力
————目を覚ますと、視界には暗闇が広がっていて、あたり一面に煌めく点のようなものが散らばっていた。
赤、白、青……。
大小様々、神秘的な輝きが見える。
ここは……どこだ?
さっきまで二三七号室にいて……それで——。
私はもう一度あたりを見渡した。
そして、一歩足を踏み出そうとしたところで、気がついた。
……宙に浮いている……!
私は唐突な浮遊感に襲われて体の重心を失った。
慌てた手足が空を切る。
上下左右が目まぐるしく替わっていく。
『ゼロ・グラビティ』みたいだ、なんて考えている余裕はない。
とにかく私は必死に、一方向を向いていられるようにバランスを取ろうとした。
私は今——宇宙空間にいるのだ。
なぜ呼吸ができているのかは分からない。
「……気がついたー?」
私が急展開に取り乱していると、どこからか彼方ちゃんの声が聞こえた。
その声がする方向に意識を集中させると、不思議と私の体はゆっくりと安定を取り戻していった。
「か、彼方ちゃん……これは……」
私が訊くと、彼方ちゃんは物悲しそうに言った。
「……神隠し、かなー。まーわたしは、神でもなんでもない、ちっぽけな存在だけどー」
薄氷を踏むような足取りで、彼方ちゃんがこちらへ近づいてくる。
「……ねー、叶望。最初に確かめておきたいことがあるんだけどー」
「な、何……?」
「……叶望は、わたしが人間じゃないって、初めから知ってたんだよねー?」
——っ。
「……」
私は推し黙った。
なぜなら、彼方ちゃんの言う通り、私は彼女が人間でないことを知っていたからだ。
……私には、人とそれ以外を見分けられる力がある。
そして、ずっとそれを隠し続けていた。
私は——彼方ちゃんが人間じゃないから、あの春の日、面識のない彼女に声をかけた。
下心があったのだ。
人間じゃない彼女となら、私でも友達になれるのではないか、と。
それに加えて、元々抱えていた怪異に対する憧れが私を突き動かす衝動になった。
でも、それは一人の人間として暮らしている彼方ちゃんに対してあまりに不誠実な気持ちだ。
だから、私は彼方ちゃんに失望されないように、一緒にいられるように、取り繕い続けた。
「やっぱり、知ってたんだねー。……多分だけど、私に声をかけたのって、私が人間じゃなかったからだよねー」
「…………う、うん」
「……そっかー、そうだよねー」
彼方ちゃんが一つ大きなため息をつく。
それは私に対する憤りではなく、事実に対する悲嘆を吐き出しているようだった。
「……改めて、宇宙人の彼方ですー。よろしくねー」
宇宙人……。
まさか、自分が『未知との遭遇』を体験する日が来るとは。
私は人とそれ以外を見分けられるけど、具体的になんなのかは判別できない。
だから、今まで彼方ちゃんを観察しながら様々な可能性を考えた。
幽霊、妖怪、精霊、天使、悪魔、その他諸々……。
そのどれにも当てはまらなかった上に、怪異らしい特徴がなかったから、人間に近いどこか別の星の住民なんじゃないかって思っていたけど、どうやら大方当たっていたらしい。
……でも、正直まだ分からないことだらけだ。
「……か、彼方ちゃんにいくつか質問してもいいかな」
「……いいよー」
「……まず、あの部屋は……何?」
「何って、『シャイニング』だけどー」
「そ、それは分かるけど……。そうじゃなくて」
私は一度咳払いをした。
「……あの部屋、どうやったの」
「……どうやったっていうと、細かいあれこれを言葉で説明することはできないけど。端的にいえば、わたしには幻影を生み出す力があるからかなー」
とんでもないことを当たり前のように言う彼方ちゃんに、私は目を丸くした。
宇宙人とはいえ、限りなく人間に近しいものだと推測していたから、そんな魔法使いみたいな力があったとは驚きだ。
「とはいえ、そんな大層な力ではないよー。設定した座標から決められた範囲内でしか作れないし、故郷の星ではみんなできたしー」
それでも大層な力だとは思うけど……。
ともあれ、ひとまず、あの部屋が彼方ちゃんの力によって意図的に作られたものだということは分かった。
