第三十二話 イスカと生き物

 コウとミキが門の塔へ入ってから一か月ほど経った頃。

 レウテーニャ魔法大学校の学長であるイスカ・ロローは、万年筆をクルクルと回しをしながら、学長室で唸っていた。

 

「コウくんとミキちゃん、大丈夫かな~」

 

 そこへ、ナロメ・レスピナスはこう返事した。

 

「そんなにお二人が心配だったのなら、止めればよかったのでは?」

「そうだけどさ~」

「……」

 

 ナロメは、杖を振りながら書類に目を通してはサインをしていく。

 本当はイスカの仕事なのだが、イスカが数日ほど行方をくらました間に溜まってしまった書類の山の処理をナロメも手伝わされているのだ。


「ナロメっちは二人が門の塔へ入ったことどう思ってんのさ!」

「私はレウテーニャの教師として、お二人が門の塔へ入ったことに口を出す権利は……」

「ナロメっち個人としてはどうなのさ!」

「……早く手を動かしてください」

「ほ~ら、そうやって別の事に気をそらせようとする~!そういうとこナロメっちの良くないとこ~!」

「先日科学室の棚から回復石を持ち去ったこと、ルアープ先生に告げ口してもよろしいのでしょうか?」

「うっ!どうしてそれを!?」

「科学室の棚から回復石が無くなっていたことと、その日から学長が留守にしていたことからすぐ察しがつきますよ」


 コウとミキが雨の門へ入ったあの日、イスカは変身の魔法を使い、門の塔へ潜りこんでいたのである。

 入塔時には観光客として入り、コウの前では攻略者・ルキとして接触していたのだ。


「お二人が心配なのはわかりますが、学校の備品である回復石まで渡さなくても」

「でもさ~、やっぱりさ~、まだ13歳だよ?心配じゃ~ん」

「気持ちはわかりますが、過保護すぎるのもどうかと」

「ナロメっちは冷たいなぁ~」

「お二人には特別な授業をしました。私はお二人を信じていますので。――ところでその”ナロメっち”と呼ぶの辞めていただけませんでしょうか」

「いいじゃんいいじゃん!可愛いでしょ?”ナロメっち”って」

「……ダサいです」

「う~わ!ダサいとか言われた~。イスカくん拗ねちゃうも~んだ!ふ~んだ!」

「……めんどくさ」

「今何て言いました?ナロメっち?ねぇ?ねぇ?」

 ナロメはくいッとメガネを上げ、書類に集中し始めた。


「シカトね!はいはい!もういいもんね!僕ちゃん仕事しないもんね!」

 イスカはそう言うと、自身の杖を取り出し、学長室にあるクローゼットへ向けて杖を振った。


「いいもんね!僕ちゃん遊んじゃうもんね!ほらほらおいで~僕の愛しの魔物ちゃん~」


 イスカがそう言うと、クローゼットが開き、一匹の魔物が出てきた。

 その魔物は、腐った人間の肉や骨を纏っており、手の武器で生きた人間を襲う。その見た目から”亡骸の魔物”と呼ばれている。


「……またそんな物騒な魔物を捕まえてきたんですか」

 ナロメは書類に目を通しながら、呆れた口調で言った。


「捕まえたとは失礼な!保護してるの!可愛いでしょ?森の門にしかいない”亡骸の魔物”。あだ名は”ナキちゃん”!」

「あだ名はともかく。早く仕舞ってくださいな。逃げ出したら騒ぎどころじゃありませんよ」

「ちょっとくらいいいじゃん!――おぉっと危ない」


 亡骸の魔物はイスカに武器を振るったが、イスカはそれを避けた。


「……またあの同人誌でも出すんですか?”パステークさん”」

「ちょっと~!その名前で呼ばないでよ~!そのペンネームは秘密なの~」


 ”パステーク”とは、イスカのペンネームである。

 イスカは魔法生物学の博士号を持っており、レウテーニャ魔法大学校の学長でありながら、独自で魔法生物や魔物を研究している。だが、学長という立場上表立った研究が出来ないので、赤髪の女戦士”ルキ”の姿に変装して、門の塔や世界中の秘境へ赴き、魔法生物や魔物を保護しては独自で研究している。その研究を纏めたものを”パステークの図鑑”として刊行し、同人誌即売会で頒布しているのだ。


