第二十七話 魚の門
泉の静かな水音で、目が覚める。このちょぽちょぽという音色が心地よいが、今はこの重い体を起こして、朝食の準備に取り掛からねばならない。
全身が少しズキズキとするが、思い切り力を入れ、上体を起こした。
「ふぁ~」
僕は大きな欠伸をし、ふと、隣にいるミキに目をやる。……まだ眠っているようだ。
門の塔の中は、日が射しこんでこないため、朝は少し肌寒い。僕は手で体を少し擦りながら、寝袋から体を出す。
まずは顔を洗おうと思い、泉の水をバケツに入れ、顔を洗う。
「うぅ~。冷たい」
冷水なので少しだけ心が折れるが、バシャッと音を立て、顔を洗い、眠目を覚ます。
次に、食料棚へ向かい朝食の食材を選ぶ。
「これと……。これだな!」
僕は、食料棚から生卵とコッペパンを拝借した。
元居た場所へと戻り、さっそく朝食作りに取りかかる。
魔法サコッシュからシングルバーナーとフライパンを取り出した。そして、杖を持ち、呪文を唱えた。
「ポー」
杖先に小さな火がついた。ゆっくりとシングルバーナーへ近づけ、ボワッと音が鳴る。シングルバーナーに火が移った。
そこへフライパンを乗せ、少し時間を置く。フライパンが少し温まった頃、昨日の残りご飯であるハンバーグを入れ物から出し、フライパンへ乗せた。
ジュ~っと唸り響くハンバーグは、サッと両面を温め、皿へ乗せる。
そのあと、ハンバーグの油が少し残ったフライパンに生卵を入れる。また、ジュワ~っと音が鳴り響く。今作っているのは”目玉焼き”だ。
「コウ!おはよう!」
「おはよう!」
ハンバーグや目玉焼きを焼いている音を聞いてか、ミキが起きたようだ。
ミキは急いでバケツに水を汲み、顔を洗う。
「飲み物作るね!」
「うん!お願い」
ミキはそう言うと、飲み物を作り始めた。たぶん紅茶だろう。
僕は、手元のフライパンへと目をやる。目玉焼きが頃合いになっていた。フライ返しを手に取り、そのフライ返しで焼けた目玉焼きを皿へ乗せる。皿にはすでに、先ほど少しだけ温めたハンバーグが乗っている。そのハンバーグの上に目玉焼きを乗せる。
今日の朝食は目玉焼きとハンバーグだ。
「ミキ!できたよ!」
「ありがとう!私も丁度紅茶を淹れたとこ!」
ミキの手元を見ると、二つのカップにそれぞれ湯気が立った紅茶が入っていた。
「じゃあ、食べようか!」
僕たちは朝食を食べ始めた。
「いただきまーす!」
「いただきます」
いただく命と食材に感謝を忘れずに。
まずは、ミキが淹れてくれた紅茶をすする。少し熱いが、この熱さがホッとする。ダジャレではない。心が落ち着くという意味だ。
そして僕は箸を持って、皿の目玉焼きの黄身をつつく。すると、目玉焼きの黄身からトロリと黄身が垂れる。その、トロリと垂れた黄身がハンバーグへとゆっくり流れる。見ているだけで食欲が増す。
僕は、手に持った箸で目玉焼きとハンバーグをカットし、千切ったパンへ乗せる。そのまま口へと運んだ。……うまい!そう叫びたくなるほど美味しい。
僕が朝食についてあれこれ考えていると、ミキが声をかけてきた。
「今日は”魚の門”だよね?」
「うん。昨日はぐっすり寝ちゃったからまだ何も調べてないや……」
「あとでゆっくり調べよ!」
「うん!そうだね!」
僕たちは、かなりの時間”銀の門”で銀龍さんの体を掃除していた。今朝起きた時、全身がズキズキと痛かったのは、そのせいだ。
だが、この痛みも今はとても心地が良い。”銀の門”で過ごした時間は、僕とミキにとってとてもかけがえのない大切な思い出となった。体の痛みも、思い出の一つなのだ。
僕たちはパパっと朝食を済ませ、”魚の門”について調べ始めた。
僕は、パラパラと観光ガイドブックを開く。”魚の門”のページを見つけた。
「えっと……。「”魚の門”。門を抜ければ、水の中。沢山の魚がいる。釣り人や魚好きに人気の門。」とだけ書かれてる」
「沢山の魚かぁ……」
