第三十三話 宝石の門

 大きな鳥の像の口から水が流れ体を伝い、水受けへと落ちてゆき、噴水の水として溜まっていく。その光景をじっと見つめながら朝を迎えた。

 このチャポチャポ、チャプチャプと静かに響く音がなんとも心地よい。


(そろそろミキが起きてくる頃だな。支度しなきゃ)


 僕は寝袋から体を出し、ウーンと伸びをしたあと、バケツに噴水の水を入れ顔を洗った。


(昨日はいっぱい泣いたからな。目があまり腫れてないといいけど……)


 昨日は門の塔一階の最後の門”雨の門”に入った。

 特に危険な門ではなかったし中に魔物もいなかったのだが、門に入ってミキと逸れたあと、人生でこれほどまでに泣いたことはあったのだろうか……というくらい泣いた。


(やっぱり一人だと寂しかったのかな……)


 だが、これまでも一人でやってきたから一人には慣れているはずだ。なのに、あのときは自分でも説明ができない程感情を抑えることができなかった。何かに感情を揺さぶられたわけでもなく、一人になった程度で泣くものだろうか?

 このとき僕はふとナナパ先生の言葉を思い出す。「門の塔の門を維持するには魔力が必要」という言葉だ。

 そして、他の門でもあったことだが、門の中には何らかの魔法をかけて人を惑わせることもある。

 ここで僕はある答えに行きついた。雨の門は”人を泣かせる魔法”が出ているのではないかと。では、どうして人を泣かせる必要があるのか。人の感情か涙が雨の門の魔力源になっているからだ。だが、これはあくまで僕の仮説だ。本当にそうなのかはだれか詳しい人にでも聞かないとわからない。(そんな人が存在していれば……だが。)


 僕は、頭に雨の門の事を浮かべながら、食料棚へと向かった。

 魔力のおかげで新鮮さが保たれ、一つ取るとまた一つ食料が追加されるこの棚にも慣れた。それにしてもこの棚を作ったのは誰なのだろう?門の塔が出来た頃にはあったのだろうか。食料棚の存在には慣れたものの、たくさんの疑問が浮かび上がってくる。

 だが、今はその疑問を後回しにして、まずは朝食作りに集中しよう。


(今日はタマゴとサラダ、簡単なスープでいいかな)


 僕は食料棚からタマゴを三つ、適当な野菜を拝借した。

 スープは、ロル草を手で千切った物と塩コショウを入れた物にしよう。ロル草は薬草の一種だが、料理にも使われる。今回のようにスープに入れたり、時にはカレーにも入れることがある。体力の回復や傷の治療にも使われるが、薬味のような使い方もされるのだ。


 噴水の近くへ戻ると、ミキが顔を洗っていた。

「あ、ミキ、起きてたんだ。おはよう」

「おはよう!」

 ミキはタオルで水気を拭いたあと、僕にこう尋ねてきた。

「私の目腫れてない?」

「腫れてないと思うよ。たぶん」

「良かった!」

 ミキの言葉で昨日雨の門の中でミキも泣いたのだろうとわかった。だが、根掘り葉掘りと問い詰めるのもなんだか違う。なので僕は何も聞かないことにした。

 

