第23話 『好きだよ』

「これが、マルベイユの首都……」



 あれから数日。

 馬車に揺られてマルベイユにたどり着いたリーンは、初めて見るマルベイユの都市に少し興奮気味に声を上げた。



「マルベイユは衣料品とか装飾品がすごく盛んなんだ。なんていうか、キルキスとはまた違った感じの賑わいだよね」



 そう言って、馬車から降りて隣に立ったノアが、眩しそうに手の甲でひさしを作りながらリーンに説明をしてくれる。



「俺としては、ここでリーンにあれこれ服を買って着飾って遊びたいところだけど――」

「そんな時間もお金もない。とりあえず今日の宿を確保して、マルベイユの王国騎士団への連絡を取り付けよう」



 ニコニコとリーンに提案をしてくるノアを、リーンはいつもどおりバッサリと切り捨てる。

 「ちぇー」とぼやくノアを横目に、すたすたとリーンは歩き出す。

 ――このやりとりにももうだいぶ慣れてきた気がする。

 ふとそう思うと、リーンは我知らずふっと小さく笑った。



「あ、荷物持つよー」



 王子という大層な肩書きを持つにもかかわらず、気取らずに接してくれるノアは、いつのまにかリーンにとって居心地の良い存在になっていた。



 セルヴィニア家の長女として生まれたリーンは、武家に生まれた責務を果たすために、これまでずっと自らを律して生きてきた。

 8つ下の弟が生まれるまでは、それこそリーンがセルヴィニアを背負っていかなければいけないのだと気を張ってもいた。

 弟が生まれてからも、常に姉として弟の手本であらねばと己に厳しく生きてきた。



 それが――、グレイブにとっては、窮屈だったのかもしれない。

 離れてみて、そしてノアが隣にいるようになってから、気づいたことだった。



 

 ■■


 


「勇者の居所、あっさり教えてもらえてよかったね」



 宿屋の部屋に戻ってきたノアが、ドアを閉めた途端にこにことリーンにそう言葉をかけてきた。

 あれから、マルベイユの王城に行って王国騎士団に取次を依頼したら、思いのほかあっさりと勇者の居所を教えてもらうことができた。

 ちょうど今、王国騎士団から勇者に討伐案件を依頼したばかりで、その動向を追っていたらしい。

 情報提供依頼書をもらってギルドに行かなければいけないと思っていたリーンたちにとっては手間が省けてよかったし、マルベイユの王国騎士団としても討伐依頼した案件に様子を見に行ってくれる人手が増えるのはありがたいと思ってくれているようだった。



「うん。友好的な感じの人たちでよかった」



 ノアの言葉に、リーンは荷物を片付けながら答える。

 実際リーンも、取ったばかりのソードマスターの資格を使うことに緊張していたのだ。

 若いし、女だから頼りない、大丈夫かと、変に話がこじれたりしたらどうしよう……、と思っていたものの、杞憂に終わって心底ホッとしていた。



「リーン。おいで」



 そう言われて、声のした方に目をやると。

 いつのまにか寝台の上に座ってくつろいでいるノアが、こちらに向かって来い来いと手招きをしている。



「……」

「え、なに警戒してるの? てかなに想像してるの?」



 そんなやましいことしないし――、としれっとのたまうノアは、相変わらず見惚れるほどに美しい顔で微笑う。

 その言葉に、訝しげにノアを見つめるリーンだったが、やがてノアとの見つめ合いがまんくらべに負けたリーンは、言われた通りにノアの元へと足を運ぶ。



「ほら」



 といって、寝台の上の、自分の前の空いたスペースをぽんぽんと掌で叩く。


 正直、ノアとの寝台の上での記憶は、苦い思い出しかない。

 それでも、あれはあくまで治療であって善意でのことだと思っているし、ノアが自分に害のある行動を取らないであろうと言えるだけの信頼感は抱いていた。


 なんだかんだ言って今までのところ、彼の提示した選択肢によって不利益を被ったことは一度もないのだ。

 だから。



 こちらを見つめながら、じっとリーンの動向を待ってくれる彼の膝下ひざもとに向かって、一歩踏み出す。



「はい。よくできました」



 そう言うとノアは、ぐい、とリーンの手を引いて自らの胸に倒れ込んでくるように仕向けてくる。



「な……、ちょっ……!」

「いいから」

 


 その一言だけでノアはリーンを黙らせ、ぐっと自らに抱き込むように腕の中に閉じ込める。



「……!」



 こちらの意向を無視したあまりにも身勝手に思える行動に、リーンは抗議しようかと一瞬身構えたが、結局のところそれを実行に移すことはなかった。

 ノアの腕の中で感じた温もりと――、耳元でとくとくと響く心音が。

 なぜだか優しく、リーンを慰めるように感じられたから。



(なんだろう。なんだか妙に、心地いい……)



 あらがうことを止め、抱きしめてくるノアにほう、と息を吐きながらリーンが身をゆだねると、いままで感じたことのなかった安らぎを感じられる気がした。



「リーン」

「……ん」

「……好きだよ」



 好きだよ、と。

 耳元で囁かれて。

 何も感じないわけではなかったし。

 何も感じないわけがなかった。



 リーンがそれまで頑なに閉じていた自分でもわからない何かを、ノアが易々と緩めていく。

 それはまるで、温かな母親の胎内に沈みゆくような安堵感でもあり、期待と安らぎ、そして少しの不安が入り混じったような感覚でもあった。



 もぞり、とノアの腕の中で小さく身じろぎをしながら、ノアの言葉に答えることができないのを微睡まどろみに飲まれかけているせいにした。



 わかっているのだ。

 自分の中でノアの存在が、大きすぎるほどに大きくなってきてしまっていることは。

 ただ、それを明確にしてしまうことが怖くて、リーンはそのまま黙って夢の中に逃げ込んだ。



 それが、ノアに対する甘えだと言うことも理解しながら。

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