51 -逃げ道の終戦
微動だにできず、立ちすくむミックへ向かう刃。
ここままなら確実に、ミックの命を奪う。
思い返せば今まで何度も危機があり、ピンチに陥った。
そして毎回毎回、新月様にお助けいただいたのだ。
新月様は、今、僕では絶対に勝てない強敵と戦っておられる。
ここでミックを助けられるのは、僕だけなんだ。
これでも騎士団人狼部隊に所属し特殊部隊「陰」の
逃げ腰の姿勢では、新月様にもサージリウス様にも申し訳ない。
オゥンシフモが狙うのはミックの頭だろう。
短剣の振り上げ角度とオゥンシフモの動きから察すると、狙いはそこである。
短剣といっても刃渡り30センチほどはある。眉間から脳幹まで刺し貫けば、治療は難しく即死はほぼ確定。損傷部位から考え復活魔法も難しく、場合によっては転生にも影響を与える障害を負う位置だ。
であるのなら。
ケケイシは影に潜る。
今できる、最善の方法だと考えた。
影に潜れば、普通に地面を駆けるより3倍は速い。
今の体力でこれを使うのは、心肺への負担が激しく、意識が飛びそうだ。
失われかける意識を戻すために、何回か自分の舌を噛む。
口の中は、あっという間に鉄分の味で満たされていく。
その
影から飛び出たケケイシは、短剣を握った腕の肘関節に狙いを定め、牙を深く食い込ませる。同時に地を蹴り上げミックから離れた。ここを抑えれば、この腕は使えない。肘を曲げられないし、ケケイシの牙は肘の骨を容易く砕く。
想像を絶する痛みがオゥンシフモを襲うが、このまま負けるわけにもいかない。負け戻っても主から許されるわけがなく、厳しい罰を受けるだろう。
自由に動く左手で、もう1本用意してある短剣を握る。
けれども、肘関節を噛んで離さないまま上下左右に揺さぶられ、地面に叩きつけられ思うように攻撃ができない。地面に叩きつけられたところは打ち身では済まず、骨や筋にもダメージを与えている。
「わかった、もう助けてくれ! 何もしない、わしは逃げる!」
勝てないと踏んだのか、
ケケイシは騎士。
白旗をあげた者へ、攻撃を続けるのは
逃げるのであれば、と口を離しかけたその時——
「ダメ! その人は嘘をついている!」
今まで声を出したがらなかったミックが、ケケイシに駆け寄りながら大声で伝えてきた。
「私は読心術が使えるの! 離したとたんに毒針を飛ばすつもりよ!」
「そんなことはしない! 嘘を言うな!」
「嘘じゃない! 足首に毒針を忍ばせている!」
それを聞いたケケイシは離しかけた牙を更に強く食い込ませ、近くにあった岩にオゥンシフモの足首を何度も叩きつける。
「やめろ! このケダモノめが!」
その言葉からも「何もしない」は嘘であると判断したケケイシは、
骨とは違った金属質な音が混じる。やがて、毒針の
金属の針が折れるまで、岩に叩きつけられた足首は、周りの筋も骨もズタズタに破壊されている。先ほどのような速さでは動けないだろう。
しかし嘘をついた敵に対し、ケケイシは一切の情けを捨てている。
次に目標は顎の破壊だった。
敵が持つ能力をケケイシは把握していない。
優れた回復魔法を使えるのであれば、今までのダメージが全回復させられてしまう。それだけは避けねばならず、魔法に
オゥンシフモを高く投げ、顔の正面——顎部分に照準を合わせ、激しく頭突きを入れた。
頭突きなんて大した攻撃に感じられないかもしれないが、ケケイシは屈強な獣人。筋肉の量も骨の強さも、人間種のそれとは違う。
一撃でオゥンシフモの顎の骨は後方へ外れ、砕けた。
顎は頭に近く、強い衝撃は脳震盪を引きおこす。
オゥンシフモはそのまま意識を失い倒れ、動かなくなった。
ケプシャルとの戦いで体力のほとんどを使い果たしていたケケイシも、伏せをする姿勢をとり、呼吸を整える。回復魔法も使えないほどに疲労は激しく、口を開けて荒い呼吸を繰り返した。
ミックはそんなケケイシに駆け寄る。
「大丈夫?」
ケケイシは体を動かさず、目だけミックに向けた。
「少し息を整えれば動けるようにはなるよ。さっきは教えてくれてありがとう」
