9.『七夕まで待てない』ろっささん

痺れた一文

「七夕にお前たちがいないと、人間が困るんだよ」(『七夕まで待てない』ろっささん)


 しかし何の義理があるというのだろう。織姫と彦星は二人の恋を全うし愛を貫こうとしただけだった。その出来事に勝手にあやかろうとしている人間なぞのために、なさねばならない義務などないはずだった。


 爆笑問題の『号外 爆笑大問題』という番組を見ていたころ、「今週のコラム」で、太田さんが「七夕」をテーマに言っていたことを、七夕と聞くたびに思い出す。

「1年に1回しか会えないなんてかわいそう、どうか晴れますように。と人間たちは空を見上げる。地球ができて46億年。織姫と彦星がそのころから一年に一回会っていたとすると、すでに46億回会っている。その半分が曇っていたとしても23億回。人間の寿命はだいたい80年です。生まれてすぐ毎日会っても365日×80年で三万回そこそこです。

織姫と彦星は天の川の両端で地球を見下ろしながら『かわいそうなのはあなたたちの方だ』と思っているのかもしれません(うろ覚え)」


 もともと、恋愛にかまけて仕事(織物と牛飼い)をさぼるようになったから、面会を制限された、という話だ。

 だから今回、彦星は再び、恋愛のために職務放棄した。ということになる。たとえその職務が後付けの押し付けであったとしても。


 「七夕にお前たちがいないと、人間たちが困るんだよ」

 デネブは身も蓋もない言い方でそう告げた。それは、彦星と織姫にとっては理不尽な理由だと知っているからだ。

 星には星自身のあずかり知らぬ地上で、勝手な物語がつきまとい、案外、がんじがらめにされてしまう。人間の想像力が天界を縛る。というのは因業なものだと思う。だが「思う」とはもともと何かを縛るものとして働き、その縛りによって我々はこのように存在できるのだ。

 人間、ことに日本人は、節操がないようで融通がきかないところがある。神でも仏でもキリストでも仏陀でも、八百万でも、狗神でも白蛇でも、崇められるものはなんだって崇めるわりに、それぞれの役割はきっちりとしている。香典袋一つとっても、神式と仏式を取り違えないように気を遣うし、クリスマスにはケーキとプレゼント、節分には豆、七夕には笹、というアイテムも厳格に守り通そうとする。ハロウィンは仮想パーティーという実に日本的な定着の仕方をしたが、コスプレが正月などに飛び火することはない。だから、七夕がなくても願い事をする先に事欠かないはずなのである。

 にもかかわらず、七月七日は七夕だから笹に願い事を書いた短冊を吊るさねば、気が済まない。正月に絵馬に書いた願い事と同じかもしれないが、それはそれ。これはこれとして、なくなってしまうのはとても寂しいことなのである。

 「ことしは、たなばたのおねがいができなくてかなしいです」

という短冊の言葉を織姫は重く受け止めた。

 例えば、サンタクロースがストライキを起こせば、世界的に「遺憾の意」が表されるだろう。だからサンタは絶対に休まない。それは、期待が大きいからということと、実際に経済が動くという意味で、影響力がわかりやすいからでもある。

 一方、七夕の織姫彦星は、サンタほどキャラが立っていないし、プレゼントを配るわけでもないので、実際のところ影響力がいかほどなのか分かりにくい。彦星と織姫にも伝わっていなかった。だから、今回のストライキ的な行動によって、自分たちが天界にいない場合の影響を知ることができたことは、承認欲求的にもプラスだったのだろう。

 一年に一回しか会えないという自己犠牲と、一年に一回だけ人間が短冊に願い事を書けるということを天秤にかけるのは難しいが、二人は天界へ戻る決意をしたのは、利己ではなく利他がもたらす充足をとったということなのだと思う。

 利己か利他かの選択を端的に示したデネブの言葉。それが「痺れた一文」の理由だ。

以上

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