「その魔物は何か珍しいのですか?」

「そりゃもうレア度高めよん。なかなか姿を見せないし、この体が出来上がるまでに百年近くかかるからね。やっと保護できて満足なわけよ。――ほらほら、ナキちゃん暴れないの」

「そんなに珍しいなら保護せず、元の場所に戻されたほうが良いのでは?」

「ナキちゃんは研究し尽くしたら戻す予定よん。――はいはい。ナキちゃん、落ち着いてね~」


 イスカが杖を振ると、亡骸の魔物は不思議な光の輪に拘束された。

 

「……お二人は元気そうでしたか?」

 ナロメはイスカに聞いた。少し心配そうな顔をして。

「ミキちゃんは寝てたから分からないけど、コウくんは元気そうだったよ」

「無事そうなら何よりですね」

「今度ナロメっちの伝言伝えておこうか?」

「……正体バレますよ」

「あ、そうだったー!アハハ!アハハ!」


 イスカは、亡骸の魔物を観察し始めた。


「お二人はどこまで進んだと?」

「石の門って言ってたよ」

「もうすぐ、一階の攻略も終わりそうなのですね」

「ああ。でもよく石の門をクリアしたなと思ってね。――なるほど。ここの骨は男性で、ここの肉は女性の……」

「石の門には何かあるのですか?」

「石の門には”ミミー”がいるからね」

「”ミミー”ですか?」

「うん。”ミミー”は、石の門にしかいない”石鬼の魔物”なんだけど、石を積み上げるだけで生物を作り出すことができる。そこまで聞けば、特に危険でも無さそうなんだけど、その石で作った生物に人を襲わせて、その生物が人の死体を食べることでミミーの魔力を維持しているんだよ」

「なんともまぁ、残酷な」

「そして、石の門の出口を開ける条件が「光る石を探すこと」なんだけどね。まぁその石を見つけるまでに、ミミーが作り出した生物から逃げなきゃならないってわけよ」


 イスカは、亡骸の魔物の足の裏を観察し始めた。


「お二人なら魔法も剣術もありますし、石でできた生物でしたらどうってことないのでは?」

「まぁ、動物っぽい生物ならいいんだけどさ。ミミーは自分が作った石鬼の大人を使って村を作ってるわけよ。その村の近くに出口があるからね。コウくんとミキちゃんはよくあの石鬼の村を抜けて出口まで来られたなって。石鬼の大人たち、人間には容赦ないからね。――ほうほう。足の骨と肉も違う人間の物なのか」

「コウさんはともかく、ミキさんにはみっちり魔法をお教えしましたし、彼女には魔法薬学の知識もありますから、その知識を活かしてうまく攻略したのではないかと」

「そうなのかな~。まぁ生きてるなら結果オーライだよね」

 

 ナロメが次の書類を手に取り、内容を確認しているときだった。

 コンコン、と学長室のドアからノック音が鳴った。


「学長。急いでその魔物を……」

「わかってるよ!――はいはい。ナキちゃんクローゼットに戻ってねぇ~」


 イスカが杖をヒョイと振ると、クローゼットの扉が開き、亡骸の魔物は吸い込まれるようにクローゼットの中へと消えて行った。

 そしてまた、学長室のドアがコンコンと鳴った。


「はいはい!どうぞ入って~」

 イスカの言葉に反応してか、ゆっくりとドアが開いた。

「失礼します」と言い姿を現したのは、ゴマン・モーズレイだった。


 ゴマン・モーズレイは、レウテーニャ魔法大学校の魔法薬学科の教師で、この道60年以上の大ベテランである。

 頭は白髪交じりのショートカット。淡いピンクのストールを肩にかけ、小さな丸眼鏡をしている。腰が少し曲がっており、一見ごくごく普通のおばあちゃんと言った風貌だが、魔法薬学にかけてはテルパーノ、いや世界一と言ってもいいくらいの人物だ。