「あ、ちなみにあのホテルも丸ごと幻影だよー」
「そうなんだ……」
正しい道筋で進んでいたのに、見当違いの場所に着いてしまったのはそれが原因だったのか……。
ということは、二三七号室を見つけたときも、一芝居打っていたわけだ。
「……じゃ、じゃあ、次の質問、いい?」
「いいよー。叶望がそうやってわたしのこと積極的に訊いてくれるの、嬉しい」
純粋無垢に破顔した彼方ちゃんは、彼女が宇宙人だと知った後でも、なぜだか愛らしく見えた。
「えっと……なんで、あの部屋を作ったの?」
「……そうだねー。まず第一に、叶望が喜んでくれると思ったから。……それから第二に、叶望なら躊躇いなくあの部屋に入ってくれると思ったから。最後に、ああやって気絶してもらって、ここに閉じ込めようとしていたから、かなー」
「…………」
「何でそんな神隠しみたいなことをしたんだって、顔をしてるねー。そりゃあ、せっかく神隠しホテルに来てもらったんだし、神隠しを体験してもらわないと損じゃないかなーと思って——って、叶望はあの噂がデタラメだってことも、あれが例のホテルじゃないことも知ってるんだよねー」
「……わざわざ幻影で違うホテルを作り出したのは、人避けのため?」
「その通りー。噂になってるホテルだと、わたしたち以外にもミーハーな人たちが来ちゃうだろうからねー」
……なるほど、大体の状況は把握できるようになってきた。
彼方ちゃんは人気のないところに私を連れ込み、罠に嵌めて、この宇宙空間みたいな場所に閉じ込めようとした、と。……整理してみると、なかなかに奇想天外だなあ。
私を狙った計画だとすると、真秀ちゃんと美穂ちゃんが誘いを断ることは、やはり想定済みだったということだろう。
そもそも、どうしてそんな手の込んだことを……?
「……じゃあ、次の質問」
「どうぞどうぞー」
「……私が怪異の類を怖がらないことを知ってたのは、なんで?」
「おー、そこを訊いちゃうのかー。うーん、ここまで来たら私も隠し事をする必要ないとは思うけど……これはちょっと勇気がいるかもー」
「あ、あんまり人に話したくないことなら……別に……」
私も混ざり者を見分けられる体質のことは、人に話さないようにしていたわけだし……。
「……叶望は優しいねー」
「そ、そうかな」
「そうだよー。だって、その気遣いは“本物”だから」
「……本物って?」
一旦呼吸を整えてから、彼方ちゃんが答える。
これを聞いたら、私たちの関係が決定的に変わってしまうような予感がした。
「…………わたしはね、人の言葉が”本物“か”嘘“か分かるの」
「それってつまり……」
「私の前で嘘をついても、通じることは決してないってことだねー。だから、現実のお化けは怖いだなんて言われても、それが嘘だってことはお見通しだったよー」
本物か嘘かを見破る力……。
私が人とそれ以外を見分けられるように、そういう精神の機微を感じ取れる力があっても、不思議なことではないのかもしれない。
実質的に人の心が読めてしまうというのは……私だったら耐えられないかもしれない。
嘘かどうか分かってしまうなら、相手の建前に対して、都合の良い解釈ができないということだ。
相手が自分に気を遣ってかけてくれた言葉が本物じゃないんだって感じたら、私はもうその人のことを完全には信頼できなくなってしまうかもしれない。
私は密かに、自分が彼方ちゃんにそういうことをしたことがありませんようにと願った。
「…………彼方ちゃんは…………私が人とそれ以外を見分けられるって、知ってたんだよね」
「……うん」
「……それって、その力のおかげだったりする……?」
「……そうだねー。結構あっさりと、なんてことない会話の中でねー」
一体いつのことだろう……。
私の力があっさりバレるような嘘だとしたら、「彼方ちゃんは人間だよ!」くらいのものだと思うけど。そんなこと言うシチュエーションなんて考えられないし……。
「わ、私……どんな嘘ついてたの?」
「えっとねー。『彼方ちゃんは人間だよ!』って言ってたかな」
「えっ……!?」
本当にそんなこと言ってたの……!?
