彼方の過去

 わたしの故郷の星では、幻影を生み出す力に加えて、みんな何か一つずつ固有の能力を持っている。

 水を操ったり、火を吹いたり、空を飛べたり、車みたいな速さで走れたり。

 その大半が物理的な作用を及ぼすもので、心を読むなど、精神系な能力を持っている人はほとんどいなかった。

 でも、わたしの能力は世にも珍しい精神系のものだった。

 そして、精神系の能力は、基本的にあまり好意的な印象を持たれない。

 人は言葉や気持ちの解釈にある程度の幅を持たせることで、自分にとってできる限り都合のいい現実を認知し、気持ちよく生きていくことができる。

 そこに精神系の能力が介入するのは、とても怖いことだ。

 わたしは本物の言葉と嘘の言葉を聞き分けることができる。

 わたしが会話に入ると、みんな建前が使えなくなって、自分を守る盾を失ってしまう。

 わたしは幅のある解釈ができず、それが本当かどうかで判断してしまうから、いわゆる“優しい嘘”が通用しない。

 わたしが小さな頃にペットの猫を亡くしたとき、友達は言ってくれた。「きっと天国で幸せに暮らしてるよ」って。

 でも、幼いわたしは自分の感情をコントロールできなくて、その友達に言い返してしまった。

 「天国があるなんて信じてないのに、よくそんなことが言えるねー」って。

 もちろん、その友達がわたしに優しい感情を向けてくれたことは紛れもない本物だった。けれど、言葉はわたしを慰めるための嘘だから、わたしは気持ちごと偽物だと判断して、彼女の優しさに気づくこともなく、酷いことを言ってしまった。

 それから、その友達とは疎遠になって、気づいたら、わたしの周りには誰もいなくなっていた。

 わたしには両親がいないし、わたしを預かってくれていた親戚の人たちからは疎まれていた。

 信頼できる家族も友達もいない。

 次第にわたしの心は衰弱していった。

 そんなときのこと、わたしに転機が訪れる。

 わたしの故郷の星は、みんなが特殊な力を持っていたことで文明が栄えていた——いや、栄えすぎていたことで、環境の悪化が進む一方だった。

 そこで十数年も前から他の星に移住する計画が立てられていた。

 わたしが小さな頃には、わたしの星はすでにいくつかの星と契約を結んでいて、いつでも移住することが可能な状態にあった。

 移住は基本、テレポーテーションデバイスで行われる。

 わたしは親戚の人たちととある星に移住する予定だった。

 でも、わたしは移住の前日にデバイスを奪い去って、一人で地球に向かい、ログを消去して追跡をできる限り困難にした。

 きっとわたしは行方不明ということになっているだろう。

 それからわたしは、完全にこの地球の住民として暮らし始めた。

 ……わたしは、すべてを捨てて逃げ出してきたのだ。

 戸籍も何もない最初の頃は大変だったけど、それでも中学三年生になる頃には、もう普通の地球人と変わりなく生きていけるようになっていた。


 高校一年生になったわたしは、真秀と美穂と友達になった。

 きっかけは体育の授業。

 二人一組でペアになって準備運動をしろと言われて、わたしは案の定一人取り残されていた。

 そんなわたしを見つけて、真秀と美穂は仲間に入れてくれた。


「一人?」

「う、うん……」

「じゃあ、アタシとペアになるか?」

「……え、いいのー? だって、もうペアがいるんじゃ……」

「美穂のことか? アイツはほっといても大丈夫だろ」

「ちょいちょーい! 勝手に置いてけぼりにするなー!」

「なんだよ、もしかして寂しいのか?」

「はぁ? 何言ってんの? 寂しいに決まってるじゃん!」

「いや寂しいんかい。素直なのはいいけどさ」


 二人は最初からこんな調子で、わたしはすぐに心を開くことができた。

 それ以降、わたしは二人と一緒にいることが増えた。

 幸い、二人は何かと直球な性格をしていたから、わたしが本音と建前に惑わされることもほとんどなかった。

 全部捨てて地球に来たのだから、今度こそやり直すんだって、二人のことを大切にすると心に誓った。

 でもある日、移動教室で渡り廊下を歩いているときに、ふと気がついた。

 わたしは二人の後ろをついて回っているだけだって。

 わたしは二人とはそれなりに仲が良いと思っている。けれど、考えてみれば、二人は十数年一緒にいた幼馴染同士で、今更部外者のわたしが二人の親密さに追いつけるはずがなかったのだ。

 振り返ってみると、何気ない会話の中で、わたしは二人に距離を感じていた。

 わたしが知らない間に二人だけで遊びに行った話、家族ぐるみでバーベキューをした話、お泊まり会をした話。

 そんな話を当たり前のようにする二人に、わたしは絶対に追いつけないんだと確信した。

 もちろん、わたしを含めた三人で遊ぶことだって何度かあった。でも、必ずしも三人一緒ってわけではなくて、わたしと幼馴染の二人組の間には、明確な境界線ができているように思えた。

