Episode 4 Warm-hearted White day 〜その2〜

 ナイフを入れると、ふわっとした食感のチョコレートケーキの生地から、艷やかなラズベリー風味のソースがとろりと溢れてきた。口に含むとふわっとした生地と、雪がすうっと溶けてゆくような食感が静かに混ざり合い、思わず口元から笑みがこぼれ落ちてくる。ラズベリーの酸味と濃厚なチョコレートの味わいが、舌を喜ばせ、爽やかな後味を残して消えていった。


 添えてあるヴァニラアイスクリームをスプーンですくって口に入れると、さっぱりとしたコクのある甘みが広がってゆき、ショコラとは違った儚さをまといつつも、あっという間に消えてゆく。底にしいてあるクラッシュアーモンドのカリカリとした食感がとても楽しい。交互に食べると、いつまでも飽きのこない味わいだ。


「おいひ〜い! おふひのなはへとりょへりゅ〜ぅ……!!」


 ジュリアが両足をばたつかせ、フォークを握り締めながら興奮と感動に打ち震えていた。不明瞭過ぎて何を言っているのかが良く分からない。


「……ジュリア。お行儀が悪い。喋るなら口の中のものをきちんと飲み込んでからにしろ」

「は~ひ」


 ディーンは、テーブルの向かい側の席に座っている妹をたしなめつつ、白いマグカップに口をつけている。制作者である彼の前には彼女と同じものはなく、自分で作ったものを食べる気は全くないようだ。


 彼女はごくんと飲み込み一息つくと、目を一際輝かせた。頬を上気させ、やや興奮気味である。ディーンの試作に付き合わされたタカトはその味を知っているため、マグカップに入ったコーヒーを啜りつつ、傍から満足気に白い歯を見せている。


「これすっごく美味しい……! 口の中がとろけてどこかへ行ってしまいそう……! こってりしてそうな見た目なのに、さっぱりしていて全っっ然重たくないの! やっぱりお兄ちゃん天・才!」

「……そうか。それは良かった」

「これこだわりがすげぇよな。見た目普通のチョコレートケーキなのによ、ラズベリーソースを中に仕込んでいるお陰で、幾らでもいけちゃうもんな! ああ、レモンの皮もこれにあってて、良い感じだぞ」


 因みに、タカトはディーンの試作品を全て平らげているのだ。相方の舌代わりと言っても良いところなのだが、その上でまた食べているのだから、彼は余程の甘党とみえる。


 すると、タカトは横から己の口元に、一口サイズにカットされたケーキで突き出されているのが目に止まった。その方向へと視線を向けると、フォークを持っている美少女が花散らしスマイルを浮かべているのが視界へと入る。


「タカトさん、はい、〝あーん〟して!!」


 (え……!? )


 その場のノリというか、逆らえないような何かを感じた彼は反射的に口を開けた。

 先月はディーンにチョコレートを口に突っ込まれ、今回はジュリアから「口を開けて〜」と催促されている。ここのところ、彼の口は何かと忙しい。

  

 しかし男たるもの、こういうことはやっぱり可愛い女のコにしてもらうのが一番嬉しいものである。彼はすっかり鼻の下を伸ばし放題だ。


 (流石は兄妹。同じ遺伝子を感じるぜ……! あ、でもこの完成品はやっぱりうめぇなぁ。後からくる甘酸っぱさのおかげか、しつこくなくて、コイツはクセになりそう……! )


 タカトの口にフォークの先を入れつつ、満足気な笑みを浮かべて上機嫌なジュリアの真向かいで、盛大なため息が聞こえてきた。視線を向かいの席に座っている彼女の兄の方へと向けると、彼は額に手をあてていた。すっかり呆れ返っているようだ。


「……ジュリア……無理強いは良くないぞ」

「だぁってぇ、お兄ちゃん自分は私にするくせに、私からは全然させてくれないじゃなぁい!」


 頬を膨らませてぶいぶい文句を言っている彼女の隣に座っていたタカトは、それを聞いて思わず絶句した。


 (何ィ!? コイツ「はいあーんして♡」はする側only・・・・・・・なのかよ!? 全……っ然可愛くねぇヤツ! )


 妹の反論に対し、彼女の兄は口調はいつも通りだが、ばっさりと切り捨てるように言った。


「甘いものは苦手だから、それ以前の問題だ」

「んも~ぉ! おにーちゃんたらつきあい悪いんだからぁ!」

「まぁまぁ……!」

「すまないな。タカト。僕では役不足だ。毎回毎回で悪いが、適度に彼女の相手をしてやってくれ」


 再びマグカップの中身を静かに口の中へと流し込んでいる銀色の瞳の青年に対し、タカトは口直しと、フォンダンショコラに添えてあった白のラングドシャに齧りついていた。甘過ぎず、焼き具合もちょうど良い。ヴァニラアイスにしろこのラングドシャにしろ、全て自分の相方の手製というものだから、こだわりが半端ない。


