第29話 リーン、お仕置きされる

「ねえ、自覚ある? 自分がどんどん、綺麗になってきてるってこと」

「なにを……」

「――まあわからないか。そこがいいんだけど」



 そう言って、リーンを押し倒しながら艶然とこちらを見下ろしてくるノアに、リーンはぞくりと気圧される。

 そうしてそのまま、ノアがリーンの首元に顔を埋めたかと思うと、鎖骨のあたりに唇を寄せた。



 ――ぬるりとした感触と共に、ちり、と痛みが走る。



「いっ……」



 リーンの鼻先をノアの髪が掠めて、彼の匂いが、リーンの鼻をくすぐる。



「なに、いまの……」

「ん? マーキング」



 意地の悪い笑みを浮かべたノアがリーンの質問に答えるが、リーンの位置からだとその表情は窺い知れない。



「一箇所じゃ足りないか。たくさんあった方が牽制になるよねえ」

「なにしてるの……?」

「わからない? お仕置きだよ」



 おしおき……?

 状況が理解できないリーンは、いまだ自分の上から退こうとしないノアに翻弄されながら、どくどくと脈打つ心臓を落ち着かせようと大きく息を吐く。



「自分の影響でどんどん綺麗になっている女が、横から入ってきた男に掻っ攫われていったら、業腹じゃないか」



 言ってノアは、他の場所にも同じようにリーンの体に印を残していく。



「やっ……、ノア」

「やじゃない」



 抵抗しようとするリーンの腕を押さえつけ、ノアは自分の満足のいくまでリーンの体に印をつける。



「っあ」

「ねえ。あんまりやらしい声を出されると自制が効かなくなるよ」



 そう言われて、慌ててリーンは自分の口を両手で押さえた。

 その様子を見たノアは可笑そうに口角を上げるが、そんなところを見る余裕などいまのリーンにはなかった。



「……なんで……、こんなことするの……?」



 羞恥と動悸で涙目になりながらリーンが尋ねると、どうやら満足したらしいノアが体を起こし、リーンを見下ろしながら答えた。



「さあ? 好きだからじゃない?」



 ――好きだから。



 好きだったら、好いた相手にこんなことをするのだろうか?

 じゃあ、自分もいずれはノアに、こんなことをしたいと思う日が来るのだろうか?

 自問自答しても、経験値の足りないリーンにはその答えはわからない。



 認めたくない――認めてはいけない想いが、自分の心のうちにどんどん膨れ上がっている。

 それは特に、こんな夜には大きく膨れ上がり、吐き出せない苦しさにつうっと涙が頬を伝う。



「……リーン?」



 ふと、リーンの涙を見とめたノアが、心配そうに声をかけてくる。



「どうした? ……ごめん、嫌だった?」

「……がう」

「ん?」



 違う、と答えるリーンに、覗き込むようにノアが顔を近づけてくる。



 どうしようもないほどに、涙が溢れた。

 一度決壊すると、あとからあとから押し出すように気持ちが溢れ出てくる。

 そうして隠そうとすればするほど、気持ち同様に溢れる涙を、ノアには見られたくなくてリーンは片腕で覆って隠した。



「……」



 相手が気遣ってくる気配を感じたが、いまのリーンにはどうしようもできる余裕もなく。

 ノアが黙って部屋を出ていくのではないかと思ったが、推し黙ったまま静かに涙を流すリーンに、ノアはなにも言わずにリーンの背中をさすりながら寄り添い続けてくれた。

 そのまま、リーンが泣きつかれて眠ってしまうまで。



 そうして、幾許かの時が経ち。

 押し殺した嗚咽が、すうすうと安らかな寝息に変わる頃。


 

 月明かりに照らされた暗い室内で、ノアは静かに、リーンの泣き腫らした跡の残る頬にそっと口づけ、それから天を仰いだ。



「……参ったな」



 それが、誰に向かって、なにを指してつぶやいた言葉なのか。

 つぶやいた本人にすら、知る由もなかった。

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