52 -各々の帰り道

 自身の周辺を暗闇で包み邪魔な全てを吸い尽くし、操られていたケプシャルの身体を通して無事、手紙を届けられた。


 その時点で、新月丸の用事は終了である。


 自らが作り出した暗黒の闇に乗じ、その場から離脱——このままハーララ国の外へ出るのも可能だったが、最初に破壊した門近辺の様子を見たかったので、そこへ移動した。


 兵士と思しき者も、国民と思われる者も近くにはいない。


 家屋の中や物陰から様子をうかがっている気配はある。

 しかし、ここに住む者を哀れに思えど、新月丸から声がけすることはない。


 この国から逃げたい、と思っていても行動で示さない者は、そこまでの存在。

 助けて欲しいのなら、自ら助けを求めねばならない。


 ただただ、助けを待つだけで手を差し伸べられる——そんな甘い話はないのだ。

 それに、大量の難民に来られても、月光国としては迷惑である。


 国自体、まだ完全復興とはほど遠い中、他国の民を自ら率いて助けはしない。


 一国の王として考えれば、それは当然だろう。

 自国民の生活の安定が最優先事項である。


 今回の戦いで貧民街の兵を多数、葬った。

 街で日頃から行われていた兵による民への横暴は、しばらくの間マシになるはずだ。


 それだけでも助けと言えなくはない。


 いつの日にかエスターゼ・ラニサプあいつと一戦、交えるかもしんないなぁ……、などと考えながらハーララを後にした。


 門へ移動したのは街の様子を見たかっただけではない。


 逃げよと伝えたケケイシを探す必要があった。

 けっこうな怪我をしていたし、体力も気力も限界だっただろう。


 最短距離で逃げたのなら、この門を通って外へ出たはず。そう考え、周辺の気配を調べた。


 近辺探知ロプ・エクスプロレーション


 ……を心の中で唱える。

 新月丸は普段、呪文を口にしない。


 今まで何度か万物砂塵サヴァニツニ・サンドを使っている。その際、魔法として口に出していたけれど、不必要な作業だった。呪文破棄が通常なのを隠したい、ただそれだけの理由で唱えていたのだ。


 しかも万物砂塵サヴァニツニ・サンドは、新月丸にとって得意魔法ではない。


 むしろ、苦手な魔法の部類である。

 苦手といえども呪文の破棄くらいは余裕だが。


 この魔法を選んだのは砂漠に囲まれた地域において、大量の死体が転がるより砂になっていたほうが片付けやすかろう、と考えたからだ。


 後片付けを奴隷に押し付けるのは目に見えているので、片付けやすさは新月丸の、せめてもの情けである。


 近辺探知ロプ・エクスプロレーションに引っかかったのは2つの命と死にたての気配が1つ。

 探査結果を細かく見れば、小さな虫や動物の気配も追えるが、それは今、必要がない。


 最初、目にしたのは首を裂かれた死体だ。

 周りの砂が血を吸って、赤黒く固まり異質な気配になっている。

 血液と死体目当てに、小さな虫や獣が集まっているので、そっと離れた。


 ケケイシが始末したのだから「助けるに見合わない相手」だったのだと新月丸も判断し、あとは砂漠での自然分解に任せる。


 死体からさほど離れていない所に目的の2名は見つかった。

 なんと、2名とも気持ち良さげに寝ているではないか。

(危ないなぁ……俺に殺気や敵意がないから反応しないんだろうけど)


 砂漠は多種多様な生き物が存在し、決して安全な地域ではない。


 気温も安定せず、日が完全に沈めば途端に寒くなる。

 安全を確保しても、このまま寝かせておけば体が冷えきってしまう。


 しかし、気持ち良さげに寝ているのを起こすのは気が引けた。


 ケケイシの疲労が限界なのもわかる。

 横で寝ている子供に見える者も、体力を可視化すると元気ではない。

 身体の至るところに怪我やダメージがある。


(仕方ないなぁ……)


 新月丸はふところから2枚の黒い羽を取り出し、それを2人の上にそっと置く。


 2名はふよふよと浮いたが、目を覚ます気配は全くない。


 もう少し行ったところにあるえにしまで歩けば1時間程度の距離だ。


 2名を浮かべ連れ、のんびりと歩き出した。

(そういや、ウデーはどうしてるんだろう?)


