第3話 取引
彼の看病で、わたしはずっと彼の屋敷を離れることはなかった。どんどんと、彼の容態は悪化していった。
世間話をするうちに、彼はぼやきはじめた。
「これは俺が神から離れたせいなんだろうか。神を見捨てなければこのようなことにならなかったのでは?」
「そんなことはないだろう」
そう言って、しまったと口を押さえた。気休めをいうのは簡単だが、本当に苦しんでいるのは彼なのだから。
「それとも神が俺を見捨てたのか?」
神はあなたを見捨てない、などと甘ったるい言葉を吐けば、友人は慰められるのだろうか。違うだろう。そんなことがあるわけがなかった。
わたしの首には大きな傷跡がある。本当に若い頃、わたしは当時の主君に殺されかけたことがある。斬り合いとなり、主君に致命傷を負った。わたしも死にかけた。
何日も寝込みながら、熱も下がらないまま、死ぬのだと、その上で、主君も裏切り殺すことになった、神はわたしを見捨てたと思い込んだ。そんな時に、神はあなたを見捨てないと言われたら、激怒しただろう。
「どうなんだろう。わたしは神ではないからわからない」
「見捨てたんだ」
彼は情けない声を出した。家臣団の前では病中にあっても厳格、交互に様子見に来る政権の長老たち——加賀殿や駿府殿の前では折り目正しく、妻子には良き家庭人である彼が、わたしの眼の前ではわけのわからない言葉を吐き、神を呪っている。
「回復したら、会津全土をキリシタンの国にしてやる」
「期待しているよ」
「領民全員をキリシタンにしてやるんだ」
「……そうかあ」
「太閤を脅して禁教令も解いてもらう! 貴様も大名に戻るんだ」
「うん、ありがとう」
わたしはほとんど適当に返事をした。無理難題を言っている。いつもの冷静な彼はそこにはいなかった。本当に会津全土を改宗させるつもりなら、緻密な算段を始めるはずなのだ。元気な頃の彼であれば。そして、そんな面倒臭いことはしないと決めるのだ。
——取引をしている。心が痛くなるほど、命と取引をしている。
彼はひどく泣いた。
「そういうふうに神にお伝えしているのに、一向に良くならない」
わたしはその瞬間、彼の生きてきた現実を考えてしまった。
自分の手の届く範囲の領を治め、父親も妻も神を信じ、何をしても別に天下に真の動揺など与えなかったわたしは、本当に自由だったのだ。神を信じて、その恩寵を感じることのできる自由を享受していたのだ。
けれど彼は違う。自分の目の行き届かないほどの広大な領。周りからの期待。有り余る才能。一挙手一投足が天下に、北国に動揺を与える。その中で、神を信じる自由などあるはずもない。わたしとの信仰の日々は、若い時分に与えられたひと時の猶予だったのだ。
だというのに、彼は神を信じることをやめた自分を責め、生きるための取引を神相手に始めている。
「お前、いいやつだなあ」
ふと、口から本音が漏れ出てしまった。
「は?」
「だが、神と取引しても意味がない。神は天上にはおられ、人を生きながらえさせる力を持つかもしれないが、実際天上にいるかはわからないし、その力を使うことはない。わたしたちに寄り添うことしかなさらない」
彼は「うるせえ。わかって言ってんだよ!!」と枕をわたしに投げつけた。とんだ暴力的な親友である。
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