54 -亡命者
4人を背に乗せたウデーは月光国に到着する。
到着場所は新月丸が普段、自室として使っている部屋だ。
しかし、主の部屋に他国の者を休ませるわけにいかず、ウデーは4人を乗せたまま廊下に出て執務室へ向かうことにした。
ウデーは普段、新月丸の部屋と月光国の城にある地下迷宮で生活している。それ以外に行くことはなく、いきなり医務室に向かっても驚かせてしまうだろうと考えたからだ。
今の時間なら、執務室にはクレア様とタロウ様がいる——
面識ある2名のところへ連れて行き事情を話せば、あとはいいようにしてくれる、と考えた。
手足の長いウデーにとって廊下は歩きにくい。
古い建築物であるこの城は、敵の侵入を阻止するためなのか、廊下の幅がせまく床を歩くと壁に手足がぶつかってしまう。
ふだん廊下を移動する際はもっぱら、壁を歩くのだが4人を背に乗せている間はできない。特に怪我人は意識がなく、落ちるのは間違いなかった。
新月丸の部屋からクレア達がいる執務室はそう、遠くない。
後の処遇は国の運営に携わる者に任せたい、それがウデーの考えだ。
ハサミのような手を使い、執務室の扉を器用に開けると
「うわっ!」
と叫び声が最初にウデーを出迎えた。
叫び声を上げたのは
嫌雪はウデーと面識がないので、驚くのも無理はない。
どうにもウデーの外見は命を有する存在に、一定の恐怖を与えてしまう造形なのはウデー自身も了解している。闇蟲にとって人は本来、捕食対象だ。人間種が恐怖をおぼえるのは、本能に基づいた感情の可能性はとても高い。
敵襲⁉︎ と思った嫌雪だが背に乗る人を見て、内1名が深い怪我を負っているのに気付き、ウデーに話しかける。
「あなたがどなたかはわかりませんが、乗せている人達には治療と休養が必要ですね」
誰にでも丁寧な態度の嫌雪らしい言葉遣いだ。
ことの
けれども、それを届けにきた者が、あまりに疲れ果て弱々しく、過去の自分と重なって見えた嫌雪が、新月丸に助けを求めたのも理由となっている。
——背に乗せられている怪我人こそ、嫌雪が新月丸に助けてほしいと頼んだ手紙を届けにきた男。しかし、元の人相がわからない火傷を負っている上、頭髪は焼けこげ頭皮がむき出しであり、一部は頭皮すらはがれて骨が見えている状態。
誰であるかに気付けないのは仕方がないだろう。
丁寧に対応されたものの、ウデーからしてみても嫌雪は面識がない相手である。
「クレア様かタロウ様はいらっしゃいませんか?」
そう、聞いてみる。
王から預かったと言える人を知らぬ人へ任せていいものか、判断に迷う。城内、それも執務室にいる時点で、新月丸の関係者と思うけれど、ケケイシと協力しなんとか月光国まで連れてきた4人を知らない人へ任せるのは抵抗があったからだ。
「ご両名は念のため、城外や街の様子を見に行っています。私はここでの留守番を頼まれました嫌雪と申します」
「なるほど……私はウデー。それでは、あなたに一任させていただきましょう」
昏睡している怪我人は脱力しているので重く、人の手で運ぶのは大変だ。
歩けると思える3人も嫌雪から見て元気とは、ほど遠いと感じる。
ウデーの背に乗せたまま運んでもらったほうが負担をなくすと判断し、嫌雪が先頭に立ち医務室へ案内をした。医務室へは嫌雪の案内付きで行ったので、混乱は起きなかったもののウデーは多少、怖がられたようだ。
ウデーは心底、感じる。
新月様にお願いして、城内の人達に紹介してもらったほうがよさそうだ
……と。
ケケイシの治療により一命を取り留めてはいるものの、危険な状況にある男は即時、集中治療室へ。
他3人は軽い診察をした上で、念のため入院とされる。
ここまでの間、3人は一言も話さなかった。まるで置物のように身体をこわばらせ、ウデーの背に生えている毛を握りしめているだけ——診察の際、医師もあまりの無口さが気になり、問いかけてみる。
回答は「自国とあまりに全てが違い、圧倒された」とのことだった。
城内の雰囲気、ウデーと丁寧に会話する男——
その男が自分たちへする対応、医師による診察——
何もかもが、ハーララでの扱いとは違う。
大怪我の男以外は疲労と栄養失調が見られたものの、話をするぶんには問題がなかったので、とりあえず嫌雪が聞き取りを始めた。
3人も少し、今の状況に慣れてきたのだろう。
