10. 夜の港、旅のはじまり

 日々ヘヴン・クラウドでミオと待ち合わせては、一緒に行動した。


 そんな中で、ついにあの日がやってきた。エンジェルが襲いかかってきた、あの夜。



 俺たちは静かな夜の港にいた。


 星々の下、波打つ水面は港の光を反射して茫洋ぼうようと揺らいでいた。そこは港町をモチーフにしたヘヴンだ。海沿いの道には金属の手すりがのび、下には石畳がずっと続いている。


 横にいるミオはじっと目を閉じていた。きっと、ささやくような波音に耳をかたむけているのだろう。


「昨日、バーに行ったんだ。現実世界の」


 そう俺は言った。黙っていると、ミオがそのまま遠くに行ってしまいそうに思えたからだ。ミオは目を開けて、


「バー?」

「うん。ウイスキーとか、カクテルを。……お酒を飲むところだ」

「知ってる。ヘヴンにもあるから。行ったこともあるよ。アルコールを飲んでも、ヘヴン・クラウドじゃ、たぶん現実みたいには、酔わないけど」

「そうだろうな」

「一回、酔ってみたかったかも」


 そこで俺はなにも言えなくなった。話題を間違えてしまったのだ。酒を知る前にミオは事故に遭った。いや、生きていたとしても、酒なんて飲まないかも知れない。それでも、可能性はあった。生きてさえいれば。


「やめよう、この話は。……それより、ミオ。こんど、宇宙旅行を体験できるヘヴンに行ってみないか?」

「宇宙旅行?」

「そうだよ。そこでは、宇宙船に乗って、銀河系の色々な惑星に着陸できる」

「そう、楽しそうだね」


 と、ミオはつまらなそうに言って、また再び目を閉じた。


 俺はこのとき、何者かに見られているような、気味の悪さを感じた。周りを見回すが、あたりには港の眺望と、石畳が続いているのが見えるだけだった。


 そのとき、ミオはふいに目を開けた。警戒する猫のような大きな目で。ミオのあんな表情を見るのは、はじめてだった。


 すると、やや離れた石畳の上で、ブゥン、という低い音がした。街灯の光が吸い込まれるように、突如としてそこに濃い闇の塊が発生した。


 俺は上ずりそうな声で、


「たぶん、ゲートだ。ミオ、下がれ」


 そう言ってダガーに手をかけた。視界に警告表示が出る。


 『心拍数が上昇しています』


 こめかみや顔が熱くなってくる。決闘デュエルリーグならば、たとえ上位者ランカーが相手でも、もっと冷静でいられた。しかし、俺は実際に恐怖していた。


 やがてゲートがあった場所に、夜が形を得たかのような、大きな黒衣が閃いた。


 エンジェルはヘヴン・クラウドの物理演算を冒涜するかのように、ゆるりと宙を舞って石畳に着地する。黒いローブのすそを跳ね上げ、ギザギザと波打った刃の、白い長剣を構えた。


 俺はダガーを抜きながら考える。


 なぜいま、ここにエンジェルが現れたのか。その理由がない。だれを罰するというのか。なんのために?


 エンジェルの視線はミオに落とされていた。


「なんの用だ」


 と俺は尋ねるが、エンジェルは黙ったまま剣を振り上げた。そびえる長躯の頭上に鋭い剣の輝きが見えた。


 俺は青く光るダガーを眼前に構えた。光に目がくらまないように、やや低い位置に。気がつくとエンジェルが目の前にせまっていた。


 長剣が落ちる。そこにダガーを振り上げて弾く。


 二撃、三撃。――激しい光と音が散る。


 エンジェルは右手の長剣だけでなく、左手をも振り回した。


 人間が相手のときと違い、動きが読めない。心が読めない。


 俺はエンジェルの赤い両目に向かって、刺すように言った。


「なんで、おまえたち、天使エンジェルどもが……!」




 あのときだった。長い戦いがはじまったのは。


 意味も答えもわからない暗い海のような戦いの世界に、身を投じることになったのは……。



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 Realm 1. おわり

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