第6話 知らない魔法 🌸カモミール
手触りも、香りも、冷えていく指先をあたためる方法も。ひとそれぞれ、違う。
場所も、物も、選んで・望むことができるのは間違いなく幸せ。
どんな出来事も、あなたがただ、感じることが全て。
◯
“好き” “嫌い” “似合わない”
“きれいな色ならなんでもいい”
“一度失敗したから、わからないように塗りつぶしてほしい”
“どうして、きれいだったのにぐちゃぐちゃにするの”
“全部消して、やり直したい”
――“音”の魔女が、“色”の魔女を両腕でしっかりと包んだ、その瞬間から。
“色”の魔女の体から、たくさんの“音”が流れ込んできた。
【宝物】を求めて“色”の館を訪れたひとたちや、“色”の魔女の力を利用しようとしたひとたちの、“心”の声。
時折、“色”の魔女への感謝の声・穏やかな風景も、雲のように流れていった。しかしそれらは、雑踏にかき消されるように景色ごと・びりびりと破られ、無惨な姿で捨てられていくかのようだった。
たくさん描いてきたのに、捨てられていく。
相手の求めるものが、段々と大きくなっていく。
何をしても満たされない・足りないひとびとの《心》が、果てのない欲望となって――言葉の豪雨となって、“色”の魔女の体を叩き付ける。
“色”をいくら重ねたところで、根本は変わらない。寂しさも虚しさも……起こった出来事を全部消すことは不可能だ。
長い長い時間をかけて、ゆっくりと小さな鍵をかけて。いつも・すぐに悪いものが顔を出さないようにと、祈って、目の前のことを為していくしかない。……ひとの中にある“化け物”のような記憶は、ずっと残り続けるから。
「……っ、飲み込まれてはだめ、戻ってきて。これ以上、自分の“音”を無視したらあなたは、あなたではなくなってしまう」
“音”の魔女は、ゆるやかに波打つ髪を左右に振り乱しながら・絞り出すように言葉を放った。
「“音”……私は、自分がどうしたいのか――自分の“声”の聞き方が、わからなくなってしまった。【宝物】を守り・手渡す――“魔女としての仕事”を果たすことが、何よりも大切だった」
“色”の魔女は薄く笑みを浮かべながら、“音”の魔女の手を握る。“色”の手に染み込んだ冷たさが、水溜まりのように広がっていくようだった。
涙で滲んだ“音”の目を見つめていた“色”は、“少しでも休んだほうがいいわ”と頷く“花”の言葉で、客間へと移った。
◯◯
「“闇”の魔女さま。――“色”の魔女が消えかけています」
「……ああ、やはり。私は、来るのが遅すぎた」
“色”の魔女が休んでいる部屋へと向かう、道すがら。“花”の魔女から事情を聞いた“闇”の魔女は、予想していた通りになった……と頷いていた。“闇”の魔女は、医師として、様々な場所を転々としている。
とりわけ呪いの類いに詳しく・繋がりも深いため、古い歴史の遺物や、あらゆる機密事項に関わる機会も多いようだ。
「“色”の魔女はその力を使う度、体と心・どちらも“色”を失っていく。途中で付け足し・重ねる“色”が少ないと、透明に近付いていくのだ。……私は、“闇”の魔女ゆえ、呪いの類いにも関わりが深い。不安定な“妹”の近くにいると、よくない影響を与えると思い――直接会うことを避けてきた」
ベッドに横になり目を閉じている“色”の魔女を前に、“闇”の魔女は古いおとぎ話を語り聞かせるように、言った。
「誰もが望むだろう。残ることを。誰もが望むだろう。消えることを。どちらも、一度はたどり着く【願い】だ。本当の意味での“善人”など、この世には誰ひとりとしていない。それぞれが傲慢で、目には見えない【呪い】を抱えて生きている」
藤の花を思わせる紫の長髪が、かがんだ“闇”の魔女の横顔に揺れていた。呪いを知る“闇”は、それをすぐに打ち消し・解決する術がないこともよく知っている。
「……無理をせず、よく休むことだ」
しとしとと降る細雨のように、小さく染み込んでいく“闇”の声は、後ろに控えていた“花”たちをも不思議と落ち着かせた。
「あの……わたしたちに、力になれることはあるのでしょうか」
恐る恐る問う“花”に、“闇”はううむ、と少し考えてからこう続けた。
「我が妹――“色”の魔女を、“光”の魔女にも会わせてやってくれ。ただし、私が帰った後で、だ」
“色”を燃やし・輝きを取り戻させる術を、“光”はもたらす。
“闇”は、“光”がどれほど近く・遠い存在か知っていた。
“光”ほど残酷で・けれども憎まれない存在が、この世にふたつとあるだろうか。
◯◯◯
「お招きありがとう。“闇”は帰ったようね」
“闇”の魔女と入れ替わるように、“音”の館に現れたひとりの魔女。“闇とは、相性悪いのよね……”と呟きながら、左手首のブレスレット――小さな星に似た細かな石が、いくつも組み合わせてある――を照明に透かす女性。“闇”の双子の片割れであり、“色”の魔女のもうひとりの姉……“光”の魔女だ。
