純白

 気がつくと、私たちは廃ホテルの外にいた。

 陽は沈んでいて、夜になっている。

 辺りを見渡すと、彼方ちゃんが作った幻影は全て霧散していた。

 そして、そこには寂れたビジネスホテルではなく、噂の煌びやかな廃ホテルが立っていた。

 それを眺める私を見て、彼方ちゃんが冗談めかして笑う。


「せっかくちゃんと好き同士になったんだしさ、ホテル入ってみるー?」

「……へっ!?」


 私の顔はトマトみたいに真っ赤になって、頭から蒸気が上がった。


「はは、冗談だよー」

「か、彼方ちゃんっておっとりしてるようで、意外と肉食系なんだね……」

「そうかもー」


 優しく微笑んで目を細める仕草が、なんだか獲物を狙う鋭い眼光のように見えてきた。

 私は身震いしながらも、それが少し気持ちいいと感じてしまった。


「そういえば、今日ここに来るまでに『NOPE』の話してたよねー」

「うん、してたね」

「わたし、あの映画観て、一方的な支配っていけないことだなーって思ったの」


 彼方ちゃんは「気をつけないといけない」と言っていたけど、そっちのことだったか。あのときは普通に神隠しホテルに向かう最中という体だったから、てっきり「超常的な存在には面白半分で触れちゃいけない」ってことを示唆しているのかと思っていた。


「それで、なんで急にその話を——」


 私がそう訊ねようとしたところで、彼方ちゃんが私の肩を抱き寄せて、耳元でこう囁いた。


「……わたしもね、叶望を支配したいって思っちゃったんだよー」

「……っっ」


 体中が快感でビリビリする。

 耳の内側に彼方ちゃんの吐息の温もりが残る。


「……いけないことだって分かってる。それに、あんな宇宙空間に閉じ込めようとしたことだって反省してる。でもね、改めて叶望に好きだって言ってもらえたら、もっと欲張りになっちゃったんだー」


 ……いわゆる独占欲というやつだろうか。

 確かに私は彼方ちゃん以外の人とも、ちゃんと仲良くなろうと思っているけど、私にとって特別な人は彼方ちゃんだけだ。

 だから、彼方ちゃんは何も心配いらないはず。


「ねー、叶望。わたしから離れないって約束してくれるー?」


 ……心配いらないはずなんだけど……そんなことは口に出して伝えていないし、しっかりとそれを言動で示す必要があるのかもしれない。

 相手の様子を伺っているだけではいけないのだ。

 私は今夜それを学んだ。

 だから私は——。


「……彼方ちゃん」

「……うん?」


 両手で彼方ちゃんの顔を引き寄せて、目を瞑る。


「————ちゅ」


 ——彼方ちゃんにキスをした。

 頬と唇じゃない。唇と唇を重ねたキスだ。

 初めてだから、どれくらい長く続けたらいいのか分からなかったけど、その瞬間は永遠のように思えた。


「か、かか、叶望!?」

「……これが約束の証……ってことで」


 私は少し照れて俯きながら、彼方ちゃんを見遣ってそう言った。

 素直になるって、きっとこういうこと……だよね。

 …………違う?


「か、叶望、意外とグイグイくるタイプなんだねー……」

「……? 素直になってみたっていうか……それだけだよ」

「それは素直のレベルじゃないよーー」


 どうやら、私はまた空気が読めていなかったらしい。これは、家に帰ったらまた一人反省会かな……。

 ——でも、悪くない感覚だ。


 その後私たちは、来たときよりもぎこちなく、ドギマギしながら、二人で手を繋いで帰路に着くのであった。


◇◇◇


 季節は巡り、冬が訪れる。

 今日はホワイトクリスマス。

 放課後、わたしは叶望とデートの約束をしている。

 昼休み、わたしはいつも通り、叶望と真秀と美穂の四人で昼食を食べていた。


「お前ら、寒くなったら余計くっつくようになったよな……」

「えー、だって、叶望あったかいんだもんー」

「彼方ちゃんもあったかいよー」

「えへへー」

「バ、バカップルだ……」


 わたしと叶望が抱き合っていると、真秀と美穂が生暖かい視線を送ってきた。


「二人はこういうことしないのー?」

「んなっ。わ、私たちはただの幼馴染なんだから! そんなことしたいわけあるじゃん!」

「いや、したいんかい」


 この二人もなんだかんだでお互いのことを特別に思っている。

 だから、わたしはたまにこうやってちょっと刺激を与えている。


「したいよ!」

「キレんなよ……」

「体質だよ!」

「知ってるよ……」


 二人は幼馴染漫才を終えると、食べかけのパンを置いて、ぎゅっと抱き合った。

 わたしと叶望は、その光景を微笑ましく見つめていた。


「ねー、叶望。今日はお出かけしたら叶望の家に行くんだよねー」

「うん。家族は用事があってみんないないし」

「……なんかちょっとドキドキするねー」

「だね」

「ちなみに今夜は何の映画を観る予定なの?」

「クリスマスだし、それにちなんだ映画がいいかなーと思ってたんだけど……」

「ふむふむ」

「『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』とか『ホームアローン』とか『グリンチ』とか……」

「ほー」

「でも……」


 叶望がこちらを向くと、目を輝かせて言った。


「やっぱり『バイオレント・ナイト』かな」

「はは、雰囲気ぶち壊しだー」

「嫌だった?」

「ううん。叶望らしくて好きー」

「だよね」


 叶望はパチンとウィンクして、にやりと笑ってみせた。


 わたしはあの神隠しの日、叶望を連れ去ろうとした。

 そして、その上で叶望に拒絶されたら、また全てを捨てて逃げ出そうと思っていた。

 でも、叶望と向き合うことができたおかげで、こんな日常を手に入れることができた。

 客観的に見れば、なんてことのない、ただの日常。

 だけど、そんな日常が、叶望のいるこの生活が、わたしにとって宇宙で一番尊いものだと感じている。

 だからわたしは、この先きっと何が起きても、この日常を手放したりはしない。

 もちろん、いつかは故郷の星のこととか、色んなことを考えなければならない日がくるかもしれない。

 それでも、それまでは、わたしはこの幸せな日々を、三人と……叶望と、大切に過ごしていきたいと思う。


「叶望、今日楽しみだねー」

「うん!」


 今はただ、この曇りない白百合のように純粋無垢な笑顔と一緒にいられたら、それでいい。

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宇宙に咲く百合の花 リウクス @PoteRiukusu

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