このとき僕とミキは同じことを想像したのだろう。
「鯉……じゃなきゃいいね」
「うん……」
こうして僕たちは、”魚の門”の前へ向かった。
”魚の門”はほとんど混んでいなかった。
「かなり空いてるし、すぐ入れそうだね」
「そうだね。その前に詩と門番だけ……」
並んでいるのは数人。ほとんどが網のような物を持った人だ。
”魚の門”の門は、派手な装飾はないが、門に魚の絵が掘られている。それはそれで風情があり、人によってはこの門を欲しいとすら思うだろう。それくらい、門に掘られた魚の絵が美しい。
ふと、門の脇を見る。そこには長い柄のランタンを持った門番が居た。
相変わらずローブはボロボロだが、ボソボソと何か呟いている。僕たちはまず門番の話に耳を向けた。
「水面に出ても、意味はない」
門番は、初老の男性のような声で、静かにそう言った。
「ということは、水面に出なければいいってことかな」
「たぶん。……あ、詩見っけ!」
ミキが指さしたほうへ目をやると、少し緑色の錆びがついた板金があった。
板金の文字は少し読みにくかったが、なんとか目を凝らし、一文字ずつゆっくりと読んだ。
「えっと……。泳ぐ先は何もなし……魚の群れはきらびやか……。光をつかめば……未来が見えん……。って書かれてるね」
「門番は水面に出ず、できるだけ泳がず……。詩の”光を掴む”ってどういうことだろう?」
「光ってる魚を捕まえろってことかな?」
「光ってる魚?また金色の鯉とか?」
「もう金色の鯉は懲り懲りだよ」
僕たちは冗談を言い合いながら、”魚の門”へ入った。
長く薄暗い通路が続く。僕たちはコツコツを足音を鳴らし、奥へと進む。
「ガイドブックに、「門を抜けると水中」って書いてたよね?」
「うん」
「ということは、泡の魔法の準備しておかないと」
今回使う泡の魔法は、銀の門で銀龍さんの体を掃除するために使ったような物ではなく、水中で息が出来るようミキがナロメ先生から教わった応用魔法だ。
観光ガイドブックには、「門を抜けたら、水の中」と書かれていたので、いつでも飛び込めるようにミキは準備をしているのだ。
「ミキ、いつもごめん」
「いいの。魔法は私の役目だと思ってるから!」
七日間講義で魔法は習ったが、やはりミキには及ばない。その代わりと言ってはなんだが、剣術でミキのサポートをしたり、何もないときは料理をやるようにしているのだ。
コツコツと足音を立て、通路を進んでいると、前方に少し光が見えた。
「見えてきたね」
「うん!」
少しだけ歩みを早め、光に近づいていく。だが、僕たちは歩みを止めた。いや、止めなければならなかった。
「これ以上先は……」
僕たちの目の前には、水面があった。普通、水面は横に広がるのだが、何故か縦に広がっている。これも魔法の力なのだろうか。外の世界ではあり得ないのだが、ここではあり得るのだ。
「じゃあ、泡の魔法かけるね」
ミキは僕の頭へ杖を向け、呪文を唱えた。
「ワップーワ!」
ミキの杖先から、泡が出てきた。その泡はゆっくりと膨らみ、頭よりも大きくなった。
「はい!まずコウの分ね!」
「ありがとう!」
僕は泡へ頭を突っ込んだ。これでいつでも水中に入ることが出来る。
ミキも、自身の頭を泡へ突っ込み、準備完了だ。
「それじゃあ、行こう!」
僕たちは、縦の水面へ飛び込んだ。
ザプンと音を立て、水中に入ったあと、目をゆっくりと開けた。
「わぁ……」
「きれい……」
僕たちが声をこぼすほど、水の中は美しい世界だった。
水の透明度が高く、水中にある物全てが目に見える。その水中を泳ぐ色とりどり魚たち。水の動きに合わせて踊る海藻や水草。魚たちの楽園という言葉が似合う光景だった。
僕はふと、上を見上げた。水面にいくつか影のような物が見えたのだ。
「私たちの前に入った人たちかな?」
水面にいる人たちの手元を、目を凝らしてよく見てみると、網のような物を持っている。やはり僕たちの前に入った人たちのようだ。