「あらあら。お取込み中でしたか?」

「大丈夫ですよゴマン先生。ところで急用ですか?」


 レウテーニャ魔法大学校では、学長であるイスカが唯一頭の上がらない存在がゴマン・モーズレイである。

 いつもなら緩い口調の彼もゴマン先生の前では敬語でハキハキとした口調になるのだ。


「いえいえ。それが、3年生の授業でどうしても必要な道具がありましてね」

「必要な道具ですか?それなら事務のほうに……」

「あぁ、その必要な道具なんですがね。イスカ学長にお聞きするほうが早いかと思いまして」

「ぼ、僕ですか?道具なんて僕は一切……」


 そのとき、ゴマン先生はクローゼットを指さした。


「え、えっと、クローゼットが何か?」

「あそこにいますよねぇ?”金鯉”」と、ニッコリと微笑むゴマン先生。

「えっと、何の話で?」

「金鯉がこの中にいますよね?という話ですよ」


 ゴマン先生はとてもにこやかに微笑んでいるが、とてつもない威圧感をイスカは感じていた。

 

 だが、イスカは考えた。このままクローゼットには何もいないと押し切るという手を。

 クローゼットは魔法のクローゼットで、自身の魔法を使わなければ保護している魔物や魔法生物がいる部屋へ入れない仕組みとなっている。そのことを知っているのはイスカとナロメのみだ。何もしなければ普通のクローゼットなのだ。そのまま中を見せてしまえば押し通せるはずだ。


「は、ははは。金鯉がいるわけ……」

「あら。金鯉で通じるのね」

「あ、えっと……。アハハハ!」

「笑っているだけでは返事になりませんよ?いますよねぇ?金鯉」

 

 ゴマン先生はクローゼットのことに気づいているようだ。

 もう逃げも隠れもできないのだろうと思い、イスカは正直に答えることにした。

 

「……はい。います」

「でしたら、金鯉のウロコを三枚ほどいただけますか?授業で使いたいので」

「……わかりました。また採取でき次第お渡しします」

「三日後が予定の授業ですので、その日までによろしくお願いしますね」


 ゴマン先生はそう言うと、学長室から出て行った。


「……あぁ~怖かった~」


 イスカはその場に倒れ込んでしまった。

 

「学長はゴマン先生にはいつも弱いですね」

「だってさ、僕の爺ちゃんの代から先生やってるような人だよ?逆らえるわけないじゃん。それにあの怖い笑顔……」

「私にはお優しいですよ」

「あの人、僕以外には優しくしてるんだよ!」

「学長の日ごろの行いのせいでもあるのでは?」

「うぅ……」


 イスカは肩を落としながら自身の杖を取り出し、クローゼットに向けて振った。


「僕は金鯉のウロコを採取してくるから、ちょっとだけ離れるよ」

「承知しました」


 イスカはクローゼットの扉を開き、中へ入ろうとしたそのときだった。


 ドォオオオン!


 とてつもなく大きな音が響くと共に、クローゼットの扉が吹き飛んだ。

 その途端、大きなフワフワの白い何かが姿を現した。

 

「きゅるぅぅん!」


 魔法のクローゼットは閉じる扉を無くし、数匹の魔物や魔法生物が出てくるや、飛び出してしまった。


「いけません!!」


 ナロメは咄嗟に杖を振り、近くにあったデスクで扉の壊れたクローゼットを塞いだ。

 飛び出そうとしていた生物をなんとか閉じ込めることができたが、鳥のような生物と、ヒラヒラとした赤いリボンは窓を突き破り、外へ出て行ってしまった。

 

 ナロメは姿が見えなくなったイスカを探す。

「学長!イスカ学長!」

「こらこら!ミルニャちゃん!アハハハ!くすぐったい!」

 イスカは呼びかけなど無視して、ミルニャと名付けられた魔法生物のビグナネコに捕縛され、ペロリペロリと舐められていた。


「はぁ……。学長!」

「あ、あぁ、ごめんごめん!――ミルニャちゃん出てきたらダメじゃないか!メッ!」

「きゅぅん……」


 ミルニャの耳や髭が下を向き、いかにもしょげているという表情になった。


「あぁ!ミルニャちゃんごめんね!そうだよね!僕が最近遊んであげられなかったからね!」

「はぁ……。学長!それよりも、2匹ほど逃げてしまいましたよ」

「え?まじ?どんなのだった?」

「一匹は”黒い羽毛なのにキラキラと輝いた鳥”と、あとは”赤いリボン”がヒラヒラと飛んで出て行きました」

「……”星鳥”と”リボン虫”か。ちょっとマズいな」

「ここは私に任せてくださいまし。学長は逃げた生物を追ってくださいませ」

「ありがとう!ナロメっち!ミルニャちゃんを頼んだ!」


 そう言うと、イスカは破られた窓から箒で飛び出して行った。


「はぁ……。また片づけですか」

 ナロメは部屋に散らばった書類やガラス片などを見てボソリと言うのだった。


 

