好きです

「……な、何か分かった?」

「……えっと、うん。試してみたいことがあるんだけどー……」

「試してみたいことって……?」


 私がそう訊くと、彼方ちゃんはおもむろに私の手を握った。

 思わぬ出来事に、私は手汗をかいた。

 『シャイニング』には動揺しなかったのに。


「わ、私の手がどうかした……?」

「…………改めて訊くけどさ。叶望は……わたしのこと好きー?」

「へっ……?」


 そう言う彼方ちゃんは、上目遣いで懇願するように瞳を潤ませて、私を見つめていた。

 その瞬間、私の心臓は大きく跳ねた。

 あっという間に顔が赤くなる。

 ドキドキする。


「好きー?」


 彼方ちゃんがグッと顔を寄せる。

 吐息が顔にかかりそうなくらい近い。

 なんだか甘い香りがする。

 脳から何かの神経伝達物質が分泌されているのが感じられる。

 こ、この気持ちはなんだろう……。

 むず痒いような、でもやめてほしくないような……。


「……え、えっと……わ、分かんない、です……」


 私は恥ずかしさに耐えきれなくなって、とりあえず曖昧な返答をした。

 すると、彼方ちゃんは頷きながら「なるほどー」と納得したように言った。

 一体何を確かめられたのだろう……。

 唖然としていると、彼方ちゃんがまた私に視線を向けた。


「……今度は目を瞑ってくれるかなー」

「い、いいけど、何を試してるの……?」

「秘密かなー」


 悪戯っぽい表情で、唇に人差し指を当てている。

 それが妙に蠱惑的に感じられて、私の呼吸は荒くなる。

 そして、言われた通り、目を瞑った。


「いいよーって言うまで、そうしててねー」

「うん……」


 視覚で得られる情報がなくなると、聴覚が鋭くなるみたいで、心臓の鼓動や逸る呼吸が、さっきよりもはっきりと耳に入ってくる。そうやって動揺を自覚するほど、ドキドキは強くなっていく。

 彼方ちゃんの吐く息の音に、体中が痺れるような感覚を覚えた。

 そして——。


「ちゅっ」


 一瞬静寂が訪れると、彼方ちゃんが私の頬に————えっ?


「目、開けていいよー」


 彼方ちゃんの指示通り、私はゆっくりと目を開けた。


「……い、今、何したの……?」

「何って——」


 彼方ちゃんが自分の下唇を指で押さえながら言った。


「——キス、だよー?」

「……キ……えっ? キ、キス……!?」


 …………なんで!?


「ほっぺただから安心してよー」

「いや……そ、それは普通に分かるんだけど……」


 キ、キスで何を試そうとしたんだろう……?

 私の告白が本物か偽物かの問題を検証する上で必要なことなんだろうっていうのは察しがつくけど……。

 この一連の動作になんの意味が……。

 私の心臓は破けてしまいそうなくらい激しく躍動していた。


「じゃあー、最後の確認」

「ま、まだ何かするの……」


 ほんの少し前まで彼方ちゃんが見せていた物憂げな表情はどこへやら。

 明確に何かを確信したように、グイグイくる。


「『わたしのこと好きー?』って訊くから、『いいえ』か『ノー』で答えて」


 うん……?

 一瞬、さっきと同じ質問を繰り返されると思ったけど、「はい」か「いいえ」じゃなくて、「いいえ」か「ノー」……?