 僕たちは朝食を取りながら次の門の話を始めた。

 僕は手元のマップを見ながらミキに質問した。

「二階の最初の門、どれにする?」

「また右から順番でいいんじゃない?」

「一番右だと……”宝石の門”だね」

「”宝石の門”かぁ……綺麗なのかな?」

「ガイドブック見てみようか」

 僕は観光ガイドブックと取り出し、パラパラとページをめくって、”宝石の門”のページを開いた。

「えっと……。――”宝石の門”。宝石だらけの世界。観光客に人気の門で、必見だ。色とりどりの宝石が山ほどある――って書かれてるよ」

「ふーん」

「あれ?あんまり興味ない?」

「興味ないっていうか……。また金の門みたいな門だったら嫌だなって」

 門の塔一階の金の門では、金の物に触れた人が金の像になり、門の中の雨に触れて溶けていく様を見た。

 ”宝石の門”にも何か危険があるのでは?とミキは思っているようだ。

「まぁ確かにそうだね。でも、銀の門みたいな門かもしれないよ?」

「入ってみてからのお楽しみってことね。まぁ”宝石の門”から攻略していきましょ」

 ミキはそう言うと、スープをすすり始めた。


 僕たちは身支度を終え、”宝石の門”の前へやってきたが、宝石の門の前は金の門以上の長蛇の列が出来ていた。

「うわぁ……こりゃすごいね」

 僕はあまりの人の多さにそう呟いてしまった。

「まぁ並びましょ。クリアしないと先に進めないんだから」

 僕は「そうだね」と返事して、ミキと一緒に列の最後尾へ並んだ。


 僕たちが並んだ後にも老若男女の人々が列を成していく。列は何重にも折れ曲がり、最後尾はあっという間に遠くへと消えていった。これだけの人が並ぶほど、宝石の門は注目されている。門の中ではどんな光景が見られるのか楽しみという表情をしている観光客ばかりのようだ。


 僕たちの前に並んでいる二人の男性の話声が耳に入る。


「宝石で金持ちになって、一生遊んで暮らしてやる」

「いいな。ここを出たら二人で旅行にでも行くか」

「賛成。ついでにカジノでギャンブル三昧といこうぜ」


 宝石の門の列に並んでいる者の中にはこういった宝石で儲けたい者もいるようだ。一攫千金を得るために高い入塔料を払ったのだろうか。それなら、地道に働いてお金をためてから旅行へ行くのも変わらないように思う。そして、各地への旅行ならお金以上の物が手に入る。僕はお金以上の価値がある物のほうが魅力を感じるが、前の男性二人はやはりお金が一番なのだろう。


 何重にも折れ曲がった列はガヤガヤと少し騒がしい。その騒がしい列の人々へ聞こえるよう、大きなハキハキとした若い男性の声が聞こえてきた。

 

「宝石はー!ただのー!かざりー!」


 宝石の門の横に立っている門番の声だった。

 相変わらずローブはボロボロだ。そして、手には長い柄のついたランタンを持っており、そのランタンの中からは赤い光がハッキリと見える。

 

 列に並んでいる人は門番の言葉を聞き、一瞬静かになり、その後「今の何?」「変なの」と陰口を言い始めた。

 僕たち攻略者にとっては重要な情報なのだが、観光者にとっては関係ない。一体何のことやら?と言った雰囲気だった。


「”宝石はただの飾り”……。中の宝石は所詮その程度ってことなのかな?」ミキは僕に聞いてきた。

「そうなのかもね。僕たち攻略者にとってはただの石ころ同然だし。魔法石や回復石なら話は別だけど」


 門の塔の中に入ってしまえば、お金を使うことはない。当然高価な物を拾っても換金する場所なんてのもない。宝石や貴金属が手に入ってもほとんど荷物のような物だ。


「宝石の山だらけで、宝石は飾り……。さっさと抜けちゃったほうが良さそうね」とミキ。

「そうだね。でも、罠もあるかもしれないから警戒はしよう」


 それにしても待ち列が長い。いつになったら入ることができるのか。

 こうしている時間にも徐々に前へ進んでいるが、入るにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 

「詩も見ておきたいのに、全然先が見えないよ」

「もっと朝早くに入ればよかったね」とミキが返事してくれた。

「本当だね。昨日のうちにガイドブックで調べておくんだったよ」

「まぁ……そうは言っても待つしかないよね」

 

 僕たちは会話をしてなんとか時間が過ぎるのを早めようとした。


「――それでね、地元の子供たちでドッヂボールしようってなって、いざお姉ちゃんがボール投げたらボールが真後ろに飛んで行っちゃったの」

「ミナさん、意外とポンコツというか……」

「お姉ちゃん、踊るとかっこいいんだけど球技がからっきしダメなの。バスケットボールを床についたら跳ね返って来たボールがお姉ちゃんの顎に直撃したり」

「顎に当たるって逆にすごいよ」

「でしょ?まぁ球技できないからって悪いわけじゃないんだけど、あのダンスからは想像できないよね」


 ミキの姉であるミナさんが、ダンス以外の運動は全くできないという話になった。

 セイレーンでのあの踊りを見た後に球技ができないと言われてもあまり信じられないが、ミキが言うから実際にそうなのだろう。少しだけ見てみたい気もする。


「門の塔に入る前にに見せてもらっておくんだった」

「ダメダメ。意地でもボールに触らないよ」

「いきなり投げるとかは?」

「お姉ちゃん、ボールを受け取るのもできないの」

「ミナさん、重症だな……」


 列の進みはかなり緩やかだが、確実に前へと進んでいる。

 会話で時間を潰していたおかげか、宝石の門の門が見えてきた。


 宝石の門の門は、その名に相応しい豪華な作りだった。

 色とりどりで大小様々な宝石が埋め込まれており、光の強さや角度でその顔を変える。あまりの美しさに男の僕ですらため息が出てしまうほどだ。世界中どこを探してもこのような門は存在していないだろう。まさに魔法が生んだ奇跡と言ったところだろう。

