第2話 とある紙幣と金貨 🌸沈丁花

きれいなお金と、しわくちゃなお金。

新しいものと、古いもの。

天秤みたいにいつ・どう傾くかもわからない、“形ある存在”。

そうね、何度使ってもなくならないものを、あなたはすでに持っているわ。


「こんばんは」

「――こんばんは。とても礼儀正しいこね」

電話の向こうで、ぺこりとこちらに頭を下げているのが想像できるような、落ち着いた少年だ。


「師匠が、“礼を欠かさないように”って口酸っぱく言うから」

「そう。あなたの師匠、“沈丁花の鬼”ね? お元気かしら」

「知り合いなの?」

「わたしは“花”にまつわる宝物庫の魔女。あなたたちは“花”の名前を冠する鬼だもの。お友達だわ」

素直に不満を口にする少年に、くすり、と魔女の唇から笑みがこぼれた。

「今は、夜の狩りに行ってるよ。俺は、宿で留守番中」

この様子だと、師匠が出掛けてしばらく時間が経っているようだ。


「あのさ、最近――師匠が、俺を置いて出掛けることが増えたんだ。仲間の鬼に呼ばれて。……俺が行くと足手まといだってわかるけど、ちょっと気になって」

「――わたしの館は、遠いわよ。悟られずに、ひとりで来れる?」

魔女の声が、突然鋭くなった。少年は、それでも頷いたのだろう。

「……少しでも、答えに近付けるなら」

「オーケー。いつでもいらっしゃい」


◯◯

その日は風が強く、普段は館の外にある鉢植えも全部、中に入れられていた。そのおかげか温室のように、花の良い香りがあちこちから漂っていた。


「来たよ」

薄紫の髪に、黒い角――“菫(すみれ)の鬼”の少年だ。

「早かったわね。……さて、あなたには【お金】を渡しましょう」

「えっ、いや……俺は【そっち】には困ってないよ」

小鬼の少年は、ひどく慌てていた。礼を重んじる師匠に見つかれば、後からどんな説教が降りかかるか――と。


「返品は受け付けないわ。“どちらも、安易に手離さないよう”に気を付けなさい」

魔女の手から【お金】を受け取ってしまい、不安げな面持ちで【それ】をしばらくじっと見た少年も、あきらめて大切に――懐にしまうことを選んだようだ。


沈丁花(じんちょうげ)の花が描かれた【貨幣】。

ひとつは丸く、もうひとつは四角い。

固くて厚い【金貨】と、やわくて薄い【紙幣】。


「言葉に騙されては駄目よ。あれは、簡単に姿を変えてしまうものだから」

少年が去った後。ひとり宝物庫の整理をしていた魔女は、手に取った万華鏡を覗き込んで呟いた。


◯◯◯

【お金】と言うからには、使い道は限られてくる。

「“手離すな”って言ってたけど……」

宿の寝床の上で、少年が【金貨】をつまんで眺めていたときだ。がたり、がたり。がたり、がたりと背後で窓が数回揺れた。――今は、風など吹いていないはずだ。


「な、なんだ……?」

「おぉ、小さいの! こんなところにいたのか! 喰われる前に、早くこっちに来い」

黒く透ける窓の外から、師匠の仲間のひとり――男の声がした。少年が、窓の鍵を開けて答えようとした瞬間。細長い錫杖が、窓と窓の境に――先ほどの男の首ねっこを刺すように、当たった。


「わたしの弟子から、さっさと離れろ」

強い花の芳香が、声と共に周囲を牽制する。

空気が途端に凍り付き、少年の体も、恐怖でわずかに震えた。煙のようにたなびく、長い銀髪。彼女こそ、少年の師匠――この森で最も強い鬼だ。


「……あ、し……師匠」

「皆が、口を揃えて言うのだ。

“小鬼をよこせ”……と。わたしは、弟子を他に預けることも、故郷のこの森を離れるつもりもない」

「坊主からも何とか言ってくれ!! 毎日毎日、無理に戦って……“沈丁花の鬼”が倒れちまったら、ここらの森はすぐに他の衆に奪われちまうよ……!」


師匠は、『弟子を連れて遠くに逃げろ』と説得に来る仲間と、他の森からやってきた侵入者の鬼――双方を毎日相手にしていたようだ。


「なら……集落を作ろうよ。バラバラに戦わずに、一ヶ所で結託して考えるんだ」

少年がおもむろに地面を深く掘り始め、【金貨】と【紙幣】を土に埋めた――直後。そこら中から沈丁花の花が咲き始め、みるみるうちに森を彩っていった。

「俺たちは、“花”の鬼。花の力を借りればいい」

少年の足元には、小さな菫が群れをなして咲き誇っていた。



🌸沈丁花(じんちょうげ)

花言葉:「栄光」、「不滅」




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