55 -更なる亡命者

 獣人の姿をしたケケイシが怪我をした子供——少女を抱えて医務室へ来た。その様子はいつもとは少し違い、落ち着きがなく不安があらわに出ている。


「ケケイシさん、どうされましたか?」


 不安を隠せていないケケイシに対し、ゆっくりと静かに重大性を感じさせない口調で嫌雪けんせつが話しかける。抱えている少女はおそらく、かなり好ましくない状況にあると想像できたが嫌雪が心配そうにすると、かえって不安が増しそうだからだ。


 医務室はふだん、人が多くない。


 ここに人が多くないのは病人や怪我人が少ない証拠で、平和の証にもなっているが今夜は重い怪我人から栄養失調、後から連れられた少女の容態も悪く久々に慌ただしい。少女を抱えているケケイシも無傷ではなく、状態が悪いのを汚れとは違うボサボサの毛並みが、それを示している。


「さっきまで自力で歩け会話もできた。それなのに少し休んで眠ったら、起こしても目をさまさない。眠りが深いとは違う感じだと思う」

「そうですか……それは診療が必要ですね」


 ——そう言ったものの重症患者を運び入れた集中治療室からリンジーは出てこられない。


 医務室にはリンジーの他に看護師と呼べる者が数名、従事しているけれど、医師はリンジーのみ。


 月光国の弱みはこういうところだろう。


 建国が浅く、有用な人材がまだ少ないのである。優れた医療関係者を集めるのは難しく、新月丸の友人が皇帝として治めるエルネア帝国で学んだ医師を友好国のよしみで無期限の派遣として常駐してくれているのがリンジーだ。


 とりあえず診察用のベッドに寝かせ、名を呼び何度か起こしてみるも深い昏睡に陥り、全く目覚める気配はない。怪我をしない程度の痛みを与えてみても、意識も身体も無反応だ。


 ケケイシの気がかりは、もう1つあった。


 出会った頃には極わずかだった血の臭いが、リルフィーの体のどこかから強く漂ってきていることだ。出血の部位はおおよそ、わかっているけれど自分がそこを見るのは差し障りがあると感じており、治療できる医師に診てもらいたいのである。


 血の臭いは徐々に強くなってきているのは確実で、寝かせたベッドの白いシーツに血が滲みだす。


 緊急なのは間違いないけど、医療に詳しくない男が女のそこを調べるのは、真っ当な感覚を持つ者なら気が引ける。


 ウデーは人とあまりにも種族が遠く、そこを見たとて何も思わないが本当に「見るだけ」となり、どうすればいいなどの判断はつかない。


 集中治療室へ運ばれた男と同様、高魔素値を持つ存在から付けられた傷なのだと推測される。ケケイシが簡単な回復魔法を試みたが、傷はケケイシの魔素値で治せるものではなかった。


 そうこうしている内に、血の滲みはシーツにどんどん広がる。


 この場にいる唯一の成人女性が言う。


「あの……傷の状態だけでも私が見てみましょうか?」


 集中治療室に運ばれた男の妻。

 自らにも幼い娘がいるので他人事ではないのだろう。


「その子もハーララで奴隷として扱われていたのなら、どういった種類の傷か少しわかるかもしれません」


 幼い娘も無言で手伝いに加わった。寝かせているベッドをカーテンで仕切り丁寧に衣服を脱がせていく。服を脱がせるごとに血の臭いは濃厚になり、ケケイシは顔をしかめた。


 とても濃い血の臭いに膿の臭いが混じり、それが増していく。ハーララから砂漠に徒歩で脱出していたが、ケケイシと出会わなければ確実に、あそこで息絶えていただろう。同時にどれだけ身体に無理をかけて逃げ出したのかを考えると胸が痛む。


 これ以上、ないほどに血と膿の臭いが強くなった頃。


「ああ……なんてこと……」


 カーテンの中から悲痛さを含む声が聞こえてくる。


「綺麗な布を用意できますか?」


 傷が凄惨なのだろうか。

 顔色を悪くした娘がカーテンの下をくぐり出てきて嫌雪に聞いてきた。


 周りにいる看護師に伝えなるべく多くのガーゼや布、包帯を急いで用意させ渡すと娘は急いで中に戻っていく。カーテンの中で母親と娘で何かをしているが、詳しくはわからない。ただ『身体の特定部分になんらか、重いダメージがある』という事実だけはひしひしと伝わってくる。


