20.『星アルバム『ほしまみれ』~十一の小さな物語~』壬生乃サルさん

(『星アルバム『ほしまみれ』~十一の小さな物語~』壬生乃サルさん)


 ショートショートの中でも、さらに短い。江戸むらさきのショートコント的、キレが勝負の小咄の中から、一文を抜き出すことに果たしは意味はあるのか、と自問自問するうち、これがたとえ長編であったとしても「無駄な言葉」というものはあり得ないはずだという、至極当たり前のことに思い至り、そういうわけで話の長短で選出を尻込みするのはナンセンスとばかり、読み進めていった。


【出落ちの子】「和をコンセプトとした猿アイドルのお披露目公演。」

 名は体を表す。落ちありきと思われるこの書き出しの一文そのものがまさに「出落ち」を体現している。また、このお話のタイトルのみを【】で括って十一の冒頭に置くところも、作者の宣戦布告だと感じる。掴みの勢いそのままに最後まで突っ走る予感。


タマネギ星人 「剥けば良いのでは?」

 事実は事実であるがゆえに、問いただすことはナンセンスである。タマネギ星人が襲来すること。〇〇星人というとGANTZを思い起こすのだがあれだって当初のわけのわからない感じが最も好みだった。まず受け入れ、そしてもてなし、満足させて、おかえりいただく。玉ねぎならば剥けばいいという、灯台下暗しな判断が、もしかしたら地球を救ったのだ。「なぜ」を手掛かりとする理解はもはや陳腐である。


告白がえし「「そういうのって花火みたいなもんじゃん。」

 突如としてラブストーリー。地球人同士の告白の瞬間が切り取られている。二人で花火をしている時点で互いに嫌いなはずはない。打ち上げ花火を見にいったのではなく、手花火をしているのである。ひとしきり花火を終え隣り合って星を見上げながら、「私」は告白する。「彼」は「私」の思いを、まず「そういうのって花火みたいなもんじゃん。花火って儚く消えるじゃん」と「恋は一時の熱病みたいなもの」風な否定的返事。「私」はフラれたと思う。しかし「彼」の真意は、二人の関係はそんな一般論的な「恋」ではない、「星」のようにずっと輝いて居られる。と続けるハッピーエンド。

 ちょっと、マウントとってくる感じ? と思いながらも今は恋愛成就を喜びたい。互いが互いを照らし合う連星のように。願わくば、イスカンダルとガミラスのようにならないことを祈りながら。


GALAXY IDOL「このキラキラ感、まさに銀河系。」

 ゆってぃ のことを思いながら読んでいた。

アイドルでありヒーローである。しかし正義のヒーロではなく、ロリータ魔法少女味を備えつつ得意技がセクシーポーズという、古今のアイドルアイテムを兼ね添えながらも今までになかったアイドル像を良い意味で無駄に造形する脱力感に胸が熱くなる。しかもマネージャーのつかない本人売り込みの宣材営業味満載なのだ。たぶんこの芸人(芸人じゃない)、おもしろくない、という点を含めて天晴である。


かわいい火星人「山奥から連れてきたのだ。」

 親戚の子的な? と理屈をつけては台無しとばかり、「考えるな感じろ」と世界観にまみれていく快感を堪能する。じつに平和的な光景ではないか。「山奥から連れてきた」のである。素直についてきたのである。「自ら火星人と名乗っている」のである。だから「火星人なのだろう」という温度感が、心地よいのだ。「俺ニモ、貸セイ!」は言葉の綾として必要だとしても、このお話全体の素朴でほのぼのとした感じが好きだ。山を下りれば世界大戦または宇宙戦争のため荒廃した北斗の拳的世界が広がっているのだとしても。