 宝石の門の門が見える位置にいる人は、この門を見ただけで満足したのか列を途中で抜けて行く人もいる。気持ちはわかる。本当に美しいのだから。


 僕たちの順番はまだ少し先だが、詩を探せそうな位置までやってきた。

 宝石の門の周辺をよく探してみると、宝石の門の真上あたりに何かキラキラと光る板のような物が見えた。宝石の門の詩が書かれている板ですら宝石が散りばめられており、豪華さをうかがわせる。ただ、文字がとても読みづらく、この位置からでは読めそうもない。

 僕は、サコッシュからルーペを取り出し、キラキラと輝く板を拡大して文字を読んだ。


「宝石の山に……宝石の川……宝石の空に……ほうせき……」


 詩の内容はこうだった。


 宝石の山に 宝石の川

 宝石の空に 宝石の太陽

 宝石の森に 宝石の草花

 宝石の風邪が吹いたとき 光が消える


 すると、僕が読んだ詩の内容を聞いていたらしい後ろの男女が興奮気味にこう口走った。


「宝石の山に宝石の川ですって!」

「来てよかったな。これで俺たちは……!」

「大金持ち……!」

「一生お金に困らないわね!」

「仕事から解放されるぞ」


 小さな声ではあったが、あまりにも興奮していたためか僕の耳にはっきりと聞こえた。

 

 ミキにも聞こえていたらしく、ミキが僕の耳元でこう言った。

「そんなにお金がほしいのかな」

「みんな楽してお金がほしいのかもね」

「金の門みたいにならなきゃいいけど……」


 確かに楽してお金が手に入るならそれに越したことはない。だが、何事にも”楽して”と付けば罠がある。金の門でも目先の欲に走ってしまい、門の肥やしとなった人を何人も見た。

 僕はこのとき、宝石の門はいつも以上に警戒しようと心に決めた。


 そしていよいよ僕たちの順番が回って来た。

 とても長かったが、このくらいどうってことはない。門の塔を攻略しているからには、忍耐だって必要だ。


「それじゃあ、入ろう!」

「うん!頑張ろうね!」


 僕たちは宝石の門の門を開け、中へ入った。


 中はまた長いあの通路だ。松明の火が点々と奥へ続いているあの通路だ。


「あれ?金の門みたいに宝石でできてるわけじゃないんだね」

 ミキは通路の壁や天井、床を見渡しながらそう言った。


「言われて見れば……。金の門が金ぴか過ぎただけだったのかも」

「ウフフ。そうかもね」


 僕たちは、コツコツを足音を鳴らしながら、奥へと進む。


 すると、ずっと先に小さく光る何かが見えた。通路の出口のようだ。

 

「そろそろだね」

「うん」


 僕たちは、だんだんと大きくなるその光に向かって歩みを進めた。


「うわぁ~すご~い……」


 通路を抜けた先は、まさに宝石の世界だった。

 

 宝石の世界と言っても、ただ宝石が転がっているだけではない。

 僕たちの足元から広がる地面、そこに生えている草木花、石ころですら宝石なのだ。

 僕は空を見上げた。空も外の世界のような青く澄んだ空のようだが、どこかキラキラしている。その空を泳ぐ雲も、そして太陽もどこかキラキラしている。たぶん、宝石で出来ているのだろう。


