⑤ ボウラー
カランと甲高いストライクの音が場内に響き、少年はハッと我に返った。ボウリング場に併設されたバーの、赤く縁どられた黒いカウンターにもたれかかり、少年はジンジャーエールを飲んでいた。驚いたことに、少年は今自分がぼーっと何を考えていたのか、どうにも思い出せなかった。ちゅーっとジンジャーエールをストロー越しに飲む。炭酸の刺激とピリリとくるショウガが喉を焼いた。
隣に初老の男が座った。所々、歳を感じさせる皺が顔に刻まれているが、その顔は優しさと溢れる活力でイキイキしていて、まだ瑞々しい若さを孕んでいる。こんにちは、と男が言うと、こんにちは、と少年は返した。何か悩んでいるね? 彼は聞いた。どうして? 少年は聞いた。そういう顔だと思ったんだ。彼は言った。何かあるなら、私に話してみないかね?
少年は戸惑いながらも彼に今まであったことを話した。彼に話していると、不思議と言葉が口から溢れ出た。
男は話を一通り聞き終わると、バーテンダーにブラッディ・マリーを注文し、右隣の少年に向き直った。いいかね? 君はこの世界の裏を見たってワケだ。それは衝撃的な体験だったろう。そして、キミはこの世界の本質を無慈悲で、残酷で、皮肉っぽく、価値のないものだと判断した。そうだろう? だがね、裏を見たからといって、この世を理解した気になっちゃいけない。ここはひとつ、この世界の真実をコインに見立てて考えてくれ。皆、普段はコインの表の面を見ている。だが時々、君みたいに裏の面を見る人がいる。そして、普段見ていないから、それが世界の真の姿だと思い込む。でも、それは世界の真の姿じゃない。さっき言ったように世界の真実はコインそれ自体なんだ。コイン全体を、裏も表も側面も底も、一度に全て見なければ、真実の姿は見えない。だが、それは不可能なんだ。結局、人間は「自分の視界」という一点からでしか物事を観測できない。一人の人間がコインの裏も表も側面も底も一度に見ることは出来ないんだ。裏の面を見てるってことは、表の面が見えてないんだよ。
バーテンダーがブラッディ・マリーを男の前にコトンと置くと、男はニコリと笑って軽く頷いた。まぁ、しがない老人の戯言だと思っていい。再び少年にそう言うと、ストローを口にくわえて啜り、グラスからセロリを引き抜いて、シャクっと齧った。ブラッディ・マリーの赤が、澄んだセロリから滴っていた。正直、少年には意味不明な話だった。ただ、この話をこのまま記憶の外へ打ち捨てるのも、やっぱり間違っているような気がした。男と並んで、少年はジンジャーエールを飲んだ。グラス内の嵩が減って、氷がカランと顔を出す。少年はボウリング場をグルっと見渡した。レーンはどこまでも広がっているように見えた。遠くのほうで、カンとスペアの音がして、少女がグっとガッツポーズをした。
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