9. その日、新たな命を
駅の近くを歩いているとき、着信音が流れてきた。父さんからだった。
「ユージか? すぐ、病院にこれるか?」
「なに? なにかあったの?」
「ああ。ミオが…………」
俺はタクシーを呼んで、飛び乗って、指定された病院に向かった。
ミオは週に一度か二度、中学校に通っていた。その下校中に、車にはねられたらしい。相手の青年は精神的に不安定で、ヘヴン・クラウドへの依存があった。また、ディープダイブの治療を受けていた。
わざわざ、多重の警告を無視して、自動運転を切って、暴走していたのだという。そんなに走りたければ、ヘヴン・クラウドのサーキットにでも行けばいい。そういうやつこそ、ディープダイブでもなんでもいいから、おとなしく眠っているべきだ。
あの日のことを思い出すとき、俺は無力感に襲われ、同時に怒りにまかせて、ダガーをやつの腹に突き刺す妄想をする。ヘヴン・クラウドであったなら、間違いなくそうしただろう。いや、現実であっても。
俺が到着したころには、ミオは霊安室で眠っていた。
顔には細かな傷があったが、きれいなものだった。とても死んでいると思えなかった。
父さんはミオのかたわらの椅子に座り、頭をおさえていた。
はっきりとは憶えていない。断片的な映像が頭の中に残っている。俺はミオの顔をのぞき、声をかけ続けたはずだ。
「ミオ、帰るぞ。ミオ、起きるんだよ、ミオ…………」
父さんは気乗りしていなかった。でも、俺はなんどもなんども言って、説得した。
俺はその行為を、生命の冒涜であるとか、そんなふうには思わなかった。
ミオの体は病院の中にある『人格抽出処置室』に移送され、そこで脳がスキャンされた。
――ミオのゴーストアバターは、静かなヘヴンを好んだ。
夜の港や、古い遺跡や、深い森を。俺は時間を見つけては、ミオに逢いにいった。
やがて少しずつ、俺の中でまた、ミオがたしかなものになっていった。
ヘヴン・クラウドに行けばミオに逢える。それが唯一の、心の拠り所だった。そう、ヘヴン・クラウドの中で。
俺がダイブした先は南国の砂浜をモチーフにしたヘヴンだった。
ミオは黄色の水着に、明るい茶色の麦わら帽子をかぶっていた。ミオのアバターは生前の十七歳の姿だった。
現実世界では夕方だが、そこは常に昼間だ。まぶしい太陽がヤシの木や砂浜や海を照らしている。数名の男女が遠くでサーフィンをしたり、ビーチパラソルの下で語り合ったりしている。ときおり風が吹いてきて、潮と砂の匂いを
ミオはヤシの木に右手を当て、重心をあずけるようにして海を見ている。
「海、好きだったな」
と俺は言うが、しかし過去形になってしまったことを悔やむ。ミオは振り返って、
「うん。水の音が、好き」
そう言って目を閉じる。そういった仕草のひとつひとつが、生前と変わっていなかった。
「ごめん」
「え? なに?」
「いや、なんでもないんだ。大丈夫」
「そう?」
「うん」
「……そっか。そういえば、お兄ちゃんのこないだの試合、見たよ」
「あの、
「強かったね」
「ああ、おれの対策をしていたから、厳しかったな」
「でも、勝ったね」
「そうだな。ミオのおかげだよ」
「へへ」
「ああいうの、観ていて、怖くないのか?」
「ううん。お兄ちゃんのは、怖くない。……ん、まあ、ときどき、びっくりしちゃうけど。スポーツだってこともわかっているから」
「そうか」
「わたしも、
「ええ⁉︎」
「どうかな」
「い、いや。やめとけよ。俺は元々さ、格闘技とかに興味があったから、現実でも練習してきたけど。おまえはさ……」
「ふふ、冗談だよ」
「な、おまえな……」
「なんかさ」
「え?」
「ずっと、こうだったらいいのにね」
「どういうこと?」
「なにも、変わらずに、永遠に……」
そう言ってミオは
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