「たぶんそうだね。お魚獲るのかな?」
「お魚獲ってどうするんだろうね」
「外で売るとか?」
「テルパーノ、割とお魚獲れるのに?」
ミキの言う通り、テルパーノの港町であるイリーカでは海運ほどではないが漁業も盛んだ。そのイリーカがある現状、門の塔への入塔料をわざわざ払って魚を獲る意味がない。
「……確かに」
「まぁいいや!先に出口のこととか調べようよ」
「そうだね!確か、”水面に出ても意味はない”と”泳ぐ先は何もない”だっけ?」
「うん。でもこのままじっとしてても魚が泳いでるのを見てるだけだよね」
「そうだけど、門番と詩を読む限りここに留まったほうが……」
「じゃあ、コウはここで待ってて!」
「私、色々探してみるから!」
そう言うとミキは、泳いで離れてしまった。
「ミキ……」
このままあまり離れると、逸れてしまう。だが、ここで待っててと言われたし……。僕は、その場に留まっていることにした。ミキのことだ。もし逸れても魔法を使って僕の居場所を探し出してくれるだろう。
両手を頭の後ろに、足を曲げ、片足をもう片方の膝に乗せる。ベッドの上でリラックスしているときの体勢で、ずっと上で蠢くキラキラと光る水面を見ながらボーっとしていた。
本でもあれば時間がすぎるのが早いのだろうが、ここは水の中だ。本はさすがに濡れてしまう。本当にボーっとしているしかない。
たまに目の前を通り過ぎる綺麗な魚を目で追い、ふっと息を吹きかけると逃げる。とても暇人らしい時間を過ごしていた。
キラキラと光る水面を見ていると、なんだか掴めそうな気がした。
僕は右手を伸ばし、ゆっくりと手を閉じ、キラキラと光る水面を掴もうとした。すると、右手に何か硬い感触が伝わってくる。これは……?ゆっくりと手を開くと、そこには銀色の鍵があった。
「鍵!?」
突然の出来事に驚きを隠せず、思わず声をあげた。
「もしかして……」
魚の門の詩の”光をつかめば 未来が見えん”とは、水面を掴むと鍵が出てくるということだったようだ。
「ミキに知らせないと……。ってミキどこかに行っちゃったんだった!」
そう。ミキは出口を探すため、どこかに泳いで行ってしまったのだ。
ミキへ連絡を取る手段はない。せめてミキが向かった場所さえ分かれば……。
僕は辺りを見渡し、目印がないか探すが、何も見つからない。
「ミキ……」
「はーい!」
「うわあああああ!」
いつの間にか背後にいたミキにとても驚いた僕は、周りの魚たちが遠くへ逃げるほど大きな声を出して驚いた。
「どうしたの?そんなに慌てて」
「いや、いつの間にか真後ろにミキがいたから……」
「ってか、私の名前呼んでたよね?何かあったの?」
「それが……」
僕は、ミキに鍵を見つけた経緯などを詳しく話した。
「コウ!やるじゃん!」
「いや、僕はたまたま……。でも、出口の場所が分からないよね」
「うん。その辺泳いで探してきたけど、何も無かったよ」
鍵があっても肝心の出口が無ければ意味がない。門番や詩を読み解くと、あまり動かないほうが良いという書き方だ。そして、泳いで探したミキの話も本当だろう。
「もう一度、詩や門番の話を思い出して考えてみようか」
「うん……」
僕たちは頭の中で考える。
泳ぐ先は……。きらびやか……。水面に出ても……。
頭をフル回転して考えたが、結局言葉通りの意味しか浮かんでこない。
「いくら考えても全然分からないや……」
「私も……」
首をあらゆる方向に捻り、うーんを声を漏らしながら目を開けたときだった。
目の前に一匹の白く美しい魚が横切った。
僕はその白く美しい魚が気になり、目で追っていると、その魚がこちらへ顔を向けた。
「あれ?」
目を凝らしてよく見ると、その魚の口の形が鍵穴のように見えた。
いやまさか……と思い、目をこすってもう一度魚の口を見た。やはり鍵穴の形をしている。
「ねぇミキ。魚の口の形ってどんなの?」
