45 -闇と消失
ただ、それを握り数秒間、動かなかった。
普通の者であれば握った時点で手は焼け落ち、エプシャルのように吸収されるのだろう。しかし新月丸を吸うには
エスターゼ・ラニサプはそれを見抜けなかった。月光国の王が吸収され、最強と言うに相応しい武器を得られる。勝手な確信を持ち、なおかつ吸収されるのを待ち侘びていただけ。
———そろそろ一気に吸い込まれるぞ
その場面を早く眺めたくて仕方ない。
生意気な若造が苦しみと恐怖の中で吸収される。
なんて面白く愉しい場面なのだ。
けれども待っている吸収の場面は一向に訪れる気配がしなかった。
そして次の瞬間。
何が起きたかは全く解らない。
ただ、一瞬。
熱と炎で包まれた空間も、
それは何もかもが見えない暗黒
視界が元に戻った時には熱も炎も消え去り、宝具もまた、消え去っていた。
———今、何が起きた!?
理解が追いつかない。
意味が解らない。
ついさっきまで、確実に優勢だったはずなのに。
それが何事も無かったように場は静まり、唯一無二の宝具までもが消えている。
エスターゼ・ラニサプが唖然としている中、更には新月丸も消えていた。
いや、消えたのではない。
凄まじい速さでケプシャルが向かった場所へ移動しているのだ。
———月光国の王は有象無象の弱者ではない———
エスターゼ・ラニサプはやっと、それに気付かされた。
しかし、エプシャルが敗れたとはいえ、ヤツを倒せる可能性はある。
ケプシャルに施した改造はエプシャルより遥かに強い。
それに元々の魔素値が高い分、改造後の強さも桁違いだ。更に都合いいのは怪我人や足手纏いとなりそうな連中———人質という便利な道具があそこには揃っている。
ケプシャルを上手く操って使えば、どうとでもなろう。
神という自負は大きな自信となる。
私の意向に逆らう者がどうなるか、身をもってしるがいい———
今はケプシャルに期待を寄せよう。
———屋根が吹き飛ぶ
———それは誰かからの襲撃
見上げた先には胴体のみの姿なれど、背に羽を得たケプシャルがこちらを凝視していた。
そして上から落ちてきたウデー。
「何があったんだ?」
「話は後回しです、ケケイシさん」
ケケイシの後ろには呆然と佇む3人、そして横になったまま動けない1人。これをどうにかする必要がある。人間の盾として使われる可能性は高いし、見せしめとして真っ先に狙う可能性もまた、高い。
しかし根っからの戦士たるケケイシは他者を守る能力には乏しい。最低限の回復魔法は使えるが、それくらいである。戦闘能力皆無の4人を守って戦えるほど、上空にいるケプシャルは甘くない。そんな、生ぬるい相手ではないのだ。
魔素の高さを圧で感じる。
空気が水みたいに纏わりつく。
経験のない重さで動きが鈍るのを感じた。
上からのし掛かるような重さに飲まれてはならない、と自分を鼓舞し軽快さを維持するのが精一杯。
であれば……
今できる最善の策は……
「ウデー様、4人を安全に逃すことは可能ですか?」
「私の背に乗り、しっかり毛を掴んでいて貰えれば、たぶん可能です」
「たぶん?」
そう、言葉を挟んだのはニパ。
「たぶんってことは、無理かもしれないんだろ?」
少年に対しチラリと視線を向け、ウデーは説明する。
「意識ある3人は大丈夫です。しかし、意識無き者がどうなるか解りません。それは……」
———
上から呪文が聞こえ、ウデーは焦る。
(ここにあれが来たら4人は確実に死ぬ、私には護りきれない)
しかし魔法は全く別方向に発動された。
ケケイシが獣型に変じケプシャルとの戦いを始め、魔法の発動箇所を定めさせないようにしてくれている。
「説明をしてる時間はありません」
背に乗れと強い口調で伝え背にある毛を掴ませる。3人は理由も解らず不安な表情を浮かべているが、それに気配りしている数秒も勿体無い。そして怪我人を背に乗せ「これだけは絶対に守れ」と命じた。それは———
・毛を握って離さない
・背から勝手に降りない
・いいと言うまで目を開けない
・怪我人を落とさないよう支えろ
である。
ウデーの見た目に気持ち悪さや恐怖感を覚える者は多い。
この3人も明らかに、そういった感情を持っているのが見てとれた。
だからこそ、こんな伝え方をウデーはしたのだ。
威圧と恐怖を与えつつ命令するのはウデーの好むところではない。しかし現状、3人が理解できるまで教える余裕は一切なかった。救命最優先で動くのなら、今はどんな方法を使ってでも、例えそれが脅しに近いやり方であったとしても。
さっさとここから離れなければいけない。
「ケケイシさん、ご武運を」
3人を背に乗せたウデーは小さく呟き、闇への入り口を開いた。
地面に深い深い、穴のような闇が現れる。そこへずぶずぶと潜っていく。ここに入ってしまえば、大抵の者は追いかけてはこれない。けれども、特殊な場であり生きた人間———それも魔素値の低い只の人であれば、ここへの立ち入りは恐怖が勝手に心を蝕み身体が死に至る。
それを防ぐ為にした命令が先の4つ。
3人が命令を守れば、当面の安全は保証されるだろう。
1名の怪我人がどうなるかは正直なところ、解らない。
途中で説明が途切れたが、意識を失った者を運んだ経験がウデーはなかった。だから「たぶん」と伝えるしかなく、結果として3人には不安を与えてしまっただろう。
しかし、怪我人をあそこに残しても命を失う羽目になり、そうなればケケイシの努力は水の泡。死体が1つ増えるだけだ。
それならば、賭けてみるしかない。
闇に潜ったウデーは月光国へ真っ直ぐに向かい、最短の道筋を進む———
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