8.『海の星』右左上左右右さん

痺れた一文

顔を上げるのとトシちゃん先生がハンドルを左へ切るのが、同時だった。(『海の星』右左上左右右さん)


走馬灯。次第に人の形(心)を失いつつある者がカオスのうちに粉々に飛散していく過程を眺めているような読後感である。正直、意味をつかめない描写も多々ある。しかしそれはそれとして、そのままに受け止めているしかないのだという気もしている。


 読み始めに想定された展開は、じつに些細な描写を匂わされることで「よもや」と感じさせ、それでも語り手(カナコ)の口調は屈託がなく「まさか」と思いながら読み進めていく。

 その予感がこの一文で急激に展開する。


 顔を上げるのとトシチャン先生がハンドルを左へ切るのが、同時だった。


 カナコが現実を認識したときにはもはや取返しのつかない状況だったのだ。そして、この展開はカナコ自身が望んでいたことでもあったのだ。この道に入ってしまえば、あとはレディーメードな展開にならざるをえないというのに。

 海底のヒトデが夜空の星に重なる。トシチャン先生にとっては毎年の恒例行事に過ぎなかったはずだ。その過程で妊娠を告げられることも幾度もあったに違いない。

 2015年あたりのネットニュースでヒトデの自殺が話題になっていた。ウィルス性疾患により蝕まれた自らの腕を食べて死ぬ事例が数百万匹規模で発生したという。

 作者がこの事例を知って、イメージにとりいれたのか否かは不明だが、冷たく拒絶された後カナコがどのような選択をしたのか、作品に具体的には描かれない。

 だが、水族館の作り物の世界で磯遊びごっこに興じる「この子達に、本当の海の美しさを、満点の星空のような海の底を見せてあげよう。」スターフィッシュという名前のくせに泥の中にもぐっている泥だらけのヒトデと囃し立てるこの子達に、真実を見せてあげよう。と思うのは、かつてのカナコではないのか。もはや、それがトシチャン先生とアヤコ園長だということを認識できず、ただ死霊的怨嗟のみの存在となって、海の底を天と見做す場所から、腐った手を伸ばしているのだ。

 ごく平穏な始まりから、バッドエンドへ舵を切る遠心力をも感じさせてくれたのが、「痺れた一文」の理由である。

以上

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