24.『迷い星ダスティ』高野ユタさん

「痺れた一文」

「これが、ぼく……」(『迷い星ダスティ』高野ユタさん)


 たくさん本を読む子は人付き合いが苦手な子だ。友達と遊ぶより本を読んでいるほうがエキサイティングだと感じるからだ。読書をしている間、自分は自分を取り巻く世界や自分自身の限界を忘れることができる。それを「現実逃避」と言われたこともある。しかし、時間があるかぎり読書をしていたかった。話題が合わず、ただ、からかわれるだけの関係性を「現実」と呼ぶのなら、そんな「現実」は無駄でしかないと思っていた。月日が過ぎれば、本を読むことを二の次にしたいと思う相手も現れたし、読書と同じくらい興奮できる相手とも巡り合えた。

 このお話の主人公「リッカ」は、とてもクールで、感情表現が下手な、というよりも、感情表現を必要とされる環境に暮らしていない少年である。感情表現の大半は、他人に何かを伝えるためのものであり、それは「熱量」として量られる。クールというのは、その「熱量」が低いという意味だ。しかし、「ダスティー」を空に返すための手段を知っており、なおかつそれを実行することが、自分にはできる、という確信が自らを奮い立たせるとき、「熱」が一気に迸り出る。それはメラメラと燃え上がる炎のような動的なものではなく、カイロのような静的な熱であり、ランタンを浮かび上がらせる「熱気」のようなものだったと思う。

 全てが優しいこのお話の根源にあるのは「孤独」の冷たさだ。

 「リッカ」という、冷たく美しい結晶を表す名と、一面の雪景色という冷たく静謐な景色を「好きだ」という少年が感じている「孤高」。

 淡く冷たい光を放つ「ダスティー」は、みんなから揶揄されような環境であったにもかかわらず、その失った「高さ」を嘆き、再び元の位置へ戻りたいと願う。その切なさに、学校生活が世界の全てだった当時が思い出された。「読書」はこの閉鎖的な世界とは別の開けた世界へ飛翔する手段でもあったのだ。

 花の間で淡く冷たく光る「ダスティー」を「ダイヤモンドダスト」のようだという「リッカ」の言葉は、「ダスティ」にとっては未知の世界からの啓示になったことだろう。

 「出会い」とはまさにこういうことなのだと思った。

 一つの閉鎖社会における人それぞれの役割はあまりにも固定しすぎていて、それを逸脱したとたん、揶揄され罵倒され修整され粛清されすことすらある。しかもたいていは望んでもいない役回りのレッテルを張りつけられてしまって、ずっとそのように扱われるものだから、自分はそういう存在なのだ、と逆に洗脳されてしまうのだ。

 「ダスティ」は「ダイヤモンドダスト」に似ていると言われる。それは冷たく硬い刃のように輝く。「リッカ」は「ダスティ」の「冷たい光」にひかれた。なぜならば、その「輝き」こそが、今の自分にないものだったからだ。「リッカ」は「ダスティ」を、自らの支えとなっている「読書」によって「高み」へと戻してあげることで、自らの「輝き」をも確認したかったのだと思う。ランタンに思い至り、資料を整理し、作成している間中、「リッカ」は身体に熱を感じていたのだと思う。その熱がランタンを飛翔させた。

 ところで、「熱」は「光」のなりそこないだ。だから純粋な光は冷たい。だから「熱」は一時のもので、「地球」という、「身体」が支配する世界においてのみ必要とされる「無駄」なのだ、とは言い過ぎかもしれないが、「生きる」ということは、そういう「熱」を発し、感じ続けることなのだと思った。

 それまでとは違う世界と交わったとき、自分は初めて自分の可能性を知る。「自分探し」といえばあまりにも陳腐だが、実際、それは啓示としてもたらされるものであるように思われた、というところが「痺れた一文」の理由である。

以上

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