第三十六話 桜の門
僕とミキは、噴水前で朝食をとっていた。
「今日は、どの門に入る?」
ミキは、朝食のタマゴかけご飯を食べながらそう聞いてきた。
「順番通りでいくと……”桜の門”だね」
「”桜の門”? もう門の名前から綺麗!」
ミキは手元の紅茶を飲んだあと、タマゴかけご飯を一口食べ、こう言った。
「ガイドブックには何て書いてあるの?」
僕はサコッシュからガイドブックを取り出し、ページをパラパラとめくっていく。
……あった。
「えっと。「桜の門。桜並木が美しい公園。幻の桜があるというウワサがある。」 ……だってさ」
「幻の桜? どんなのだろう。見れたらいいな~」
幻と言われるほどだ。余程のことが起こらない限りお目に掛かれないのだろう。
「ご飯食べたらすぐに行こうか。ガイドブックには”観光で人気の門”って書いてあるから、早めに行っておいたほうがいいと思うんだ」
「わかった! お皿洗いは私がするから、コウは荷物片づけてくれる?」
「OK!」
僕たちは急いで支度をし、桜の門へ向かった。
ここは門の塔二階、四つ目の門”桜の門”の前だ。
門の前には人が並んでいる。人数で言えば20人ほどだろうか。
並んでいる人をよく観察すると、皆、観光目的のようだ。
連れがいたり、楽しそうに談笑している。
「ちょっと並んでるね。私がもう少し早く支度が終わっていれば……」
「僕も片づけに手こずっちゃったし。とりあえず、並ぼう。並ばなきゃ入れないし」
「そうね」
僕たちは、列の最後尾に並んだ。
僕はまず、桜の門の門を見た。
木製の大きな框戸に、青く錆びた取っ手が付いている。この框戸を支える金具も同じように青く錆びており、長い間ここで沢山の人を受け入れては送り出した、というような表情をしている。
「みんな、観光者みたいだね」
「うん。ガイドブックにも書いてあった通りだね」
列ができていたが、入っていくスピードは早く、すぐに半分ほどの人が中へ入っていった。
桜の門が近づくにつれ、門番の声が僕たちへ届くようになった。
「花弁の一枚、記憶となる」
門番の声は若い女性の声だった。20代前半の年頃の女性を思わせる。
相変わらず、ボロボロのローブを羽織っており、手に柄の長いランタンが持っている。
そのランタンからは薄ピンクの光がやんわりと光っていた。
「記憶ってどういうことだろう?」と、首をかしげるミキ。
「思い出が花びらになっちゃうのかな」
「思い出が花びらに? どうやって?」
「わからないけど……」
だが、ここは門の塔。
思い出が桜の花びらになるなんてことも有り得るのだ。
「あともう少しで入れそう」
「ミキ。その前に詩を見ておかないと」
「そうだった!」
僕たちは、桜の門の周りを目視で調べた。
「……あれ?ないね」
「ないよね……。いつもならどこかに板が……」
僕たちは何度も探したが、詩が書かれた板を見つけられなかった。
「どうしてだろう……」
「剥がれて捨てられちゃったのかな?」
「そんなこと……」
詩を見つける事が出来ず焦っている僕たちにとうとう桜の門へ入る順番が回って来た。
「どうしよう……」
「あれ? ミキ、門をよく見て!」
僕たちの目の前に大きく聳え立つ桜の門の框戸を良く見ると、枠の中の一部分に文字が書かれているのが見えた。
「これ、詩じゃん!」
「読んでみるね」
美しき桜 散る記憶
去る人々 流れる時
すれ違えど 思い出は胸に
「こんなところに小さく書かれていたら気づかないよね」
「いや、あえてここに書いたのかも」
「あえて?」
「うん。そんな気がするってだけだけどね」
確証はないが、理由あって、目立たないよう門に書いたような気がした。
誰にも読んでもらいたくなかったのか。読まなくてもいいから目立たない場所にしたのか……。
理由は書いた人物にしかわからないが。
「じゃあ、入ろうか」
「そうだね! オープン!」
僕たちは桜の門へ入った。
中はまたあの長い通路だ。石畳の床と壁に覆われたあの通路。壁にかけられた松明の炎が、通路の奥へと点々と続いている。
コツコツと足音が響く中、ミキが口を開いた。
「桜の公園ってガイドブックには書かれてたんだっけ」
「うん。そう書いてあったよ」
「どんな公園なんだろう。楽しみだな~」
「ミキ、油断は禁物だよ」
