第7話 - テーラーと糸

「じゃ、狐塚サンも東堂サンも、ありゃ偽名スか」

「つーこった。明日、おまえさんらにも諢名が配られるはずだぜ」

「誰が決めているんです?」

「おれが適当にしてる」

「アンタかよ!」

「いやあ、名付け親みてーでこそばいよなァ! あ、キッチリ意味はこめてんぜェ」


 決まっているなら別に今教えてもいいような気がしたが、そこは規則、お頭が配布する形になるとのこと。大通りから逸れて、細い道を幾度も右へ左へ行ったり来たり。一周しても不思議はない道のりだが、車窓からの景色を見るに、そうでもないらしい。段々と、高いビル群が車から遠ざかっている。


「なんか、ヘンな組織……」

「ちっとは変わった組織があっても面白いだろ?」


 シートベルトを外さず、隣の肩へ耳打ち紛いの声をかける。


「とのことですが、センセ」

「なぜ話を振る」


 あっけらかんと跳ね返ってきた声音は、本当に疑問以外の何物をも含んでいなかったし、小声でもなかった。


「え、いいの? ホラ、教師的に突然摘発したりしない? 悪質な勧誘とかでサ」


 控えなくて良いようなので、体を離して普通の音量で続行。目尻が下がった形の目元は、吊りがちの眉で甘さが相殺されているが、中央へ嵌った瞳は凪いでいる。


「教師を一体何だと思って……まあ、確かに、お前が今も十代ならもっと口を出しただろうがな。年齢だけならもう二十歳、保護者でもないなら、摘発も強制もできないさ」


 まさか他に怒られるようなことをしたから敏感になっているんじゃないだろうな、とこちらを注視して言うので、中学卒業後はトラブルを起こしていないし、警察のご厄介にもなっていないと訴えれば、即席尋問官の気は済んだようだった。口の端が上がっているから、からかい半分だったらしい。兄とはこういう感じだろうかと、教室の中で何度夢想したか。仲の良い家族という概念に、多少憧れもあった思春期だ。


「甘やかし慣れてンなァ」


 狐塚の茶々へ大いに頷き呼応する。


「分かるう。生徒からもモテてたのなんのって」

「調子のいいことを。いえ、成績狙いの奴らばかりですよ」

「またまたぁー」

「謙遜しちゃってェー」


 タッグを組んでしばらくからかい返していると、先生は仄かに耳を赤くして黙り込んだ。照れているサインだ。


 ようやく見えた目的地の前は、車一台停まるためのスペースのみ空いていたが、すぐにこの公用車で容易く埋まった。久しぶりに感じる外の空気は、中心街で吸い込むものよりずっと澄んでいるように思われる。背伸びをすると、骨同士が詰まった合間が伸びていく心地よさがあった。


「おーい、あららぎー、いるかァー。いないなら返事しろー」


 品よく古びた木の扉を潜って進むと、様々な背丈のトルソーやマネキンに仮縫いの衣服が着せられていたり、メジャーが首へかかっていたりと、まさしく古典的なテーラーの趣である。ファストファッションが浸透した昨今、工場で作られた大量生産の恩恵を預かる身の下名にとっては、どれもこれもが目新しい。


「資料集で見たとかのレベルだぜ、コレ」

「……こういう、お店。減った、から……」

「ホントそう……ってギャアアアア!」

「どうした!」


 つい応えてしまった、読点が多い背後からの声に飛び退くと、少年少女くらいの背丈に、清廉な雪の白を編み込んだ絹の髪揺らす、大きな緑の瞳の主がじっとこちらを見つめてくる。遅れた驚きが心臓を加速させて、血の巡りを促進していた。いつの間にかセンセの腕が、退いた所からオレをかばうように線引いている。新人二人の混乱をよそに、狐塚は謎の人物へ飄々と話しかける。


「よう、蘭! 久し振りィ」

「……うん、狐塚、も……ひさしぶり……だね」

「今日は遣いだ。急ぎ新人のスーツを……って、何怯えてんの?」

「怯えもしますわ! 音も気配もなかったっスもん!」

「と、とにかく……その方が店主で?」

「まあな。おれらの同僚でもある」


 軽い紹介を受けた台風の目が、腰から曲がる深いお辞儀をしながら挨拶する。


「……蘭、です。……よろしく……」


 小動物っぽい雰囲気と、幼さが残る口ぶりに警戒が弛む。勝手に上げられていた、彼の手の遮断器も降りていく。


「あ、まだ名乗っていい名前がなくて、悪いんスけど」

「そう……。だいじょうぶ、服に刺繍はしないから……」


 ちょっとばかしピントがズレた返答に、もしや天然という性質持ちなのではと疑う。それから順に採寸をして、一時間ほど待っていると、それぞれの身体にピッタリなスーツが仕上がったのだから驚いた。既成品を調整したのかと聞いても、首を横に振られる。表情はあまり動いていないが、どことなくオーラが得意げだ。例えるなら、上手にできた図画工作を子どもが大人へ見せびらかすそれに似ていて、思わず和んでしまう。低い位置にある頭を撫でると、心地よさそうに瞼を伏せていた。そういえば、出来たスーツは決してパーツも少なくないのに、布の合わせ目はあっても、それらしい縫い目が見当たらないのも不思議だ――間髪入れずに装填された新規の予定で、思考の暇は奪われたが。


「支度も整ったことだし。肩慣らし行くぞ、若人よ!」

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