音の魔女/色の魔女

第1話 祈りの時間 ♪︎鏡台

私たちは、“音”で知る。

何かが落ちたことを。その存在と、メッセージを。

あなたが拾って・手元に置いた“音”の持ち主は、誰なのでしょう。

後悔のない答えに辿り着くのは、とても難しい。

あなたがどう答えるかによって、簡単に運命は変わるのだから。


「失礼致します」

こん、こん、と木を叩くような数回の音の後。ぼんやりと……どこか遠くから、男の声がした。


「……」

未だベッドから起き上がれずにいた“音”の魔女は、シーツに膝を付き、何とか身体を起こそうと試みた。

――けれどその奮闘は、眠気から覚めきらない身体のせいで虚しく終わってしまった。滑らかな手触りの枕を抱き締める形で、ごろん、と横に寝転んでしまう。


すると、今度は近くから息遣いが聞こえてきた。


「おはようございます、マスター」

「おはよう。んん……少し、寝すぎたかしら~」

「……本日は、来客の予定もございません」


問題ありませんよ、と従者の囁き声が耳元に降ってくる。

木々の葉が風で揺れ、かすかに音を立てるような響きに安堵して、“音”の魔女は頬を緩めた。


「じゃあ……支度もゆっくりで大丈夫ね」

「仰せのままに」


○○

従者の手引きで【鏡台】の前に腰掛けると、“音”の魔女は正面へ手を伸ばした。鍵によって閉ざされていた二枚の扉が、ぎいぃ……と開かれる。


――瞬間。

土と、みずみずしい葉の匂い。

かすかに、ひんやりと雨の気配が残っている。

ちり、と柔らかな日差しが目元に当たる。

部屋中に突き抜けていくのは、自在に踊る・力強い風。


“音”の魔女の身体が感じ取った風景は、とある【森】だった。


開かれた鏡の中で、いくつもの命が動いている。


木の実を手に、巨木の上で食事をするリス。

はらはらと、時には螺旋を描きながら舞う木の葉。

地面に降り積もって山が出来上がった場所では、カサカサ……というわずかな音が、目には見えないものたちの足跡を追いかけている。じっとこちらを見つめた後、一頭の鹿は力強く地面を蹴り、跳ねるように森の奥へと消えた。


光がわずかに弱まり、従者が“音”の魔女の波打つ髪を丁寧にとかし始めたときだ。今度は【鏡台】の端の方から、ちち、と小鳥たちのさえずりが響いた。


【おはよう】

【おはよう】

【今日の寝癖も、かわいいねぇ】


「あら~、とても気持ちの良い朝ねぇ」


脳裏に響いてきた小鳥たちの声に、“音”の魔女は驚くこともなく答えた。目覚めて、窓辺のカーテンを開いたとき……そこに広がる景色は、毎日違う。それと同じことなのだ。


普段は固く閉じられている【鏡台】の扉は、あらゆる場所に繋がっている。鍵を持つ“音”の魔女が何かを願うときにだけ開き、鏡の外の世界へと誘う。


この特別な【宝物】は、“音”の魔女の両親からの贈り物だ。

目の自由が効かない少女に、少しでも外の世界との繋がりを……思い出を作るきっかけができるようにと、願いを込めて。

ひとつひとつ。1日1日。

その全てはどれも同じではなく、唯一無二。一度しかないものである……と。


魔女の部屋でいつも静かに鎮座する【鏡台】は、新たな今日を迎えられたことに、感謝と祝福の光をもたらしているかのようだ。


【……この前、君がくれた【鈴】。とても気に入ったよ】

【おかげで、森で迷子にならずに済んでる】


ふたりの小鳥の首もとで、ちりん、と涼やかな音がした。

お揃いの小鈴のリボンが、同時にかわいらしい音を立てた。


「まぁ。それは良かった~」

【君、まだ眠そうだね】


左の小鳥の声が、魔女の背筋を鋭くつつく。まっすぐ座っていたはずの魔女は、身体から力が抜けて……耳元を赤くして黙ってしまった。いつも、髪に触れる従者の手が心地よくて、つい微睡んでしまうのだ。このひとときがずっと続いてほしい……と思ってしまうことも多い。


【ふーん……あ、面白い話をしてあげようか。きっと目が覚める】

今度は、右の小鳥が少しいたずらっぽく言った。


「あなたたちとゆっくりお喋りできるのは嬉しいけれど――あんまり秘密のお話をしていると、彼に睨まれてしまうわ」


“音”の魔女が、くすくすと笑みをこぼしながらもちらり、と後ろを振り向くように顔を動かした。気が付いた従者はにこりと微笑み――けれど手を止めることなく、“音”の魔女の後ろ髪にきゅ、とリボンの結び目を作った。


「本日は、エメラルドグリーンで仕立てました。何処か気になる部分……手直しはございませんか?」

「ありがとう。大丈夫よ~」


二人のやり取りを横目に、小鳥たちは声を潜めた。羽根で口元を覆い隠しながら、“これ以上長居するのは野暮だ”……と、【鏡台】の方へと向き直る。


【それもそうだ】

【ではまた……“音”の魔女】

【今度は、朝食のテーブルに木の実を届けよう】


ぱたぱたと羽根を羽ばたかせ、ふたりの小鳥たちは【鏡台】の中へと飛び込んだ。


ここは、たくさんの“音”が集う場所。

――“音”の魔女の館。









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