23.『お星さまの企み』風月堂さん

「痺れた一文」

べるちゃんは、ほとほとかまちぇいぬの星(ホチ)のちたにいるのね」(『お星さまの企み』風月堂さん)


 サイキック、呪術モノが好きだ。とりわけ、サイコキネシスと陰陽道に目がない。陰陽師は「帝都物語」(荒俣宏)と「東京BABYLON」(CLAMP)から、サイキックは「バビル二世」(アニメ版)と「七瀬三部作」(筒井康隆)から、西洋魔術モノは「エコエコアザラク」(ドラマとくに佐伯日菜子版)に親しんだ。

 サイキックと呪術とを隔てるポイントは「召喚」にあると思う。そして「召喚」とは広義における「八百万の神」の眷属であると考える。そして東洋と西洋とを隔てるポイントは「契約」ということになるだろうか。(陰陽道では「名前(本意)」を知られたものに服従することになり、これは両者の了承が得られていないので「契約」とは呼べないと思う)そしてこれら全てに共通するのは「血」である。

 閑話休題

 このお話で悪魔がよみがえるきっかけとなったのは、それと意識せずに描かれた「逆五芒星」の蓄積だった。このことから『エコエコアザラク』の「七の封印」の回(だったかな)の都市伝説の電話番号をかけるとき指で逆十字架を描いてしまうことから、魔を召喚する、というエピソードを思い出した。意図せずに印を描いていた、という理由付けには納得できる。タイトル『お星さまの企み』は、正位置と逆位置の二重の意味が込められているのだろうと感じた。

 そして悪魔が汚れた水回りから侵入するというくだりも、たいへん素敵である。風水にしろ西洋呪術にしろ、「恐怖」の発端のたいへんは「疫病」などでありそれらに姿を与えたものが「魔」である。とくに公衆衛生の中でも「水」は非常に重要で、魔が発生する元凶なのだがその「悪魔」をして「ぬうう、水回りはこまめに掃除しろ!」というのは、ひじょうに痛烈なのである。

 さて、悪魔で「べる」というと思い浮かぶのはベルゼブルやベルフェゴール、発音が近いところではベリアルというところだろうか。ベリアルだとベリちゃんで、ベリショーズのマスコットであらせられる「ベリ」ちゃんと重なり、なんとなく、そのイメージで読み進めていた。 

 興味をひかれたのは「肉体」と「意識」との乖離についてだ。「赤ちゃん」の意識は完全に「安倍晴明」なのだがその精神を二歳の肉体は十分にドライヴできないのである。「羊をめぐる冒険」(村上春樹)で羊抜けの状態となった黒幕の状態を評して「観念だけがあって表現できない状態」というような下りがあったような気がするが、それは「oh!スーパーミルクちゃん」のキャラクターの全宇宙言語を理解できるが「ドピュー」みたいな言葉しか発せない「ハナゲ」のような状態なのだろうと思っている。ハナゲは達観し、諦めの境地でいるようだったが、「赤ちゃん」は、自らの肉体の限界を熟知した上で、もてる力を存分に発揮して悪魔を封じ込めてしまうあたり、ひじょうに現実家である。赤ちゃんとして存在しているからには、その境遇を楽しまなければ、という快楽主義者的面に好感がもてる。肉体上の不利は否めないので、「式神」を使って悪魔を封じるところがさすがである。

 また、ウルトラマンのような時間制限のあるヒーローモノの一面も備え、かつ、レゴを踏むと痛い、などの「あるある」ネタも各所へ丁寧にしこまれている、とて行き届いたお話だと感じる。

 とにかく、2歳の娘の語り口の魅力的で、かつ悪魔ベルを「噛ませ犬」と看破している(この後、真の敵のおとずれを予感していると思わせる)ところが、「痺れた一文」の理由だ。

以上

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