線を引くと、そこに印を付けることができる。杖を握り、足元に×の印を付けた。×印は、白く輝いている。行き止まりだった場所に目印をつけて、ここはもう通ったと一目でわかる。虱潰しだが、こうすれば出口への通路がわかりやすくなってくるはずだ。
右へ左へ、後ろへ前へ。
そして、僕はとうとう迷路を抜けることができた。
抜けた先でミキを探したが、ミキの姿はなかった。
だが、観光者らしき男女二人がいた。カップルか夫婦のようだが、声を荒げている。喧嘩をしているようだった。
女性が大きな声で男性にこう言った。
「あなたがしっかりしてないから迷路を抜けるのに時間かかっちゃったじゃない!」
迷路園を抜けるのに時間がかかったイライラを、男性にぶつけているらしかった。
怒鳴りつけられてた男性は、我慢できないというような表情をして言い返す。
「俺がしっかりしてないとか関係ないだろ! そもそも、お前が計画もなしに進むから迷ったんじゃないか!」
男性も大きな声だ。
二人とも相当興奮しているみたいだ。
僕はその場から動きたかったが、動きづらい空気になり、遠くから二人を見守ることにした。止めに入るか迷ったが、僕が出る幕じゃないと思ったからだ。
「お前はいつもいつもそう言って俺に当たり散らすよな!」
「あなただって逆ギレばかりじゃない!」
二人はどんどんヒートアップしていく。
やはり、僕が仲裁に入ったほうがいいのかと悩んでいたそのときだった。
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