 身勝手だけど、わたしはそれがとても寂しかった。

 信頼できる友達ができたはずなのに、踏み込めない。

 踏み込んでもいいのか、分からない。

 だって、今まで友達がいなかったから。

 わたしはそんな漠然とした不安を抱えながら、二年生になった。

 そして——叶望と出会う。


 始業式の日の放課後、わたしはいつも通り、今年も同じクラスになった真秀と美穂と一緒に固まっていた。

 新しい友達を作る気はなかった。

 作ったところで、その人が二人のように裏表のない人間だとは限らないからだ。

 今年も二人との関係維持に努める。

 それがわたしの目標だった。

 ——でも、そんなわたしの考えを、あっという間に上書きしてしまう存在が、突然現れた。


「好きです……!!」


 それが——叶望。

 わたしの一番大切な人。

 叶望は、わたしに話しかけるや否や、愛の言葉を叫んでくれた。

 わたしは驚いた。

 だって……その言葉は嘘じゃなかったから。

 冗談でも何でもなく、本気で、叶望はわたしに「好きです」と言ってくれた。

 わたしの能力が間違いであることはない。だから、叶望の告白は正真正銘真実なのだ。

 あのとき、わたしは何も気の利いた返事をすることができなかったけど、真秀と美穂が叶望を面白がって、叶望がわたしたちのグループに加わった。

 あれからまだ三ヶ月弱しか経っていないけど、あれがこれからの人生を決定づける運命の瞬間だったんだと思う。


 叶望は人と話すのがあまり得意な子ではなかった。

 でも、不器用ながらに頑張って、わたしに純粋無垢な言葉をかけてくれる姿がとても愛おしかった。

 上手く話せなくて落ち込んだり、勇気を出して披露したジョークを笑ってもらえて喜んだり、彼女が発する感情全てが尊く感じられた。

 後ろ向きなわたしとは違う、不器用ながらに頑張る彼女に憧れて、惹かれた。

 ……そして、好きになっていった。

 真秀や美穂のことは今でも大切な友達だと思っていて、それは決して変わらない。

 ただ、叶望はそれ以上にわたしにとって特別で、かけがえのない存在になったのだ。

 わたしはあの日の告白が忘れられない。

 人生で初めて受け取った愛の言葉。

 わたしの感じる孤独を全部取り払ってくれるみたいだった。


 でも、ここ最近は叶望の様子がおかしい。

 出会ってからしばらくの間、叶望の言葉に嘘はなかった。

 叶望もまた、真秀や美穂のように言葉を素直に直球で伝えるタイプの人間だった。

 言葉数は少なくとも、一つ一つからしっかり叶望を感じ取ることができた。

 ……だから、ここ最近の叶望が嘘の言葉を使うようになって、わたしは困惑している。

 口数も一層減って、何か話しても奥行きがない。

 人の顔色を窺って、取り繕って、良い子であろうとしている。

 わたしに気を遣っているのか、わたし抜きで遊んだことがあっても、その話題を口にしようとしない。

 わたしは三人と予定が合わないことが多い。というのも、わたしは今でも故郷の星の人間の追跡を避けるために、日々様々な細工を施す必要があって忙しいからだ。それも決まった時間にすることではなく、臨機応変に対応しなければならない。

 それで叶望たちと遊べないことは確かにとても寂しいけど、気を遣って何も話してくれないのは、もっと寂しいし、悲しい。

 一年生のときは、真秀と美穂が二人きりで遊んだ話を聞いて距離を感じていたけど、それは多分、話しても嫌に思われないだろうという、多少の信頼があったからなんだと思う。

 でも叶望はわたしのことを二人みたいには信頼してくれない。

 わたしに好きだって言ってくれたのに。

 わたしに対して素直になってくれない。

 わたしと距離を縮めてくれない。

 わたしのこと嫌いになっちゃったのかもしれない。

 そうやってわたしは段々と疑心暗鬼になっていった。


 わたしは、わたしのことを好きなはずの叶望が何を考えているのか分からないのが、怖かった。

 分からないという感情があまりにも苦しくて、耐えられなくて、頭が壊れてしまいそうだった。

 だから、わたしは叶望をどこか遠くに攫って、二人きりで、お互いがお互いに本当のことを言える空間で、ずっと一緒に、幸せになろうとした。

 自分でも自暴自棄になっている自覚はある。

 わたしと今まで一緒にいてくれた真秀や美穂を蔑ろにして、叶望だけを連れ去って、叶望だけがいればいいなんて思っているんだから。

 わたしは、苦しいからまた全部捨てて逃げ出そうとしているのだ。

 分からないのが苦しいのに、その想いを伝えることが怖い。

 それを伝えて、叶望が取り繕った笑顔で、わたしが喜びそうなことを言うのを想像したら、恐ろしくて、こうするしかないと思ってしまった。


 そうして、わたしは叶望を神隠しのホテルに誘ったのだ。

 真秀と美穂が断ることを見越して、叶望だけを、わたしたちだけの空間に誘い込んだ。

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