 やがて心痛なおももちで出てきた女は、暗い表情で淡々と述べだす。


「あの国では奴隷の女へよくされる行為で珍しくはありません。体が小さいので裂傷が激しく、一時的に出血を止める為に焼かれた形跡があります。止血のために傷口が焼かれているけど、歩いてるあいだに火傷が破れ、出血が止まらなくなっているようです。今、ここでできることは出血箇所に布を硬く詰め、足が開かないようにきつく縛り、身体をなるべく暖めることくらい……私ができる限りのことをしました」


 その後に


「ハーララの女性奴隷であれば誰にでも起きる可能性があるんです」

「この子は他国から買われたそういう行為専用・・・・・・・の奴隷なのだと思う」


 と付け加え辛そうな表情を向けた。


「ハーララの奴隷は医療を受ける権利がなく、怪我も病気も奴隷同士が協力し手当するのが常。この子は出血もあって傷口が膿んでいます。このままだと……」


 そこで言葉を途切れさせる。


 その意味がわかるケケイシと嫌雪も暗い表情だ。


 今になって「女であることを知られたくない」とケケイシに言っていた、リルフィーの言葉の意味が強く刺さる。嫌雪も前の国、アスパー時代を思い出す。


 ——近所に住んでいた顔立ちの整った少女が官吏かんり数名に連れ去られ、数日後に見る影もないボロボロの死体となり、生前、住んでいた家の前に打ち捨てられていた。あの頃であれば、日常に遭遇する見慣れた光景だった。


 嫌な記憶は息苦しさを招き体が震える。


 強大な権力や特権を得て人の上に立つと、身分の低い者から様々なものを奪いはじめる事例は決して少なくない。


 金だったり、労力だったり——リルフィーや名を知らぬ近所の少女が受けたような肉体の提供だったり……搾取されるものは多岐に及ぶ。中には遊びでする狩猟の獲物として奴隷が駆り出された事例もある。


 穏やかな空気だった医務室がすっかり冷たい雰囲気に変わったその時、念話テレパシーで嫌雪に連絡が入った。


「ケケイシやウデーは戻ってきたか〜?」


 のんびりした王の口調は嫌雪の心に少しだけ暖かさを与えてくれたが、ほっとしている場合ではなく状況を伝達した。


「皆、医務室にいます。大怪我を負っている人が2名。今の状況では治療が難し……」


 そこまで言ったあたりで転送のエンが明るく光り、そこから新月丸が医務室にあらわれた。城内には一部の者しか使えない転移装置がいくつかあるが、王は全てを使える。伝えた時の暗い口調で察し、急ぎ来てくれたのだろう。


 嫌雪と看護師が現状を新月丸に伝え、集中治療室の中にいるリンジーへ王の帰還を知らせる。新月丸はリンジーと少し会話をすると、懐から黒い羽を出し怪我人を浮かべた。そしてケケイシとリンジーに触れると


「エルネアに行ってくる。落ち着き次第、すぐ戻るからそれまで後は頼んだ」


 そう言い残し、えんを使わない瞬間転移テレポーテーションでふっと消えた。エルネア帝国であれば、リンジーの師匠がいる上に、設備も専門医の人数も月光国より遥かに整っている。


「旦那様やお父様を王に任せ、あなた方もお休みください」


 心配の色を強く出す残された家族へ嫌雪は声をかけ、看護師に丁寧に世話を頼み、街を見に行っているクレアとタロウの帰りを待つために執務室へ戻っていった。


 ハーララにいる上級国民や特権階級者が持つ、特有の嫌な気配は王と呼ばれた年若い男にはなく、命危うい家長を連れていかれたことに希望が持てた。全快せずとも、きっともう大丈夫——初対面で言葉もかわしていないのに、そう思わせてくれる王。


 半日で一家を取り巻く環境は目まぐるしく変化している。

 にもかかわらず、不安より安心感が今は強い。


 治療と入院にあてがわれた個室は簡潔で整い、室温も快適だ。看護師が用意してくれた暖かい食事を食べ、身体を横にした。初めて使う真っ白で清潔なベッドは、緊張をほぐす。身も心も疲れた一家にとても優しい。今まで生きてきた中で1番おいしい食事をとり、得られた初めての満腹感。


 3人に心地よい眠気が訪れ、そのまま寝入る。


 家族の眠った気配を察した後。

 ウデーは自ら出した闇の中に、ズブズブと潜っていった——

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