50 -逃げ道の戦い

 王に逃げろと言われ、脇目も振らず配送したケケイシは、自由区域フリーゾーンへと続く門へ辿り着いた。門、といっても新月丸がケプシャルを利用し燃やし尽くしたので「元・門だった場所」が正確ではあるが。


 今なら、この貧民街に住まわされている者達も、外界へ逃げられる。


 しかし、ハーララは砂漠に囲まれている国。

 例え逃げ出しても何人が危険な砂漠を抜けられるだろうか。砂漠地帯より多少、安全な草原地帯まで行けるのはほんの一握り、下手すれば全滅だ。


 それを知ってか知らずか、逃げ出した者は殆ど居なさそうである。


 自由を奪われ隷属が当然であると、頭と身体に叩き込まれた者達が住まう貧民街の門が開いても。外の危険を知り、安全策として逃げないのではなく、国から逃げるという選択肢が考えに浮かばないだけの可能性はとても高い。


 ともかく、危険を知っていようが知らずに逃げ出そうが、酷い扱いをする国から逃げる道を選ぶ者がいたのなら可能な限り、手助けをするよう王からコッソリ言われていた。


 元門前で立ち止まり、辺りを見回すケケイシは街から出て少し離れた所に人影と臭いを感じとる。


 それには血の臭いが混じっていた。


 門の破壊時やケプシャルとの戦いに巻き込まれ怪我を負った者であるのなら、まだいい。簡単な回復魔法で癒し、避難を手助けできるからだ。


 問題は新たな敵襲だった場合である。


 ケケイシは体力のある獣人だし、兵士でもあるので日頃から鍛錬も訓練もしていた。

 けれども、体力や気力は無尽蔵ではない。


 特に今回の戦いで、己の弱さや不甲斐なさも感じている。

 逃げ出す者を助けながらの強敵との戦闘——


(強敵であるのなら、今の僕に倒せる自信はないな……)


 それでも恩義ある王の命に従うべく、ケケイシは人影を追う。


 ケケイシの足なら簡単に追いつく距離に居た者は、ハーララ国の者とは外見が少し異なっていた。


 髪は短めで濃い茶髪、耳は僅かだが先がとんがり長く、まだ子供なのだろうか、とても小柄である。小汚いのと痩せすぎにより、男女の区別は判断がつなかい。


「あの国から逃げているのですか?」


 ケケイシが問うと体を硬直させ、おどおどした様子で振り返る。


 顔立ちは整っていて、瞳は綺麗なエメラルドグリーンをしていた。


「……狼がしゃべった」


 それだけを言い逃げ出す。


「待って! 襲わないし僕は敵じゃない! ハーララの追手ではないよ!」


 大声で伝えても、恐怖も疑いも拭えないだろう。

 逃げ走るのを止めなかったが、途中で転んで倒れ込んだ。


 それを追い、前を塞ぐようにケケイシが立ちはだかる。


「僕の話を聞いてほしい」


 砂地に座り込んだ者に目線の高さを合わせるよう、少し首を下に向けて静かに話しかけてみる。


「僕はケケイシ。君の名前は?」


 しばらく無言でケケイシを眺めていたが、やがて口を開いた。


「ハーララではX番のF022001、ハーララに来る前は……」


 そこまで言って黙ってしまう。


「ハーララで付けられた番号は、人を管理するための番号だ。名前ではない」


 そう伝え、先を促すが黙ったままだ。

(犯罪を犯し、国をまたいで指名手配されてるのかな……)


 失礼な想像をしてしまったが、ケケイシが見る限りでは犯罪者が持つ気配がしない。

(言いたくないのを無理に聞くのは良くないよね)