 ミキは、近くの宝石で出来た花に触れて観察していた。


「全部宝石だよ……」

「見た所、この世界の物は全て宝石だね」


 ミキは花から手を離し、その近くに転がっていた宝石の石ころを拾って、僕の方を見てこう言った。


「すごいね……。この一個だけでもかなりの価値がありそう……」

「外の世界では……だけどね」


 ミキは宝石の石ころをその場へ転がした。


「なんかまぁすごいけど、出口探さなきゃね」

「うん!」


 まずはミキが箒で高い位置へ上がっていき、周囲に何があるか探してくれることとなった。


「ミキー!どうー?」


 ミキは箒に乗りながら360度見渡し、少ししてから僕の元へ降りてきた。


「あっちのほうに不思議な場所があるの。言葉では言い表せないんだけど」

「建造物とか?」

「うーん。そういう感じじゃないんだけど、なんだか不思議な場所!ここから真っ直ぐ一本道だったよ」

「わかった。とりあえずその場所に行ってみようか」


 僕たちは、ミキが言った方角へと歩き始めた。

 宝石でできた地面には薄っすらと道が出来ており、見た目には外の世界と変わらないようにも見えるが、宝石なのでキラキラとしている。歩く度に様々な様相を見せながらキラキラと輝く宝石たちが綺麗で、目を奪われてしまいそうになる。


 それにしても不思議な場所とは一体どんな場所なのだろう?行ってみればわかることだが、危険な場所でないことをただ祈るばかりだ。


 一本道を歩いていると、観光者らしき人が宝石の花を摘んでいた。たぶん、あの宝石の花を外の世界で売りさばくのだろう。

 他の人も、背中に大きな籠を背負って、宝石の石ころや宝石の草花をヒョイヒョイとその籠に入れていた。この世界には無数にあるのだからいくら持って行っても大丈夫だろうという魂胆だろうか。

 そして、また別の観光者らしきカップルを見かけた。撮影機を使って何やら楽しんでいるようだった。たぶん、テルスタのための撮影だろう。宝石の世界となれば、ヨイネの数も沢山集まるのだろう。承認欲求を満たすには持ってこいの場所というわけだ。


「結構宝石を拾いに来てる人とかテルスタ目当ての人多いね……」

「みんな高い入塔料払ってわざわざ……」


 ミキは呆れた表情でそう答えた。


 宝石で出来た一本道を随分歩いた頃、ミキが何かを指さしてこう言った。


「あ!あれだよ!不思議な場所!」


 ミキの言う不思議な場所とは、細かい宝石が僕たちの身長よりも高く積み上がった物が沢山ある場所だった。

 何かの生物の住処なのか、誰かが宝石をかき集めただけなのかはわからないが、本当に不思議な場所だった。


「確かに不思議な場所だね」

「ね?言ったでしょ?」


 この場所は一体……?

 僕たちは謎を探るため、周辺を探索することにした。


 まずは積み上げられている細かい宝石を調べる。


「なんだか一個一個はバラバラの大きさだね」

「うん。色も全然違う。こっちは赤で、こっちは緑」

「魔法石とかではなさそうだよね」

「うん。全然魔力なんてないよ。ただの宝石」


 細かい宝石は色とりどりで、大きさもだいたい1センチから2センチ。もっと小さいものだと2~3ミリほどの物もあった。


 僕たちは、もう少し中へと入っていった。

 どの山も同じように細かい宝石が積み上げられているだけだった。


「なんだかよくわからない場所だね」

「うん……出口もなさそうだし」


 ここにはあまり長居しても無駄だろう。僕たちは別の場所へ移動しようと思ったそのときだった。


「コウ!誰か来た!隠れよう!」

「うん!」


 どこかからか人が来たのだ。ミキに言われて咄嗟に隠れたが、観光者や攻略者なら隠れなくても良かったのでは?と僕は思った。だが、そのあとの出来事でこの行動は正解だったことを思い知ることになる。


「おっ!ここにも宝石がたくさんあるぞ!」

「本当だ!」


 やってきたのは男性二人だった。手元には大きな袋と、背中には大きな籠を背負っている。この宝石の門で宝石を沢山拾い集め、外で売りさばこうとしている観光者らしい。

 僕たちは物陰からその男性二人の様子を窺う。

 

