第35話 グレイブ、アニーに捨てられる

 リーンがノアに向かって、駆け寄ろうとしたまさにその瞬間だった。


 

 とすり、と。



 ノアの背中を、何かが貫いたのは。



「え……」



 一瞬、何が起こったのかわからずリーンが声を上げた瞬間。



「きゃぁ〜〜〜〜!! やった! やったわ! ほら見てグレイブ! 命中してる!」



 そう叫びながら、すぐそばのくさむらからぴょんと飛び出てきたのは、よく聞き知っている知り合いの声で。



「えっ……、アニー……?」

「さあノア! こっちにいらっしゃい!」



 アニーがそうノアに呼びかけ、リーンがその言葉を追うように再びノアに視線を戻すと、いつのまにかノアの背中に突き刺さっていたはずの矢は何処かに消え去っていた。

 そしてあろうことかノアは、まるでアニーの言葉に従うようにゆっくりとアニーに向かって視線を合わせると、そのまま彼女に向かって歩き始めた。



 その様子を確認したアニーが「きゃっ♪」と声をあげると、隣に立っていたグレイブが状況を理解できずに困惑した様子で、アニーに向かって大声で問いただす。



「アニー! どういうことだ!? その矢はリーンに使うんじゃ……」

「ああ〜、ごめんなさいねグレイブ。私、金のない男に興味がないのよ」



 しかもあなた、お金がないだけじゃなく借金まであるじゃない、と。

 借金ができた一因が自分にもあることを棚に上げ、アニーは悪びれた様子もなく嘲るように笑う。



 そんなやりとりをしている間にも、ノアがアニーに近づき、「……アニー」と、彼女に向かってどこか虚げな表情でふわりと微笑みかける。


 

「ノア……! ねえ、どう? 私のこと好き?」



 愛してる? と。



 アニーがノアに向かってきらきらと尋ねるのに対し「……ああ、愛してるよ」と、その麗しい顔で笑顔で答えるものだから。



「……っ」



 その様子を見たリーンが、ずきりと激しく痛んだ胸を抑える。

 


「おい、ノア……! どういうことだよ……!」



 ふざけんなよ……! と一連の様子を見ていたレナードが、豹変したノアに向かって声を荒げる。



「どういう……?」

「おまえ……、リーンのことはいいのかよ!?」



 レナードに問われて、ノアが「ああ」と短く答えると、そういえばいたのかとでも言いたげにリーンに向かって視線を向ける。

 それを受けたリーンの方が、怯えたようにびくりとすくんでしまった。



(ノアのこんなに感情のこもっていない目。今まで見たことなかった)



 ノアが、他人に対してあまり興味を持たないタイプだと言うのは知っていた。

 でも、自分に対してはそうじゃないと、きっとどこかで自惚れていたのだ。

 だから今、実際にその目が自分に対して向けられたことに対して、リーンは想像以上に自分が傷ついていることに衝撃を受けた。



「別に。もう関係ない」

「関係ない……? じゃあ、俺がリーンをもらっちまうぞって言っても別に構わないんだな!?」

「好きにすればいい」



 レナードの言葉にノアはすげなく答えると、再びアニーを見つめて愛しげに微笑みかける。



「はぁ……、ノアぁ……」



 その微笑みに、きゅうんと心をときめかせたアニーは、嬉しそうにぴとりとノアの胸に飛び込んでいく。



「さっ、じゃあもうここに用はないわ。行きましょ、ノア」



 そう言って踵を返そうとするアニーに、グレイブが慌てて「アニー!」と声をかける。



「……なによ」

「どこにいくんだ? 僕を置いていくのか……!?」

「言ったでしょ。あなたはもう用済みなんだって」



 だからご親切にも幼馴染のところまで連れてきてあげたんじゃない、とアニーがうんざりしたように言い捨てる。



「そんな……」



 愕然とするグレイブを置きさろうとするアニーと、連れ添うようにノアもその場を立ち去ろうと足を向ける。



「ノア……」



 冗談であってほしいと無意識に願いを込めながら、リーンがノアの名を呼ぶ。

 しかしノアは、それを冷たく一瞥するだけで、特に何も言うことなく去っていってしまった。



 何が――、起こったのかよく理解できなかった。


 

 おそらく、アニーがノアに対して何かをしたのだろうと言うことはわかる。

 一瞬で消えた、背中に刺さった矢のようなもの。

 あんなにアニーを毛嫌いしていたのに、人が変わったように態度を豹変させたノア。

 


 様々な断片が脳内をよぎっていくが、それがひとつとしてまともにつながらない。



(ああ、私、ショックを受けてるんだ)



 ノアは、何があっても自分の元を去っていかないと、どこかでたかを括っていたから。

 いつか別れることがあっても、それはこんな形ではなく、お互いにまたどこかで会えたらと、笑顔で別れられると思っていたから。



 ――こんな、突然捨てられるみたいな形で、別れることになるなんて思ってなかったから。



 こうなって見て、自分がいかにノアに甘えていたのかと言うことを自覚する。

 向こうから寄ってきてくれるのを、どんなにこちらがすげなくしても、笑って許してくれていたから。



 ぽとり、と。

 こぼれ落ちた涙が、頬を伝って地面に落ちた。



「あ……」



 我知らず、涙をこぼしていたことに気づく。



「リーン……」

「リーン……!」



 気遣うように、声をかけようとしてくれたレナードの声と、グレイブの声が重なる。



「どう言うことなんだよ!? なんでアニーが……!? 君が何かしたのか!?」



 錯乱したように喚き散らすグレイブが、リーンに向かって責め立ててくる。

 そうして、感情に任せてリーンの胸ぐらを掴んだかと思うと、今度はまた人が変わったように情けなく懇願してくる。



「なあ……、リーンは……、僕のこと捨てないよな……!」



 どうなんだ……!? と縋り付いてくるグレイブに抵抗することもなく、リーンはどこか冷めた気持ちでそれを眺めていた。



(……最初に私のことを捨てたのはそっちなのに)



 と。



 ああでも。



 ――それは自分も同じか。



 自嘲するように、リーンは小さく嗤った。

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