「わかってるよ~! コウは警戒しすぎ!」
昨日入った鳥の門でも、夜になるとツメフクロウという魔物が出現したのをミキは忘れたのだろうか。
ミキの楽観的なところは、良いところでもあり、悪いところでもある。もう少し気を引き締めてもらいたい。
「そうだけど……昨日の鳥の門のこと忘れてない? ミキの杖を探しに行ったときツメフクロウが出たこと忘れたとは言わせないよ?」
「忘れてないよーだ! それに皆無事だったんだからいいじゃん!」
「あれは運が良かったんだよ」
「もう! 私が悪いって言いたいの?」
「そうじゃなくて……」
「はいはい! ほら! そろそろ通路抜けるよ!」
目の前に大きな光が見えてきた。通路を抜けるらしい。
僕は、ミキと口喧嘩したことを気にしながら、目を閉じた。
「わー! すごーい!」
ミキが感動の声をあげているのを聞いて 僕は目を開けた。
「わっ! ほんとだ!」
そこには、両脇の桜並木がずっと奥まで続く遊歩道があった。
「これが桜の門……」
「ガイドブックに書いてあった通り公園みたいだね……」
辺りを見渡すと、公園の所々にベンチがあり、桜を見るために整備されたようだった。
僕たちは桜並木を眺めながら遊歩道を歩き始めた。
桜はどれも薄ピンク色に色づいており、強めの風が吹くと花弁が踊るように宙へ舞う。
宙へ舞った花弁は、勢いがなくなるとひらりひらりと地面へ落ちていく。
地面に溜まった薄ピンクの花弁が、また風や人の動きによってふわりと流れる。
「桜……ほんとに綺麗だね……」
「うん……」
先ほどまで通路で口喧嘩をしていた僕たちだったが、今ではすっかり桜に夢中だ。
「出口、どこなんだろうね」
「この公園を歩き回るしかなさそう」
「面倒だけど、仕方ないか……」
「マップがないから、僕がメモしておくよ。ミキ、方角だけ確認してもらってもいいかな?」
「わかった! 任せて!」
ミキは杖を取り出し、呪文を唱えた。
「アンミーヴェ!」
すると、ミキの頭上すぐに大きな矢印が出てきた。
「んと、こっちが北みたい」
矢印は遊歩道の先を真っ直ぐ指していた。
「ありがとう。その都度方角を確認しながら公園を歩き回ろう」
「わかった!」
僕たちはまず北へ向かった。
この公園の一番北の端を目指し、そこから東の端、南の端、西の端と一周するように回ればどれくらいの大きさの公園なのか分かりやすくなるからだ。
遊歩道を歩いていると、一組のカップルの姿が見えた。若い男女だ。
脇のベンチに腰掛け、仲睦まじく桜を眺めている。
僕たちは、遊歩道をまた北へ進んだ。
遊歩道から外れた開けた場所で、シートを広げている四人組の男性たちがいた。
花見をしているのだろうか。手元の酒をしっぽりと飲みながら四人並んで談笑している。
この他にも観光者のグループをいくつか見かけた。
皆、桜を見たり、撮影機で撮ったりしていた。
「あの、もし」
遊歩道を北へ進んでいると、声をかけられた。
声の主は、手に撮影機を持った背の高い老父だった。
「二人で一緒に撮りたいんだが、撮ってもらえないかね?」
老父が見た方向へ目をやった。
老父の妻だろうか。少し離れた場所に老婆の姿がある。
「いいですよ!」
ミキは快諾したあと、老父から撮影機を受け取り老夫婦を撮影し始めた。
「それじゃ、撮りますよ~! はい! ピース!」
老夫婦はミキの合図と同時に、指でピースサインを作り、満面の笑みを向けた。
そして、老父がミキの元へ近づいてきた後、こう言った。
「ありがとう。すまないね」
「いえいえ! これくらいでしたらいくらでもやっちゃいます!」
老婆もこちらへ近づいてきた。
「本当にありがとうね。……お二人は攻略者?」
僕たちの格好を見てか、老婆がそう尋ねてきた。
「はい! あっ! 私はミキ。こっちの子はコウです」
「ど、どうも」
「二人ともとってもお若いみたいね? 何歳なの?」
「13歳です」
「あらっ! うちの孫より若いわ!」
「ほんとだな、ばあさん」
僕たちは、この老夫婦と昼食をとることになった。
なんでも、この日のためにお弁当を作ってきたらしいのだが、大量になってしまったため一緒に食べてほしいと言うのだ。
僕たちはお言葉に甘えることにした。
老夫婦は70歳から80歳くらいで、名前は、夫のほうは”サム”、妻のほうは”バーバラ”と名乗った。二人でテルパーノに住んでいるらしい。