「ここのは細かい宝石ばかりだな。こんなので金になるんか?」

「なるさ。貧乏人にでも売りゃいい」


 男性たちはそう言いながら手元の大きな袋に子毎回宝石を詰め込み始めた。


「それにしてもすごい量だな。全部は持って帰れねぇ」

「そうだな。まっ、できるだけ詰め込もう。外で売った金でまた来ればいいさ」


 男性たちが細かい宝石を詰め込んでいると、「なんかあるぞ」という声が聞こえてきた。

 襲る襲る物陰から覗くと、宝石で出来た人の像が立っていた。


「これ人の像だよな?」

「宝石で出来てるな。見た所女だ。金持ちに高くで売れそうだな」

「確かに!だが、どうやって持って帰ろうか」

「担ぐしかないな。細かい宝石は少量にして、この像を持って帰ろうぜ」

「賛成だ。俺は足側を持つから、お前は頭側を……」


 そこで男性二人の会話が止まった。

 男性二人を覗くと、像を担ごうとした体勢のまま固まってしまっていた。


「ねぇミキ……」

「うん。近くに行ってみよ」


 僕たちはその男性二人の近くへと向かった。


「え……何これ……」


 その光景を見たミキは顔面蒼白といった様子。僕は全身に鳥肌が立っていた。

 さっきまで宝石を拾っていた男性二人は全身が宝石のようになっていたのだ。


「さっきまで普通に会話してたよね?」

「うん。でもこれは……」


 僕は片方の男性の像をよく観察した。

 目のまえの女性の像の足元を持とうとして屈んだようなポーズのまま宝石になってしまったようだ。表情もそのときのままだ。皮膚や毛の一本一本も宝石になっている。手で少し触ったがどこか冷たく感じる。本当にさっきまで動いていたのが不思議なくらいだ。

 もう一人の男性も確認したが、同じように宝石になって固まっていた。


「ねぇコウ。また誰かこっちに来てるみたい」

「本当?どこかに隠れよう」


 僕たちは元居た物陰にもう一度身を潜ませ、様子を窺った。


 すると、どこかからまた人が現れた。


「おっ!ここ宝石だらけじゃん」

「あなた見て!ここに宝石の像が3つもあるわ!」


 宝石目当ての夫婦のようだ。この人たちも宝石を売ってお金にするために来たらしい。

 

「一つ持って帰ろう。この女の像なんか高く売れそうだ」

「そうね。周りの細かい宝石もいくつか貰っていきましょう」


 僕たちは夫婦の様子を物陰から窺っているそのときだった。


 僕たちの体の半分ほどの生物が夫婦の背後に近づいていったのだ。

 一体何をしようとしているのか?襲おうとしているのか?と考えている間に、その猿のような生物はフッと夫婦に息を吹きかけた。すると、夫婦は宝石となり固まってしまっていた。


「何あれ……」

「しっ!気づかれるとまずいよ」

 ミキは驚きを隠せないといった様子だった。


 生物は辺りを見渡した後、「キィーッ!」と大きな声をあげた。何かの合図だったのだろうか。近くに潜んでいたらしい仲間の数匹が集まってきたのだ。


「仲間がいたんだ……」

「もう少し様子を見よう」


 その生物は小さな体でまるで猿のような姿をしているが、目はとてつもなく大きく見開いており、その見開いた目に僕位はとても恐怖心を覚えた。

 猿の用よう生物たちは、言葉はないが鳴き声のようなもので意思疎通を出来るらしく、「ウキウキ」「キーッキーッ」と言っている。何かの相談だろうか?

 すると、その猿のような生物の一匹が、一つの像を地面にぶつけて粉々に砕いてしまった。


「えっ……さっきの人の像砕けちゃったけど」

「うん……」

 

 その光景に息を飲むことしかできない。だが、像を砕いた程度はまだ優しいほうだった。


「えっ……像を……」

「食べてるよ……」


 一匹の猿のような生物が砕いた像を、仲間が食べ始めたのだ。

 まるで美味しい肉でも食べているのかという雰囲気で、ゴリゴリという咀嚼音を鳴らし、美味しそうに食べている。

 僕とミキにとってその光景は恐怖そのものだった。


「ミキ、ここから逃げよう」

「コウ、待って……。ねぇ、あいつらのお尻から出てるのって……」


 ミキが言うので恐る恐る覗くと、像を食べているあの猿のような生物の尻から細かい宝石がいくつも出ているのが見えた。

 この不思議な場所に山積みとなっている細かい宝石は、あの生物の糞だったのだ。

 

「細かい宝石はあいつらの糞だったんだ」

「ここって……あいつらのトイレだったってこと?」

「そうなるね」

「……なんだか汚く見えてきた」

 