 クローゼットから逃げ出した魔法生物や魔物を追って学長室から飛び出してきたイスカは、まずは空から捜索していた。

「ホッシーは確か空中を旋回する癖が……。あっ!いた!」

 

 レウテーニャ魔法大学校の中央にある校庭の上空あたりで、キラキラと光る何かが旋回しているのが見えた。

 その姿こそまさしく”星鳥”だ。


 ”星鳥”は、魔法生物の一種だ。体長1.5メートルととても大きな鳥で、漆黒よりも黒い羽根と嘴を持っている。一見ただの黒い鳥のように思えるが、星鳥が翼を羽ばたかせると、その黒い羽根に細かい粒子を振り撒いたかのようにキラキラと輝く。そのキラキラと輝きながら飛ぶ姿が星空のようでとても美しく、”星鳥”と呼ばれる所以となった。

 

「ホッシー!」


 イスカは箒で飛びながら徐々に近づく。

 イスカが保護している個体はとても臆病な性格で、突然近づくと驚いて逃げてしまうのだ。


「ホッシー!大丈夫!僕だよ!うちへ帰ろう!」


 今更ではあるが、”ホッシー”とはイスカが保護している個体のあだ名だ。


「ホッシー!ほら!!いい子だ!」


 旋回しながら飛んでいる星鳥へ徐々に距離を詰めるイスカは、優しい声掛けを忘れず距離感にも気を遣う。


「ホッシー!ほら!大丈夫!」


 イスカが星鳥に手を伸ばすと、星鳥はそれに気づき、イスカのほうへと近寄ってきた。

 そのキラキラと輝く黒い翼を羽ばたかせながら、ゆっくりとイスカの箒の柄の先に降り立ち、その場に留まった。


「よかった!ホッシーいい子だ!今すぐ帰ろうね」


 そう言いながら、イスカはゆっくりと学長室のある校舎へと向かった。



(ふぅ。クローゼットの扉はなんとか……) 

 学長室に残ったナロメは、大きく壊れてしまったクローゼットの修復を終わらせていた。

 だが、クローゼットの扉はナロメの魔法で堅く閉ざされている。

 

(これがないと、中の生物たちが出てきてしまいますからね)


 その堅く閉ざされた扉を開けようとしているのか、中からガタガタと叩く音が聞こえる。

 ビグナネコのようなパワーのある生物に扉を破られでもしたら、魔法と言えども破られてしまう。


(学長の魔法がないと、クローゼットが……)

 イスカの魔法のクローゼットは、イスカの魔法に反応して中身が入れ替わるようになっている。これ以上はナロメでもどうしようもできない状況だった。


(学長……早く……)

 

「たっだいまー!」


 まだ修復が終わっていない窓から、箒に乗ったイスカと黒い鳥が現れた。

 その声を聞いたナロメは、ホッと胸を撫で下ろした。


「学長!すぐクローゼットに魔法を」

「おっと!もう直してくれたの?」

「すぐにでも直さないとまずい魔物が出てきそうでしたので」

「それはごめんごめん。ホッシーを入れてからやるよ。あとミルニャちゃんも……ってミルニャちゃんは?」

「クローゼットを修復したら自ら入っていきましたが」

「なるほど!さすがミルニャちゃんだ!」


 イスカはそう言いながら、腰から杖を取り出した。


「よし!ホッシー!クローゼットの中へ戻ろう。あとでご褒美をあげるからね」


 イスカがクローゼットの扉を開けると、星鳥はクローゼットの中へと吸い込まれるように入っていった。

 そしてイスカは杖をクローゼットに向けて振った。これで魔法のクローゼットは普通のクローゼットへ戻った。


「あとは……”リボン虫”か。あいつはかなり厄介なんだよね」

「どう厄介なのですか?」

「擬態が得意な虫でね。リボンっぽい物にならなんでも擬態しちゃうから見つけるのが大変なんだよね」

「どうしてそんなのを……」

「可愛いから!」

「せめて研究対象と言ってくださいまし」


 そして、イスカは学校内でリボン虫の捜索を、ナロメは学長室の修復をすることとなった。



「リボちんは赤だから……赤いリボンだな」


 ”リボン虫”は、その名の通りリボンのような見た目をしている虫で魔法生物の一種だ。個体によって色や質感が違い、かなりの種類がいる。

 擬態が得意な虫で、あるときはアクセサリー、あるときは鞄の飾り、あるときは服の装飾……と様々な物に擬態できる。特に害はないが、どこにでもいるのになかなか見つけ出すことが難しいため、収集マニアが多い。