サムさんは、白髪に太く黒いフチのメガネに大きな鼻ととても背が高く、カーキグリーンのニットのベストがよく似合った優しそうなお爺ちゃんという感じだ。
バーバラさんは、背丈は僕たちほどで、少しグレーがかったベリーショートの髪に、ピンク色をした頬がキュートで印象的だ。ブラウンのワンピースに金色の花のブローチを付けており、お上品そうなお婆ちゃんと一目見たときから思った。
「お二人の思い出の場所がこの桜の門に似てるから来たんですか?」
ミキは、バーバラさんお手製のお弁当からから揚げを取り、一口齧ったあとそう言った。
「ええ。まだ結婚して間もない頃に、二人でお花見に行ったの。こことよく似た桜が沢山植えられた公園でね。懐かしいわ」
「そうだね。ばあさん」
「でも、どうしてその公園にまた行かなかったの? わざわざ門の塔に来なくてもよかったんじゃ……」
「その公園は都市の再開発で無くなってしまったのよ。でももう一度よく似た場所でもいいから行きたかったの」
「そうだったんだ……」
「あなたたちが生まれるもっと前になるかしらね……。テルパーノの街は今でこそ住みやすくてとても綺麗だけど、以前は道の整備が行き届いていなくてね。魔法使いが多い街だからみんな箒で飛んでいくでしょ? だから車やバスが通れる道が少なくて。それじゃ外から来た魔法を使えない観光客や移民の交通手段がないじゃないかって話になってね。そこから都市を再開発することになって、そのときに大通りを作るために公園が潰されちゃったのよね」
「知らなかった……。私、テルパーノに来てまだ5年くらいだからなー」
「あら、そうだったの?」
「僕も、門の塔攻略のためバーオボから来たので、テルパーノのことはさっぱり……」
「あら! バーオボから! 夫の還暦祝いで、モミマドレに旅行へ行ったのよ! 温泉がとても気持ち良かったわ」
バーバラさんはとても嬉しそうにそう言った。
桜の花びらがヒラヒラと舞ってくる。
バーバラさんが作ったお弁当を食べながら、僕たちは談笑した。
「夫との出会いはね、私がポポルーン魔法女学校の生徒だったときね……。悪い感じの男の人に絡まれちゃってね。そのとき夫が助けてくれたのよ」
「お爺ちゃんカッコイイ!」
「えぇ。とってもかっこよかったわ。そのときから夫は体も大きかったしイリーカ魔法海洋学校の生徒だったから、みんな逃げだしちゃうくらいだったのよ」
「イリーカ魔法海洋学校ってお婆ちゃんの頃から怖いイメージだったんだ」
ミキは完全にサムさんとバーバラさんの孫になっている。あえて突っ込まないでおくが……。
「あら? 今でもそうなの?」
「うん。今でもヤンキーっぽい人が多いよ」
「そうなのね。夫はヤンキーって言うより、ただ体が大きかっただけだったけど。ウフフ」
「ばあさん、笑いごとじゃないよ。体が大きいこと気にしてたんだから」
「でも、「船乗り向きの体だ」って先生からお墨付きをもらうほどだったんでしょう?」
「そうだけど、小さいから人より大きな体だったから気にもなるさ」
「でもそのおかげで私を助けられたし、こうして私と結婚できたんだからいいじゃないの」
「そうだがな……」
「それでそれで?そういう話もっと聞きたい!」
ミキはお弁当の卵焼きを自身の取り皿へ入れながらそう言った。
「そうねぇ。その一見から夫は学校へ迎えに来てくれるようになってね。校門前で待っていてくれて……。一度、先生が通報したこともあったわね。警察が来て大騒ぎになって。私が事情を説明してね」
「ばあさん……」
バーバラさんは、ウフフと笑った。
「お二人は本当に仲が良いんですね」
僕はその仲睦まじい二人の姿を見てそう言った。
サムさんのことを話すバーバラさんは少女のような顔つきでどこか幸せそうで、そんなバーバラさんを見るサムさんの顔は照れながらも嬉しそうで……。最高の夫婦であろうことが伝わってくる。
「そう? 喧嘩もしょっちゅうよ?」
「ああ。しょっちゅうだな」
「喧嘩するほど仲が良いってやつじゃない?」
ミキはそう言った。
「あら、ミキちゃん良い事言うじゃない。あなた! 喧嘩するほど仲が良いですって」
「その通りだとは思わんがな」
サムさんの顔を見ると、少し嬉しそうに微笑んでいた。
