③ 船上パーティー
運河の水面が夜の闇を吸い込んで真っ黒に染まる。その上に高層ビル群の灯りが映り、行く船がそれを消していった。
船上パーティーが運河を行く。
船にグルリと巻きつけられた装飾用の電燈が淡い光を放ち、船上パーティーの人々が持つワイングラスをキラキラと輝かす。レイジは両手に持ったワインがこぼれないよう細心の注意を払いながら、甲板をゆっくり歩いてアオイの下へ向かった。時々、船体が右に左に揺れ、その度にワイングラスを凝視しながら仁王立ちでバランスを取らねばならなかったので、それが彼には少し恥ずかしかった。その様子を見て、アオイの口角は少し上がったが、外見上は自然な表情に見えるよう表情筋を必死で抑えた。アオイはレイジからグラスを受け取ると、乾杯、と一言、グッと飲み干した。レイジは乾杯と答えはしたものの、ワインに口はつけなかった。
夜で良かったよね。と、レイジは言った。何で? とアオイが尋ねる。だってそうだろ? 東京の運河なんて昼間は見てられないよ。緑と茶色が混ざったみたいな色してるし、運河に浮いてるのは魚の死体と得体の知れない何かの油とビニール袋と大量のクラゲばっかだ。そんなもの見ながらパーティーなんてたまったもんじゃない。アオイは運河を覗き込んでから、今どき、どこの川も同じようなもんでしょ、とグラスをあおった。が、そこで中身がもうないことに気が付いた。俺が取ってくる。ありがと。レイジはグラスを受け取り、自分のを彼女に渡すと、甲板を横切ってボトルの下へ急いだ。バランスを取らなくていいのが嬉しかった。
と、そこで一人の見知らぬ男が彼の前に立ちふさがった。その顔は真っ赤で、焦点が定まっていなかった。おい、テメー。はい? テメー、どーせ田舎から出てきたんだろ? は? テメーみてーな田舎のカスがよ、東京にケチつけてんじゃねーよぉ。男は突然レイジの右頬を思い切り殴りつけた。レイジはよろめき、グラスが手から滑り落ちた。グラスの弾ける音で、船上は一気に静まり返り、皆が二人の動向に注目し始めた。何するんですか! レイジが怒鳴り声を上げると、また別の男が二人の間に割って入った。ケンカはだめですよ! するとまた別の男が割って入った。やめとけって! また別の男。そのままにしとけって! そして、レイジの周りは団子状態になった。そのとき、八人目に入って来た男が重大なミスを犯した。つい、一人の男を殴りつけてしまったのだ。そこからは、もう火薬庫に火を点けたようなものだった。乱闘が始まった。計十三人の同じ正装姿の男たちが互いの頬を腹を殴り合った。頬を打ち付ける甲高い音が、別の頬を打ち付ける音にかき消されていく。乱闘の集団はだんだんと欄干に寄って行った。レイジも巻き込まれた。他の連中は黙って見ているだけだった。アオイも遠巻きにそれを眺めていたが、同じ服装の男たちが入り乱れているために、レイジを捉えることすらままならなかった。レイジは誰の頬も殴らなかったが、一人の足を踏んでしまい、それで怒りを買ってしまったのか、一度殴られた後、思い切り突き飛ばされた。飛ばされた先には柵がなく、一本のロープで仕切られているだけであったので、レイジは運河に落下した。しかし、アオイは彼の落下に気が付くまでに、時間がかかった。乱闘は完全に船の欄干に接して行われていたからである。
レイジがいないことに気が付いたアオイは、船中に響く大声で叫んだ。船、船を止めてください! 欄干から身を乗り出し、血眼になってレイジを探した。何人かに呼び掛けて、探すのを手伝ってもらった。しかし、運河はあまりに暗く、誰も手掛かりすら手に入れられない。スマホのライトも、何の役にも立たなかった。すると、太った男がオレンジ色の救命浮き輪を持ってきた。あれか! と、辛うじて見えた何かのシルエットにめがけて男が浮き輪を投げた。しかし、何かが浮き輪を取ろうとする気配は全くなかった。パーティーのライトに照らされて、少しずつその姿が見えてきた。それはゴミの集合体だった。アオイは何も言わず、呆然と水面を眺めていた。船も乱闘も止まる気配を見せなかった。
狂乱を乗せ、愛を一つ置き去りに、船上パーティーが運河を行く。
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