8. 勝利の陶酔、虚構の富

 ヘヴン・クラウドで開催されるバトルリーグの対戦がはじまると、人々はそれに夢中となった。


 あのとき俺は霧の立ちこめる薄暗い森の中で、大木を背にして息を潜めていた。ダークブルーの戦闘服に身を包み、青く光るダガーを右手に、腰を落としていた。


 そこは決勝戦の舞台となった森のヘヴンだ。周囲からはリスや小鳥、あるいは得体の知れない獣の鳴き声が聞こえる。


 敵はいつどこから仕掛けてくるかわからない。樹上からか後ろからか、または正面からか。


 そのとき、空気の流れに乱れ――と同時に俺は真上に跳躍し、木の幹を蹴って、枝の上に乗った。


 すると鋭い音とともに、木の幹に長剣がめりこんだ。眼下には剣士がいた。決勝戦の相手であり、ライバルのマティアス・デュランだ。


 霧の中に長い金髪と銀色の鎖かたびらチェインメイルの輝きが見えた。長身で美男子のフランス人の剣士だ。ゆるくウェーブした金髪が乱れて、額と右目にふわりとかかった。その美貌と華麗な戦いぶりのせいで、主に女性からの熱烈な人気を博していた。


 マティアスは剣を木から抜いて、


「賞賛にあたいするね。ユージ、きみのその反応は」


 そうつぶやいた。


「マティアス、おまえ……。まだ、余裕があるみたいだな」


 俺はそう言い終わらないうちに、枝から飛び降り、空中からダガーを突き出す。マティアスの剣が伸びてくる。


 そこで俺は微笑して、木の幹を蹴った。その反動で軌道を変えて、今度はマティアスの背後に周り、首筋を狙う。


 しかし、背後に目がついているのか、マティアスはダガーを紙一重でかわした。そこから反撃とばかりに、長剣で斬りつけてくる。二度、三度の素早い連撃だ。こうなると手がつけられない。


 俺は舌打ちをして距離をとる。




 バトルリーグの表彰式がはじまった。そこは、なんの酔狂かわざわざ表彰式のために作られたヘヴンだ。巨大なホールの中央に輝く表彰台があり、長大な観客席がぐるりと囲っている。


 バトルリーグには団体戦もあるが、やはり花形は『決闘デュエルリーグ』だ。自分自身の技量を頼りにした一対一の戦闘のドラマに、だれしもが熱狂した。


 俺は派手な光をはなつ表彰台の真ん中にいた。右隣には一段下がってマティアスが立っていた。周囲からは、絶えず女性陣の声が響いてきた。


「マティアスさま! こっちを見て!」

「惜しかったです!」

「あなたが優勝すべきでした、マティアスさまー!」


 大歓声の中、リーグの運営委員会が表彰式の準備をしていた。そこで、マティアスが言った。


「まさか、私があそこから負けるとはね」

「ふん。全然悔しそうじゃないな。それに、俺が負けた気分だ。――あの女たちの歓声」


 するとマティアスは息を吸い込んで、よく通る声を出した。


「惨めな敗者たる、こんな私めを贔屓にしてくださる、愛すべきみなさま。燃える赤いバラのごときその愛とご声援に、このマティアス、心より感謝いたします」


 そう言ってマティアスは、うやうやしく右手を胸元にそえて一礼した。会場には黄色い声がさらに響き渡った。しかしマティアスが顔を上げて口を開くと、いくらか静かになった。


「感謝のしるしに、のちほど、このマティアスの個人的なヘヴンに、みなさまをご招待することを、お約束しましょう。そして、心ゆくまで、戦いについて、愛について、語らおうではありませんか。――なれば、いまは隣の、真の勝者であるユージのために。みなさまの愛を、心に留めておいてはくれませんか? 白ユリのごとき奥ゆかしさこそ、より愛らしく、美徳となるものです」


 すると、周囲はやっと静かになった。いったい、マティアスは何回『愛』と言っただろうか。俺は苦笑しながら、


「芝居でも見てる気がしたぜ、マティアス」

「私の真心だよ、ユージ。きみと、観客たちへのね」

「まったく。おまえが本気だったら、優勝したのは、おまえだったかもな」


 するとマティアスは右手を降参するように軽く上げて、


「めっそうもない。私は常に真剣だよ、ユージ。きみが強い。それだけだ」

「そうか、俺は信じないが」


 マティアスは、ふふ、とわらって、


「それより、ユージはもっと、他者に見せたほうがいい」

「は? どういうことだ?」

「ええ。きみは、まるで竹のように一本槍で、ストイックにすぎる」

「ふん。俺は、マティアス……おまえにはなれない。悪かったな」

「いえ。しかしあらためて、おめでとう。賞金も、なかなか魅力的だろう? きみもファンのために、ヘヴンでも借り切って、パーティーをしては?」

「あー。でも、ガラじゃないさ」


 たしかに、決闘デュエルリーグでの優勝者の賞金は、五千万ルクス。並の人間がこつこつと何十年もかけて貯めるような額だ。


 人々はヘヴン・クラウドでの得点ルクスを集めることに心血をそそいだ。


 ルクスは現実の通貨よりも価値を持ち、その量がそのまま、人間の価値や幸福度を示すようになった。


 ルクスを集めたものは特権を手に入れることができた。あるいはルクスの量があるだけで評判を集め、さらなるルクスが手に入った。


 人間は仮想空間の得点ルクスの奴隷になりつつあった。

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