「わかった、じゃあだ名を適当に付けるよ。ミック、でいい?」


 そう呼ばれた相手は小さく頷く。


「じゃ、ミック。ハーララから逃げ出したのかな?」


 それにも小さく頷いた。


「それでは、一緒に逃げよう。他にも誰か一緒に逃げてる人は居る?」


 次は小さく首を振る。


「1人で逃げ出したんだね」


 小さく頷く。


 その他、怪我の有無や体調を聞く。

 聞く限りでは大きな怪我はなく、治療中の怪我が腕にあるのを見せてくれた。

 血の臭いはここから発していたものだ。


 今までの会話で最初の出会いと名を聞いたとき以外、ミックは言葉を発しない。

 声を出すのが嫌な理由があるのかもしれない、とケケイシは考えた。


「僕も今からハーララを出て自分の国に帰るところなんだ。一緒に行こう?」


 ミックと名を付けられた者は提案に悩む。


 獣の正体がわからない上に、ここから行く国がどのような所かも不明。

 再び、ハーララでの扱いと同じような事をされるかもしれず、素直に頷けないのだ。かといって、1人で砂漠を抜け安全な地域まで行けるとも思えない。


 怪しい獣との道中であっても砂漠で野垂れ死ぬよりは、命を長らえるだろうか。とりあえず一緒に行くのが得かもしれない。そう、思い至り頷いたとほぼ同時にケケイシと名乗った獣がミックを突き飛ばす——


(やっぱり追手だったのか!)


 と後悔したが、そうではなかった。


 何者かが砂の中からミック目掛けて鋭いナイフを突き立てた。

 それから守るため、ケケイシはミックを少し離れた所へ突き飛ばしたのである。


「よく気付いたものだ……さすがはケダモノ」


 良く見ると、砂の一部が人型に歪んで見える。人型はみるみる色が戻り、そこには1人、全身を布で包んだような男がしゃがんでいた。


「そいつをのがす訳にはいかないんだよ」


 これ以上の失態をすれば、自分の命が危ない。主に命じられ新月丸の追跡をしていたが、あろうことかハーゥルヘウアィ・ララに侵入してしまった。それも、ただの侵入ではなく、門を焼きはらい堂々と——


 国内で追跡をしたとして、侵入者である新月丸は必ず、ハーゥルヘウアィ・ララの戦士と戦いになる。その場に居合わせれば、戦いに巻き込まれてしまう。

 そんな危険をおかさず、少しでも主に気に入られるような報告をしたい……

 であるのなら、破壊された門近辺に隠れ、今の自分が勝てそうな相手を物色し、片付ける。


 もしかしたら、お人よしな月光国の者もあらわれるかもしれない——


 そう考えた、この者はオゥンシフモ。

 ハーララの主に使え、スパイ活動や時に誘拐や暗殺も請け負う。


「お前達2人なら、わしでも殺せそうだ……主への手土産にさせてもらいたい」


 ミックは絶望の表情をしている。

 ケケイシは絶望こそしていないが、ミックを守り通せるかを考えれば不安だ。


 自分だけなら、逃げるのも可能かもしれない。

 戦うにしても、何も守らず戦いに集中できるのなら、どうとでもなりそうだ。


 しかし、戦えない者を守りながらとなれば——難易度は一気に高くなる。


「まずはそこのチビから片付けるか、それともチビを人質にしてやろうか」


 ミックの前に素早く移動したケケイシに対しての言葉だ。

(僕も舐められたものだなぁ……でも、今の状況では仕方ないか)


「ミックを先に殺しても、人質にしたとしても、君は死ぬけどいい?」

「チビを殺さなければ、お前が素直に殺されてくれるか?」

「それは無理だね、僕も今はお仕えする人がいる身だから」

「それじゃわしの助け損になるではないか」

「君の命を奪わないでおいてあげるよ?」

「つまらない脅しに屈するわしではない……」


 仕方ないね、と一言いうとケケイシは一瞬で敵の懐へ入る。

 けれどオゥンシフモも只者ではなく、懐へ入ったケケイシに短剣を振るった。


 間違いなく目を狙っていた刃を、薄皮1枚でかわす。

 刃をかわされたオゥンシフモは即座に狙いを変える。


 その刃は立ちすくんでいるミックへ届くだろう——

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