“光”の魔女は昔から、占いを生業としている。
小さな恋の相談から始まり、賢者として《災い》や《来るべき未来》を予知するなど、活躍の場は実に幅広い。
「お久しぶり」
“光”の魔女は、隙間から射し込む朝日のように、眠る“色”の目にかかる髪を手でのける。それと同時に、“起きて”と命じるような言葉が、“色”の目を覚まさせた。
「――ん。! ……“光”の、」
「しぃーっ。あたしが今からあなたに渡すのは、言葉の【お守り】。よく聞いていてね」
咄嗟に声を張り上げようとする“色”を、“光”は指一本で制した。そうして“闇”の魔女と同じように、大切な話をゆっくりと語り聞かせる。
「あなたは、たくさんの“色”を知っている。
“色”のなかにどれだけの命が生きていて、守られているのかも知っている。――この世に、“全く同じ存在”がひとつとしてないことも。そうね……あなたの中に、無数の糸が編み込まれているわ。あなたの意思で全てをほどき・ちぎることはできないほどに、強固な【呪い】よ」
【呪い】という言葉に、“色”の表情と顔が強ばった。自分が、魔女にとっても・ひととしての体と心にとっても、よくないものを抱え・この場に持ち込んでしまっている事実。それによる周囲への影響を考えてしまったのだろう、“光”の後ろの“花”と“音”の方へと目を向け、“色”は更に顔を歪めた。
「大丈夫。この館も、あなたの友達も無事よ」
“光”のあたたかな声に、“花”と“音”も流れるように頷いた。
それでも今少し、“色”は複雑そうに“光”を見る。
“……あなたは、自分の心配をしなさいな”と“光”がやんわりと・少しだけ苦笑しながら“色”の頭を撫でた。その様子は賢者ではなく、紛れもなく・ひとりの“姉”の顔だった。
「これから、少しずつ。“色”を食べなさい。そうね、例えば――穏やかで美しい景色。大地に育まれた自然物・食物。ひとの手で造り上げられた、数々の芸術。古くから存在し、今もなお続く歴史の遺物たち。――かれらに触れることが、心の安らぎを生むでしょう。あなたの中に根付き・息をする“色”が、どこかに必ずあるはずだから」
ふっ、と“光”が明るい微笑みを称え、再度“色”を見つめた。景色の中に溶け・染み込んでいくような“光”の姿が眩しく映り、遠目から見ていた“花”も、思わず唾を飲み込んだ。
「元気になったら、あたしの館にもぜひいらっしゃい。あなたがどんな色で・どんな姿でいようとも。あたしにとっては、世界でたったひとりの……愛しい妹よ」
「……! ……姉さん」
“光”の魔女の口付けが、“色”の魔女の頬へと落ちる。
新しい涙が“色”の魔女の瞳を包むのと同じ頃。林檎に似たほのかな紅茶の香りが、部屋に漂ってきた。
◯◯◯◯
「“花”と“音”の魔女。この度は、ありがとう。“色”に魔女の友達がいることは聞いていたのだけれど、直接会うのは今回が初めてだったから」
「私たちは日頃、賢者として各々奔走している。性質も業務も異なる魔女同士、顔を合わせる機会もほとんどなくてな。気の許せる友人の存在は、“色”にとっても心強いことだろう」
“音”の執事が用意したカモミールティーを味わいながら、ケープで全身を包み・顔を隠すようにして椅子に座る“光”と、壁際にもたれかかる“闇”がそれぞれ感謝を述べた。
「……これから、どうすればいいでしょうか」
「そうだな。もし支障がないのであれば、一週間ほどこの“音”の館で“色”を休ませてやってほしい」
「それは――もちろん。大丈夫よ~」
「それに、あなたたちと思い出話をすれば、“色”の体にもより鮮やかな色が戻っていくはずよ」
“闇”と“光”の申し出に、“音”がちらりと“花”を見た。
「わかったわ。なら、私もしばらくここでお世話になろうかしら」
“花”もまた、“色”と共に一週間、館に滞在することに決めた。
「そういえば。かつて、人間以外は体が透明に――《ガラス》に成り果てたものたちがいたようだ。その仔細を書き記してある【日記】が、私の館に資料として残っていてな。興味があるのなら、渡そう。“音”――きみならば、読み込めるだろうよ」
“闇”の魔女に手渡された【日記】をそっと受け取った“音”は、【日記】の表紙を指先で探りながら、隣に控える執事の方を気にしていた。
「つまり【日記】には、現在の“色”の魔女さまに通ずるもの――必要となる情報が含まれている、ということでよろしいでしょうか」
「その通りだよ、天使。きっと、きみらにとって“嫌な音”もたくさん含まれているだろうから、慎重に解読してくれ」
執事の答えに気を良くした“闇”は、最後に警告することも忘れなかった。
🌸カモミール
花言葉:「あなたを癒す」、「逆境から生まれる力」
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