「イエスかノーで答えるんじゃなく……?」

「そー。絶対否定ねー」

「……わ、分かった……」


 何も分かっていないけど。


「じゃあ——叶望、わたしのこと好きー?」


 彼方ちゃんが誘うような笑顔を私に向ける。

 直視できない……けど、顔を少し逸らして薄目で覗きながら、私は言った。


「……の、のー!」


 つまり、「いいえ」。

 私に選択肢を委ねられるよりかは、幾分返しやすかった。

 でも、わざわざそんなこと言わせて何になるんだろう。否定の言葉なんて聞いても悲しいだけなんじゃ——。

 …………いや、分かってしまったかもしれない。

 彼方ちゃんは本物と嘘の言葉を聞き分けることができる。そして、今までの話を聞いた感じ、それは彼女の意思に依らず、自動的に判別される。

 つまり私の「のー」も例外ではなく——。


「……叶望、嘘ついてるねー」


 好きかどうかに対して「いいえ」で返し、それが嘘だとしたら、実質的にその裏が本心ということになる。

 つまり…………「はい」ということだ。

 そして、それが意味するのは、私が彼方ちゃんのことを——。

 彼方ちゃんは満ち足りたように、両手を重ねて自分の胸の前に置いた。


「もう一回だけ訊くねー。叶望はわたしのこと好き?」


 そして、恐らく最後の質問。

 まるでそれに呼応するかのように、私たちを囲む宇宙空間が溶け出したように滲んで、様相を変えた。

 星々が散り散りになり、光を放つと、その眩しさの中から様々な物が溢れ出して規則的に整列した。

 それは……机、椅子、黒板、教壇、教卓、ロッカー……。

 ——今、私たちは教室にいる。

 あの日みたいに、窓の外には満開に咲き誇る桜の木が立っていた。

 それは桃色ではなく純白だった。

 彼方ちゃんは自分の席に座り、私は彼女に声をかける。

 彼女が振り向くや否や、私は喉の奥につっかえている感情を吐き出すように、ゆっくりと口を開いた。

 ……あの日と違うのは、私が自分の意思で自らこの言葉を口にするということ。

 私の顔が、燃えるように熱くなる。

 そう、私は彼方ちゃんのことが——。


「————好きです!!」


 その言葉を声に出して自覚した。

 私があの日、彼方ちゃんに声をかけたのは、人間じゃない彼女と友達になりたかったからだけではない。

 私は…………彼方ちゃんに一目惚れしていたのだ。

 だから、たとえ言い間違えで愛の告白をしたとしても、その気持ち自体は本物だから、嘘だとは思われなかった。

 それが、言い間違えが本物であるという、一見矛盾した問いに対する真実。

 人間じゃないから声をかけたというのは、もしかすると、私が素直な気持ちを隠すための言い訳に過ぎなかったのかもしれない。


「——わたしも好きだよ、叶望」


 彼方ちゃんが満面の笑みで私の気持ちを受け止める。

 ああ、そうか。

 私は最近、嫌われないように、周りを見て話すとか、空気を読むとか、そういうことを意識してきた。

 だけど、嫌われないようにってだけじゃ、結局のところ人と距離を縮めることなんてできない。

 空気が読めない私は人を不快にさせてはいけないと思っていたけど、それは自分が傷つきたくないだけだったんだ。


「叶望」


 彼方ちゃんが椅子から立ち上がって、私の正面に立つ。

 そして、腕を大きく広げてから、私を抱きしめた。


「……彼方ちゃん」


 誰かに好きって気持ちを正直に伝えるのは、とても恐ろしいことだ。

 「好き」に対する否定の返事は、言葉だけでなく、その人自身を拒絶するものになりかねないから。

 ……でも、もし相手が自分の気持ちを受け止めてくれたなら、それは世界で一番幸せなことだ。

 自分の好きな人が自分の存在を肯定してくれる。自分が自分だからこそ、一緒にいたいと思ってくれる。

 その他大勢の誰かじゃない、宇宙で唯一の人間になれる。

 ——そしてそれは、素直になるっていう、一番難しくて一番簡単な行動が可能にしてくれるのだ。


「……叶望」


 私は彼方ちゃんの胸の中で幸せを噛み締めながら、目を閉じた。

 ……私は多分これからも、空気を読もうとして本心を隠すことがあるだろう。

 それでも、誰かと仲良くなりたいと思ったときは、取り繕わない素直な自分を出していこうと思う。

 少なくとも、こうして繋がることができた彼方ちゃんの前では、絶対に。

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