10.『400字の物語〈全七話〉』豊丸晃生さん

痺れた一文は以下の通り(『400字の物語〈全七話〉』豊丸晃生さん)


【スターコレクション】

ゼウスはドン・キホーテ銀河店に来ていた。


 400文字で完結するお話から一文のみを抜き出すとなると、それは書き出しか、半ばの転換点か、もしくはオチの文。ということになりがちなので、あえてそれらを外したかったのだが、この書き出しの効率の良さには、痺れざるを得なかった。

 「ゼウス」は「ドン・キホーテ」「銀河店」に「来ていた」という。これで世界観の全てを完全に伝え尽くすことができるので、あとは「説明」に費やす必要がなく、「展開」に注力することが可能になる。かくして、最低限の説明で最大限の世界を表すことに成功したのである。


【梅星】

コスパが消費者にマッチしなかったのだ。


 売る-買う という経済活動は資本主義社会の根幹である。わたしは、労働者ストライキよりも、消費者による不買運動にこそ、社会を変える力がある、という柄谷行人さんの意見に賛成する者であり、エシカル消費とは、絶対的に消費者運動でなければならないと考えるものである。

 エシカルは一時、はやりかけたが、即座に「SDGs」にとってかわられた感がある。これは、企業がコントロールしやすい方を推奨し、マスコミによって操作された結果だとわたしは思っている。

 コスパが消費者にマッチしなかったのだ。

という分析は、開発商品の売り上げ低迷の原因が「価格」にあったという認識だろう。だが読み進めていくと、実は「消費者」を間違えていたのだということが明らかになる。

 「金の梅」という商品名に関心を持つ層から、「梅星」という商品名に食いつく層へ、消費者の方を切り替えた結果、商品は爆発的に売れるのだから。

 「コスパ」が「消費者」にマッチしない。という場合、コスパを見直すことばかり考えてしまいそうなところを、消費者を切り替えることもまた選択の一つだと示しているのがこの一文だったのである。


【星座観測】

「図鑑にはないけど、大人にはよくある話なんだよ」


 土下座について息子に聞かれた父親の答えだ。

 正式な土下座の作法というものをどこかで読んだ気がする。土下座とは謝する心を体現する所作である。頭を丸めて土下座すれば、たいていのことは許される、というドラマをみたことがある。木村拓哉とタモリとが共演していた。またこの番組内ではタモリはトランペットではなくてフルートを吹いていたと記憶している。

 実社会で「土下座」したことがある人はどのくらいいるだろう。それは「三べん回ってワン」と言ったことがある人の割合よりは少ないだろうか。本気で謝るときは土下座をする。ということを、正式に学んだことはないような気がする。その意味で「図鑑にはない」のだが、「大人にはよくある話なんだよ」と言われると納得できてしまうのも不思議である。

 「大人の味」「大人の事情」「大人の考え」という時の「大人」は不特定多数なフィクションとしての「大人」の場合が多いのだが、「大人だからいいのだ」などと言って、水あめを独り占めする和尚が使う時の「大人」のは、「子供のくせに」という見方の裏返しのようで、感じがよくない。

 しかしこの、「大人にはよくある話なんだよ」といっている父親は、多分、自分が妻にした土下座を思い出しているのだろうと推察される。その自嘲的なところに、ペーソスがにじみ出ているのだ。


【タコ星人】

「イカ抜いたら、全部わしやないかっ!」


 ミルクボーイや陣内智則の声を当てながら読んでいた。

 タコ星人はタコ焼きにされているタコなのだろうと思うと、実はひじょうにグロテスクな話なのである。肉屋の看板がナイフとフォークを持ったブタだったりする、共食い的な看板を集めている芸能人がいたと記憶している。伊集院光か、木村祐一か、みうらじゅんか、そのあたりの人だったような気がする。そういう看板を人間が作るのはやはり趣味が悪いと思う。とにかく、タコ焼き屋はタコ星人に気を遣う。ただバツが悪いだけなのか、それともタコ星人が地球人を上回る科学力を有していることから、ご機嫌を損ねると地球が滅ぼされかねないと恐れているのか。

 にしても、そのごまかし方の雑さが、会話体の連続と相まって、漫才を成立させているのだと思った。


【星ペタ】

風邪は嘘みたいに治ったが、それを見ていた理系の娘は興味津々だ。


 「理系の」と書かずにはおられないところが作者のこだわりと感じた。この断りがあることによって、娘の興味の方向が限定できるのである。

 「それを見ていた娘が、「わぁーすごーい! ねえパパもうもう一回風邪ひいて」」というのは、単なる感想なのだが、

「理系の娘が興味津々で、「わぁーすごーい! ねえパパもう一回風邪ひいて」」という場合は、観察対象へ命令する意思を含んでくるからである。

 科学は対象を客観視し、予測を実験で証明するという実証プロセスを、さまざまに条件に変えながら繰り返す。パパの風邪を治すことは目的ではなくなり、星ペタの光の観測実験を繰り返すことこそが目的になる。その過程でパパが死んだ場合は、別の対象を用いて実験を続ける。いや、パパ以外の個体による実証実験は不可欠なのだ。

 ここまで考えると、ラストの「そんなことに熱を上げるんじゃない」というパパのセリフは、より深刻さを増して感じられるのである。


【星色】

爺ちゃんは一人でお酒を飲んでいた。


それはとても寂しい光景に映る。孫が何とかしてあげたいと思うほど爺ちゃんは淋しさに閉じこもって不貞腐れているのだろう。「去年婆ちゃんが亡くなってから、外出することもなくなった」とある。

 日本酒のCMで、よく縁側で熱燗と肴を喰っている男の姿を見かけるが、実際に同じことをしようとすれば、いろいろと準備をしなければならないし、台所から運ぶものも多いし、片付けだってしなければならないと考えてしまう。このお話の爺ちゃんは当然、そんな手間をかける気力はないから、ワンカップとか、もしくは一升瓶とコップという荒んだ飲み方なのに違いない。

 それでも孫がくれば優しく対応している。飲んでも乱暴になる人ではなかった。ただ淋しさを紛らわすために飲み、そして全然酔えないのだろうと思う。

 昭和の爺ちゃんだなと感じる。妻がいる間は日常のことは何もしないタイプの人だ。つまりは甘えん坊なのである。だから、拗ねる。

 友達はいるのだろうが、自分の孤独と喪失感は誰とも共有できない特別なものだと思っていたいから、分かち合おうともしない。子供たちに愛想をつかされた現在、僕=孫 だけが、そんないじけた爺ちゃんの心配をして、世話を焼いているのである。

 ラストで、、亡くなった婆ちゃんを一つの星として明確に外在化できたとき、爺ちゃんは初めて、喪失感と向き合う距離を置くことができたのだろう。


【スターグラス】

天使のメガネ職人は考えました。


 これも冒頭の一文で、たちどころに「世界」を想像するマジックセンテンスである。天使のメガネ職人。という職人の存在に痺れた。


このようなわけで「痺れた一文」とした。

以上

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