 ——ウデーと4人は闇を通って月光国へ向かった。


 この闇は通常の空間ではなく、別次元といって差し障りのない場所——


 基本、生あるものは亜人も人間種も動物も、全てが通れない。


 但し、闇を統べる闇系の魔素を強く持つ存在の一部を手に握り、闇を目にしなければ、その限りではない。


 しかし、ここに広がる真の闇を目にすれば、目が闇にくらみ失明を余儀なくされてしまう。強い光が目に悪影響を及ぼすのと同様に、強すぎる闇もまた悪影響を与えるのである。


 背に羽を生やし戻ってきたケプシャルは異質な強さを持っており、怪我人や弱者を庇いきれず、逃げるしかなかった。


 説明する時間の猶予も全くなく、恐怖で縛るような命令形で背に乗せ、この場に入ったのも仕方ない。


 3人は背に生えている毛を掴み、寝込んでいる怪我人を落とさないよう、必死に抱えているようだ。


 意識がない怪我人はウデーの毛を握れない。けれど、ウデーの一部を握っている者が間接的に支えるのなら、おそらく大丈夫だろうと考えた。


 目に関しては……運悪く途中で目覚めてしまったら危険はある。怪我の具合から考え、月光国へ着く前に目覚めるとは思えなかったので、賭けに出たのだ。


 移動中に話しかけてみようか、とも思ったが脅して背に乗せた挙句、更に怖がらせるのはウデーの望みではない。


 そして、話しかけるのをやめた理由はもう1つあった。ウデーの声は低く、それでいて女性味がある。人間種にとって見た目だけでなく、声質も恐怖を与えやすいと今までの経験から承知していた。


 今は少しでも早く到着するのが、不安の解消となり怪我人の安全に直結する。


 急がねばならない。


 時間が気になるのは表の世界と闇の世界で、時間の流れが異なるからだ。通常の者がいる世界の1分は、闇の世界で9分に換算される。


 ウデーは闇の世界と通常の世界の両方に身を置く闇蟲。

 時間の差異を感じないが、闇の世界に生きていないものにとって10分が1時間半に感じてしまう。


 闇の空間を通ればハーララから月光国まで、僅か3分程度の距離。

 4人にとっては27分もの時間。


 脅され乗せられ目を開けてはならぬ、と言われての27分はとても長く感じるに違いない。


 いつもより早足で闇を進む。


 目指す月光国まで、ウデーにとってはあと1分。

 背に乗る4人にとってはあと9分。


 ——闇の中での沈黙は、自分の存在が曖昧になった感じだ。

(どこに連れて行かれるんだろう?)


 体が闇に溶けてしまう。

 身体の輪郭が無くなった気がする。

 本当に自分という存在はここにあるのか自信がもてない。


「あの……ウデーさん、だったっけ?」


 おどおどと聞いてきたのはニパだった。

 ケケイシと会話をしているぶん、母と妹より人間外と話すのに慣れているのだろう。


 彼の声は他の2人も安心させた。


 知っている人の声が聞こえる。

 些細なことだが、こんなにも暖かくありがたい。


「そうです。私はウデーと申します」


 低いのに女の人を想像させる奇妙な声質——


 ニパと妹は子供だからか、さほど気持ち悪く感じなかったが、母親は声で心臓が縮むような感覚がした。


「向かっているのは、さっきの犬の兄ちゃんが住む国?」


 犬の兄ちゃん、という呼び名でケケイシを指しているのだと想像できる。

 どこか微笑ましいその呼び名は、ウデーをクスッと笑わせた。


「失礼、あなたを笑ったのではありません」

「名前を聞いてなかったんだ」

「犬っぽく見えるかもしれませんが狼ですよ。あの者の名はケケイシです」

「ケケイシ兄ちゃんか……」

「……向かっているのはケケイシや私が所属している国となります」

「ちょっとだけ聞いたけど、いい国だよな」

「何をもって『いい国』とするのかはともかく、あなたが居た国よりは『いい国』でしょう」


 そこで少年は黙り込む。


 『いい国』へ逃げたとしても今後、どうなるのだろう。

 『いい国』を知った後、ハーゥルヘウアィ・ララへ戻るのなら、それは苦しみが増す。


 『いい国』を知るのが、経験するのが怖くなる——


「僕たちはこれから、どうなるんだ?」


 ウデーにはその真意がわからない。


「到着後、怪我人は医療施設にて治療が施されるでしょう」


 ……違う。

 聞きたいのはそれじゃない。


 でも、心に渦巻く不安をどう、聞けばいいのだろうか。


 母親と妹は今までの会話に一切、口を挟めなかった。

 闇が身にみて辛い、そこに上乗せされたウデーの声も脳に刺さる。


 ニパの声を耳にするのは安心感につながるけれど、ウデーの声は恐怖を呼ぶ。


 我が子ながら、どうして普通に話せるのか疑問だ——

 声も暗さも怖がらないなんて、お兄ちゃんすごい——


 母親と妹も。

 ウデー、もちろんケケイシも。


 この少年が持つ強い闇耐性に気付いていない。

 ニパの物怖じしない性格も手伝って、能力に気付けなかった。


 話をしているうちに、月光国へ辿り着く。


 当面の間、この家族の安全は保障された。

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