 イスカが保護している個体は、リボンに擬態するのが好きな個体だ。イスカはそのことに注意しながら赤いリボンを探す。


「確かミナミ館の寮生が赤いリボンを付けていたよな……」


 レウテーニャ魔法大学校には、三つの寮がある。

 どの館の寮生か一目で分かりやすいよう、寮のイメージカラーのリボンやネクタイを付ける決まりがあるのだ。


「えっと……あ、君たちミナミ館の子たちだよね?」


 イスカは二人の女子生徒に声をかけた。

 ローブの首元からカッターシャツの襟が覗いている。その襟にはミナミ館の証である赤いリボンがあった。


「あ、はい。私はそうですが、この子は……」

「私は自宅通学なので寮には入っていません」


 だが、自宅通学だと言っている片方の女子生徒の襟元には赤いリボンが揺れている。

 

「じゃあ、そのリボンは……」


 イスカがその女子生徒のリボンに触ろうとしたとき、リボンは飛び上がった。

 リボン虫の擬態だったのだ。


「あ、こら!リボちん待て!……あ、ごめんね!僕は急ぐから!」

 そう言うと、イスカは走り去っていった。

 

「イスカ学長何かあったのかな?」

「さぁ」


 女子生徒二人は、赤い何かを追いかけるイスカの背中をただ見つめるしかできなかった。



「おい!リボちん!こら!」


 イルカは宙を舞う赤いリボンを捕まえようと必死で追いかけていた。

 今にも掴めそうだと思ったら掴めず、手をすり抜けるの繰り返しだった。


「リボちん!お願いだから!」


 ヒョイと掴むとするりと交わされ、また掴もうとすれば逃げられ……。

 さすがのイスカにも疲労が見え始めた。


「リボちん……待って……ゼェゼェ…………」


 意外とすばしっこいリボン虫に追いつくのが必死だったイスカは、とうとう息切れをしてしまった。


「もう……むりぃ……」


 イスカはその場に座り込んだ。


 ゼェゼェと激しく呼吸するイスカは、腰の杖をゆっくりと取り出した。

 その物音を一切立てないよう注意して。


「ハァハァ……僕もう……はし……れない……」


 ゆっくりと息を整えながら、イスカは自身の首元へ杖を向けた。


「フフン。騙されたね!ソークコ!」


 イスカは、襟元にやってきたリボン虫を拘束魔法で捕獲した。

 リボン虫はあまり動かない物に近寄り、擬態するという習性がある。イスカはその修正を利用したのだった。


「はぁ……。やっとリボちん捕まえたよ……。相変わらず追いかけっこが好きだねぇ」


 イスカが保護している個体は、イスカと遊ぶのが好きな個体で、こうして追いかけっこをするのが習慣となっている。いつもならクローゼットの中の広場で追いかけっこやかくれんぼをして遊んでいる。


「早く学長室に戻らないとな。ナロメっちめっちゃ怒ってそうだし」


 イスカはリボン虫を優しく手で包み、その場を後にした。



「たっだいまー!――おっ!綺麗になってる」

「やっと帰られましたか」

「リボちん捕まえるの結構大変なんだからね!」

「そもそも魔物や魔法生物を保護しなければこんなことにならないのでは?」

「色々と事情があるの!」


 ナロメは、身長ほど高くなった書類の山をイスカの机に置いた。


「うっわ。さすがに溜めすぎちゃったかな」

「今更ですか?」

「あ、えっと。なんかごめんなさい」

「次、留守にされるときはもう少し仕事を片づけてからにしてくださいませね」

「あ、また門の塔に行ってもいいの?」

「行くなと言っても聞かないでしょうが」

「テヘペロ☆」

「……一回死ねばいいのに」

「ナロメっち今なんて言ったー?ねぇ?なんて言ったー?」


 イスカが保護している魔法生物が逃げ出してしまうというハプニングがありながら、溜まりに溜まった書類の山を一つ一つ片づけていくイスカとナロメだった。

 そして、全てが終わった頃には、学長室の窓から朝日が射しこんでいた。

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