第4話 時を戻す鏡 🌸露草

大事なものは、手が届くところにあるかしら?

近くにあるものほど詳細を知らないで、ふいに近付いたときに、戸惑ったり……時間と出来事・物事の良し悪しは、簡単には切り離せないわね。

過去を思い出すとき、未来を想像するとき。

あなたは、どんな表情をしているのかしら。


「ごきげんよう、花の魔女さま」

「ごきげんよう。素敵なレディ」

ふわり。今日の依頼人は、長いスカートの裾をつまんで会釈しているかのような、やわらかな口調のお嬢さんだ。


「お願いがあります」

「――ぜひ聞かせてちょうだいな」

「わたし、行きたいところがあるのです。でも……」

「“今”のあなたでは無理、なのね」

魔女が頷いたように、少女もまっすぐ頷いた。

「ええ。“戻らないと”行けません。とても小さな花畑だから」


魔女、ちらりと窓の外――暗闇に現れ始めた細い月を見ながら、少女に答えた。

「オーケー。まずは館で、紅茶を淹れて話しましょう」


◯◯

うららかに晴れた、早朝。温かい朝日が地を照らし、今日という時を動かしていく。

「朝早くに、ご迷惑ではなかったでしょうか」

「かまわないわ。紅茶のおかわりもあるから、ゆっくり聞かせてちょうだい」

黄緑のリボンで結んだ、黒のかわいらしいお下げ髪。

白いセーラー服には、皺が見当たらない。澄んだ森のように静かな空気を纏った少女は、ぽつりと話し始めた。


「……わたし、“ひと”になる前は“蝶”だったんです」

「あら。はっきりと覚えているのね」

「“蝶”だったわたしに蜜を分けてくれた――“花”に会いたいのです。“彼女”がいなければ、“蝶”だったわたしは空腹のまま、凍え死んでいたことでしょう」


前世の姿で、“命の恩人”を探したい――少女の前に魔女は、露草の【手鏡】を差し出した。

「――ひとつ、言っておくわね。この【宝物】で“姿”を変えられるのは、【早朝】だけよ」

「大丈夫です。わたし、必ず“彼女”を見つけてきます」


少女を見送り、紅茶を淹れ直そうとしていた魔女の元に、にゃらりん、と電話の音が聞こえた。

「もしもし~。私、“音”の魔女よ」

「! “音”ちゃん。久しぶりね」

葉の上をすべって、なめらかに染み込んでいくような……やさしい声。“花”の魔女の古い友人のひとり、“音”の魔女だった。


「ええ。……ふふ、昔、“花”ちゃんにあげたクロッカスの【イヤホン】。今も大切に使ってもらえているみたいで、嬉しいわ~」

「……そうね。とても素敵な【宝物】だもの。私も、大切にしてくれるひとに渡すことができて、とても嬉しいわ」

「――どうしたの~? 今日は何だか、元気がなさそうな声」


“音”の魔女である彼女は、“音”から様々な情報を感じ取ることができる。

“音”を持つもの全て、彼女にとってはピアノの鍵盤と同じ。

少しでも・わずかでも、触れた感触や響きに違和感があれば、すぐにわかってしまうらしい。


「そうね。――“音”ちゃんには、隠し事はできないわね。ちょっと、昔のことを思い出していたの」

「“花”ちゃん。もし迷惑でなかったら、電話じゃなくて、直接お話ししない? お菓子を持っていくわね~」

「ありがとう。ぜひお願いするわ」



◯◯◯

もっと速く、飛びたい。

雨の届かないところへ逃げて、冷えた体を休めなくてはいけない。

“きみ。どこへ行きたいの”

“ここら一帯の花は、刈られてしまったんだ。大きな桜の木もあったけど、もうすぐ家や駅が建つらしくてさ”

“少しでもよければ、休んでいくといいよ”

小さな青い花――露草の“彼女”の声が、今も耳に残っている。


――ふわり。懐かしくて、蝶の好きな匂いがした。

門を通りすぎて、広い敷地へと入った。坂道に沿って続くそこら中の・いくつもの建物には窓がたくさんあって、容易には入れそうにない。

「……!」

坂道の脇を登っていた、ひとりの“女性”。後ろ姿からでもわかる懐かしい匂いを頼りに、蝶は飛んで……ちょうどスマートフォンで調べものをしていたらしい“彼女”の左手の親指に、止まった。


「……紋白蝶?」

突然のことに驚き・動きを止めた“彼女”は、蝶の目を覗き込むように顔を近付け、

「……ここ(大学)じゃ、ひとの目が多すぎる。場所を移動してもいい?」

と声を潜め、早口ぎみに言った。


青く長い髪を揺らしながら、“彼女”は、駅の裏手のトンネル近くまで来た。――もう戻っていいよ、と“彼女”が言うと、蝶の体は“ひと”に戻った。高校生の、セーラー服をまとった少女に。

「……髪、跳ねてる。遠くから飛んできたんだ」

少女をじっと見つめて、ふいに目を細め・微笑んだ“彼女”。前髪の一部だけ白くメッシュが入っていて、月のようだった。背が高くて、少女は唾を飲み込みながら少し見上げた。


「わたし、信じていたの。大事なものは、一目みれば――触れたらわかる、って」

ぱりん、と何処かで何かが割れる音がした。


指を絡めて、ぎゅっと力を込める。そうしてお互い、吸い寄せられるように額をくっつけて――鼻先で匂いを嗅ぐ。


「――近すぎて、よく見えないわ」

「でも、わかる。すごく柔らかくて、あったかい」

「……っ、足が浮いてる」

「いいよ。ちゃんと支えてる」


駅の雑踏も、ひとの足音も、歪んだ形の水溜まりも。周りの風景が何も気にならなくなるほど、ふたりの時間は切り取られていた。体を合わせて止まっている間にも、残された命の時間は知らぬまに減っているはずなのに。……何も、怖くない。今・触れ合える体があって、偶然にも同じ“ひと”の姿で、心がくっついて、もう離れはしないことがわかったから。


「……今世では、幸せに」

ミルクを注ぎ・渦巻く紅茶の水面を、魔女は見えなくなるまで見つめていた。


🌸露草

花言葉:「なつかしい関係」、「密かな恋」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る