「魚の?うーんと、おちょぼ口とか、顎がしゃくれてヘの字のなってる感じとか?」
「鍵穴の形ってあり得ると思う?」
「鍵穴?魚の口だよね?」
「うん……」
僕はそう言いながら、目の前の魚の口に恐る恐る鍵を挿した。そして、ゆっくり左へ回した。
「えっ?コウ、何して……」
すると、魚の口からガチャンという音が聞こえた。鍵が開くような音だ。その音が鳴ったとたん、僕たちの背後や頭上から沢山の魚が集まり始めた。
「えっ?えっ?何?」
「魚に鍵を挿してみたんだ。そしたら……」
僕たちが話してる間にも、沢山の魚が目の前に集まってくる。
何が起こっているのかさっぱりだが、その状況を見守るしかなかった。
ものの数分ほどすると、魚たちは大きな門の形になった。
「もしかして、出口?」
その門は、門の塔で見た魚の門そのものだった。
だが、門の塔で見た魚の門は木や金属で出来ていたが、これは魚そのものだ。
「これどうやって開ければ……」
門の一部になっている大きな魚のヒレが少し出っ張っている。これが、取っ手らしい。
「これを持って開ければいいのかな?」
「そうかも」
僕はその大きな魚のヒレを掴み、手前へと引っ張った。
沢山の魚で出来た門はゆっくりと開き、その奥には通路が広がっていた。
「出口みたいだね」
「……実は大きな魚の口なわけないよね?」
「金の鯉のことまだ引きずってる?」
「ちょっとだけ」
ミキは苦笑いしながらそう言った。
僕たちは意を決して、中へと入った。中へ入ると水はなく、空気もあった。
僕たちは、頭に付けていた泡の魔法を消し、中の様子を覗いながら、通路を歩き始めた。
「ほんとに、ほんとに出口だよね?」
「もし大きな魚の胃袋だったら、ミキの雷の魔法で胃袋を焦がしちゃえばいいよ」
「ちょっと!茶化さないでよ!あのときは出るのに必至だったんだから!」
「ごめんごめん」
僕たちは通路をコツコツと音を鳴らし進んでいく。
今のところ、何かの体内にいるという感覚はない。やはり出口らしい。
「でも、よく魚に鍵なんて挿したね。そんなの思いつかないよ」
「たまたま目の前にいた魚の口が鍵穴に似てたんだ。本当に興味本位だけだったんだけど、まさかあの魚が門の出口だったなんて僕もビックリしてるんだ」
あれは偶然だったのか……。今でも不思議だ。
「あ、そろそろ……」
ミキがそう言うので目の前を見ると、門がある。門の塔で見た魚の絵が掘られた”魚の門”だ。ここを出たら門の塔の一階だろう。
「開けてみよう」
僕は恐る恐る門を開ける。ゆっくりと顔だけを出し、外を見ると、門の塔の一階だった。
「ミキ!門の塔だ!帰って来たんだよ」
「ほんとだ!やったー!」
ミキはそう言って門を出た。僕もその後へ続く。
僕はサコッシュからマップを取り出す。”魚の門”と記された場所に星マークが付いていた。クリアの印だ。
「魚の門もクリアだね」
「この門は変なのいなくてよかった~」
「ほんとだね」
僕たちは泉の近くへ行く。
「これからどうする?すごく中途半端な時間だけど……」
現在の時間は、お昼を過ぎた2時か3時くらいのはずだ。晩御飯には早すぎるし、次の門へ入るには少し遅すぎる。
「今日はもうお休み!私、泳ぎすぎて疲れちゃったもん!」
ミキは出口を探すため数時間ほど泳いで周辺を探していた。泳ぐのは結構体力を使う。なのでとても疲れているようだ。
「それじゃあ、今日はもうおしまいだね。……アフタヌーンティーほど豪華な物はできないけど、それっぽいの作るよ」
「ほんとに?やったー!私、紅茶淹れるね」
ミキは物凄いスピードでお湯を沸かし始めた。
僕は食料棚へ向かった。
アフタヌーンティーっぽい料理……。簡単なサンドイッチがベストだと思った僕は、パンと少しの野菜を持って、ミキのいる場所へ戻った。
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