第5話 玉響(たまゆら)のうた 🌿月桂樹の葉

音の中に。色の奥に。閉じ込められた、大切な記憶。

誰にも見えない透明な小瓶に、好きなもの・大事なものを入れていたら、どんどん増えていった。

抱えきれなくなって・順番が決まったとき――

割れた小瓶の欠片を拾ってくれるのは、誰なのかしらね。


“音”――それは、心の揺らぎを映し出す、水面の鏡。

触れたものの心を洗い、表から隠れているものを明らかにする。

そこかしこから聞こえる、“音”。

木々の囁き。

地を進む生き物。

水の戯れ。

空を行き交う鳥たち。

小さくて・けれども今、この空間全てを包んでいる――命の音。


そうして近付く内に、鮮明に聴こえてくる“声”。

幾重にも音を折り重ねた、祈りのような歌。

「マスター。お客さまをお連れしました」

「待っていたわ~ “花”ちゃん――“花”の魔女」


“音”の魔女の執事に案内され、“花”の魔女は館の庭を進み、建物の中へと入った。広間の中央にある深緑の【ピアノ】の前で、“音”の魔女は、にこり、と微笑んでいた。しかし、“花”の魔女が近くに来たことが分かると、

「本当は、私から会いに行く予定だったのに……ごめんなさい~」

「いいのよ。魔法学校の聖歌隊の講師だなんて、とても大事な仕事だもの。誰にでもできることじゃないわ」


急用ですぐに会えなかったこと・“花”の魔女からこちらの館へ来る結果となったことを、申し訳なさそうに話した。対する“花”の魔女は全く気にしていない様子で、むしろ“音”の魔女を尊敬の眼差しで見つめていた。


「どうぞ。こちらへお掛けください。紅茶のご用意を致します」

執事の声に呼ばれ・反応するように、どこからか二人掛けのテーブルと椅子が目の前に現れ、こと、と静かに着地した。

執事が纏う黒い燕尾服の背中には、天使のような羽根。かすかに香る、月桂樹の葉の香り。あらゆる音をほとんど立てずに動くその姿は、何度目にしても不思議だ。


「……彼には本当に、いつも助けてもらっているの」

執事の手引きで椅子に腰掛けた“音”の魔女は、胸元の【ブローチ】に触れながら、少しの間目を開いた。


「月桂樹の葉の【ブローチ】――彼も受け取ってくれたのね」

「ええ。“花”ちゃんが【ブローチ】をくれたとき、本当に嬉しかった。勇気をもらったから、私……彼にも【宝物】を――【自分の気持ち】を渡すことができたの」


ありがとう、と話す“音”の魔女の声は、ふいに立ち止まって眺めてしまうほどに美しい――夕焼けのように、“花”の魔女の心を熱く染めた。


◯◯

「小さくて細くて……中から、砂やサイコロが動くような・小さな音がするわね~」

「【万華鏡】というの。様々な色のガラスが組み合わさっていて、回して動かす度に、見える模様がどんどん変わるの。――色々な“花”も見えるわ。花のつぼみが開いたり、花火になったり……」


“花”の魔女が持参した小さな【万華鏡】を、“音”の魔女も手に取って触る。【それ】は、かつて“色”の魔女から譲り受けた【宝物】だ。


“花”の魔女にとって、“音”と“色”……二人の魔女は気心知れた友人であり、同時に、尊敬する存在でもあった。

“音”も“色”も芸術に秀でており、音楽や絵画など日々幅広く活躍している。“花”の魔女にとっては、彼女らの作品に触れることがひとつの楽しみでもあった。


“音”の魔女とはよく連絡を取り合い、こうして館を訪れることも多いのだが――“色”の魔女とはそうもいかなかった。

“色”の魔女は、魔女たちの間でも、とりわけ神聖な存在として扱われる魔女だからだ。


自然界のものを冠し、守る――【大地・水・火・風】の魔女。

世の秩序を作り、時を作り出す――【光と闇】、そして“色”の魔女。

この7人の魔女はいつの時代も、賢者として語り継がれている。


そして、現在。【光と闇】の魔女の妹でもある“色”の魔女は、姉二人と同様に、日々忙しく過ごしているようだった。

運が良ければ、年に一度会えるかどうか……といった具合で、もう何年も直接顔を合わせてはいない。【宝物】を守る魔女となるための学舎――魔法学校の卒業後、会う機会はめっきり減ってしまった。


「! ……マスター。“招からざるお客さま”がいらっしゃったようです」

「誰かしら……? 静かにしていて――“音”を聴いてみるわ」

傍らに控えていた執事の言葉に、“音”の魔女は耳を澄ませ――

“何者か”がわかると、どうして……と唇を震わせた。


◯◯◯

「……“音”ちゃん。何が聞こえたの」

“それ”は次第に、“花”の魔女の耳にもかすかに聞こえた。


ハナ オト

ワタシの トモダチ

ドコにイルノ


地を這うような、低いうめき声。……それも、よく耳を澄ませると、“花”の魔女もよく知っている声だった。

「“色”の魔女……」

執事が、主人と“花”の魔女を後ろ手に、背中の羽根を大きく広げて二人を覆い隠した。


「……一体、どうして――」

口元を手で覆い・小さく震える“音”の魔女の肩を、“花”の魔女は両手でぎゅっと支える。

そうして“音”の聞こえた方をじっと見ている内に――少し前に執事と“花”の魔女が歩いてきた方角から、こつ、こつ、と足音がはっきりと近付いてきた。


「……“花”。そして、“音”。私のこと、わかる……?」

静かな空気に溶けるように・霧のように散る、魔女の声。

細布を幾重にも、スカーフのように巻き付けたような――シンプルでいて華やかなドレス。足元には、透明なガラスの靴。舞台の上で舞う妖精のように、美しい女性--“色”の魔女が姿を現した。


「……ごめんなさい。突然・知らせもなくやって来て、警戒させてしまった」

「……“色”の魔女さま。そのような状態で、ここまでおひとりで――お迎えにあがれず、申し訳ございません」

執事の返事に“色”の姿を見た“花”と“音”の魔女は、“彼女”が、“色”を失い・体が透明になりかけていることに気が付いた。


――“色”の魔女の力の源は、自身の《心》。様々な“色”を宿した特別な【宝物】を守るため、他の魔女よりも更に多くの《魔力》が必要となる。……そのためにか、自分の《心》の一部を無意識に切り取り続けるという。


「ご覧の通り。自身の体と魔力を維持することが困難なほどに、現在の“色”の魔女は衰弱されています。この状態に至った時点で、歴代の“色”の魔女は、魔力が完全に回復するまで長い《眠り》についた……と聞いたことがあります」

「そんな……」

「“色”ちゃん……きっと、長い間ひとりでおびえていたんだわ。自分の“色”さえも、わからなくなってしまうぐらい」

“音”の魔女は、“色”の魔女の気配がする方を眩しそうに見つめた。暗闇から光が射し始める、夜明けの空を前にしたときのように――儚さと、空白だった時の長さを感じながら。



🌿月桂樹の葉

花言葉:「私は死ぬまで変わりません」



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