 綺麗でキラキラと輝く宝石も何かの糞だと分かると、途端にいい物には見えなくなる。

 宝石の門へ入る前、門番が「宝石はただの飾り」だと言っていたが、飾りなんてまだ良い方だ。ここにある宝石はあの猿のような生物の糞だ。悲しいがそれが事実だ。


「ミキ、ここを離れよう。さすがに危険だ」

「待ってコウ。あの猿たちがいる向こう側に出口が見えるような……」


 ミキが指さした方向をよく見ると、そこにはキラキラと輝く門が見えた。出口だ。


「まさかあいつらの後ろに……」

「どうする?」

「行くしかないよ」

「どうやって?」

「うーん」


 僕たちが色々と悩んでいる間に、あの猿のような生物たちは、宝石の像を食べ終えたのか姿を消していた。


「あれ?いなくなってる……」

「今ならあの出口まで走れば……!」

「でも、もしもあいつらに見つかったら宝石にされちゃうよ?」

「たぶんだけど、あいつらに息を吹きかけられなければ大丈夫だよ」

「息を?」

「うん。さっきの夫婦が宝石に変えられたとき、あの猿が夫婦に息を吹きかけてたんだ」


 僕はここで宝石の門の詩を思い出した。

 ”宝石の風が吹いたとき 光が消える”とは、魔物に息を吹きかけられるな、さもなくば宝石の門から出られなくなる……死が待っているということだったのだろう。

 

「息だけ気を付ければいいのね?」

「うん。もしもあいつらに見つかっても、距離さえ気を付ければ大丈夫なはずだよ」

「わかった!私の魔法とコウの剣術で……」

「うん!じゃあ、一気に走ろう!」

「わかった!」


 僕たちは、先に見える出口目がけて一気に走り出した。

 あいつらに見つからないよう、見つかっても真っ直ぐに出口へ走ることだけを考えて。


「キーッ!」


 大きな雄たけびが聞こえてきた。

 子供二人が走っているのだ。あの猿のような生物もすぐに気が付く。


「イガガンガ!」


 ミキは走りながら呪文を唱えた。雷の極大魔法だ。

 上空に宝石の雷雲が立ち込める。真っ黒く大きな宝石の雲はゴロゴロと小さく唸ったあと、一発の大きな雷を落とした。


 ドォォォオン!と大きな音に驚いたのか、猿のような生物たちは散り散りに逃げて行く。


「ミキ、このまま一気に!」

「わかってる!」


 僕たちは全速力で出口の扉へ走った。

 僕は取ってを掴み、物凄い勢いで扉を開け、ミキはその中へ滑り込む。

 それを見た僕はそのあとすぐに中へ入り、扉を閉めた。


「はぁはぁはぁ……」

「なんとか抜けられたね」

「うん……。魔法が使える門でよかった」


 門の塔の中には魔法が一切使えない門がある。宝石の門は魔法が使える門だっただめ、今回は無事だったが、もしも使えない門だった場合、あの猿のような生物たちに捕まり、宝石へ変えられ、食べられてしまっていただろう。


「早く出よう。いっぱい走ったから疲れちゃった」

「そうだね」


 僕たちは通路を歩き始めた。遠くに点々と続く松明の光が、少しだけホッと安心させてくれる。


「あんなの見ちゃったら宝石見てもあんまり綺麗って思えなくなっちゃいそう……」

「さすがに外の世界の宝石は違うと思うから……」

「でもあいつらのお尻の穴から宝石がポイポイ出てる見ちゃったから……。一生頭に残ってそう……」


 ミキの気持ちはわかる。あの光景はなかなかに衝撃だった。あの光景よりも衝撃なものを見ない限りは忘れられそうにはない。


 コツコツと響く足音の中、目の前に宝石の扉が見えてきた。門の塔へ戻って来たようだ。

 僕たちはその扉を開け、門の塔二階へと戻った。


 僕はサコッシュからマップを取り出し、”宝石の門”と記された箇所を確認した。

 星マークが付いている。クリアだ。


「よかった~。もう宝石は懲り懲り!」


 ミキはそう言いながら噴水のある場所へと向かった。

 もう休むつもりなのだろう。


 僕はミキの気持ちが落ち着くような献立を考えながら。食料棚へと向かうのだった。

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