「そ、そんなこと言ったっけ……」
「言ってたよー。まー叶望、結構慌ててたし、勢いでつい言っちゃったって感じだったけどー。わたしじゃなきゃ、変なこと言うなーくらいの感覚だっただろうねー」
「い、いつ……?」
「先月だったかなー。わたしが叶望に後ろからワッて驚かせたら、すごくびっくりしててー。『そんなお化けを見るような目で見なくてもー』って言ったら、『お化けじゃないよ! 彼方ちゃんは人間だよ!』ってー」
そういえば、そんなことを言っていたような気がしないでもない……。
私は慌てると思考停止して、突拍子もないことを言ってしまうみたいだ。初対面のあのときみたいに。
「わたし=人間が嘘なら、この子多分分かるんだろうなーって感じで気づいたってわけー」
「……そうなんだ」
「そうなんです」
私が小さな頃から、他人にずっと秘密にしていたことが、こんなにあっさりと……。
……私は昔、この体質のせいで、周囲の人から良く思われないことが何度かあった。
例えば昔、友達の家でテレビを見ながら、名前も知らない芸能人を指さして、「あの人、人間じゃない」って言ったら、隣に座っていた友達に「何言ってるの……」と、訝しげな顔をされたことがある。あの子はその芸能人のファンだったらしいから、誹謗中傷されたんだって思ったのかもしれない。
他にも、小学校低学年の頃、人間じゃないことを隠そうとしている子がいて、それを察することができなかった私が「何で人間のふりしてるの?」と訊いたら、酷く罵声を浴びせられたことがある。
私がちゃんと冷静にものを考えられる歳になるまで、そういうことが何度もあった。
だから、私は自分が人間とそれ以外を見分けられるということを、もう二度と口にしないと決めていた。きっとまた、誰かを傷つけることがあるだろうから。
たとえ、彼方ちゃんみたいな子に出会って、友達になれたとしても。
自分が意図しない形で、秘密を他人に知られる状況は、あまり気持ちのいいものではないはずだ。
「彼方ちゃんは、私に秘密を知られてたこと、嫌だった……?」
「……嫌、ってわけではないけど、知ってて知らないふりしてるっていうのは、寂しかったかなー……」
そう言う彼方ちゃんは、私と真秀ちゃんと美穂ちゃんが三人でカラオケの話をしていたときと同じ顔をしていた。
「……ごめん」
「ううん。これについては、叶望が秘密にしていた理由も、なんとなく分かるし。知らない間に相手の秘密を握ってるって点でいえば、わたしも同じだしねー……」
彼方ちゃんが胸の前でぎゅっと拳を握りしめる。
伏し目がちで、何かを思い出しているみたいだ。
正直、廃ホテルに着いてからは、彼方ちゃんのことがよく分からなくなっていた。怖いとさえ感じる瞬間もあった。
でも、思い返せば、私は本当にただ知らなかっただけだったんだ。無意識に知らないものは怖いものだと思い込んでいた。
少なくともお互いのパーソナルな部分に触れかけている今、目の前にいる彼方ちゃんは不審者なんかには見えない。何か悩みを抱えている一人の女の子に見える。
だから、私がここで取るべき行動は、一歩引いて様子を見ることじゃないんだと思う。
彼方ちゃんに対して踏み込んでいく姿勢を見せなければならないのだと、そう感じた。
「…………ねえ、彼方ちゃん。もし、彼方ちゃんが嫌じゃなかったらだけどさ……話、聞かせてくれないかな。……彼方ちゃんの今までの暮らしとか……私をここに連れてきた理由とか……」
自分のことを嘘偽りなく人に話すのは、想像するよりもずっと、勇気がいる。
だから私は、できる限り私の想いが届くように、誠実な声音で彼方ちゃんに語りかけた。
「……私、突然こんな宇宙空間に連れてこられたことには驚いてるし、怖いけど……彼方ちゃんに悩みがあるなら……助けになりたいから……」
「叶望……」
彼方ちゃんが私を見遣って、申し訳なさそうに呟いた。
そして——。
「…………うん。今までのこと、話してみてもいいかもしれない……叶望のためなら」
彼方ちゃんはそう言ってくれた。
決心した彼女は、緊張しているのか、ゆっくりと深呼吸をしていた。
さっきまでは、自分の計画に沿って、あくまでも冷静に振る舞っているみたいだったけど、今の彼方ちゃんからは、なんだかとても脆く繊細な雰囲気を感じる。
……まるで、そこにいるのは彼方ちゃんではなく、私なんじゃないかって思えるくらいに。
「わたしね——」
——それから、彼方ちゃんは故郷の星や、この地球での暮らしを回想し始めた。
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