28.『名探偵バッコちゃん』渋谷獏さん
「痺れた一文」
そう、まさにその名はホシ――(『名探偵バッコちゃん』渋谷獏さん)
ショートショートでテーマが「スター」とくれば、我々には避けて通れない巨星が一人あることは言うまでもないが、そこに真っ向斬り付けた唯一のお話だ。
アンタッチャブル。それは映画におけるカメラであり、小説における作者であり、また観衆、読者である。古来から、それらを話中に巻き込みたいという欲望を、創り手は常に抱いている(と思う)
曰く、作者が犯人。曰く、読者が犯人。曰く、読者が被害者。曰く、作者が被害者、などなど。そのような構造は「メタレベル」を持つ作品として、近年では、映画『カメラを止めるな』がその成功例といえるだろうし、もともと小説そのものが「メタ」レベルにあるものだという説もある。一方、その安易な適用を「夢オチ」「楽屋落ち」と嫌う向きもあり、それもまた一見識だとわたしは思う。
このお話は「バッコちゃん」の一人称語りで進められる回想譚である。二十七人の大量毒殺事件の真相について、唯一の生き残りだった「バッコちゃん」が当夜を回想するのだが、登場人物やその紹介の道具立てやらに埋め込まれたパロディー、オマージュ、本歌取り、そして、それらからのデフォルメ、加えて作者ならではの味付け、などの全てを堪能しつくせるだけの知識と経験がわたしには、残念ながら不足しており、一つ一つを取り出してニヤニヤするというマニアックな愉しみの輪に加わることができないことが残念でもある。
が、それでもこのお話は非常に読みやすく、興味深く、改めて「原典」と他の作品群を読み返したくなる。
わたしも以前、この元の話のパロディーを書いてみたことがあって、それは当夜たまたまこのバーにいて、本編のやり取りを傍目に、ただただ巻き込まれてしまう大富豪の話だったのだが、群像劇としてこのお話を再解釈する試みは、とてもおもしろいものだった。
一読すると、勢いで書かれたような印象を受けるが、構成や配置はもちろん、ネタの吟味においても、ひじょうに丁寧で繊細に扱われていることがわかる。本家が手を染めなかった下ネタも、結末まで読み進めれば、この事件の現場となった店の雰囲気や主人公の人物像に馴染んでいると納得できる。
有名な作品のパロディーとして始まり、キレイに落ちた後で、様子が一変し、それが現実の酒場で起きたサイコスリラー顛末に至るという怖い展開に、脱帽だ。
ホシというキレイなオチからの二段落ちを用意してあるところが、「痺れた一文」の理由である。
以上
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