強めの風が吹いた。その風で桜の木が揺れる。木の揺れで花から花弁が離れる。花弁は宙を舞い、僕たちの元へと落ちてくる。
バーバラさんのお弁当は、どの具材も美味しく、あっという間に平らげてしまった。
バーバラさんは言う。「たくさん食べてくれて嬉しいわ」と。
そろそろサムさんとバーバラさん夫婦との別れの時間が近づいてきた。
「じゃあ、私たちそろそろ行くね。お爺ちゃんとお婆ちゃんと過ごした時間は忘れない」
「私もよミキちゃん。とっても楽しかったわ」
「二人とも達者でな」
「はい。ありがとうございました。お互い良き旅を!」
僕たちはこうして別れた。
◆
サムとバーバラ夫婦は、コウとミキという小さな冒険者と別れたあと、近くのベンチへ腰かけた。
「コウくんとミキちゃん。いい旅になるといいわね」
「そうだな」
夫婦は、優しくお互いの手をつないだ。
その手はもう皺くちゃで瑞々しさなんてない。だが、お互いにとってとても大切な手だ。
「桜……本当にきれいね」
「ああ」
二人の頬をなでるように、優しい風が吹く。
「あの子たち本当に大きくなってくれた」
「ああ」
「色々あったけど、あなたで良かったわ」
「ああ」
そこから二人の間には長い沈黙が続いた。
時折、桜を見たり、お互いの手を擦り合ったり……。
思い出を、この時間を、噛みしめるように時を過ごす。
すると、サムはバーバラの肩を自分のほうへ寄せた。少し強いが、どこか優しい力で。
「本当によく生きた」
「ええそうね。よく生きた。幸せだった」
その途端、強い風が二人の元へ吹いた。
そして、一枚の桜の花びらが、バーバラの頭に止まった。
サムはその花びらを指で拾い上げた。
「ばあさん。ほら」
サムは、拾い上げた花びらをバーバラの手に置いた。
「あら。綺麗な花びら」
バーバラは、花びらをよく眺める。
「不思議ね。桜なのに白い花びらなんて……」
すると、二人の前に大きな白い桜の木が現れた。
「あら? さっきまで白い桜なんて……」
「なかったよなぁ……」
その白い桜は、黒い幹や枝にたくさんの白い花を咲かせている。
白い花びらの一枚一枚をよく見ると、自分たちが歩んできた思い出の一つ一つが映し出されている。
「あら……。あれは初めてのデート……。こっちは長男が生まれたときね」
「どれも懐かしいな」
二人で歩んできた時間。確かに辛い悲しい出来事もあったが、そんなものはごく僅かである。
楽しい出来事、嬉しい出来事は幾千もある。
「長女が生まれたとき、あなたは「絶対嫁に行かせん」なんて言ってたのに」
「次男のイタズラに、ばあさんは手を焼いてたな」
「初めて孫を抱いたときは、嬉しくて仕方がなかったわ」
「子供たちが遊園地で迷子になったときは肝を冷やしたな」
「……私には勿体ないくらい幸せな時間だったわ」
「いいや。私たちには、だよ」
二人はまた手をつなぎ、お互いを見つめ合った。
「ありがとう。サム」
「こちらこそありがとう。バーバラ」
二人は気が済むまで、白い桜を眺め続けた。
◆
僕たちは、あの長い通路を歩いていた。
松明の炎が、奥へと続くあの通路を。
サムさんとバーバラさんと別れたあと、途中で出会った攻略者の男性に出口の場所を教えてもらい、すんなりとクリア出来てしまったのだ。
「出口はすぐに見つかったし、ラッキーだったね」
「うん。歩き回らなくて済んだよ」
この桜の門は、何千本という数の桜が見られる公園というだけのようだった。
「幻の桜、見たかったな~」
「所詮噂でしょ? 光の加減で変わった色の桜の木にたまたま見えたのが誰かに伝わって噂になっただけじゃないかな」
「そうなのかな~。でも見たかった~」
幻の桜の話は、迷信が迷信を呼び、噂として広まったのを、ガイドブックの編集者の耳に止まったのだろう。
所詮観光用のガイドブックだ。買ってもらうため、門の塔への観光者を増やすため、拡張した部分も多くあるのだろう。
通路にコツコツと足音が響く。
僕たちは、また明日も新たな門へ入り、攻略が続く。
怖いことや辛いこともあるが、今は攻略が楽しい。この楽しい時間もいつかは思い出となるのだろう。
そう思いながら僕たちは通路を進んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます