第33話 幼馴染と惚れ薬

「……レナードはね。私に冒険者をやめさせて、普通の生活に戻したいって思ってるのよ」



 ちゃぷ、と湯船を揺らしながら、ヘレナはそんなことをリーンに語り出した。



「それは」

「向こうの勝手よ。責任感なのか罪悪感なのか知らないけど、今ここにいたいと思って決めてるのは私なのにね」



 レナードが勇者だ、と知らせが届いた時。

 当時彼がリーダーを務めていた冒険者パーティーを、一旦解散させたのだということを、ヘレナが教えてくれた。



「それはそうよね。みんな日銭を稼ぐために冒険者をやっていたのに、突然魔王を倒そうって言われても困っちゃうわよ。それで、その時パーティーを抜けずに残ったのが私とライナスってわけ」

「……」



 ヘレナはなんで、その時パーティーを抜けなかったの?

 なんて――。

 口が裂けても聞くことなんてできなかった。

 

 ヘレナと似た境遇で、おそらく似たような理由で、勇者パーティーにいることを選択した自分だからこそ。



「もちろん死ぬつもりなんてないわよ? でもね私、決めたのよ。彼の一番近くで、最後まで喜びも悲しみも愚痴も全部分かち合うって。だからね、もしレナードに他に好きな人ができて、付き合うだのなんだかんだあったとしても、最後までそのポジションだけは渡したくないの」



 まあ、それが一番重たいし、相手のとしたら鬱陶しいんでしょうけどね、とヘレナがふふっと笑う。



「……ヘレナはすごいね」

「そう? ただの重たい女だと思うけれど」

「わたしは、そうは思えなかったなあ……」

「……それは、ノアのこと?」



 ざば、と水音を立てながら天を仰ぐリーンに向けて、ヘレナがそれとなく訪ねてくる。



「ううん、違う。私にも、ヘレナみたいに幼馴染がいたの。一緒に冒険者パーティーをやってた。でも、私はそんなふうに思えなかった」



 あの時。

 思ったのだ、リーンは。

 グレイブに対して、あっさりと引くことができる自分は、薄情な人間なのではないかと。

 もっと食い下がって、幼馴染なのだからと、大切に思っているからと、強く主張するべきだったのではないかと。



「お前は役立たずだからって、他に好きな子ができたからって、見せつけられて。ああこれ以上私が何を言ってもダメかって、あっさり引いちゃったけど。だからダメだったのかなって」

「……」



 そう言いながら、ふと、そういえばグレイブのことを思い出したのは久しぶりだとリーンは思った。

 そうだ――。

 そういえばそれは、これまでずっとノアが側にいたからだ。

 ノアが、あれやこれや自分の周りでうるさくしてきたことで、リーンにとってはいい意味で、グレイブのことをゆっくりと思い返すこともなかった。

 だからこれまで、こうやって感傷に浸ることもなくやってこれたのだ。



「……リーン?」

「――そうか、ノアが」



 意図していたのだろうか。

 リーンが、グレイブのことで心を痛めて、落ち込んでしまうかもしれないということを。

 一体いつから、ノアは自分のことを見てくれていたのだろう?



 今思えば。

 あの時グレイブに、役立たずだと言われてパーティーを抜けさせられても、これまでこうして落ち込まずにいられたことも。

 ノアがいてくれたからじゃないか。



 今更、そんなことに気づくなんて。と。

 思うよりも先に、ざばり、とリーンが湯船の中で立ち上がる。



「リーン?」

「ごめん、ヘレナ。私、ちょっと行かなきゃ」



 困惑するヘレナを横に、ざばざばとリーンが湯船をかき分けていく。

 隣に居続けてくれていることが当たり前すぎて忘れていた。

 ちゃんと感謝を伝えることもできていなかった。

 彼がこれまで、自分にとってどれだけ大きな救いになってくれていたかということを。



「――行ってらっしゃい、リーン。気をつけてね」



 そう、ヘレナの温かい言葉を背中に受けて。

 リーンは、ノアの元へと駆け出した。



 いままでの、何気なさすぎて忘れていた記憶がよみがえる。

 パーティーを抜けさせられた直後のノアとのやりとり。

 そのあとの、二人で旅するようになってからのノア。

 ノアはいつも、最後にはリーンに重きを置いてくれていたのに。



 確かに、多少やりすぎなくらいの距離感で近寄ってきていたきらいはある。

 でも。

「好きだよ」と。

 はっきり言ったではないか。

 彼は、自分に向かって。



「ノア!」



 宿屋の、食堂のある建屋と、宿泊部分である場所をつなぐ渡り廊下のような吹きさらしの廊下で。

 レナードたちと歩いていたノアを呼び止める。



 このくらいの時間まで一緒にいて、ノアがレナードたちと問題を起こさずにいられたことも驚きだが――いや、それはリーンがノアをみくびりすぎているという説もあるが――リーンの声に立ち止まったノアが、リーンを見つけて驚いたような顔をする。



「リーン」



 どうしたの――? と。

 瞬間、嬉しそうにふわりと笑みを浮かべるノアが。

 今までリーンが感じてきたものとは違って見えて、なぜだか切なさに胸を詰まらせ。



 ノアに向かって駆け寄ろうとした、まさにその瞬間だった。



 とすり、と。



 ノアの背中を、何かが貫いたのは。

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