「おっとっとのはなし」「形といえば、いかは尖った頭の先端から、ふぐはぷくっと膨れたお腹をかじってから食べるというマイルールがあった。」

 みなさんのマイルールを知りたい。ジンクスというような意味のあるものではなく、なぜかそうしないではいられない性癖としてのマイルールが望ましい。たい焼きはどこから食べるかがよく話題にあがるがそれを「おっとっと」に適用した結果、一般論でなく個のエピソードになる。だからこれを作者の幼いころの思い出話として読んでみるのも格別である。「おっとっと」はとても小さなお菓子だったと記憶している。その一部をかじってから食べるという、手間と細心の注意を要する方法を自らに課すに至った理由など、想像しだすと何かの封印が解かれてしまうかのようなワクワク感がある。


魔法のレーザーポインター「魔法のレーザーポイントさ」

 『告白がえし』と『GALAXY IDOL』の後日譚のように感じられるお話。レーザーポインターは出力1mW以上のものは規制を受ける。ネットで調べると、5mW程度のものでも花火に簡単に着火するそうだが、これは月に着火して火花を吹かせるほどの高出力なのである。もう兵器だ。となればこれは、世界征服前夜。世界各国首脳に要求をつきつけていた「彼」が自らの威力を見せつけるためのデモンストレーションだったのだと、そんな読み方をしてみたくなったりもする。それが、ゆってい的『GALAXY IDOL』の「ステッキ」による「告白返し」のダーク展開な後日譚なのだと。


ちゅー、遺伝性。「歯まで根こそぎ吸い尽くされた僕の口は、梅干しのように……。」

 「口吸い」はオフィシャルな妖怪ではないのか、と検索していて知った。キス、接吻のことを「口吸い」と言うのであって、しかしこの「口吸い」はやはり妖怪的な語感がある、と思えば「肉吸い」という妖怪がいるのだそうだ。しかもこの「肉吸い」はどうも官能的な意味合いの伝承も残されているらしく、やはり、との感がする。それにしても「口裂け女」「二口女」「口吸い」「肉吸い」と四つを並べて民俗学的考察をしてみたくなる。マスクとカニバリズム。ここで重要なのは「歯」だとするなら「おはぐろべったり」なども交えた検証が必要となるだろうか。マスクに疑念をもった相手がターゲットとなるのかもしれない。

 しかし猛烈なキスである。歯は食べるのだろうか。いや、事後おちょぼ口からぷつぷつと吐き出していって欲しい。


ピーマン星人「「詰めるっす」」

 「詰めるっす」はだれの言葉だったのか。『玉ねぎ星人』の「剥けば良いのでは?」の人よりももっと体育会系でピーマン星人と同じレベルで語られているような感じがする。もはやピーマン星人について詮索する段階ではないことは確認済みだ。そして「頭がピーマン」という懐かしい言い回しに対して「詰め込み教育の弊害」を立て、「肉詰め」にしてやることによって、ピーマン星では互いに殺し合うカニバリズムが蔓延するという悲劇が巻き起こされるという点、非常に寓話的である、と読んでみたりする。重たい話である。


星屑エアポート「「抱き締めてやるんだから」」

 あっけらかんと書かれているが、凄まじい話だと思った。闘病と「安楽死」の問題が頭をよぎる。本人がそれを選択できないほど重篤だったのだ。健康な者(残される者)のエゴに苦しみを延長されたのである。

 だが、1年後「しっかり見届けてから来い」という言葉が現れたことで、上記は誤りだとわかる。先に亡くなっていた夫が承認していなかったのだ。すると様相はがらりと変わってくる。「女性」が病気でなかったとするならば、子育てに疲れ果てた母の自殺のようなことになってくる。「せめて子の結婚を見届けるまでは」と一人で頑張ってきたのだ。結婚式はよい想いでになったのだろう。そこまで頑張って生きてきてよかった、というこのラストの一文に救われるのである。


異星間交流「「おう。行けたら行くわー」」

 金星人である。本物である。だが互いに自然体なのである。そして遠距離はやはり難しいのである。友達以上恋人未満のままだったことは、この場合良かったのだろうか、悪かったのだろうか。恋人関係になってしまうと、こういう自然体のままではいられなくなっていたかもしれない。「おう。行けたら行くわー」で永遠の別れとなる関係性は、じつは案外豊かなのではないかと思う。


これらが「痺れた一文」の理由である。

以上

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