先ほどとは異なり、嫌雪へ真っ先に「夫の具合はどうですか?」と聞いてくる。
「リンジー様から聞いた限りでは、命は助かるそうです」
少し含みがある。
「命は……というのは何か問題があるのですか?」
「現段階でははっきりしません。ですが、手足に障害が残る可能性と片目の失明が濃厚とのことです」
手も足も。
筋組織まで熱が貫通しているのは火傷として重いく、治療も難しくなるのは当然であるが、なによりも治療の難易度を上げているのは重度の火傷ではない。
高魔素での攻撃により焼かれた傷であるのが、最大の理由となる。
魔法で受けた傷の治療は、魔法に乗せられた魔素の値により回復魔法の有効性が変わってくるからだ。
この男が攻撃を受けたのは神——
それも上位の強さを誇る神なので、攻撃魔法に乗せられている魔素は相当に高い。
リンジーは月光国のお抱え医師の1人で、最も優秀な治癒魔法の使い手ではあるけれど、ここまで高魔素が残る傷を治療する機会はそうそう、あるものではない。「未経験の深い傷の治療になるので師に協力を仰ぎ手を尽くします」と言ったきり集中治療室から出てこない。
「手足に障害が残る……労働ができなくなるんですね」
青ざめた顔で妻は話す。
「働くのであれば労働以外、例えば書類関係や情報をまとめる仕事などがいいと思いますよ」
嫌雪はさも、当たり前のように返したが、この家族にとって当たり前ではない。
この家族、というよりハーララでは一般階級……つまり奴隷が労働不可になれば不必要な命となる。
労働ができない、それは死に直結——
治療は上級国民でなければ、受けられない。
「嫌雪さんって言ったけ?」
嫌雪が静かに頷くと、少年は話を続ける。
「俺たちはこれから、どうなるんだ?」
言葉の意味がわからなかった嫌雪だったが、そこで手紙を届けにきた者——ガリガリに痩せ激しい疲労が身体をむしばんでいても休息が許されず、届け終えたら少しも休まず国へ帰った男を思い出した。
かつて、この国が「帝国アスパー・ギド」と呼ばれていた時のように。
怪我人を癒し、3人に食事をさせ休ませ回復させたとして、その後、国へ返すしかないとしたら——
嫌雪の立場で「この国に住んでいいですよ」とは言えない。
——どう、返したらいいだろう。
今回、王には個人的な我儘といえるお願いをしている。その上更に「この人たちをどうにかしてください」とお願いするのは心苦しいし、立場を考えれば図々しいことこの上ない。
「今は、怪我の治療とみなさんの身体を休ませることをお考えください」
そう、返すのが精一杯だった。
「どうなるか、わからないんだよな……」
少年は俯く。
母親と妹もまた、表情が曇る。
「もし、どうしても帰らねばならないのなら、私が住む地下に居場所を用意しましょうか?」
一連のやり取りを見ていたウデーが思わぬ提案をした。
ウデーの言う地下は、文字通りの地下。
この城の下には何層まであるかわからない地下迷宮が深く広く、広がっているのだ。
ウデーは元々、そこに住む闇蟲の長である。
人が住むには向かない闇の世界だが、新月丸が少しずつ改築したり、地下に住まう者と折り合いをつけたりし、ちょっとした避難場所として使えるようにもした。今回も城が攻撃された際は、城で働く多くの者をそこへ避難させており、住もうと思えば可能ではある。
「あなた方が住むには少し暗いかもしれませんが、あの国へ帰るよりいいと私は思います」
地下迷宮の存在は、新月丸の友人である同盟国の皇帝と、月光国で王に近しい者しか知らない。
ここへ隠れ住めば「逃がそうと思ったけど途中で行方不明になってしまいました」という見えすいた嘘をついたとしても探しようがなく、うってつけの場所と言える。
3人はウデーを無言で見るが、さっきよりは表情が明るい。
——提案の1つですし、新月様への相談はもちろん、いたします。
そう、言った後で「私の提案以外にも、何か道があるかもしれないので悲観はまだ、早いですよ」と続けるウデー。
嫌雪もウデーの言葉に驚きを隠せなかったが、同時にとても嬉しく思った。
医務室の一角に、少しだけ穏やかな時間が流れる。
そこに少女を抱えたケケイシが入ってきた——
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