「……それは別に良いけどよ。なんつーか、いつも声かけてもらって、ワリぃな。たまにしかない、せっかく兄妹水入らずの時間だと言うのに……」

「気にしなくて良い。君が妹のわがままに付き合ってくれるだけで、僕は大いに助かっている」

「タカトさんがいてくれる方が、明るくて良いですから! それに……」


 彼女はやや視線を下向きにしており、頬を薄っすらと赤く染めている。


「こういうイベントものって、家族と一緒の方が良いかなぁと、私は個人的に思うんです。えっと……何て言うか、その代わりみたいなものになれてたら良いかな……と思って……」


 それを聞いたタカトは去年の夏頃、彼女の兄が入院していた時に、出会ったばかりの彼女と病院食堂で話をしたことを思い出した。


 ――俺よ、施設育ちなもんだから、親の顔はどちらも知らねぇ。兄弟姉妹もいねぇから、正直言って、あんたがちょっと羨ましい――

 ――え? ――

 ――そうそんな風によ、自分を心配してくれる肉親が俺には最初からいねぇ。反対に心配する肉親もいねぇ。縛りはねぇが、ちったあ寂しいかな――

 ――レッドフォードさん……――


 あの時は、ものの例えとして自分の話を出したのだが、ジュリアはそのことをしっかりと覚えていてくれたのだろう。彼女なりの気遣いに、心の暖まる思いがした彼は、もじもじしているその頭を大きな手で優しくなでた。それに対してジュリアは、その場にある蕾が一気に開花するような笑顔を浮かべた。


「気にかけてくれて、ありがとよ。ジュリアちゃんの優しい気持ち、俺、すんげぇ嬉しい。やっぱり、あんた達は二人共優しいな」

「えへへ♡」


 (優しいだけじゃなくて、温かい。だからここは、こんなにも居心地の良い雰囲気で満たされているのだろう、きっと)


 そう言えば、昔自分の育った施設で入居していた者は、自分より年長の者もいれば、年下の者もいたことをタカトは薄っすらと思い出していた。彼らとは、施設を退所したきり一切連絡をとっていない。自分がいい歳だから、彼らもどこかで頑張っているだろうと、しんみりと思う。嘗てのことに思いを馳せているタカトの横で、ジュリアは兄の袖をひいていた。


「ねぇねぇお兄ちゃん! 行きたいお店があるんだけど……」

「ああ。この前言っていたショッピングモールのことか……買いたいものがあるのか?」

「うん」

「……分かった。片付けたら出かけようか」

「ありがとう! お兄ちゃん大好き〜!」


 突然、ジュリアは自分の兄の身体に腕を巻き付けてきた。その時、ディーンはちょうど空になった皿を片手に椅子から立ち上がったばかりだった。彼はうっかり皿を床へと落としそうになったのを、かろうじて堪えた。


「ジュリア、危ない。落として割ったらどうするんだ……」


 自分に突然勢い良く抱きついてきた妹に対して狼狽しているディーンだったが、どこか満更でもなさそうである。兄にくっついたまま、彼女はちょうど後ろにいるタカトの方へと視線を向けた。下から見上げてくる、二つの大きな瞳。美少女による視線攻撃は、どんな壮漢でも百発百中だ。


「タカトさんも出来れば一緒に……来てくれませんか?」

「おいおい、ジュリア。いい加減にしろ。彼をずっと拘束するわけにもいかないだろう……」

「良いぜ。俺もジュリアちゃんと一緒に買い物に行けるの楽しいし」

「きゃーやったー!! 嬉しい!!」


 満面の笑みを浮かべたジュリアは、その場で跳び跳ねんばかりに喜びの声を上げた。さぞかし嬉しかったのだろう。美少女の笑顔は、その場がたちまち桃色に染まっていくようで、こちらまで笑顔を誘われ、頬がゆるみそうになる。


(なんつーか、この感じ、悪くねぇんだよなぁ……すっかり当たり前みてぇになっちまって、甘えちまってるのは俺の方のような気がする……)


 身内のいないタカトにとって、この兄妹と一緒に過ごす時間はとても暖かく、いつの間にか居心地の良いものとなっていた。さほど気にならない上、自分にかけてくれる優しい気持ちがとても嬉しいのだ。上機嫌なタカトは、ジュリアに対し、白い歯を見せた。


「欲しいものがあったら、俺が何でも買ってやるぜ。今の内に何が欲しいかしっかり考えておけよ!」

「え!! 良いんですか!?」

「ジュリア。あまり無理を言うんじゃないぞ」


 空になった皿やマグカップやらを流しへと運びつつ、妹にやんわりと釘を刺すディーンに対し、右手でサムズアップした彼はウインクしながら答える。


「……ジュリアをあまり甘やかすなよ。タカト」

「いいっていいって! だって俺、まだ彼女に〝お返し〟あげてねぇからよ」

「わぁい! ありがとうございます! ええっと、何にしようかなぁ……?」


 目を上や下向きにしたりしながら、あれこれ考え始めたジュリアの楽しそうなことと言ったら!


 彼女の兄はキッチンの流し場で洗い物をしながらその様子を一瞥し、我知らず口元に薄っすらと笑みを浮かべた。


 

 ――完――

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