29.『パセリが騰りて泡を吹く』秋田柴子さん
「痺れた一文」
だがそのパセリは大方食べられもせず、皿の上にちょんと残される運命にある。(パセリが騰りて泡を吹く』秋田柴子さん)
『悪魔が来りて笛を吹く』をもじったタイトルだ。金田一耕助シリーズの特徴にあげられるのは「閉鎖性」だと思う。それは地理的な問題、というよりも「家(血)」の閉鎖性だ。
ところで、世の中には二種類の人間がいる。出されたパセリを食べる人と食べない人だ。自炊する人のなかで、自らパセリを買う人と買ってまで食べない人という分類もあるだろうし、たとえば友人知人を招いて手料理(洋食)をふるまおうという場合、皿の色どりとして「パセリ」か「ブロッコリー」かの選択を迫られる場合は少なくないのではないだろうか。緑という観点からは、インゲンも候補に入る。ファミレスのハンバーグステーキなどにはインゲンが付いていることも多い。
食堂のパセリは手をつけられないことが多いので、洗って使いまわす、という半ば都市伝説化した噂もある。今、「パセリ料理」で検索してみると、「パセリが主役」とうたっているレシピであっても、ソースだったり、刻んで具材に混ぜるなどして用いられるものばかりである。その点、インゲンやブロッコリとは趣が異なる。
ステーキの上にのっている大きなクレソンを食べるか否かという問題にもつながるのかもしれないが、クレソンは炒めて食べるレシピがあるようだ。
パセリは難しい。有名な俳句に
摩天楼より新緑がパセリほど 鷹羽 狩行
があるが、それは食材としてというよりも、皿に残されるパセリとしてのイメージが強い気がするのだ。
パセリは毒消し。という意味では、弁当の「梅干し」や「シソ」に類似するのかもしれないが、世界から消滅したとしても、さほど困らない食材なのかもしれない。
その、パセリが値上がりした、というお話だ。
資本主義社会にあって、価格は必ずしも原価を反映しないものだが、このお話のパセリは突如として四倍の価格に高騰したのである。野菜が高値になる理由のほとんどは、品薄だ。何らかの天変地異によって生産量が激減したため単価が跳ね上がる。だが、そういう仕入れ価格の上昇分を、小売店はそのまま価格に転嫁することは少ない。なぜなら商品は売れなければ価値を生み出さないからである。小売店は費用を削り、利益を薄くしてまで、価格上昇を抑えようとする。最終的にここで売れなければ、割を食うのは小売店だからである。
だが、パセリの場合はそういった配慮がなかったようにも思われる。それは」四倍の価格でも売れるという強気の現れなのか、たいして売れないものだからそこに注力する必要はない、という判断なのか。
「恐らく生パセリを買う多くは飲食業の人だろう。」と本文にあるように、調理不要で皿に彩りを添え、なおかつ優秀な食材であるパセリは、他に代えがたいものなのだろう。「だがそのパセリは大方食べられもせず、皿の上にちょんと残される運命にある。」という指摘は事実だ。にもかかわらず、生パセリは取引される。もしかしたら、飲食店には卸価格で少し安い価格で販売し、店頭売り用の仕入れ分はさらに減少していることから、一般消費者がもろに値上げ分をかぶったということなのかもしれない。つまり「パセリなんてあまり売れないから高くしとけばいい」と。
因みに、わたしはパセリを残さない。だが、自分で生パセリは買わない派である。
以上のような考察を迫られた点が「痺れた文章」の理由である。
以上
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