「ううん……それはこっちのセリフ。何も話さない私のために、ありがとう」
そう言って、ケケイシの背に抱きつき泣きだした。
(きっと、訳ありなんだろうな……)
オゥンシフモが目覚め動き出したら厄介なので、ケケイシはそこに意識を向け続ける。
(もう少し休んで動けるようになったら、頭だけ出して砂に埋めようかな……)
ミックはしばらく泣いていたが、やがて落ち着いた様子で話しだした。
遠く離れた地で奴隷商人に捕まったこと。
そのままハーララに連れられ売られたこと。
売られた後にされた陵辱と、さまざまな屈辱的な奉仕内容。
その合間にかせられる労働と、見合わない賃金に食料事情。
言葉を発したくなかったのも本名を言いたくなかったのも、同じ理由——
女であるとケケイシに知られたくなかったから、と最後に付け加えた。
今まで聞いた話を考えれば、性別を隠したいのは当然だろう。
初対面のケケイシを信用していいものかどうか、判断するのは無理である。
「私の名前はリルフィー」
泣き腫らした顔のまま、少し照れたような視線をケケイシに向けて言う。
「でも、ミックって名前も気に入っているから、今後はミック・リルフィーにしようかな」
あどけない笑顔を向けてきたリルフィーを見て、ケケイシは少し顔を赤らめる。
ケケイシは獣ゆえ、顔にも毛がある。
だから人が見ても顔色はわからない。
顔が毛でおおわれていてよかった、とケケイシは初めてそんなことを思った。
その後の数分間、何を話すでもなく2人はぼーっと過ごす。
ケケイシは体力の回復を第一に考え、呼吸を静かに整えるのに専念する。リルフィーはいろいろな面で安堵したのだろう、ケケイシに寄りかかって居眠りを始めたようだ。
(このままじっとしていてあげたいけど、体力が戻ってきたからな……)
オゥンシフモの命は絶っていない。ただの脳震盪であり、いつ目覚めるかわからない。かなりのダメージを与えてあるので、起き上がったとしても、さっきのような激しい戦いにならないとは思う。
けれど、ケプシャルのように瀕死の状態から、何らかの強化をされ操られる可能性も捨てきれない。
油断は禁物である。
(いっそのこと、今のうちに首を噛み切っておこうか?)
敵を生かしておけ、とは言われていない。
危険を考えれば、命を奪っておくのが正解だ。
それに、砂へ埋めるより体力を使わずに済む。
ケケイシはそっと立ち上がる。
砂の上に横たわっても、リルフィーが目を覚さないのを確認した。
小さく寝息を立てて、気持ちよさそうに寝ている。
毒針の嘘がなければ、ケケイシの耳と心が動いただろう。
けれど、一度あったその嘘は命乞いを無視するには充分な理由である。
実際、これで攻撃を止めてもらえたなら、一か八かになるものの毒粉を撒くつもりだったので、ケケイシの判断は正解といえよう。
オゥンシフモの肩を前足で踏み固定する。
牙をしっかりと首へ刺し入れ、そのまま上に引き上げ肉を裂く。
言葉が発せられる前に、血液が口から大量に溢れオゥンシフモの命はそこで尽きた。
骨が見えるほどに深く牙で裂かれた首からは、鮮血が吹きあがる。ケケイシは血に染まった自らの毛並みを見てなんとも嫌な気持ちになった。
しかし、それよりも反撃される危険を遠ざけられた安心感のほうが強い。
(すぐにアンデッド化されたら迷惑だけど、たぶんそれはないだろう……)
血をたっぷり吸った毛並みをどうにかしたく、砂浴びをするケケイシ。幸いにもここは乾燥した砂漠地帯。血はすぐに乾燥する。乾燥した血液は砂浴びで落ちてゆく。
あらかた汚れが落ちたところで、まだすやすやと寝ているリルフィーの元へ戻り、体を砂の下に潜り込ませた。そこからゆっくりとリルフィーの身体を持ち上げ、寄りかかっていた体勢に戻す。
いち早く月光国へ戻りたいが、あたりに敵の気配は全くない。
夕方から夜にかけて、過ごしやすい気温の今。
もう少し、ここで休んでもいいだろう。
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